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@chiquito32
“東京はいっぱい歩くことで真の魅力が現れてくる街だとは思う。電車に乗るだけでは片手落ち。”
— XユーザーのKohta Ishikawaさん
Q.就職氷河期世代の何が問題なんですか? A.被害が「氷河期世代自体」と「会社組織」、そして「社会全体」と広範に及んでいるからです。 (1)「氷河期世代自体」の被害 彼らの新卒当時は正社員の求人が乏しく、不本意ながら非正規雇用を選ぶ人も大勢いました。彼らは「頑張って働いていれば、景気が回復した暁には大企業に正社員として雇ってもらえる」と期待して不安定な状況に耐え続けましたが、結果的に景気回復期となっても、正社員への転職はなかなか進みませんでした。 なぜなら、雇用が安定している会社の多くは「年功序列制度」をとっており、そういった会社で中途採用の対象となるのは、「会社から折に触れて教育研修を施され、将来の幹部候補としてのキャリアを積んできた正社員」。社会人スタート時点で非正規雇用の人や無職期間が長かった人は、採用対象とは見なされなかったからです。 そういった就業環境や社会構造も非正規化の要因であることが当時はあまり理解されておらず、氷河期世代は世間からは「就職できなかったのは自己責任」「選り好みしなければ仕事などいくらでもある」と批判され、厳しい環境でも本人にとっては「やっとの思いで得た職」でもあるため転職にも踏み切れず、求人を出していた所もブラック企業が多かったりするなど、辛い立場に置かれました。 (2)「会社組織」の被害 景気後退期に雇用調整手段として採用を極端に絞り込んでしまったことにより、その時点では確かに既存社員の雇用は守られました。しかし年を経るにつれて組織の年齢構成はいびつになり、氷河期から約20年後には「次世代を担うべき中間管理職の層が薄い/空洞化している!」と危機感を抱くハメになってしまいました。 また氷河期世代は劣悪な労働環境下でも低賃金でもよく働いたので、一部の経営者や管理職は当時の非正規労働者の働きぶりがいまだに一定の基準となっており、彼らと引き比べて「最近の非正規の若者は働きが悪い」「打たれ弱い」などという不満に繋がっているケースもあります。 (3)「社会全体」の被害 我が国では構造上、非正規雇用のままではいくら経験実績を積んでも給与アップは見込めません。一方で当時はまだ「結婚して所帯を持って一人前」といった価値観も一般的でしたので、家族を養えるだけの余裕が持てない以上、結果として氷河期世代の非婚化、晩婚化にも繋がってしまいました。 タイミングが悪いことに、この就職氷河期は人口ボリュームゾーンである団塊ジュニア(第二次ベビーブーム)世代がちょうど社会に出る時期と一致しました。彼らが滞りなく安定した正社員として就職でき、相応の金銭的余裕が確保できていれば、「第三次ベビーブーム」が訪れ、今ほど少子化対策で右往左往することもなかったかもしれません。 氷河期世代に対しては「自分たちの苦境をなんでも社会とか時代のせいにするな!」「他責が過ぎる!」といった批判が寄せられることがあります。たしかにどんな世代にもそれぞれの苦労があったことと思いますが、氷河期世代はとくに「身近に前例がない状態で、心の準備が間に合わないまま、不遇と冷遇に押し流されてしまった世代」と言えるのではないでしょうか。 先般のコロナ禍中における採用抑制も同様ですが、新卒就職時の景気次第で特定の年代が理不尽を押し付けられ、職業人生が左右されてしまい、単なる雇用形態の違いが、将来の社会保障を脅かす問題になるなんておかしいのです。幅広い年代で雇用調整を請け負えるような仕組みが必要ですね。
新田 龍 / X
Mohrus 💙💛💜🤍さんのツイート 「投票しても変わらない」じゃなくって「投票しないと変わっちゃう」らしい。 @pelukiss 柚木ミサト さん作 だから #わたしも投票します https://t.co/nNqCYR0NAz)
“何故今の若い子はストレートな反抗をしないのかというと、尾崎豊の歌に出てくる反攻とは、相手に受け止めてもらうという前提の甘えと、将来はその共同体に取り込まれることが約束されているから。しかし、それは今の若い子達が大人に対して抱いている感情である、「絶望」とは質が異なる”
—
Twitter / tyokorata (via whyareyouwanazawasan)
尻拭い役を押し付けられた絶望
(via golorih)
凹凸ちゃんねるさんのツイート: “「できる」と「できない」の間に 「できるけど疲れる」がある #発達障害って何だろう… ”
■特派員リポート 田村剛(サンパウロ支局長) キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長が「死去」したとのうわさが今年1月、世界を駆け巡った。米国とキューバが半世紀ぶりの国交正常化へと踏み出すなか、...
