いよいよ審査の日。Tiger Camera フォトブック コンペティション2014。51点の優秀作品が選ばれようとしています。
5月19日am9:00 Søren Solkær(セレン ソルケ)、Trine Søndergaard (トリーネ センテゴード)そして Mads Stahlschmidt(マッズ ステールシュミット)審査員が集合。彼らはすでにそれぞれ優秀作品として推薦する作品のリストをたずさえてられていま。残念ながら Henrik Bülow (ヘンリク ビューロー)は審査に加わることが出来ませんでした。Tiger Camera に寄せられた7,000点をうわまわる作品のすべてに目を通してきた審査員団。それらの中に実に多くの優れた作品が存在することに、まずは驚きを隠しきれない様子です。
09:00am: 朝食をとりながらスケジュールと選考手順について確認
09:30am: 審査員団は自らのリストを見直し、かつ、3人のリストを統合
どんなところに心ひかれて多くの中から51点の優秀作品 を選び出したのか、私たちTiger Cameraは審査員団にインタビューしました。もちろん、最優秀賞の選考基準も気になりますものね。
7,000点以上の作品をご覧になりましたね。その総合的な印象は?。
写真についての経験がほとんど無い人たちが投稿の多くを占めていることは、ひと目でわかります。そして、それは、私たちにとってむしろ喜ばしいことでもありました。なんといっても、楽しさやユーモアがことさら伝わってきますからね。それらの作品群は、とりわけ高尚なものではありません。でも、私たちが日ごろから深く関わっている悲しみ、愛、家族の温かさなどを、それらの気配のようなものまでふくめてとらえています。イキオイというものは、実に面白い。予想もしない作品が生まれることがありますものね。
それぞれの人がそれぞれにFamilyというテーマを解釈しているのを見るのは、とても面白いことでした。そんな作品たちは、私たちの暮らしそのものを映し出し、大いに笑わせ、熟考や共感を促し、記憶を呼びさまし、ときに憂鬱へといざないました。そのほかは色・光・構図等を効果的に用いている見た目がキレイな作品たち。また、テーマからはずれてしまっていて、陳腐で退屈なものも含まれてはいました。ほとんどの作品に共通していることは、過去や未来へのまなざし。7,000点を超える作品において、Familyが予想を上回るほど幅広い解釈を施されていて、それはほんとうにスゴいことです。
構成と色彩、そしてそこにかいま見える人間のつながり、それらが融合している状態こそが、おそらく私たちの心をもっとも動かしました。シンプルな家族写真にひきよせられたのも、そんな意識があったからでしょう。
不自然な状態であることと、それが偶然を装おうとしていることとのバランスに、作為を感じてしまう場合もありました。よく考えられうまく実行された作品と区別するためにも、私たちはあまりにも不自然な作品は排除せざるを得ませんでした。
7,000以上の作品から51点を選び出さなければならなかったわけです。それは大仕事なわけですけれど、予備選考から本選考までの間に、私たち審査員は全作品から400点までに気になる作品をしぼっておきました。それが、効率的な選考に役に立ったと思います。その400点を対象に、こんどは100作品まで絞り込むリストを作成、それでいよいよそこから51の優秀作品を選び出したというわけです。
最終選考に残った100作品の大半は、審査員の好みの反映であるといえるでしょう。その中で審査員団3人が共通にピックアップした作品もいくつかはありました。さあ、そんなふうに好みが重なるものばかりではありません。それ以外の作品を選ぼうとすると、ひとことで写真と言っても私たち3人がそれぞれいかに異なる分野でプロとしての活動をしているか、その開きがたちまちあきらかになりました。当然私たちはそれぞれが推薦する作品を弁護し、フォトブックに掲示されるべき理由について述べ合うことになりました。これは作品選出にとって有意義なことだったと思います。多角的な評価、いくつもの視点が、選考におおいに反映される結果となったからです。
総合的に言えば、おおむねうまくとらえていたし、様々な独創性は感じられましたが、9割がたはFamily をまず文字通り受け取っているのを感じました。「家族アルバム」のノリですね。
51作品を選び抜くための選考基準はどのようなものでしたか?
