鎌倉へ - 午後日帰り旅
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鎌倉へ - 午後日帰り旅
鎌倉へ
ふと思い立ち、これから鎌倉へ。 亀時間というクラシックで、どこか外国の空気を纏う、エレガントなゲストハウスへ。週末のみのCafe Kamejikanで静謐で、ゆっくり流れるひとときを。 terre verte。カフェというよりは、デザイン空間、ギャラリーと見紛うセンス。オーナーと訪れる客との交流は、英国のPubを思い起こさせる。 鎌倉は、新しいものが立ち上がり、定着するものもあれば、流れ行くものもあり、時が混在している。 亀時間: http://kamejikan.com terre verte: http://terreverte.cc/index.html
お酒のあとの珈琲 穏やかさと和む - 谷中珈琲にて
初島の昼下がり - 3
夏のビールは美味しい。
初島の昼下がり - 2
陽差しを真上から浴びてみる。
初島の昼下がり - 1
遠くの釣り船に惹かれて。
ふたたびアメリカへ...
8月にロサンゼルスを訪れます。3年ぶりのアメリカです。
そこで、新しいマトリックス・エナジェティクスのコースを受講します。
コース内容は(MEホームページのCourse Descriptionを読んでの私なりの理解です)、身体の痛みを引き起こしているホログラフィック・パターンを探し、アクセスし、本来の健全なパターンへと戻し、痛みのない状態へと変容を促す、ホログラフィーとの関わりを学ぶものです。
この内容は身体のみならず、精神、パーソナリティーのパターン変容にも有効な内容であると私は推定しています。精神面における心の痛み、他者との交流の中で浮上し認識されるパーソナリティーの歪み(パーソナリティーに良い、悪いはありません。ただ、社会性を求められる場面において、本人が生きづらさを感じる意味で、歪みと書いています)の変容にも活用したいと思います。
もうひとつの内容は、カイロプラクター、自然療法士時代のリチャードが息子、患者の状態を癒すために学んできた、数々のエソテリックなヒーリングのアートを学ぶものです。いまでは伝えられていない内容で、現在にふたたび掘り起こすコース内容、それを気前よく教えてくれるリチャードには感謝です。
これまで4年間MEと関わり、気がついたことがあります。
それは、人の変容に関わることは、人間を理解すること、目の前に居合わせたその人がその状態(パターンであり、良い、悪いではない)である背景に存在する社会、その人の意識の使い方、それゆえのこれまでの人生体験を知るということでもあるということです。
その理解の道は、僕自身をこの社会の中で生きづらくしていた(いまのところは人間社会の中で生きることを僕は望んでいます。笑)、僕の意識の状態、使い方、人、社会との関わり方、僕の生い立ちを理解する道でもありました。僕自身を紐解いていき、変えたいのであれば、僕自身の現在のパターンをまずは受容し、歪みのない自分本来の状態(Primordial State)へと自分を帰還させる道を歩み続けることでした。
帰還の道は生涯続くものだと思いますが、僕が僕だけの世界に留まらず、人間の多様性に触れ、触発される中で、僕自身の多様性を表に現すことができたら、その時は本当に(ベタベタで、垢のついた言葉ですが)、自分自身を愛しつつ、目の前のその人を本当に深く愛することができるのだと思います。
アメリカ行きの話を近況報告の感覚で書き出していたら、僕自身の最近の内面告白になってしまいました...。
アメリカ、行ってきます。
NEZUCAFE, 根津美術館
両隣に座っている人もいて。
自由と不安定。不自由と安定。
自由になりたいなら、支配しようとしないことです。
相手のことも、自分のことも。
すると、不安定さが訪れます。
不安定さのなかに、自由があります。
