W杯の観戦にすっかり生活の時間を吸われている。薬さえ飲まなければずうっと起きていられるので、不眠症の薬を飲む時間を勝手にずらして、好き勝手に夜更かししたり、わざと眠りを浅くして観たい試合をリアタイしたりと、最悪で最高な生活を送っている。毎日毎日4試合、DAZNを流しっぱなしにして、サッカー・生活・サッカーの日々。本田圭佑の解説がいいので日本戦だけ地上波で観ている。
自由と責任は紙一重だ。きっとそのうち自由気ままにやりすぎたツケが回ってくるんだろう。正直、生活リズムを自分勝手に狂わせているせいで、すでに肉体にガタが来ている。
新しいネイルサロンでゴテゴテの概念ニュアンス3時間をキメる。1万5000円。右はひさしぶりに食べた学食。お腹いっぱいになってしまったのと、学食のメニューの味があまり口に合わないこともあり、最後の数口はえずきながら食べてしまった。最低。
前にひょんなことで行くタイミングがあった東洋大の白山キャンパスの学食には丸亀製麺があった。羨ましい。うちの大学にもできないかなあ。大学生協の学食の味って、なんかこう、独特な味付けだから、満腹になったときの一押しがしんどい。べつに大して安くもないし。
いろいろと考え事ばかりをしていて疲弊ぎみだ。また言わなくてもいいことを言ってしまったり、論文も小説もうまく書けなかったり、タスクが溜まって停滞したりの繰り返し。失敗を重ねるたびに、わたしはやっぱりどこか、人間を構成する大切な部品が所々抜け落ちてしまっているのだろうと考えながら、いつもの自己嫌悪のループにはまる。
何事も他責にするのは幼いかなと思って、基本的に物事の悪い側面はわりと自分のせいにしがちだ。その方がなんでも丸く収まるし、処理しやすい。よほどのことがない限り、自分が傷ついたのは不快感への感受性が高い自分のせいだし、他人が傷ついたことに自分が関与していればそれはもちろん100%自分のせい。運が悪かったときだって、その確率をコントロールできなかった自分に落ち度があると思ってしまう。言い訳をしたいときだってめちゃくちゃあるけれど、言い訳をしている自分を想像すると、それはさすがにみっともないので、巡り巡って思考したあと、結局は自分が悪いよね〜〜うんうん、という考えに落ち着いてしまう。だけどわたしはほんのすこしだけ、そんな自分に酔っている。そういうメタ認知ができる自分というものに酔っているところがキモさに磨きをかけているんだよな。そもそも本当にメタ認知ができていたら失敗しないはずなのに。100%の他責が幼いのと同様に、100%の自責もそれはそれで幼いのである。物事にかんぺきな白黒がつけられるときってほとんどないだろうし。
わたしは今まで自分のことを傷つきやすい人間だと思っていたけれど、負の感情の言語化がうまいだけで、本当はべつに、そんなに傷つきやすいタイプではないのかもしれない。これは出自の問題だけど、言葉が通じないきょうだいのこともあるため、わたしは他人の粗相に対しておぞましいほどに寛容である。相手に明確な悪意さえなければ、基本的に自分がどれだけ不快になっても相手を許す方向に持っていけるし、不快感を表に出さずに相手に友好的にふるまうことも、まあ、できる。不快感情を抱いたことは基本的にネタにして、笑いに消化することがしょっちゅうだ。だが、わたしはそんな自分の寛容の基準を、無意識のうちに相手に押し付けていて、それゆえに相手への配慮が欠けてしまうことがあるのだと思う。どんなに気をつけていても、である。病気かもしれない。
天井を見ながら、しにてー、と思うことが増えてきた。「しにたい」「しね」を交互に繰り返しているうちの、前者「しにたい」がデカくなる時期というだけで、べつに本当にしにたいわけじゃない。だるいことがなくなってくれるためにはしぬしかない、なんてことをうっすらと思っているくらいのことで、わたしの言う「しにたい」の言葉はティッシュよりも軽い。
金曜日。研究室のPCで作業をしながら、W杯グループリーグのカナダ対カタール戦をスマホで流していた。接触のゆえに、カナダのコネという選手が脚の骨を折った。左脚が、曲がってはいけない方向に曲がっているショッキングな映像が一瞬だけ映し出される。屈強なサッカー選手の脚が、こんなにも簡単に折れてしまった。
わたしは自分の身体がこわくなる。こんなに身体が大きくて、毎日鍛えているトップアスリートですら、こうして折ってしまうのだ。だとすれば、わたしなんか、すこし転んだだけで全身がぼきぼきになってしまうんじゃないか。もしくは悪意のある人間が突然ここにやってきて、椅子からわたしを突き飛ばしたらわたしも折れてしまうかも、とイヤな想像をしてしまう。
わたしもちゃんと食べて屈強な身体をつくらなければ、と思いながら、その後はなんとなく脛のあたりがそわそわするような一日を過ごした。だが家に帰れば、そんなことも忘れてしまって、何も食べずに夜と朝を迎えてしまう。わたしは学習というものができない。
土曜日。長い雨が降り始めて、ずっと頭が痛い。気分も落ち込んでいる。牛丼屋に行こうと誘われたけど、嫌だと言って断った。牛丼屋の気分になれなかった。結局家で納豆と米を食べた。家で納豆を食べるのは数年ぶりだった。
日曜日。外食しようと思って外に出たら、雨が強く降っていて、諦めて家にUターン。結局土日は一歩しか外に出られなかった。長い長い雨とともに気圧が下がって頭がズキンと痛む。
月曜日。大学に行けなかった。ご飯代わりにハッピーターンを食べたら血糖値が上がってしまい、iPadでサッカーを流しながら昼寝をした。クソみたいな生活。わたしはもう普通の生活ができない。大学生は人生の夏休みとはよく言ったものだけど、わたしは夏休みを勝手に延長しまくって、もう年が明けてしまいそうだ。体力があって貴重なはずの20代のほとんどを、だらだらと研究したりしなかったりして適当に過ごし、大学からお金をもらってそのお金でぐうたらして、内省と自意識をクネクネコネコネしている。
火曜日、低気圧ゆえの偏頭痛に悩まされながら、大学のWi-FiでW杯を観る。ハーランドに恋をしそうだ。生まれ年が同じということも運命を感じる要素となる。調べたら、わたしやハーランドと生まれ年が同じ人間は世界に1億3000万人もいるらしい。ちょうど日本の人口と同じくらい。運命というには些か多すぎる。