ユーモアは、選択基準の重要項目のひとつでした。いくつかの作品は、掛け値無しの面白さを示していました。他に類を見ないような独創的スタイルの作品もありました。
写真作品そのものが抱え込んでいる個性やら人格のようなものも、今回の選考の基準でした。それらは、本格的で信頼に足る表現でありながらも、親と子のありふれた家族写真であることを遥かに超えたところで、家族の普遍性のようなものを示してくれています。
興味深かったのは、写真作品への解釈の幅と深さに関して撮影者が慎重に注意を払っていると感じられたことです。作品がたんに対象を写すだけではなく、その視点の先に何を感じ取ろうとしているかという撮影者の心まで表現されているように見えるのは、そのためです。ですから、一枚一枚が写真という枠を超えて世界もしくは芸術という手応えをまとっているようにも思えてきます。多くの作品の上に、そんな奇跡が発生しています。
はじめから私たちには2、3の最優秀作品候補がありました。お互いのリストを見たところ、同一作品を何点かお気に入りとして選んでいたのがわかったときにはちょっと興奮しましたね。最終候補を3点に絞り込んでそこから最優秀作品をひとつに決めるのがそりゃたいへんでした。左の3点は、そのたいへんだった最終選考の作品たちです。
Fernando Páez 撮影 年老いた腕と若い腕とがつながる一枚「継承」を最優秀作品として選考した理由は何ですか?
ここにはつながろうとする意識が映っています。家族とは、つながるものなのです。一方には若くて美しい完璧な腕、もう一方には年齢を重ねた腕。その腕の持ち主は、おそらくかつて絶世の美女だったのかもしれません。彼女はいやおうもなく時間の流れの中でしぼみつつあるのです。このつながりの中には、多くの生と死の物語が秘められています。また、この作品には「私を食べないで」という雰囲気。そう、まるでグリム童話のヘンゼルとグレーテルを想起させるような。かろうじて触れた手をしっかりとつかんで離さないような、そんな気配。老婦人は生命そのものを握りしめて離さないようにも見えます。ひと目で分かる直接的な物語性は、作品への関心を高めます。そして、この作品はいささか挑発的でもあります。光と暗部のうつくしい遭遇は、未加工の生々しさと映像的な強さとをひきだしているようです。私たちの感性に直接の刺激を与え、時とともに成長をしていくような、力強く明確なイメージ。老いから若さへとの世代を超えた出会いや家族の絆といった物語を備えつつ、この作品はそんなイメージを見事にとらえています。強力さと簡素さとを抱きしめるように湛えつつも、多様なクオリティーを示している一枚。ステキですね。
私たち3人は、この一枚がブックに収録されることに異存ありませんでした。時間というものが立ち止っていることと矢のように過ぎていってしまうことの双方を簡潔でユーモアに満ちたシカケで見せてくれるよくできた写真です。手で掲げられているのは1960年代に撮影されたもの、そのまわりは同じ場所の2014年、つまり現在。月日の隔たりがあるにもかかわらず何も変わっていない、そんな面白さがあります。
少なからぬ数の作品が古い写真と新しい写真を組み合わせる大胆なアイデアを示しました。二人の女性、左が右の女性の曾祖母であるこの一枚は、その例にあたります。その年齢差110歳。曾祖母とのつながりを意識してドレスアップをしての撮影、とてもエレガントですね。時のうつろいを組み込むことで見せる写真というメディアの可能性、この作品はそんなものを引き寄せようとしているようです。
クリスマスの妖精のコスチュームのまま床に寝かされている赤ちゃんの写真がありましたね。その選考理由は?
まずはユーモア。それがこの作品を特別なものにしています。グロテスクで不条理な一枚でもあります。まるで小さな人が何も無い空間を落下してゆくようにも見えますが、しかし現実にはカーペットの上に転がっているのです。実に典型的でわかりやすいシロウト写真。床の上で彼女はもはや庭に置くノーム(大地の精霊)の像のよう。ここにあらわれているのは、両親が子供を思うがままに扱っている姿です。服従させていると言ってもよいでしょう。多くの作品には、家族を賞賛の対象にしようとする傾向があります。しかし、いかにままごとめいた暮らしを私たちが送っているのかという批評的なまなざしがこの作品には含まれています。撮影者がフレームの中に入っていることもふくめて、このシチュエーションが独特の効果を私たちにもたらします。
リアルな心の動きが見て取れます。この3人からは、なんともいえない緊張が伝わってきますでしょ。3人はそれぞれに分離しているかのよう。男の子は両親のはざまで、どちらからも離れたいと願っているくせに、にもかかわらずどちらを選ぼうか苦悩しているようにも見えます。彼は母親と手をつないでいるのに、父親と一つのユニットであるようなおそろいの服を着ているところがなんともいえません。両親がそれぞれにその肘(ひじ)を腰にあてて横に張り出させているところから、ある種の頑固さが画像から滲み出します。この作品は、かなり強烈な喚起力を放っています。
この家族写真をみなさんは選んでいらっしゃいますね。どのようなお考えがあったのでしょうか?