不自由でいたいなら、支配を持ち込むことです。
関係性のなかに、支配、被支配の構図を埋め込むことです。
すると、安定します。
ひとつに溶け合う世界は、不安定さの向こう側、自由の扉の向こう側にあります。
すると、世界は崩壊する。
人間やってると、ブレを体験するだろう。
ブレをなくそうとするとそれは傀儡となり、やがて作品性が失われる。
自由と不自由の揺れ動きの揺りカゴの中心をどこに置くかによって、人間のアートがつくられているから。
問題解決の糸口
どうしたら良くなるだろうかなどと思い煩うな。
すでに良いのだと思え。
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そこからはじめればいい。
変えたいことを、どこをスタート地点と見据えるかは、自分で決めていいと思う。
だから、その時は現実がついてきていなくても、解決した後の自分の視点から現在の自分を眺め、未来の自分と現在の自分との新しい関係性を創っていけばいい。
ぼくはそう思っている。
感性のツボ
感性のツボというものがあるらしい。
「この音楽は、すでに充分に美しいのに、僕は美しく弾こうとしていた」。
ぼくがいま読んでいる本からの抜粋だ。
ここで「音楽」を、「自分」に置き換えるとさらにわかりやすい。
「この自分は、すでに充分に美しいのに、僕は美しく弾こうとしていた」。
まんまだからこそ、飾らないがゆえに現れる美しさがある。
すると、人生は天気に影響されずに上々だ。
おおきな流れの変わり目にあるときは...
最近、文章を書く気持ちが湧いてこない。
仕上げたい文章があるのに、そこに気持ちが向いていない自分がいる。かといって、なにかしたいことが明確にあるかというと、それがありそうで、表面化してこない。
なにをするにも、ピンと来ない。なにもない感、これまでの充実感が失われていく感覚、これまでの自分が死んでいく感覚。自分の意志ではどうにもならず、おおきな流れに委ねるしかなさそうだ、という感覚。暗い意味ではなく、たんたんと委ねていくしかなさそうだ、という諦め感。
これまでの自分を捨てていかざるを得ないような、そんな時期に差しかかっている気がしている。かと言って、これまでの人生でたいそうなことをしたかというと、そうでもないし、本当に情熱傾けて達してきた境地があるかというと、そうでもない。
なんという宙ぶらりん感(爆)!!!
これまでの自分が死んでいく感覚。それが、最近の感覚。ポジティブかネガティブかという2極性で捉えきれない世界で、その両極のど真ん中の真下にある中心、重心、ゼロポイントからなにかがひょっこり顔を出すぞ、近々、という感じで、これまで自分が持ってきたモノサシでは計りきれないから、どうしようもない。
ただ、直感はきちんと働き、これから数年間、どういう指針で、どう過ごせばいいか、これからどう人生が展開していくか、なにに重きを置き、なにはとりあえずは諦めておけばいいのか、そのおおきな流れだけは感じることができる。ところが、数年後に萌え出し、芽が出る頃に自分はなにをしているのか、それがまだ見えないからもどかしい。
これから数年間、なにを学んでいけばいいか、どんな体験や知識を蓄積していけばいいか、それについても直感は教えてくれている。ただ、その先になにが待っているかは、情報が明確には来ていない。ぼんやりとした方向感と世界観を感じられるくらいだ。
人生には、意志で押し通す強さが求められるときと、意志ではなく、背後のおおきな流れに委ね、賢明さと柔軟さをもって進むのがよいときがある。運命論の話か、というとちょっと違う。体験の仕方、自分の身の持って行き方を変えていくことや、選択時の指針の転換が必要になったり、それまでの理想や目的や目標をごっそり捨てることすら必要になることがある。
ぼくは鳥瞰ができないほうで、虫の目のように、日々、たんたんと目の前のことに向かっていくことが向いている。気がつくと、あぁ、ここにたどり着くための旅だったのかと、後付けでわかる。Hindsight。
