さらちになった
8月企画のあと、何かが変わっていることに気づくが、それがなんなのかわかったのは、ややあと。
なんだか何もなくなっていた。ばくぜんとした言い方だけど、ほんとにそうだ。
次はこれをしよう、とか、したいことがイメージとして浮かんだり、実現したいこととか、そういうものが、まったくなくなってしまったということ。空気のようにとなりにあった、より多くの人に聴いてもらいたいという、ふつうの気持ちすら、飛んで行ってしまって。
なに?なんなの。音楽やってくの?今までやってたのも音楽だった?まがいものじゃなかった?て、おかしな思考までとびだす。
花の企画で自分は、はずかしながら初めてギリギリまで行った気がした。今出せるところまで行って、それで、今のギリギリがどこかわかった。
精いっぱいで、ここまでなんだなと。それがわかってよかったと思ったし、あの時だって、その前だってまがいもんではなかったと思っている。
でも、そこまで行ってみて、今までのことを続けてゆく感覚がすこんとなくなってしまっていて、もし同じようにまた新しい曲を作りながら今までのものも演奏しつつ、活動を広げつつ…というのが考えられなくなった。
なんなんだ、これは?と思った。空っぽ。
やる気なし、音楽、やっていていい人なの?私は。などとこねくりだした。
そのうち、ひとつ気づく。新しい言葉、メロディがくると楽しくて、すぐ形にして、、その中でいつか、決定的な瞬間が来ることを期待していたんじゃないか。それでいつも箱を見つけては、中にそれが入っているんじゃないかと開けて、見つけるのも開けるのも楽しいから入っていなくてもそれを嬉々として続けてきた。
それがむなしいことに、ある時、気づいた。
追求していたつもりだった、けど、一旦とにかく今までの道はここまでで、歩き切って、もう道がない、ので、歩き続けることが物理的にできなくなった。
そういうことを淡々と感じ取りながら、心を追ってゆくうちに、いくつかの出来事が起きた。
動物との突然の別れ。 そこで見せつけられた、生から死への道行き。 過呼吸という初めての体験。 師からいただいた言葉たち。
それらの後、ヴィジョンを受け取る。 自分の中の太陽が食のように黒くなっていた。 それを剥がしてもらった。
今は、とても小さいけれど、たしかに新しい炎がある。それを大切に、足元を照らし、歩き始める。 来週の夜のtugaiは、その始まりのしるし。
灯った炎とともに、感謝をこめて