この作品には、私たちが記憶を形成する核になるようなドラマが含まれています。いわゆる家族写真といったものよりもかなり複雑な事情を抱えています。夫に背を向けて遠くを見ている妻、彼女に身を預けるように寄りかかろうとする夫。夫の行動には潜在的なメッセージが含まれているようです。これは「幸福な家族像」とは一線を画している図です。幼い娘は、幸いなことに何が進行しているのかに気がつかないでいます。この写真の質が粗いことも魅力でした。たしかに露出は不適切ですし、ピントもずれていて、技術的にはダメな一枚です。しかし、だからこそ全体のトーン、そのクールな雰囲気が生まれています。私たちは、総合的な視点からこの作品を選びました。
外を覗くための窓がたくさんあり、そのむこうには多くの人の存在がある。最上階はおそらくオフィスなのでしょう。とても長い蛍光管が天井にあって、白いシャツを着た人がいます。低い方の建物は住居のようですね。多くの人が同時に様々な生活を営んでいること、それをこの一枚が垣間見せてくれます。そのまなざしから、私たちは家族生活をとらえなおすきっかけを手に入れることも可能でしょう。この一枚はそうした効果をうまく体現しています。
これは何を示そうとしているのかがよくわからない。よくわからないからこそ面白い。そんな一枚です。何も決定されず、何も解決されず、ともあれ、まさしく環境というか空気というか、そのようなものが明確に写されています。母と幼い子供との結びつきがしみついた、そんな古い記憶のような作品ですね。
ウクライナにおける破壊の様子を撮影したこの一枚についてのお考えは?
まず技術的な側面において、この作品はプロカメラマンとしての私たちをひきつけました。画像の調性が、かなり高度で非凡なのです。場面は渾沌としていて、今まさに進行中である出来事が多くの物語と多くの位相を示しつつ一枚に収められています。見ようによっては、これはまるで「ウォーリーをさがせ!」のようでもあり、美しくさえあります。それが何事かがわからないとしても、私たちは何かを探り当て、発見することが出来ます。たしかにこれはFamilyというテーマからはちょっと遠ざかっているように見えるかもしれません。しかし、この一枚は、人々が誰しも互いにかかわりあう可能性を示しているのです。別の解釈をするならば、ここに掲げられているのは家族の営みの膨大なる破壊ということができるでしょう。世界も人もみな互いにかかわらざるを得ないのです。それが真実です!
ハードなリアリズム。勇気ある告白。そう、誠実と言ってもよい写真です。祖父が死にかけているのに、孫にあたると思われる男性はコンピュータのモニタを見ながら暇つぶしをしているように見えます。かなりキツい作品ですね。困難な状況にある家族の像を映し出すこの作品は、私たちの心の中にある感情、そう、苦しみの中にある親しい人を見届けなければならないことへの思いをえぐり出します。家族の一員を喪うことの意味の多くを伝える一枚です。
この写真は、とてもカッコいい.楕円形の中に収められた家族写真のコラージュです。そう、まるで水晶かダイヤモンドのようにも見える。あるいはよく研磨された宝石、もしくは、インドの人たちが額につけている第三の目、すなわちビンディをも連想させます。コラージュを構成するひとつひとつの写真は、複数の家族をとらえたもの。それがこのように配置されることで強いパワーを得ました。美しい、そうシンプルに感じます。
人それぞれに営みがあるということを、とても愛らしく見せてくれていますね。まるで画家のパレットのようでしょ。よく見ると、その色のバリエーションはかなり不思議なものではあるんですけど、こうした色と暮らしてきた人がいるというのをこの作品は事実として提示しています。いやはや、まさしく人生いろいろ。これは確かに事実なんだけれど、むしろコンセプトの方が見いだしやすい作品となっていて、そういう発見が作品をより魅力的にしているのだと思います。
