自分はどうも人から勧められれば薦められるほど躊躇が強くなってしまうタイプだったりする。
勿論、いざ薦められて始めたら自分のライフワークに組み込まれたことも多いのだから、迷惑という訳ではないのだけども。
(趣味ではTRPG、音楽ではSurfaceとかTHE BACK HORNとかはその流れでドップリした訳だし)
「君の名は」はかなり推されたし、周囲も盛り上がってので反比例的に離れていたのだけど、
なんやかんやで「秒速5センチメートル」も見たことあるわけで、興味はあって。
そんなこんながあり、正月特番を蝉の鳴く頃に見たあたりにようやく見たあたりに、「めんどくせぇ奴だな」感を感じて頂きたく。(何)
まぁその、もう自分のアンテナの感度はここじゃないんだなーと思いました。
たぶん、十代・二十代、あるいは結婚前だったらすっごい感動できていた気はするし、皆が盛り上がる理由もわかるし、映像はすごく好きです。
だから、ダメとは一切言う気はありません。むしろ、ダメになったのは自分の感性の方なのだと思う。
電撃文庫だか富士見ファンタジアだったか忘れたけど、小説の応募をする際のルールとして、
「ジャンルは何でもいいけど主人公が十代ないし若いこと」的なものがあったりしたと思います。
要するに、十代~二十代が読むものとして、ジャンルよりも主人公の年齢は重要だということで。
実際、35歳子持ちの自分は、十代の少年少女へチャンネルを合わせて沈み込む、ってのがもう相当しんどいのだなと思いました。
この、普通ならば「そんなもんやで」程度の事案を、結構しんどいなぁと思っている自分がいて、こうして記録をしている。
もう、「お姉さんキャラ」が全然年下になってしまった。
物語の中で、チャンネルを合わせるべきターゲットに対し従来の「もし自分なら」の他に、「もし娘なら」という選択肢が増えてしまった。
それにより、十代のキャラは「過去の自分」よりも「娘の将来」の方がチャンネルを合わせやすくなってしまった。
十代の少年少女にチャンネルを合わせるために、35歳は20年沈む必要があるけど、
3歳の娘ならば15年浮き上がればいい。そっちの方が近いのだ。
なので、自分が感情移入するのは滝君じゃなくて三葉であり、その親父さんだったりしてしまったのだ。
これではこの作品を十分に堪能できてないだろうし、できなかった事に何となくモヤモヤしている。
あとはまぁ…。超常的な出来事に対しての飲み込みやすさがヘタになった、ってのもあるかもしれない。
…超能力が出てくる小説書いた人間が言う言葉じゃないとは思うのだけど。
そんな部分から、個人的には「秒速5センチメートル」の方が(結末がアレな事も含め)好きなんだろうなぁ…。
とはまぁ、「年は取りたくないもんだ」という一行をだらだら書いたような日記なのでした。
「感性が衰える」ではなく、「老いる」のは鈍麻ではなく、ただの変化だとは思うのだけど、
色んなものを置いて来てしまったなぁと、何とも言えない寂寥を感じる今日この頃なのです。