「今となっては死語、ショーウインドウという言葉」
数年前に、お店のウインドウガラス下にある腰板を張り替えたことがある。傷みに気づき知人の大工に相談し修理を依頼したが、「自分でできるでしょ」と言われ仕方なく一人で作業を行った箇所だ。その部分が同じように腐り、再び修理が必要な状況となっている。やはり「素人仕事」の典型、ツメが甘かったようだ。件の大工に相談すると今度は、「板張り後にコーキングして下さい」とニコニコ顔で言う。やっぱり仕事を受ける気は無さそうだ。やれやれ。
インショップであれ路面のショップであれ、アパレルにおけるディスプレイは商品認知の手段として不可欠である。私が若いころは、本部から販促物が送られ、ブランドの世界観を保つために国内同一ディスプレイでの展開が一般的に行われていた。しかし今日のようなアパレル衰退の状況下では、ディスプレイは各ショップが独自で行うことが常だ。そんな中で、近年ショップが「物売りの場」から「受け取りや試着の場」へとその在り方を大きく変えようとしている。商品は並べ積まれるだけで、その空間には集客を目的とするディスプレイは必要とされない。WEBだけでモノが買い続けられるとは思いたくないが、ショップは確実にストック場と化しつつある。本来なら商品の魅力を発信するはすのショップが、今その存在意義を失おうとしているのだ。すでにご存じだと思うが、街中やハコモノからアパレルのショップが無くなるスピードと言えば、それは、それはすごい。
腐りかけた腰板の上、ウインドウガラスの奥に我が店のディスプレイはある。クロスを掛けたテーブルに洋服を着せたボディと雑貨を置き、その時々に考えたテーマのもと「流れ」や「物語」を表現する。店主は毎回真剣だ。それが出来ているか否かは別として。ただ、思いを込めているにも拘らず、そこへの注目度は顧客の方々ほど低い。何故なのだろう・・・。一方、店主の心意気を知ってか、世間にはウインドウのディスプレイに気をとめてくれる人もいる。先日、この店を正面から撮った写真を頂いた。聞けば、ウエブ上にあるライカのフォトギャラリーに投稿したところ採用されたとのこと。一面識も無い方だったので驚いたが、「記念なのでお持ちしました」とおっしゃるからその一枚を有難く頂いた。他にも、店を描いたスケッチ画を「どうぞ」と言ってくれる女性や、北九州市が主催する都市景観賞の市民投票にこの店を候補の一つとして挙げて頂いたことも過去にある。小さい店だが、こんな店の連続性が街並みを作り、延いてはランドスケープを形成しているのだ。売上や規模とは別の、「佇まい」としての「店」のチカラがあることも、広く知ってほしいと思っている。
昭和までは街角や商店街に多くあった洋服屋。そのウインドウに飾られるワンピースやスーツを眺めたことがある方もまだいらっしゃるだろう。あの頃よりもお店は減り、ウインドウを持たず、外に向かってディスプレイをしない店が増えた。ガラス越しに目にした「洋服の色やフォルム」、その光景が街中から消え去ってゆく現状はとても寂しいと思う。
多分私は、再び「素人仕事」をやる羽目になるだろう。腐食をそう長くペンキでごまかせるはずもない。レトロチックで古ぼけた雰囲気は、私の意図するところだが、「腰砕け」で大切なウインドウが壊れてしまっては本末転倒というものだ。ただ、ほんの少しだけ、「やるよ!」とプロからの言葉も期待している。なんとかお願いします。
注文服ヤマキ 木下 達也










