ETERNAL JULIET
永遠のジュリエット
A Candy Candy Fanfiction
Vol. 9
手紙は__。
『心』を封筒に閉じ込めたものだとスザナは思う。
本人には、恥ずかしくて直接言えないような言葉でも、手紙なら言えてしまう。
一見そうは見えない『からかい』の言葉にも『気持ち』や『想い』を潜ませることもできる。ふざけた調子の手紙が、愛の手紙だということもある。
そして。
手紙を書くという、相手が自分のためにかけてくれた時間が、そのまま愛をはかるものさしだとスザナは感じている。その時、その時間、手紙を送る相手のことを思い出しているのだから。
テリュースの気持ちがどこにあるのか、どこへ向かっているのか知りたくてたまらず、悪いことと知りながらも彼のアパートの郵便受けから、初めて手紙を1通持ち帰り読んだ時、スザナは、後頭部を殴られたようなショックを受けた。罪の意識は、不思議となくなった。それ以上の衝撃が彼女を襲ったから。
『キャンディス・W・アードレー』という女性から届いたテリュースに宛てた手紙。
スザナはその手紙を読んで、誰にも心を閉ざしているように見えるテリュースが、その女性だけには違う面を見せ、心を開いていることに驚き、吐き気がするほどの嫉妬心を抱いてしまった。
『もう、テリィったら、いつまで私のことをターザンそばかすなんて呼ぶの?私はもう1人前の看護師なんですからね!失礼しちゃうわ。』
キャンディスという女性を『ターザンそばかす』とからかうテリュース。手紙を読むとテリュースがどんなことを彼女に書いたのか、容易に想像することができた。
キャンディスって、誰なの?
なぜ、テリュースは彼女のことを『ターザンそばかす』とからかうの?
彼女が、親しげに「テリィ」と呼びかけるのはなぜ?
ふたりは、どんな関係なの?
知りたい__!!どうしても。
それからは。
頭が麻痺したように、スザナは毎日テリュースのアパートに行き、郵便受けを確認することが日課のようになった。キャンディスからの手紙が届かないことをテリュースが不審に思うかもしれないとは、まったく考えなかった。手紙が届かなくなれば、彼女の手紙も、彼女の存在も、テリュースが忘れてくれるのではないかとすら考えた。
そして、スザナは郵便受けにキャンディスからの手紙を見つけると、迷わず家に持って帰り読んだ。読めばもっと苦しくなるのがわかっていても、読まずにはいられなかった。呪いにも似た重さと苦しみ__。
『テリィ、お手紙ありがとう!テリィって、案外筆マメなのね。意外だわ。手紙なんてめんどくせーな、って言うのかと思っていた。あ、怒ってる?ショパンやハイネたち芸術家はみんな筆まめだろう、って?はいはい、確かにテリィは芸術家ですものね。手紙のおかげで、会えなくてもすぐそばにテリィがいるような気持ちになります。舞台の稽古の話もすごく興味深かったわ。読んでいてテリィのかっこいいロミオが目に浮かびます。ね、稽古中にどんなに美しいジュリエットが目の前にいても、あの麗しの『五月祭のキャンディジュリエット』もたまには思い出すこと!いい?約束よ。』
そこにはふたりの思い出や気持ちが輝き、あふれていた。鋭い刃物のように、スザナに残酷な事実を突き付ける、たくさんの手紙。
ふたりは、イギリスで一緒に学生時代を過ごした仲であること。
彼女は、看護師として働いている女性であること。そして、文面から明るくイキイキとした人だとわかる。テリュースが夢中になるくらいの。
そして。
驚くべきことにテリュースは、いくらスザナがキャンディスからの手紙を隠しても、彼女に手紙を書いているらしいのだ。返事の手紙もほとんど手にしていないはずなのに!
テリュースはキャンディスを忘れない!キャンディスを愛しているのだから。
そんなの嫌よ!絶対に!