政府・与党は倒壊などの恐れがある危険な空き家の撤去を促すため、固定資産税の優遇を見直す方針を固めた。住宅が建っている土地は税額が6分の1に軽減されているが、近隣に迷惑がかかるような空き家の場合は対象から外すことにする。2015年度の税制改正大綱に盛り込み、16年度からの実施をめざす。 住宅の敷地の固定資産税は200平方メートルまで本来の6分の1に軽減される。空き家になっても軽減が続くため撤去せずに長期間放置されやすく、空き家が増える一因になっている。国内の全住宅に占める空き家の割合は13.5%まで高まった。
http://www.nikkei.com/money/features/69.aspx?g=DGXLASDF17H0N_17122014EE8000
米、「裏庭」の安定狙う キューバと国交正常化交渉 2014/12/18 2:10 【ワシントン=吉野直也】オバマ米大統領が歴史的なキューバとの国交正常化交渉を始める背景には主に3つの理由がある。ひとつは在任中の「レガシー(政治的な遺産)」づくりだ。もうひとつは米国の裏庭といわれる中南米を結ぶ地政学的な重要性。そして最後は米国内で増加するキューバ系移民の政治的な影響力だ。1961年の国交断絶以来、ほぼ半世紀ぶりに両国が接近する。 オバマ氏がなぜこの時期にキューバとの国交正常化交渉に踏み出すかは、現在の取り巻く政治情勢をみるとその動機が浮かび上がってくる。アフガニスタンとイラクの2つの戦争の終結を在任中の最大のレガシーにしたかったが、イラクは過激派「イスラム国」の掃討作戦のために米軍の再派遣に追い込まれた。アフガン情勢も安定しているとは言い難い。 今年最大の政治決戦といわれた11月の米中間選挙では歴史的な大敗を喫し、野党・共和党に上下両院で多数を奪われた。残りの任期2年で内政上の得点はもはや期待しにくく、共和が撤廃を求める医療制度改革法(オバマケア)などすでに施行した法律を守るしかない。 外交に目を転じても中東は「イスラム国」との戦いで苦戦し、ウクライナを巡るロシアとの対立やイラン、北朝鮮の核問題でも進展が望みにくいのが実情だ。 そんな中、目をつけたのがキューバだった。実はオバマ氏は、2009年の大統領就任直後から対キューバ政策の見直しを探っていた。キューバに強硬だったブッシュ前政権の否定を意識し、米国民の渡航制限の緩和などが課題だった。 キューバとの関係改善には地政学的な利点もある。経済の成長拠点として期待される中南米は中国もその将来性から積極的な進出をうかがっている。米国と中南米を結ぶ地点にあるキューバは安全保障上だけでなく、経済上の戦略的な重みも増している。 さらに米国内の要因もそれに加わる。キューバ系移民は年々増加している。大統領選や中間選挙をみても中南米出身者を核とするヒスパニック系は、勝敗の行方を左右するまでの存在になっており、キューバ系移民対策は政治的な課題にのぼってきている。オバマ氏が共和の反対を振り切って大統領令で移民制度改革の実現をめざすのも同じ文脈にある。 ただ、キューバとの関係改善は、これまで何度かその端緒はあったものの、いずれも頓挫してきた経緯もある。この歴史的な動きが本当に国交正常化につながるかはまだ予断を許さない。オバマ氏の指導力が問われることになる。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM17H8B_X11C14A2FF2000/
川西:幼少期に「気を利かせる回路」が出来上がらなかった人の脳に、成人後に回路を作るには、ただ「○○をしましょう」という働き掛けでは不十分です。やはりここでも、なぜそれをするのか、そのメリットは何なのかという「意味の明確化」が必要になる。例えば、電車とは直接関係ありませんが、こんな話があります。ある運送会社があって、社員のスピード違反が問題化していた。そこでその会社では「下げようスピード」というスローガンを掲げたが、ほとんど効果はなかった。しかしそこに、あるフレーズを付け加えたら、たちどころに違反が減ったんです。 そのフレーズとは? 川西:簡単です。「下げようスピード 上げよう給料」です。 ! たったワンフレーズですが、スピードを下げる意味が一気に明確化されました。だとすると、鉄道会社もただ「中ほどまでお進みください」でなく、「そうすれば通勤時間が快適になります」とか「混雑が緩和します」とか、“中ほどまで進む意味”を付け加えた車内放送をすればいい、と。 川西:やってみる価値はあると思います。
