気づき
みなさんご無沙汰です。
この日記を書き終えておよそ10年が経とうとしているというタイミングで何の脈絡もなくYouTubeを見ていたら、とある高校生が高校3年間をクラスメイトと動画を作って投稿しているチャンネルを見つけたので自分自身の高校時代のことと重なって思い出してまた戻ってきたというわけです。
俺は高校を卒業して趣味だった写真と映像を学べる大学へ進学し、今は映像ディレクターを生業としているわけですが(何という成長!)
えー。さて。
まあ何故こんな話をしているかというとその彼が撮ってる映像がやけによかったんですよね。それと俺が高校の時にやってた記録の意味の答え合わせができた、このふたつです。
彼の映像はそれといって編集やカメラワークなどは工夫がなく、スマホでただ撮ったりっていうものなんだけど、映る全てがリアルで(あたりまえ)細部もそうだし、そのクラスにしかない空気感とかひとりひとりの個性とか、おそらく全然当時の俺のいたクラスとは違うはずなのにこのリアリティがふと自分の高校時代と紐づいて思い出させるのだと改めて思った。
つまり何が言いたいかというと映像を演出する上で本当に心をぎゅっと動かす作品は数多くのサンプリングの平均ではなく忠実に細部までその唯一の世界を作ること。これがひとつ気づいたこと。
もう一つは俺が高校時代フィルムで撮ってたことの意味。フィルムが当時は考えられないくらい安かったので(フジの業務用で1本300円くらいで買えてたいい時代)フィルムを惜しみなく使えていたのだが、フィルムで撮るのはその時の光をアナログ的に露光してフィルムに焼き付ける、そのプロセスに意味を感じていたということ。この考えは間違ってなかったと改めて思う。作品は仕上がりが重要なのは大前提としてプロセスが重要だと思っている。なぜフィルムなのか、なぜこのプロセスを踏むのか。
YouTubeの彼は仲間との思い出をビデオに残したかった。対して俺は仲間との思い出をそのまたとない光を物理的に焼き付けておきたかった。似ているようでだいぶ違う。
改めて色々と気付かされた今日この頃。
では、また思い出した頃に。