扉は幾重にも重なり合って前方に見えるが、遠くにある扉の向こうにはどんな世界が待っているか、ひとつひとつの扉を通らないとそこへはたどり着かない。しょうがないから、目の前に現れた扉をノックし、ドアを開け、次の体験に向かっていくしかない。なにが待っているかわからないのにその扉を通りなさい、というのはずいぶん不利な話じゃないか、と感じることもしばしばだ。その代わり、その扉を通る前になにをしておけばいいか、その扉が現れるのは、生命場、生命エネルギーに沿った流れのなかにあるから大丈夫だ、という深いところでの安心感はある。
生命の流れというおおきな河をくだるときの舟には、オールは用意されてはいない。必要ないから。
最近、文章を書けないし、やたらと心がザワつく。12年くらい前の失恋後に通った自己浄化のときに通った時に味わい尽くしたのと同質の感情、思考が次々と現れては消え、見送っていると、ドッと疲れてしまう。この12年間一体、自分は人間的に成長できたのか、成熟した面はあるのか、身になったことはなんだったのだろうかと思ってしまう。
身体も心も冷えてきているから、今日は1時間くらい半身浴をした。老廃物が多かったのか、身体はだるくなり、感情も不安定な感じになる。出かけるのをやめ、黒糖を入れた生姜湯をすすった。
やがて臍下丹田のあたりから光が溢れるように、またしても直感によるご指導が得られた。
「流れが変わるとき、転機にあるときは、自分の素直な気持ちに戻っていけばいいのです。」
この言葉を聴き、おおいに収穫を得て、安らぎの境地が訪れた。
自分の素直な気持ちは、私たちを生かし、私たちの生命を運ぶ河の流れに沿うときに現れる。そよ風のような微細で、心地よく、お腹の中心あたりから光が漏れ、ハートが温かくなる感覚。
素直さが戻ってくると、生きるのがラクになり、本質の自分が現れ、深く、広がり、それでいて軽やかで、温かい。素直であると、らしさが自然と表現される。現れ方は多様で、素直さがあると、いろいろなことが気にならなくなる。
素直な気持ち、心の支えになる直感的な指針。とりあえず、必要な道具はあるので、魂の旅を続けることにした。ぼくが意図しようがしまいが、魂の旅は、勝手に続いていくんだけど。
2015年元旦 - 伊勢へ
新年明けましておめでとうございます。
朝一番の新幹線のぞみに乗り、伊勢に向かっています。
元旦の伊勢詣で、今回で4年目になります。
自分にとってその年が全般的にどのような意味合いを持ち、なにを学ぶ年になりそうか、どう過ごすことが望ましいかを感じ、理解し、日常の行動に落とし込んでいきます。
その儀式を元旦に執り行う場所として、伊勢神宮がよいのではないかと思い、2012年元旦より元旦伊勢詣でを始めました。
神の御前に詣で、新年の決意を宣り、そして、美味しいものをいただいて参ります。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
私信 (2014. 10. 13)
古いけれども、新しく、廃れない言葉。
新しいけれども、古くて、本質的な言葉。
いまのぼくに、まっすぐに届けたい言葉。
" 猜疑心を捨てて、愛する、ということをはじめてください。
何度もいいますが、自分を許してください。 "
(『服部みれいの超☆私的通信ッ』vol.134 より)
ドイツへ... 2
今日は台風で自宅に足止め。
そのおかげか、11月のドイツ行きの準備がすべて整った。今回の旅の目的であるセミナー参加申し込み、航空券、宿の手配、フランクフルト空港からキルヒツァルテン(Kirchzarten)へと向かうドイツ鉄道の予約。
ひとつひとつの動作に緊張感がある。
新しい世界へ飛び込むには、勇気が要る。今回の旅は、ぼくにとっての新しい世界への転機の扉であるようだ。そのことを、直感が教えてくれている。
