写真家 津田直さんより
「観る」という行為は、 眼だけの感覚に頼れるものとは限らない。
時に写真は自ずから光を放つこともあれば、 我々の全身を包み込むような影となり、足元まで迫ってくることだってある。
写真家 ロバート・フランクの作品に触れたとき、 詩人のように呟く言葉が聞こえてきたかと思うと、匂いまでもが押し寄せてきた。
まるで煎りたてのコーヒーを飲むとき、その香りが道標となるように、 僕はその香りを一気に吸い込んだ。
「The Americans」 「Peru」 「Storylines」 「Paris」 「Seven Stories」 「Pangnirtung」 ・ ・ ・ 辿り着いた地域によって、土地の色はまるで違い、混ざりようがなかった。 世界は永遠にピースの合わないパズルのようで、断片として存在していた。
展示を観ながら僕は十代の始めに旅したアメリカや、二十歳の頃にひと夏を過ごしたNYの街を思い出していた。 そこはかつて母が祖父の仕事の関係で、少女時代を過ごした国でもあった。 母の中に在るアメリカの記憶は、1950年代から1970年代にかけてのものだ。 僕はその時代のアメリカを知らない。
だが、見知らぬ土地の光景も、誰かの人生や映画、絵画や叙事詩などを通じて出会えば、 時空を越えて、時が動き始める瞬間がある。
フィルムのコマを追っていけば、写真集の扉を開けば、写真は再生されていく。 まずは歩き始めればいい。KIITOの広き空間の中を。フランク作品のスクリーンの中へ。
後は、新聞紙に刷られた写真を手に取り、今日の出来事として、記憶に刻み込めばいい。
〈津田直/写真家〉