ふたりが今も愛し合っているという残酷な事実__。
悲しみが喉をふさいで、スザナは息ができない。
出来ることならばスザナは、テリュースに「キャンディスに手紙を書かないで!」と言いたかった。
そう言えたなら、自分はこんなにも苦しまなくていいものを。
テリュースの心が遠く、キャンディスのところへ飛んで行くのを止めるすべはない。毎日、どうすればテリュースの心の羽をもぎ取ることができるのか、そればかり考えていたあの頃__。
だから。
ロックスタウンから帰ってきたテリュースに、次の誕生日プレゼントに何が欲しいか尋ねられた時、スザナは迷わず告げた。
「手紙が欲しい。」と。
その言葉を聞いたテリュースは、最初、聞き間違えたのかと思ったようで、
「バースデープレゼントに欲しいものだよ?何でも構わない。欲しいものを言ってくれないか。」
ともう一度確認した。
「あなたからの手紙が欲しいの。気持ちがいっぱいにつまったラブレター。それが私の1番欲しいものなのよ。」
それを聞いたテリュースは
「姫は、欲張りじゃないんだね。」
からかうように微笑むのだった。
違うわ__。
スザナは心の中でそう叫んだ。
「あなたの心が欲しい__。」
そうねだったのに。テリィはわかっていないわ。欲しいのは、あのひとに書いていたような、封筒から気持ちがこぼれそうな愛の手紙。
隠しても__、冗談に紛れ込まそうとしても溢れるあのひとを愛おしく思うテリィの気持ち、その言葉、まっすぐな愛。
それと同じ、いや、それ以上のものが欲しいのだ。どうしても。
「でも、ずっと近くにいるのに、手紙なんて何を書いたらいいんだ?」
テリュースは少し困惑したようだった。
「手紙に書くのは、何でもいいの。あなたの私への気持ちとか、今お芝居で考えていることとか、最近あった出来事とか、なんでも構わない。できれば、毎週。ううん、毎月1通でいいから、これからずっとお手紙が欲しいの・・・。だって、テリィ、あなたはたくさんの手紙を書いていたじゃない!」
自分の発した言葉に、はっと息をのみ、青ざめるスザナ。
その言葉にテリュースは、ふと。
何かひっかかるような顔をした__。
が、すぐに、その表情をおさめると「わかった。君に手紙を書こう。」
テリュースはそう穏やかに言って、約束したのだった。
◇
ニューヨークから車で一時間半ほど離れたフートンチェイス村の外れ、木々の連なる細い道を抜けた湖のほとりに、そのコテージは建っていた。
薄い灰色の壁に、深い青色の屋根。大きな窓を備えた小さな平屋は、雨上がりの森の中で、童話の挿絵のように佇んでいる。
庭へ入った車がゆっくりと停まると、テリュースは助手席のスザナへ顔を向けた。
「さあ、姫。到着したよ。」
「ここが?」
「俺たちの隠れ家だ。長いドライブで疲れただろう。」
「いいえ。あなたと一緒ですもの。とても楽しかったわ。」
甘く答えたスザナへ、テリュースはどこかいたずらめいた笑みを見せた。
「今から目を閉じて。俺がいいと言うまで、開けちゃだめだ。」
スザナが微笑みながらまぶたを閉じると、テリュースは車を降り、胸のポケットから鍵を取り出して玄関を開けた。
やがて戻ってきた彼が、
「失礼、姫。」
と声をかけ、スザナの身体をそっと抱き上げる。
スザナも慣れたように彼の首へ腕を回した。
「なんだかどきどきするわ。いったい、何があるの?」
「見てからのお楽しみだ。」
テリュースはそのままスザナを居間へ運び、ソファへ静かに下ろすと、その耳元で囁いた。
「さあ、目を開けて。」
ゆっくりとまぶたを上げたスザナは、目の前に広がる景色に息をのんだ。居間の一面を占めるほど大きな窓の向こうに、雨上がりの湖が広がっている。
青みを帯びた緑の水面には、風に運ばれた木の葉がゆっくりと漂い、雨粒を残した森や草むらへ午後の陽射しが降り注いでいた。
水面にも、木の葉にも、濡れた小枝の先にも光が宿り、目に映るものすべてが細かな輝きを放っている。
「……ひと目で好きになったわ。」
思わずこぼれた言葉に、テリュースが目を細める。
「テリィ、なんてきれいなの。私、ここが大好き。」