なぜ電車で「中ほど」まで進まないのか ~気の利かない人が増えた理由~:日経ビジネスオンライン (via clione)
物語の中で大きなキーワードになっていたのは、母・春子(小泉今日子)が、アイドル歌手を目指していたティーンエージャーの頃、今から30年前のニッポン。西暦でいえば1980年代だが、まだ着うたもiTunesもなかったあの時代、日本のヒットチャートは、アイドルやニューウエーブ、ムード歌謡や演歌までもが混然一体となってランキング争いをしていた。聖子ちゃんやキョンキョンがアイドルステップを踏む傍らで、演歌歌手の大川栄策が特技としてタンスを背負い、RCサクセションが「バンド」としての存在感を見せつける――そんな時代だったのだ。 だからこそ、いい曲はジャンルを問わず、世代を超えて愛された。「あまちゃん」の背景を彩っていたのは、そういう時代の名曲たちである。その詳細は脚本家・宮藤官九郎セレクトによる「春子の部屋」という2枚のコンピレーションアルバムで一目瞭然だが、松本隆(作詞)+筒美京平(作曲)というゴールデンコンビや、大瀧詠一、YMO、井上陽水、松任谷由実、沢田研二、三浦百恵(山口百恵)といった豪華すぎるクリエーターたちが手腕をふるった楽曲は、どれもこれも「思わず口ずさみたくなる」、歌ごころとポップの魔法にあふれている。 ただし、「あまちゃん」における音楽は、単純にノスタルジーだけに偏ったものではない。小泉今日子が歌う「潮騒のメモリー」も、実はふんだんにイマの気分を含んでいるし、母娘揃って振り付けをマスターしたファンも多いと聞く。「あまちゃん」が、“みんな揃って”見ることのできる連続ドラマの魅力を取り戻したように、「潮騒――」もまた80年代と現在、そして2世代を結ぶ大きなブリッジになったのだ。(音楽ライター・結城雅美)
“楽曲の力”で考える 「あまちゃん」がヒットした理由 - 芸能 - 最新ニュース一覧 - 楽天woman (via clione)
地域社会はもう存在しない。まずこのように断言した方が問題がはっきりするだろう。それというのも、いまだに生活共同体としての地域社会(地域共同体)が存在するかのような見当違いな発言がめずらしくないからだ。 「今どきの親は自分の子どものことしか考えない、それに比べて昔の親は自分の子どもも隣近所の子どもも同じように叱った」といわれる。 昔の親が隣近所の子どもを叱ったのは、地域共同体が存続しなければ家業が潰れてしまうからだ。隣近所の子どもも自分の家の跡取りと同じように、ちゃんと した大人に育ってもらわなければ困る。あたたかい心をもっていたから隣近所の子どものことを気にかけていたわけではない。生活の必要から隣近所の子どもの 世話を焼いたのである。 現在の親は会社から給料を受け取っている。メディアで報道される日本経済の動向に関心をもっても隣近所の子どもに目が届かないのは当たり前だろう。昔の親が賢明で、現在の親が愚かなわけではない。 家業と地域の生産活動を基盤とする地域社会は高度経済成長期に消滅した。それにもかかわらず、その時期なお地域社会が存続するかにみえたのは、地域共同体の記憶が多くの住民に共有されていたからである。
ドリコムアイ.net (via tessar)
なぜ日本の若者はこんな不幸な状況におかれているのに、立ち上がろうとしないのですか?この本では「なぜなら、日本の若者は実はとっても幸せだからです」という逆説を指摘している。なんと、自分がいま幸せだと感じる若者は、高度経済成長期やバブル時期よりも顕著で、なんと失われた20年にはいってから今が幸せだと思う若者の割合は増え続け、ついに過去最高の70%に達しようというのだ。世界幸福度*ランク1位のブータンや北朝鮮にせまろうかという数字。 これはいったいどういうことか。この本の論証によると、将来の可能性がとざされた人は、自分が幸せだと答えるという。