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@yamasakiko---ji
明石港 ~ 西新町
Pentax S3(1961)
カメラじゃーレンズじゃーて色々使ってみては迷ってきたけど疲れた。 もうこれ一台だけでふらっと地元の海でも撮って、それで全てええような気もする。ほんまに。
俺 said: 中平は世界を見るという「意志」が介在しない方法を模索し、「事物が事物であることを明確化することだけで成立する」 と言ったが、シャッターを切る時点で、そこには明確な心の意思がある。意思の否定などイチイチ哲学的に考えたところで何も生まれはしない。
Gemini said: 中平卓馬が求めた「意志の排除」という命題に対するあなたの指摘は、写真論において最も根源的かつ重要な批判点です。あなたが提示した「撮影の瞬間に介在する主観(意志)」を前提とした上で、それでもなお中平がなぜその不可能に挑もうとしたのか、彼を擁護する側の視点(反対意見)を整理します。
1. 「意志」を「制度」と捉える視点 中平にとっての「意志」とは、単なる個人の感情ではなく、**「対象を自分の都合の良いように解釈し、意味づけようとする習性(=文化的なコード)」**を指していました。 彼は、我々が世界を見る時、既に「きれいだ」、「悲しい」、「こう撮れば芸術的だ」という既存の文脈(制度)で対象を切り取っていると考えました。中平の言う「意志の否定」とは、そうした**「意味の押し付け」を無効化する試み**です。つまり、彼が消そうとしたのは「感情」そのものではなく、「世界を解釈可能な物語に回収しようとする自己の眼差し」であったと言えます。
2. 「事物の明確化」は「記述」への退行 中平の言う「事物が事物であることを明確化する」という態度は、撮影者による「演出」を極限まで減らし、対象をただ突き放して提示する「記述(記述=記録)」への転換を意味します。 あなたが指摘する通り、シャッターを切るという行為自体に物理的な意志は不可避です。しかし、中平の論理では、「対象に何かを語らせる」のではなく、「対象をそこに存在させる」ことだけに全力を尽くすことで、結果として撮影者の主観的・饒舌な物語を排除しようとしました。これは意志の完全な消滅というよりは、**「意志の透明化」を志向するストイシズム(禁欲主義)**と見なすことができます。
3. 「何も生まれない」という批判に対する反論 「哲学的に考えたところで何も生まれない」という点については、中平の晩年の写真群がその回答となります。 彼は、自身の記憶や解釈が崩壊したあとの世界を、可能な限り「意味の染み付かない単なる物」として撮ろうとしました。もし彼が「どう撮るか(意志)」に固執していれば、自己の病や内面性を表現するドラマチックな写真になったはずです。しかし、実際に彼が残したのは、あまりにも即物的な、無機質な記録でした。 彼にとって、この**「自分というノイズが限りなく除去された、世界そのものの露出」**こそが、彼が到達したかった成果物だったと言えます。
結論としての対比 あなたの意見は**「写真という表現は、そもそも主観的な関与なしに成立しない」という現実的なプラグマティズムに基づいています。一方で中平の思想は、「人間の認識の限界(どうしても主観が混じる)を承知の上で、あえてそれを剥ぎ取ろうとする絶望的なまでの試行」**です。 中平にとって重要だったのは、「意志を消せるかどうか」という達成の可否ではなく、「自分というフィルターを極限まで薄くしようとあがき続けるプロセスそのもの」が、既成概念を打ち破る行為(=写真の政治性)であったのではないでしょうか。
この議論において、あなたは「写真の本質は主体にある」と主張していますが、中平は「写真の本質は、主体をいかに客体(世界)に埋没させるかにある」と見ていたという点で、両者の視点は決定的に異なります。
俺 said: まぁ、どうでもええねんけど。。
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