「気に入ったか?」
テリュースは隣へ腰を下ろし、スザナの顔を覗き込んだ。
「ええ、とても。夢みたいなところね。」
「このコテージの自慢は、あの窓から見える景色なんだそうだ。」
テリュースも湖へ目を向ける。
「春には花びらが湖面を覆い、秋には森が何色にも染まる。冬になれば一面の雪景色で、季節が変わるたびに、窓の中の絵も変わるらしい。」
少し考えてから、口元をゆるめた。
「今は、緑燃ゆる夏の絵といったところだな」
その横顔には、いつもの張りつめた影がなかった。
「ここへ来るには、さっきの門を通らなくちゃならない。鍵を持っているのは俺だけだ。」
テリュースはスザナへ視線を戻した。
「新聞記者も、好奇心だけで追いかけてくる連中も入ってこられない。だからここでは、誰の目も気にしなくていい。」
スザナは膝の上へ置いた手を、そっと重ね合わせた。外へ出れば、すれ違う人々の視線が自分の足へ落ちる。声をかけられても、その言葉の奥にある好奇心を探してしまい、自宅の扉を開けることさえ、いつしか怖くなっていた。
「これからは、少し休みも取れそうなんだ。」
テリュースは明るい湖面を眺めながら言った。
「休日には、ここでゆっくり過ごそう。」
「うれしいわ。」
スザナは彼へ身体を寄せるようにして微笑んだ。
「あなたとこんなふうに、誰にも邪魔されずに過ごすのは初めてよね。」
「そうかもしれないな。公演中は、家へ戻る時間もろくになかったし。」
「ずっと心配していたのよ。」
スザナはテリュースの横顔を見つめた。
「毎日のように舞台へ立っているでしょう。それに、今度の役は、これまでのあなたの印象とはずいぶん違うもの。きっと大変なんじゃないかと思って。」
スプリングガーデン劇場へ回された経緯を、テリュースは何も話さなかった。
それでもストラスフォード劇団を知るスザナには、その決定がどのような意味を持つのか、想像することができた。
「正直に言うと、あなたがカイルのような役を演じているなんて、今でも少し不思議なの。」
「ひどい言われようだな」
「だって、評判を聞くたび、見たくなるんですもの。いつか、劇場であなたのカイルを観たいわ。」
「そのときは、特別席を用意させるよ。」
テリュースは軽く笑った。
「たぶん、驚くと思う。あんな軽い男を自分が演じるとは、俺も考えたことがなかった。」
少し間を置き、窓の向こうへ目を向ける。
「でも、カイルを演じていると、芝居を目指したころを思い出すんだ。」
「芝居を目指したころ?」
スザナの瞳に好奇心が宿る。
「ああ。俺が役者になろうと思ったのは、自分以外の人間の人生を生きられることが、うらやましかったからだ。」
テリュースはソファの背へ身体を預けた。
「俺の人生は最初から決められていて、この先も退屈なまま終わるんだろうと思っていた。でも舞台の上でなら、王にも乞食にも、神にも悪魔にもなれる。」
「同じだわ。」
スザナが、思わず彼の言葉へ重ねるように声を上げた。テリュースが驚いたように振り返る。
「私も、いろいろな女性の人生を生きてみたくて、お芝居を始めたの。舞台の上なら、不可能なことも可能になるから……。」
そこでスザナは言葉を切り、膝へ置いた手を見つめた。
「なれなかったバレリーナにも、何にでもなれるから。」
「君は、バレリーナになりたかったのか。」
テリュースは身体を起こした。
「知らなかった。」
「私たち、こんな話をしたことがなかったものね。」
スザナは少し寂しそうに微笑んだ。
「幼いころは、プリマになることだけを夢見ていたの。厳しい稽古にも耐えたわ。パパは美術商として世界中を飛び回り、ほとんど家にいなかったから、ママは私がバレリーナになることへ、すべてを懸けるようになっていた。」
窓から差し込む光の中で、スザナのはしばみ色の瞳がわずかに翳った。
「でもパパは、私には向いていないと言い続けたわ。膝の形も、筋肉のつき方も、脚の線も、プリマになるには足りないものがあるって。」
テリュースは黙って聞いている。
