Portland Japanese Garden におけるSHOKUNIN 展(オープニングスピーチ)
Portland Japanese Garden(オレゴン州)におけるSHOKUNIN展、オープニングウィークを終え帰国しました。
5人の職人さん・ポートランド側キュレーションチーム・その他Portland Japanese Garden(以下「Garden」)の皆様に対し、何より愛と感謝のあるチームに恵まれたこと、相互のリスペクトのもとにお仕事ができたこと、そしてまたとない学びと経験をいただいたことに関して、心より感謝いたします。また、遠方からわざわざ見に来てくださった友人各位、ありがとうございました!
SHOKUNIN-Five Kyoto Artisans Look to the Future
松林豊斎(陶)・西村圭功(漆)・小倉智恵美(竹)・中川周士(木)・小川裕嗣(陶)
【キュレーション】 ダイアン・ダーストン・松山幸子
【会場】 ポートランド日本庭園(Portland Japanese Garden)
通常の倍の200人もの方にVIPレセプションにお越しいただき、VIPレセプション・パブリックオープニングの2日間で7割方の展示品が売約済となるなど大盛況なようで、こうした成果はひとえに主催のポートランド日本庭園(以下「庭園」)の力と出展者の職人さんたちの力ではありますが、正直なところ自分事として嬉しいです。
せっかく貴重な機会をいただいたのですから、私たち(私と5人の出展者さん)が何を想いこの機会に取り組み、それをどのように伝えようとし、どのように感じ、何に気づいたかを、まとめておかなきゃと思っているのですが、なかなか時間が取れません(>_<;)
本日はその第1弾として、何を伝えようとしたかをここに記します。
今回の展示会は、まず松林さんの提案されたメンバーでほぼキャストが決まり、その後「庭園」の文化キュレーターであるダーストンさんのご提案により、SHOKUNINというテーマを扱うことが決まりました。
SHOKUNINと言う言葉は、「二郎は鮨の夢を見る」という映画の影響もあり、アメリカ人も聞いたことくらいはあるような言葉となりつつあるとのことでしたが、アメリカ人が抱く職人のイメージは「何かしらにこだわってやり続ける人」くらいの感覚しかない。でも日本の職人というのはもっともっとそれ以上のものだから、それを少しでも伝えたい、というのが、ダーストンさんの想いでした。
日本でも、「職人」は、大方の辞書では「熟練した技術によって手作業でものづくりを行うことを生業とする人のこと」のように定義されており、その言葉は非常に広い範囲で使用されています。
しかし、日本が深めてきた「職人」の属性を考え、それをこの卓越した5人の出展者さんたちが、異なる文化で語っていくことの意義を考えた時に、その定義は私の知る「職人」たちの意義ある本質を表す説明としては少し弱いように思いました。
集まってディスカッションを始めると、5人の出展者さんたちも、それぞれにこのテーマについての違和感というか、課題を感じていました。どういう人が「職人」なのかをイメージした時に、自分たちはむしろ「作家」に近く、「職人」という群像の中心点からは少し離れているのではないか、ということが、その違和感の根本にありました。
私たちは普段「職人」ということばを漫然と、便宜的に使っているけれども、「職人」の中心点近くにいる人としては、鉋や漆掛けの筆を作る人だったり、織物でいうなら整経(製織の準備工程で経糸(たていと)を整える作業)をする人だったり、作者として「作品」を世に出すわけではないけれども、工芸の複雑な工程のなかの1ピースを、熟練した技術によって、正確に執りおこなう方々や、決まった湯飲みを1日に何百個と作るなど、ある程度の多産性を持つ人々を、思い浮かべるのではないでしょうか。
ここに結集された出展者さんたちは、確かに、自分たちの仕事は「職人」としての質をベースとしてのみ成り立っていると認識されていました。しかし一方で、彼らはそれぞれ作家として個人の名前を銘打ち、1点ものに近いモノづくりをすることも多いのです。
この5名の方々が、おそらくあまり展示会のような表現方法をしないであろう「職人」の中心点に近い人々をも代表しなければならない、と私たちは考えました。
また、今回の展示会は庭園の「Year of Kyoto (京都年間)」の一環として行われるものであり、「職人」展は「京都の」職人を紹介する展示会である、という意図が、庭園側にはありました。一方で、私たちの想いとしては(いやこれはもしかしたら私だけの想いかもしれません)、今回の5人は京都を代表してはいますが、「職人」という大きなテーマを与えられたからには、京都の歴史ある工房の何代目であっても、自身の意思で他地方から移住し生業を開かれた職人さんであっても、地方の風土に寄り添う手仕事をされる職人さんであっても、排除することのない「職人性」の話をしたいとも思っていました。
