組み合わさらない
例えば私がしないことは相手にも絶対して欲しくない。約束を重んじるから、簡単に私も約束しないし、社交辞令なんて大嫌い。誰かの大切にしてるものや価値観を否定しない。だからこそ、自分の価値観と違う話をされると私という存在を丸ごと否定されてる気持ちになる。強要しないという強要。
私の周りってなんでこんなに気が使えなくて、言葉も選べなくて、デリカシーのない人間しかいないんだろうと思っていたけれど、私が関わる人達をモンスターにしてしまうだけだった。嫌われたくないからデロデロに甘やかして、己を削ってまで自己肯定感を上げさせる化け物。それが私だ。使われているということと頼られているということを混同しすぎている。
人生を難しくしすぎてるというのは遠い昔に誰かに言われた記憶があるけど、ようやくなんとなく理解した。
じゃあどうするかというのが難しい。誰に嫌われてもいい、私は私みたいな感覚はない。なるべく人から嫌われたくないし、怒られたくもない。周りの顔色を伺い続けてる。折り紙で何度も折った癖みたいなもの。どれだけシワを伸ばしてもぱたんと折れてしまう。
大人になればなるほど完璧に気が合う人間なんてものは消滅する。パズルのピースが細かくなるような。むかしは20ピースのパズルをやっていたから、簡単に絵柄が揃うし、かちっとハマる感覚があったのだけれど、環境や境遇が与えられるにつれ気づいたら2000ピースのパズルになってしまった。それに私は随分と長い期間気がつけず、少しの違和感を大きな絶望として捉え人間関係をばっさばさっと切り捨ててしまった。し、長きにかけて周りをどんどんとんでもモンスターにしてしまった。20ピースに戻せても、もう友人たちと同じ絵柄にはならない。
美学は美しい、でも美学に囚われてる自分は美しくない。自分がやられたくない事を人にしないのは結構なことだけど、言葉にせず察してはいくら何でもいくら何でもだよなあ。
なーんか疲れたね。生きやすくしてあげたいよ。私の為だけに私の人生使いたい。
