「私もママも、最初は信じなかった。でも、バレエ団のオーディションを受けるたびに、少しずつわかってしまったの。どれほど努力しても、私にはどうにもできないものがあるんだって。」
スザナは膝の上で指を組み直した。
「そんなとき、『ロミオとジュリエット』を観たの。バレエではなく、お芝居のほうを。」
遠い舞台を思い出すように目を細める。
「パ・ド・ドゥはなかったけれど、舞台には本物の恋があるように見えた。お芝居のジュリエットなら、バレリーナになれなかった私でも演じられるかもしれないと思ったの。」
口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「舞台の上でなら、女神にも、娼婦にも、誰にでもなれるでしょう?」
テリュースは何も言わず、スザナの手へ自分の手を重ねた。
「昔は、自分の脚を恨んだこともあったから……。」
スザナは重ねられた手を見つめながら、静かに言った。
「今のことは、罰が当たったのかもしれない、なんて思うことがあるのよ。」
テリュースの指先に力が入る。スザナはそれに気づくと、すぐに明るい笑みを作った。
「ねえ、今度はあなたのことを聞かせて。芝居を目指したきっかけも、子どものころにどんな少年だったのかも、もっと知りたいわ。」
「そうだな。」
テリュースも、わずかに口元をゆるめた。
「長くなりそうだから、何か飲みながら話そう。車に食べ物と飲み物を置いてきたんだ。少し待っていて。」
そう言って立ち上がり、外へ向かうテリュースの背中を、スザナはいつまでも目で追っていた。
◇
雨上がりの午後を、二人はコテージの中で過ごした。
夜が深まるころ、スザナは寝室のベッドで上半身を起こし、その傍らにはテリュースが椅子を寄せて座っていた。
「テリィ、素敵な誕生日をありがとう。」
スザナは一通の手紙を、壊れやすい宝物のように胸へ抱いている。
「ラブレターしかお願いしなかったのに、こんなに素晴らしい隠れ家まで用意してくれるなんて。」
「気に入ってくれたならよかった。」
「お手紙は、ニューヨークへ帰って、あなたがいなくて寂しいときに、ゆっくり読むことにするわ。」
封筒を両手で包み、幸せそうに微笑む。
「私の宝物よ。」
テリュースは小さくうなずくと、その手から手紙をそっと取り、ベッド脇のテーブルへ置いた。
「さあ、もう休もう。夜更かしは身体によくない。」
スザナが枕へ身体を預けるのを助け、掛け布を胸元まで整える。こうして眠る前に、テリュースが枕元へいてくれることを、スザナはいつの間にか当たり前のように待つようになっていた。
「おやすみ、姫。いい夢を。」
ベッド脇のランプが、彼の横顔を淡く照らしている。スザナはまぶたを閉じ、そのぬくもりを逃がすまいとするように微笑んだ。
やがて椅子を引く小さな音がして、テリュースの足音が扉へ向かう。ドアが静かに閉じられた。
その瞬間、先ほどまで満ちていたぬくもりが、彼と一緒に部屋の外へ持ち去られてしまったような気がした。
スザナは目を開けた。
テリュースは、すぐ隣の部屋にいる。このコテージへ来る道を知っているのも、門の鍵を持っているのも彼だけで、今夜は誰にも邪魔されることなく、二人きりで過ごしている。
それなのに、姿が見えなくなっただけで、胸の内側へ冷たいものが入り込んでくる。
手を触れてくれなくてもいい。
ただ、そばにいてくれさえすれば、それだけで幸せなのだと願ったはずだった。
けれど、テリュースが目の前にいるときには確かに思えるものが、彼が部屋を出た途端、どこかで聞いた物語のように頼りなくなる。優しい言葉も、この隠れ家さえも。
テリュースが、自分のために恋人という役を演じてくれているだけで、幕が下りれば何も残らないのではないか。
スザナは布団の中で、両手を固く握りしめた。
あの人はもう、テリュースのそばにはいない。
自分と彼のあいだへ、割って入る者など誰もいないはずなのに。それでも、胸の奥に棲みついた不安は、消えてはくれなかった。
――そう。これは、きっと罰。
愛し合う二人を引き裂いたのだから。
スザナは暗い部屋の中で目を閉じたが、眠りはいつまでも訪れなかった。
