さらに、これは私の気持ちが強かったかもしれませんが、「職人は、こういう人たちです。私たちは、職人です。」ということだけを一方的に、アメリカのオーディエンスに説明することに対して、意義を感じませんでした。当然のことながら、アメリカで展示会を行うからには、アメリカの一般の人々にとっても何かしらのインスピレーションを与えることであって欲しいし、共感を呼ぶものであって欲しいと願うからです。
このようなことを課題として、長時間のディスカッションを繰り返し、どういった「職人性」を立ち上がらせたいのか、そして何が、「職人」以外の人々にも興味深い価値として共感してもらえるかを考えていきました。
考えていく過程で、コンセプト文 → ニュースレターでの展示会告知原稿 → 展示方法・展示物 → ギャラリーガイド原稿 → オープニングにおけるキュレーターのスピーチ → オープニングにおける出展者代表松林豊斎さんのスピーチ原稿、とアウトプットが伴ったことで、さらに考えが練られ、庭園側のキュレーターやマーケティングチームにも理解が浸透していくのを感じました。
ここではその、オープニングにおける松林豊斎さんのスピーチ原稿をご紹介します。スピーチは、パブリックオープニング当日、その後に続く茶の湯のデモンストレーションと、出展者中川周士さん(木工)と小倉智恵美さん(竹細工)のデモンストレーションへの導入としての機能も果たしました。
本原稿は、松林さんが5名の職人さんを代表して言いたいことを口頭でディスカッションした後に、松山が英語で書き起こし、ここに掲載するために日本語訳したものです。太字斜体のサブタイトルは、読みやすさのためにこの和訳版だけに入っています。慣れない英語で話されるので、シンプルなストーリーで、シンプルな言葉でまとめるように苦心しました。反応を見ていたら、お客様の注意をつかみ、メッセージが届いている感触があったように思います。
(茶の湯デモンストレーションの導入として話される)
こんにちは。本日は、私たちの展覧会「SHOKUNIN – 京都の匠5人、未来をみつめる」の、記念すべきオープニングの日にお越しいただき、誠にありがとうございます。
私の名前は、松林豊斎といいます。京都は宇治というところにある、歴史ある窯元の、陶芸家です。これから、ここにいる私たちのこと、この5名のアルチザンのことと、そして私たちの展覧会”Shokunin “のことを少しお話ししたいと思います。
4年前、スミソニアン美術館フリーアサックラー・ギャラリーの陶磁器キュレーターであるルイーズ・アリソン・コートさんより、今回のキュレーター、ダイアン・ダーストンさんをご紹介いただきました。ルイーズさんがこの庭園のことを教えてくださったのですが、写真を見て、日本からこんなに遠く離れたところに、こんなに大きくて、本格的な日本庭園が存在していることに非常に驚きました。ですから、こちらでグループ展をしないかとダイアンさんからご提案をいただいた時は、とても興奮しました。4人の他のアルチザンも、同時に選出されることとなりました。どの方も、一目おく皆さんであり、京都の長い歴史に根ざす仕事をしながら、伝統と社会におけるそれぞれの役割を、今の世代において果たそうとされている方々です。
ダイアンさんがこの展示会のテーマとして、SHOKUNIN(「職人」)と言う言葉を提案してくださいました。英語では一般的に、アルチザンと翻訳されています。昨年10月にダイアンさんと最初のミーティングを行って以来、「職人」という言葉に関して、アメリカの皆さんに私たちは何を共有することができるのだろうかと、ずいぶんと議論してきました。
「職人」という言葉は、私たちの職業を示すことばです。日本では、この言葉は、訓練され熟練した技術を持つ、特に手仕事の卓越した技術を持つ、プロフェッショナルのことを指します。プロフェッショナルという時には、その人々は専門の技術や素材を、自身の身体の一部であるかのように熟知していることを示しています。
しかしさらに議論を深めてみると、この「職人」という言葉をこのような簡単な定義で言い表すことは、また英語でアルチザンと一単語で訳すことは、必ずしも十分ではない、ということに気がつきました。「職人」という言葉には、一言では言い表せない何かがありました。
