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Woodblock engraving by Eric Ravilious (c. 1930s)
William Morris 1 Red House
19世紀イギリスに起こったアーツ・アンド・クラフツ運動は、それまで特権階級の贅沢品であった芸術を初めて一般大衆のものとした。この運動の創立者であるウィリアム・モリスの業績は、詩人にして作家、インテリアデザイナー、染色工芸家、翻訳家、出版プロデューサー、装丁家、社会主義者で、環境保護と歴史的建造物保存の運動家と実に多岐に渡っている。
「実用に値しないもの、美しいと思えないものが、家の中にあってはならない」。この言葉にヴィクトリア時代の大量生産を目的として作られた粗悪な製品を批判し、中世の時代のクラフツマンシップによって生み出される生活芸術の再現を目指したモリスの理念が端的に込められている。
1834年、モリスはロンドンの金融街シティの証券仲買人の長男として生まれ、ミドルクラスの富裕な家庭環境で育った。オックスフォード大学エクセター・カレッジに入学後、生涯の友となる画家エドワード・バーン・ジョーンズと出会い、彼の紹介で知り合ったラファエル前派の中心的画家、ダンテ・ガブリエル・ロセッティの奨めと、美術評論家ジョン・ラスキンの影響を受け、芸術家を志すことを決意する。
ラスキンの著書『ヴェニスの石』は、中世のゴシック美術への賛美、民衆の為の生活芸術の思想、加えて自然こそが完璧な美の象徴だというモリスの哲学の根幹となった。
1859年、25歳のモリスはロセッティのモデルであった18歳のジェイン・バーデンと結婚。ジェインは自らの崇拝者でありカリスマ性を持つイタリア人画家ロセッティに愛情を感じていたと伝えられているが、当時ロセッティには婚約者があり、労働者階級出身であったジェインは、経済的安定を求めて、モリスの求婚を受け入れたとされている。
この結婚生活の新居として、モリスが友人の建築家フィリップ・ウェブに設計を依頼し、1860年、ケント州べクスリーヒースに建設されたのがレッド・ハウスである。
赤い煉瓦が印象的なレッド・ハウスには華美で作為的な装飾は一切ない。一歩足を踏み入れると、木と人間の手作業による工芸の温かみを感じる。バラ、アネモネ、アザミと、四季折々に生い茂る植物の生命力は、今もレッド・ハウスのこの庭で、モリスの心を捉えた瞬間のまま、ここに鮮やかに再現されている。
レッド・ハウスはモリスとその仲間の芸術思想の実践の場となり、全ての製品はモリスとその仲間によってデザイン、製作された。このレッド・ハウス建設がきっかけとなり、壁紙、ステンドグラス、ガラス器、刺繍、家具などを製作販売するモリス・マーシャル・フォークナー商会を友人と共に1861年に設立、1862年には第二回ロンドン万国博覧会に出品、二つの金賞を獲得する。
二人の娘も誕生し、レッド・ハウスでの結婚生活は順調かに見えた。しかしこの最も幸福な時代はわずか5年で終わりを告げる。父から相続した株価の急落により収入が激減し、遺産によって事実上経営されていたモリス・マーシャル・フォークナー協会を継続させるため、1865年、モリスは自らの理想郷であったレッド・ハウスを売却した。
以下、William Morris 2 に続く。
注釈:これは小学館メンズ・プレシャス誌に掲載された記事に加筆修正を加えたものである。