直感が誘う人生の次の段階へと進む扉を通る前は、覚悟と勇気が求められるだけではなく、まるで飛行機が空気抵抗を利用して離陸するときのように、強いエネルギーを必要とするときがある。
そのエネルギーは、肉体、精神の両方に求められるもの。
転機の扉にはふたつの種類がある。
ひとつは、心地よい流れに身を委ね、次の段階へと誘う扉。通り抜ける前も、通り抜けた後も、本当に心地いい。だから、自分にとっての正しい選択をしたことに気づきやすい。この扉は、まだ自分の感性、直感、存在についての理解、信頼がまだそれほど深くは培われていないときに訪れる。この扉を通ることによって、自分に対する理解、自分のエッセンスとの調和の段階がいよいよ紐解かれはじめることになる。
もうひとつは、扉を通る前に、覚悟、コミットメントを求められる扉。その扉を通ることによって、それまでの人生とは違う体験が待っているだけではなく、扉の向こうに待っている新たなるステージにおいては、自分の振る舞いを自分のエッセンスと調和させるだけではなく、自分や人、社会との関わり方を変えていくことが求められる扉。自分の選択、言動について、より注意深く、意識的になることを求められる段階。
今回のドイツ行き、意味合いは後者だと直感が教えてくれている。
覚悟、コミットメントを求められる扉の出現は、人生の流れがおおきく変わることを示しているだけではなく、人間的な成熟度が高まる段階にあるときに訪れる。それは、人生体験の質がこれから変わることを意味する。
だから、怖くなる。その扉の向こう側に待っている世界は、自分のエッセンスが誘うものであることが自分の深いところで分かっており、自分が変わることを余儀なくされるものだと知っているから。
これは、自分の自我を落とし、自分のあり方をより自分のエッセンスに調和させる、エッセンスそのものとなって生きることにGo! サインを出したということ。
怖い、怖いと言いながらも、自我が落ちていく生き方は、それまでの人生での自分よりも遙かに軽やかになり、どういう選択をすれば自分が生き生きとし、らしさのなかで踊れるかを知ることになるわけだから、本当は、いいことだらけなんだ。自我は、自分のやり方を押し通し(まさに、これまでのぼく自身のあり方(笑))、流れに逆行して変化を加えるあり方を目指す。未知なる世界を怖れるのが自我の性質だから。そんな自我は、ただ、認める。抱きしめる。一緒に旅に連れて行く。自我にとって、本当は、置いて行かれるのがいちばん怖いことだから。
ぼくはいま、ドイツ行きの扉を前に、不安と期待の渦のなかにいる。その向こう側の強い光に目を眩ませながら。
ドイツへ...
秋に、ドイツに行こうと思っている。
キルヒツァルテン(Kirchzarten)という町へ。ドイツの高速列車、ICEを利用しても、フランクフルト空港から2時間半はかかる場所。いったい、どんな土地なんだろう。
目的は、いまとなってはぼくのライフワークともなっている、マトリックス・エナジェティクスを受講するため。
ドイツへの旅と言えば、かつて、プラハを訪れた際に列車で北上し、ベルリンの街を少しの時間歩いた時。
あの頃、宮本輝の『ドナウの旅人』を読み、ドナウの流れに憧れ、スロヴァキアのブラチスラヴァを訪れた。灰色の重たい空と、街を歩く人々の静かな佇まいと、鬱蒼とした共産圏の空気が、ぼくには新鮮だった。
ドイツの深い、鬱蒼とした空気感と、軽やかで自由で開放的なマトリックス・エナジェティクス。この組み合わせの神秘感に惹かれる。
ドイツをしっかり訪れるのははじめてだから、いまからちょっとドキドキしている。
エッセンスが誘う道
正しく生きるよりは、自分から愛する道。
正しく生きるよりは、自分が心地よくなる道。
正しく生きるよりは、自分が本当に納得する道。
よく行く神田の立ち飲み居酒屋でひとり、日本酒を楽しんでいるひとときのことだった。
ちょっと、生きるのがラクになったんだ。