議論を進めるほどに、この興味深い言葉をアメリカで紹介することが楽しみになってきました。ですので、今から少し、私たちが何を議論したのか、何が私たちを「職人」とするのか、ということを、みなさんと共有したいと思います。なぜなら、たとえみなさんが何かを手仕事で作る専門家でなかったとしても、(「職人」に関する)この議論は少なからずみなさんご自身と関係することがあるかと思いますし、もしかしたら何かのヒントになるかもしれないと思うからです。
職人とは、受け継がれた知恵の層にさらなる一層を積み重ねようとする者
ところで私は、朝日焼と呼ばれる歴史ある窯元の16代目です。私の先祖も、工房でともに働く同僚たちも、400年にわたり、茶道で使用するお茶盌を作っていて、私たちは自分たちのことを「職人」であると認識しています。一方で、ここにいらっしゃる小倉さんも、「職人」ですが、彼女は職人の家系に生まれたわけではなく、ご自身の意思で伝統的な竹編の「職人」になりました。
「職人」として話たちたち二人に共通することは、私たちはどちらも、文化に根ざすクラフトマンシップの長い歴史を受け継いでいるということです。私たちは自らのスキルを向上し材料を熟知することに人生を捧げています。しかし私たちの社会には、それぞれの分野で、既に先人たちが豊富な知恵を遺していってくれてもいます。
「職人」の仕事とは、千年にわたる知恵の積み重ねの上に成り立つものです。「職人」とは、その千年の知恵の層の上に、さらなる優秀を目指して薄い層を重ねようと努力する者たちのことと言えるのではないでしょうか。
小川さんと私は、陶芸家として土を扱います。中川さんを木を扱い、小倉さんは竹を扱います。西村さんは、木と漆を扱います。
職人は世代を超えて、自然と関わり続けてきました。私たちは火や水といった、自然のエネルギーに依存します。自然とは、いつだって完全にコントロールできるものではありません。職人は、受け継がれた知恵を基盤として、完全を求めて修練し、私たちの自然素材に近づこうとします。しかし自然はいつも、私たちを驚かせるのです。私たちは、木や竹や土に対し、巧みな駆け引きを行う必要があるのです。素材の心を読み、問いかけるのです。「何を企んでいるんだい?」と。
職人とは、人の暮らしに仕え、社会との関わりのなかにあることを知る者
職人は一般的に、人の暮らしに仕えるモノを作ります。そして自然と関わり合います。人の暮らしのためにこそ、自然からの恵みや驚きを受けとります。そういう類の者です。独自性や創造性を表現することは、私たちの第一義の目的ではありません。私たちの仕事は、常に人々の暮らしとともにあるのです。
私たちの仕事が人々の暮らしとともにあるのであれば、それは社会との(他者との)関係性の中に存在する仕事であるということでもあります。
西村さんの仕事は木地師さんや漆書き職人さんなしでは成立しえません。たとえ最終的に作品が西村さんの名前で認識されたとしても、そして工程全体に寄与した全ての方々が特に明記されなかったとしても、その作品はこうした人々との協業の成果であることが、自然と理解されるのが、日本の職人の仕事に対する理解です。
私が所属する朝日焼では、6人の他の職人さんたちがいます。私の仕事は、西村さんの仕事とは違って、私一人で完結することができますが、それでも、技術と知恵を継承しているのは、結局のところ窯元「朝日焼」なのです。私は、その朝日焼というアイデンティティーを基盤として働く者なのです。
「職人」とは、「私」が作るのではなく、「私たち」が作る、そのことを意識する人々なのです。
日本の工芸は、人々の暮らしとともに、茶道、仏教、神道、祭礼など、文化の文脈の中で育ってきました。その地方ごとに、独自の風土があり、独自の文化があります。京都は千年以上にわたり日本の都であり続けました。それゆえ京都では、貴族社会のクライアントを満足させるよう、洗練された精巧な工芸が発達しました。
今日ここにいる5人の職人のほとんどにとって、私たちが継承し、次の世代に受け継ごうとする仕事は、京都で発展した茶道に、歴史的に影響を受けています。
私の窯元は、日本有数のお茶の産地である宇治にあります。小川さんや西村さんは、16世紀に茶道を確立させた千利休が影響を与えた、工芸のスタイルを受け継いでいます。小倉さんは、お茶室で使用される花かごも作られます。
だから本日は、皆様のために茶の湯のデモンストレーションをすることにしました。今日のためだけに、私たちはそれぞれ、お道具を作ってきました。小川さんと西村さんがデモンストレーションし、その間、このポートランドでお茶の先生をされている、ジャン・ワルドマンさんが、お点前について、そして私たちが作ってきたお道具について説明してくださいます。ご静聴ありがとうございました。それではお点前のデモンストレーションをお楽しみください。
(この後お点前のデモンストレーションに移ります。)