これは、心理学的な効果だ。そう答えるほかないのだ。今は幸せだが将来には不安で絶望しているというアンビバレント。実際に、老人はもう今より将来が良くなることはないので、今の生活に満足していると答える割合が高いという。そうしないと自己肯定できないのだ。人はもはや将来に希望が描けないときに、今は幸せだ、いまは満足だと回答するというのだ。この単純な仕組から、経済が停滞し、未来が描けなくなればなるほど、幸せ度合いが高いと答えるひとがふえるのだ。もちろん戦争などが起こってしまえば別だが、緩やかに停滞していく限り、幸福度はましていく。このような社会では、自己肯定が流行り、自分を愛すること、ありのままの自分を認めることが大事になり、それが幸せにつながっていく。つまりブータンなり北朝鮮の幸福度はブラフではなく、そう答えるひとが多いのは合理的理由があったのだ。
アジア+ノマド。: 日本の若者の幸福度が70%ちかいという事実をどう解釈するか? (via nakano)
警察庁の統計やメディア報道から計算すると、意外なことに子供が殺される事件の92%くらいは、親族による犯罪だということがわかる。実のところ、変質者による被害者は年間数件あるかないかでしかない。子供を変質者から守るために厳しい法律を作ったり、パトロールを強化するよりも、育児に疲れた親をサポートする政策を整備する方が殺される子供の数は減るのだ。
livedoor ニュース - 【眼光紙背】政治家やメディアに騙されないようにするとっておきの方法 (via hresvelgr) (via takaakik) (via otsune) 2009-01-02 (via gkojay) (via akilt) (via azurun)
子どもへのわいせつ行為、性的虐待なんかも親族がほとんどっていうね。
(via mcafee-x6) (via yokoshige85) (via amaisaeta) (via ussii) (via kyohei28)
(via dbqpdbqp) (via chlt) (via skamio) (via constan) (via skamio) (via kiri2)
台東区の商店街――「受難の時代」にもかかわらず、商店街が8年間で15箇所も増えた驚異 江戸の町人まちは、1km2当たりの人口密度が5万人とも6万人とも言われた。いや、つい戦前まで、台東区はこれとさして変わらぬ超過密都市だった。 人々のエネルギーは狭い家の中からまちへと溢れ出し、そのバイタリティが綺羅星のごとき商店街の連なりを生み出していった。人とまちと商店街。この当たり前の関係を見つめ直すことは、商店街の未来を語る原点だ。台東区の商店街が、格好のお手本を示してくれる。 「受難の時代」のはずの商店街が増加中!? 「製流販」が一体化した地場産業型の集積が強み 台東区は、商業活動が最も高密度に集積する区だ。面積1km2当たりの密度を見ると、商店街数密度も小売店密度も23区最高。ともに2位以下を大きく引き離す。 しかもだ。商店街の数が増えている。2001年~2009年の8年間で、商店街の数は15も増加した。「商店街受難の時代」と言われるこのご時世に、驚くべきことである。 商店街が増えているのは、とりも直さず専門店が元気だからに他ならない。百貨店を抱える副都心区でありながら、大型店密度は7位に止まるのに対し、専門店の密度は1位。区内の3つの百貨店のうち、浅草の松屋と上野の丸井は商店街の外れにあるし、松坂屋の御徒町も主役はアメ横をはじめとする専門店だ。 宅地に占める併用商業施設用地の割合が23区で一番高いことからも、商と住が混在した商店街型専門店の広がりがうかがえる。 製造、流通、販売が一体化した地場産業型の商業集積が多いのも、台東区の特徴だ。その代表は皮革産業。皮革製品製造の工場数は1位、靴、履物の問屋数も共に1位である。東武浅草駅の北には、花川戸の靴・履物問屋街が延びる。小売業の分野でも、履物屋の数は1位、靴屋は2位に位置する。 次のページ» 伝法院の前に立ち並ぶ簡易店舗は、浅草の真の魅力を体現 次にジュエリーだ。宝石・貴金属の加工場、問屋、小売店の数はいずれも1位。