結婚写真ではありますけれど、ともすればここに問題を見いだしてしまう眼とでもいいましょうか、皮肉なかかわり方といいましょうか、あるいはほどほどの距離感といいましょうか、そういうものが含まれている一枚だと思います。人間は自分自身の世界観の中に暮らしていて、ときおりそれを披露したくなるもの。自分の世界観においては拘束されるものはありませんが、であるからこそ、それをそのまま見せられたときに、人はそこに不条理を感じてしまいます。犬も夫も同じようにドレスアップさせた上で自らを撮影させる、その意識。そうです、パフォーマンスとは私たちの近代文化を構成する要素なのです。彼女の表情は「ああ、私は自分の思う通りにしているわ」と満ち足りているのに対して、彼氏の方は必ずしもこの筋書きに満足しているわけではなさそうな気配なのが興味深いところです。ここにあるのは、ちょっと不幸なドラマなのかもしれません。彼はスーパーヒーローのようにポーズを決めていますが、その表情はそれにふさわしいものとは言えません。彼は、自分自身を渾沌へと追い込んでいるようです。花嫁の介添えとして犬たちが並んでいて、まあ、グロテスクとも言える写真でしょう。
これはまことに奇妙な作品ですね。こちらに背を向けて立っている少女はバルコニーに佇んでいる人と視線をあわせているようです。すべての大人たちが彼女たちの下にいて、はてさて、これはどういう空間なのか、どのような展望をねらっているのか、なんとも理解しがたいことになっております。彼女たちのすぐ足元に込み合う人々は、彼女たちの気配とはまったく関わることのない存在。なんとも不思議な空気。ミステリアス。
この写真を優秀作品として選んだ理由を聞かせて下さい。
楽しくて、そして、哀しい。この写真の魅力はそれらを同時に示していることにあります。作品を構成しているのは、文字情報と複数の人物の顔の一部分。文字情報は、家族の顔の類似点とその遺伝的な特徴を述べています。この合成された人物、とても哀しそうに見えませんか。写真は、シャッターボタンを押すだけで作るものではありません。そんな意味で、こうした異色な試みは作品の大きな魅力になっていますね。
この写真はFamilyとどんな関係があるんでしょうか?
ええ、彼はただそこに立っているだけです。この作品のタイトルは “New Family”。この一族の誰かと結婚でもしたのでしょうか?それともこの部族の一員として認められるためのテストかなにかを通過したのでしょうか?いずれにせよ、彼が大まじめであることは、誰が見ても明らかですよね。並んでいる人たちから頭ひとつ分身長が高いわけですけど。
これはかなり笑える一枚。一列に並んで家族写真が撮りたかったのに、どの顔もまったく映っていない!ポートレイトという概念からすれば、彼らは誰だかわからない人たち、写真の表面から隠れてしまっている人たちということになります。だからこそ、誰でもなく、また、誰ででもありうる。そんな状態でも、彼女たちには深いつながりがあるように見えますね。ハイ!チーズ!
この雰囲気、1980年代のアイルランドそのもの、あるいはアイルランド映画の一フレームに強い影響を受けたものと思われます。この女性、背筋も氷るほど恐ろしい形相をしているところを撮られてしまいました。恐ろしくはありますが、しかし、滑稽。そして、奇妙。人間にとっておめでたいとされている出来事が、必ずしもそれなりに幸せとは限らないということを示しているようにも見えませんか。
これは、象徴的な作品。鳥は巣を作ろうとしています。この営みは、家族への献身の究極的な姿といえましょう。運べるかどうかギリギリの大きさの枝をつかんで飛んでいるのがステキです。それにつけても、この枝はデカイ。
ヘルズエンジェルズ。ギャングの一員であるとは、要は兄弟仁義でつながっているということです。私たち審査員にとって、この一枚を優秀作品にとりあげることはとても意義深いことでした。彼らのような組織では、男同士の絆は女子供と結ぶものよりも強いもの、ですよね。友誼と兄弟愛は彼らの最も重んずるところ。水や血よりも濃い、そんな世界ですね。
壁に描かれた絵、そして通り過ぎてゆく男、その双方にひきよせられました。壁の中のキャラクターが、歩いている男を見つめているように見えるでしょ。路上のアートは人間の営みへの深いかかわりを突然あらわします。そんなアートの面白さは、とても雄弁で、かつ、とてもシンプルなところ。この写真は、まさしくそんな路上アートと人間との関係の決定的瞬間を撮影することに成功しました。この写真は現代的な家族形態の中での男性の役割をも映し出しています。50年ほど前でしたら、男性が幼児を抱えて街を行く姿など見かけることは無かったでしょう。そういう意味合いにおいても、背景の現代的な絵はこの作品において大きな意味を示しているわけです。
受賞されましたみなさま、おめでとうございます。投稿してくださいましたすべての方々、ありがとうございました!
Tiger Camera フォトブック 2014 は、フライングタイガーコペンハーゲンのストアにてお求めいただけます。(出版予定は9月)