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@2011--11
プリキュアスレ - 二次元裏@ふたば
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(あおみどりちゃんさんはTwitterを使っています: “https://t.co/SSZlCbPGmA”から)
「日本の自然」は自然の実態そのものではない。それは自然を表象したものであり、長い歴史のなかで文化的に構築されてきたものである。それはいかにしてつくられてきたのだろうか。 古代日本では稲こそが自然であり、収穫の秋はかなしみではなく喜びの季節だった。『万葉集』『古今和歌集』が育んだ四季概念。武士の枯山水。江戸時代の版画に描かれた富士山、水田、桜。こうした表象を「国有化」し、軍国主義に利用した近代。そして「自然」を消費する現代へ。
つくられた日本の自然 | 「日本の自然」はどのように語られてきたか | みすず書房
“人生という舞台には、決して書かれることのない、2つの場面がある。それは、己自身の「誕生」と「死の瞬間」だ。 忘却の彼方に埋もれた「生誕の記憶」と、立ち会うことを許されぬ「臨終の場」。人が目撃しうるのは、常に、他人の生と死であるにすぎず、自己の存在は、不確かな生と死の途上にあって、たえず、不安にさらされ、そのドラマは、完結を無限に遅延されている。 それゆえにこそ、ひとは物語を追い求めるのだ。予感にみちた発端と、感動の終幕を。始まりと終わり。 始まりがあって、終わりがある。 「むかしむかしあるところに―」「―しあわせにくらしましたとさ」 人はただそれのみを求めて、物語につきあい続けるのだ。これが「物語」と呼ばれるものの正体なのだ。真に生きられるべき物語にあっては、けっしてありえぬ、発端と終幕こそ、人を魅了してやまぬ物語の本質なのだ。 そして悲しいかな、人はその人生を物語の渦中において生きはじめる。誰もが踏む家族という名の初舞台から。なんという皮肉だ。終幕を目指して演じられるべき物語が、いつからはじまり、いつ終わるとも知れぬ血縁の場を舞台として幕をあげねばならないとは。しかし、であるなら、あらゆる物語の最終的な至高のテーマとは実は物語を終わらせることでなくてはならない。”
— Amazon.co.jp: 御先祖様万々歳! Vol.3 [DVD]: 勝生真沙子, 古川登志夫, 緒方賢一, 鷲尾真知子, 山寺宏一, 押井守: DVD (via 2011-11)
“何故笑う?名前を置き換えたらお前のことではないか。ホラティウス”
— Twitter / RomensWord: 何故笑う?名前を置き換えたらお前のことではないか。ホラティウ … (via 2011-11)
(https://twitter.com/PanzerDB/status/518085750370603009から)
Japanese soliders and a Type 89 “Yi-Go” tank climbs a bridge over the river in China during the Sino-Japanese War, 1940. [x]
サルベージ徳井さんはTwitterを使っています: “デッドリフトというトレーニングの解説動画を見ようとしたら、初っ端からマッチョ理論が飛び出した。 https://t.co/WZu3ola4aW”
“私は眠りを崇拝しているが、唯一の難点は「目が覚め」てしまう事だ。 後はここさえ改善されれば、もう文句無しなんだが。”
— Twitter / Kksga: 私は眠りを崇拝しているが、唯一の難点は「目が覚め」てしまう事 … (via 2011-11)
(https://twitter.com/chie_omoshiro/status/396256530993274880から)
“この辺久しぶりの愛着障害に触れますが、自尊心というのは子供の頃に親から育てられるものなのですが、家族関係に欠陥があったりしながら育ってきた人たちはその自尊心を自分自身で積み上げるしかないわけなのですね。 成長過程で自尊心を育て、その心で他人を尊敬して…というのが築けない。だから人間関係を上か下かで見て「一緒に頑張ろう」という心が築けない。 他人に無理やり壇上に引き上げてもらって、その壇上から下を見て安心するしか出来ない。うまく引き上げてくれる人と出会えなければ、なんとも寂しい人生を送るわけです。”
— クズがプライド捨てたら選択肢が増えた話 プライドの捨て方 : まじめ系クズの日常 (via otsune)
““「批判する」とは必ずしも「反対する」ということではない。 ある論証に対してそれを批判するということは、 その論証の結論に反対することとは別である。 たんに拒否するために批判するのではない。 いっそう重要な、強調したい批判のあり方は、理解するために、 あるいは受け入れるために為される批判である。 それゆえ、結論には共感しつつも、 なおその論証に対して「これはおかしい」と声をあげるということが起こる。 反対することは対立することでもあるだろうが、 批判することは対立することではない。 それは問題を共有する者たちによって為される共同作業にほかならない。 いわば、あえて波風を立たせて、それによって足場を固めるのである。 この感覚がないと、対立するか馴れ合うかのどちらかしか選べなくなる。 自分を批判する相手を、ただ敵対する者としてしかとらえられなくなる。 その結果、自分自身に対する批判的まなざしも失われる。” 野矢茂樹、『論理トレーニング101題』、産業図書、2001年、131頁”
— Amazon.co.jp: 論理トレーニング101題: 野矢 茂樹: 本 (via 2011-11)