明治大学鞍田研 昭和村フィールドワーク2017 に参加しました。
2017.08.17〜2017.08.20
鞍田崇先生(明治大学・「民藝のインティマシー」の著者)によるきめ細やかなコーディネートで、福島県大沼郡昭和村を、2年ぶり2回目に訪問した。 別世界に続くようなブナ林のトンネルを抜けると、懐かしい光景が広がっていた。 印象的な青と赤の屋根が、優しい曲線の山を背にたち並ぶ。家々の間には垣根がなく、水は山から引かれ家々の間を縦横無尽に流れ、どこにいてもサラサラと水の音が聞こえてくる。
からむし織と、それを巡る、村の暮らし。それが今回の旅で知りたかったこと。
今回は、いつもの地方出張とは違い、道連れが多い。 道連れは、研究者(哲学領域、デザイン領域)、学生(学年・専攻は様々。留学生も)、庭師、編集者(ローカルライフ領域)、そして私(手しごと領域)、フリーター(領域フリー。純粋、ということ)。村の人も、ものを作る方々と行政の方々、ここで生まれ育った方とこの村の暮らしに魅了されて移住してきた方ー と、様々な方とのご縁に恵まれた。
デザイン・リサーチという共通の目的のもと、集落を歩き回って、またからむし(苧麻)の刈り取り、皮剥ぎ、苧引きまでの作業を見せていただいた。そしてそれぞれが「気になる」素材を集めて回り、共有する。
いつもの出張では、私(とコラボレーションをサポートするアーティストやデザイナー)が、ものづくりをする人を訪ねるという二局対峙なのだが、今回のように様々な視点・専門分野を持つ人が一緒に動くと、色々なアンテナが使える。そしてそのおかげで、私の中にも新しいアンテナを立つことになったようだ。 例えば庭師のお二人は、ここでの人の営みがどれほどこの村の地形や生態系に理にかなったものなのかに着目されていた。今後いつでも、地方の手しごとを訪ねる時に、私にもこのようなアンテナがはたらくのではないかと思う。
私自身がいつも工芸の現場で気になるのは、そもそもその工芸が産まれてきた背景には、どんな願いや祈りがあり、人のいとなみがあったのか、ということ。それから、その道具は、その材料は、どこから来ていて、それらが産まれる環境は、今どうなっているのかー
それが私の持つアンテナだ。
この村では、工芸は暮らしに近く、人は自然に近い(だから私がいつも好むように、「手しごと」と呼ぶほうがしっくりくる)。
雪解けが何年もかけて濾過された綺麗な水は、家々が背にする山からそのまま引かれ、山と家々の間の田んぼや畑を潤し、そして水路に流れ込む。山の高いところには、神社があり、先祖が見下ろす。
夏に刈り取るからむしは、その水路で十分に浸されながら、その日のうちに剥がれ(茎の芯を取り除いて皮を2枚取り出す作業)、引かれ(皮の表皮と繊維を分ける作業)、数日陰干しされる。
皮剥ぎや苧引きの作業で出た屑は、からむしの畑に還っていく。実りの秋と雪深い冬を経て、小満の頃、畑は芽を揃えるために一度焼かれ、以降垣で囲われて刈り取りまで人が立ち入ることはない。そこは、土と微生物の聖域なのだ。 秋には苧積み(繊維を割いて繋げて糸にし、撚りをかける作業)、冬には機織りがいとなまれたのだろう。そして田んぼや畑の作物や、マタタビで作ったカゴが、地域を流通したのだろう。
「豊かだ」と思ってしまう。 もちろんそれは、安易な感想だ。冬は厳しいだろうし、不便さもあるから、村は現在も村のままなのだろう。そして、村のアイデンティティであり地域のエコシステムの中心であるからむしの未来は、同時に村の未来でもあるのだ。危機感さえ抱いているだろう。 しかし一方で、その豊かさに魅了されるのも、また当然のことのように思える。 だからこそ、この村と2年ぶりにご縁を結び直せたことは嬉しいし、「私に何ができるのか」も考えていきたいけれど、大前提として純粋に、「かかわり」を持ち続けていきたいと思ったのだ。
川面の上に浮かぶ霧のむこうに広がる集落を眺め、二重の虹を通り抜ける。早朝の村内放送でラジオ体操をして、畑を見にいく。昼は子供達と流しそうめんをして、はしゃぐ。夜は皆でご飯を持ち寄り、語らう。そうしたすべての時間がすでに恋しい。 村の方々のタイムラインに村の風景を見つけては、感傷的になっている。 それは、私が昭和村と個人的な「かかわり」を持ったということ。そしてその「かかわり」のために、また訪ねていきたいと思うことなのだ。
上2写真 撮影:中條 美咲(鞍田研)
◎お世話になった方々
昭和村村役場
渡し舟
NPO法人 苧麻倶楽部
明治大学准教授(哲学) 鞍田 崇 先生 名古屋芸術大学准教授(デザイン) 水内 智英 先生
その他、村の人、道連れの人、お世話になった全ての方々に、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
写真は特に記載がなければ筆者撮影
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