御徒町駅の南にはジュエリータウンが広がる。お寺の数が23区で一番多い台東区は、江戸の昔から仏具の製造が盛んで、飾り職人が多かったことがその始まりとされる。寛永寺と浅草寺をつなぐ浅草通り沿いに、50店近い神仏具店が集まる仏壇通りも、ルーツは同じだ。 流と販のセットなら玩具がある。吉徳、久月の浅草橋からバンダイの駒形まで、江戸通りに沿って玩具・人形の問屋が続く。玩具小売店数は千代田区に次ぐ2位だ。料理・厨房用品なら何でも揃うかっぱ橋道具街も、プロが通うという点では流・販一体型の1つと考えていいだろう。家具・家電を除く什器小売店の数は、世田谷区に次いで多い。 きりがないのでもう1つだけ。東上野のパチンコ村は、パチンコ関連産業の大集積地だ。パチンコ店の数は、大田、江戸川、足立などの大きな区が上位を占めるが、店舗の密度で見れば台東区は23区平均の3倍以上。もちろん順位は1位である。伝法院の前に立ち並ぶ簡易店舗 浅草は今、「裏通り」が面白い浅草のコアな魅力を体現する伝法通り商店街。200mの通りに連なる約35の店は、黒、白、こげ茶を基調とした羽目板と塗壁の外壁に統一され、映画のセットに迷い込んだようだ。「和のテイスト」を共有する町並みに魅かれる。 わが国最初の地下鉄が、上野~浅草間に開通したのは1927(昭和2)年のこと。以来、地下鉄を出て雷門から仲見世を通り、観音様に向かうルートが浅草 詣の定番となった。2005年、TX浅草駅が開業し、西側から浅草寺に向かうもう1つのルートができる。 これにいち早く反応したのが、「伝横」と呼ばれ、六区に抜ける裏通りだった伝法院通り商店街である。区の街並み景観整備事業を活用して、江戸まち風の改装を行なった。 次のページ» 樋口一葉『たけくらべ』の世界が広がる千束商店街を行く 200mの通りに連なる約35の店は、黒、白、こげ茶を基調とした羽目板と塗壁の外壁に統一され、映画のセットに迷い込んだようだ。商品をかたどった袖看板や、火の見櫓と半鐘のモニュメントも楽しい。 伝法院の前に並ぶ30数店の簡易店舗が、浅草らしさを一層盛り上げる。呉服屋の屋根の上には「鼠小僧」が!? 仲見世を挟んだ伝法院通り東商店街も、「和」のテイストを共有し合う。こちらには「白波五人男」がいる。 観音様に参拝した後は、五重の塔の脇に廻る。奥山門と書かれた山門風のアーチは、奥山おまいりまち商店街のシンボル。ここも景観整備のまちづくりに取り組む商店街の1つである。 ベンガラ色の窓格子が印象的だ。浅草奥山と言えば、見世物小屋と大道芸。大衆演劇の木馬館、浪曲の木馬亭が今も残る。奥山おまいりまち商店街は、隣接する西参道商店街、花屋敷通り商店街と連携して、“浅草エンターテインメント”の再生を目指す。 テーマは、奥山おまいりまちが「歌舞伎絵ストリート」、西参道が「お祭り商店街」、花屋敷通りが「大江戸ステージ」。それぞれが、テーマに沿ったイベントや景観整備を競っている。 言問通りを渡ると観音裏になる。柳通りに沿って、みちびき花の辻商店街。その北に、浅草観音うら一葉桜振興会。どちらも、近年新しく生まれた商店街である。観音裏への顧客回遊の拡大が、商店街結成の動機だ。みちびき花の辻商店街は花と緑に覆われた空間づくりに、一葉桜振興会は「吉原おいらん道中」の復活に力を注ぐ。千束通商店街こそ浅草のメインストリート 樋口一葉『たけくらべ』の世界が広がる吉原 北浅草のメインストリートは、千束通商店街。歩道に張り出した粋な和風のアーケードが600mにわたって続く。かつては吉原への通い道として賑わいを極めたが、今は地元に根を張った商店街に生まれ変わっている。 土手通りを左に折れると、見返り柳がたたずむ吉原大門の交差点がある。左に曲がると、吉原商店街から鷲神社。樋口一葉『たけくらべ』の世界である。 次のページ» 若きショップオーナーが伝統を受け継ぐ鳥越本通り商店街 交差点を直進して100mほど進めば、右手にいろは会商店街だ。土手通り側の入口付近には食料品店が集まるが、奥に進んで行くにつれシャッター店が増えていく。その前に座り込む人、人、人。 ここは山谷のド真中。ドヤのニーズに応えてきたこの商店街は、山谷の盛衰と共に決定的な曲がり角を迎えている。ドヤ街をどうするか。そこに集う人たちの生活をどう再編するか。そこまで立ち返って考えていかねばならない、重い課題が商店街にのしかかる。若きショップオーナーが台東区の 伝統を受け継ぐ鳥越本通り商店街 泪橋の交差点を過ぎると、間もなく南千住駅が見えてくる。再びTXに乗って新御徒町へ。駅前から延びる佐竹商店街のアーケードには、「日本で2番目に古い商店街」と書かれたフラッグが翻る。 佐竹商店街のウリは古さだけではない。地域の生活を支える充実感。そんな手ごたえが伝わってくることこそ、この商店街の誇りなのだ。 佐竹商店街の先には、「おかず横丁」の名で知られる鳥越本通り商店街がある。周辺に町工場が多く、働く女性のニーズがこの商店街に惣菜店を集積させた。しかし、それも今や昔。約60店あった店舗は、その4割が仕舞屋と化した。 ここに新たな息吹を吹き込んでいるのが、若きチャレンジャーによる工房ショップだ。商店街の中に2店、隣接して1店。うち1店は、近くの小島小学校跡に区が設置した創業支援施設「台東デザイナーズビレッジ」の卒業生である。 同様の取り組みは、御徒町駅南の鉄道高架下に約30の工房ショップが集積した“2k540 AKI-OKA ARTISAN”にも見ることができる。扱う商品で目立つのはバッグや袋物だ。素材は皮革に限らないが、かばん・袋物の問屋数、小売店数共に1位の産業集積と呼応する。製流販一体の伝統は、若者たちの手によってしっかりと受け継がれている。 日暮里駅を西口に出て数分歩くと、商店街の中に突如階段が現われる。名付けて「夕やけだんだん」。ここは猫の楽園。何故か下町には猫がよく似合う。「犬は人に付き、猫は家に付く」という。住む人は変わっても地域への愛着を変えない下町の風土が、猫に結びつくのだろうか。あるいはマイペースを貫くことが、下町暮らしの極意なのかも知れない。 次のページ» 猫まで、マイペースを貫くことが下町暮らしの極意? マイペースを貫くことが下町暮らしの極意? 商店街は「まちのコンテクスト」を体現する東京随一の街歩きスポットでもある谷中銀座。「最近は観光地化してしまった」と眉をひそめる人もいる、メンチカツ対決、行列ができる惣菜屋、芸能人御用達の菓子屋などと、マスコミによって大々的に紹介されている。 階段の下には、谷中銀座商店街がある。東京の街歩きの人気スポットで、休日には観光客で溢れ返る。約200mの間に70店の店が並び、7割が物販店でその半分は食料品店だ。言ってしまえば、ごく普通の商店街である。そのどこに、人を惹きつけて止まない魅力があるのだろうか。 一方で、「谷中銀座は観光地化してしまった」と眉をひそめる人もいる。メンチカツ対決、行列ができる惣菜屋、芸能人御用達の菓子屋などと、マスコミは騒ぎ立てる。しかし、八百屋や魚屋や豆腐屋が、観光需要だけで成立するのだろうか。 谷中はスローなまちだ。貧しくはないが、かといって贅沢でもない普通の庶民が、心を見つめ合いながら暮らすまちだ。そんな普通の人々のごくありふれた生活が、今も谷中銀座の底辺に流れ続けている。 子どもたちが1日店員になって商売を体験する「子供インターンシップ」の実施など、商店街もまちと正面から向き合う。こうした人とまちとの凝縮された姿を肌で感じることができるから、人々は谷中銀座に魅了されるのだろう。 建築の世界では、まちのコンテクスト(文脈)を読むことが重視される。谷中銀座の魅力を語るなら、まちのコンテクストを体現していること。その一言に尽きる。 昨今の商店街活性化の議論は、「はじめに商店街ありき」の感が禁じ得ない。だが、まちそのものの魅力づくりが、商店街の活性化に先んじて論じられねばならない。ここを見誤ったままで、商店街の未来を語ることはできない。 商店街はまちの輝きを写し出す鏡。そのよき手本がここにある。■台東区の商業を知るためのデータ小売店舗数 3652店(8位) 小売年間販売額 5094億円(11位) 商店街数 101ヵ所(7位) 大規模店舗数 15店(19位)
台東区の商店街――「受難の時代」にもかかわらず、商店街が8年間で15箇所も増えた驚異|街歩きがもっと面白くなる!東京23区の商店街―データでわかるパワーと魅力|ダイヤモンド・オンライン (via kskszk)