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DJ EMMA〜THE KING OF HOUSEが語る「アシッドハウス」、そして「elevenの閉店」
2012年6月、EYESCREAM.JPにて実施したDJ EMMAの述べ1万字以上にも及ぶロングインタビューは、インターネット上を中心に巨大な論争を巻き起こし、現役のクラブ関係者やDJにも大きな衝撃を与えた。誰もが認める日本のTOP DJによるクラブに対する痛烈な批判や、風営法についての言及を文中に孕んでいたことも話題を呼んだ要因の1つではあるのだが、担当編集としては、結局のところ、彼自身の並々ならぬクラブへの愛やリスペクト、そしてダンス・ミュージックに対する真摯な姿勢が、人々の胸を強く打ったのではないかと思う。誰よりもハウスを愛し、誰よりもDJという職業に対して真剣に向き合うこと、それこそがDJ EMMAを”THE KING OF HOUSE”たらしめている所以なのだ。
前述のインタビュー以来、約1年ぶりの登場となる今回は、絶賛発売中のMIX CD『Hearbeat Presents Mixed by DJ Emma x Air Vol.2』と、7月24日に自身のレーベルNITELIST MUSICからリリースとなるコンピレーションアルバム『Acid City』という2枚の最新音源を軸に、再びEYESCREAM.JPならではのロングインタビューを敢行。自身もライフワークの1つとして挙げていた「アシッドハウス」、この1年間の間に彼が仙台で新たにスタートさせたイベント『EMMA HOUSE興』、そして共にいくつもの素晴らしい夜を築き上げてきた「elevenの閉店」に至るまで、今の想いを包み隠さず語ってもらった。
Photo:SATORU KOYAMA (ECOS) Interview&Text:Keita Miki
圧倒的にシカゴハウスが好きってこともあるんですけど、”ダンスミュージックのラフな部分”って、僕にはすごく重要だったりするんですよ。
— EMMAさんにEYESCREAM.JPに登場して頂くのは、約1年ぶりですね。前回のインタビューでは、こちらの予想を上回るほどの大きな反響がありました。
DJ EMMA:僕自身もあんなに大きな反応があるとは思っていませんでした。あれだけのロングインタビューは久しぶりだったし、とても良い機会になりましたよ。
DJ EMMA presents NITELIST MUSIC 3 『Acid City』
— 今回はコンピレーション・アルバム『Acid City』と、前回のMIXCDの続編となる『Hearbeat Presents Mixed by DJ Emma x Air Vol.2』がダブルリリースされる訳ですが、『Acid City』の方は、前回のインタビュー時にも「気になる」とおっしゃっていた“アシッドハウス”にフィーチャーした作品ですね。
DJ EMMA:僕が初めてアシッドハウスというものに触れたのは1988年。丁度ロンドンでアシッドハウスがブームになっていた時だったんですが、僕が自分のパーティーを始めたのもこのタイミングでした。自分のパーティーを始めて、四つ打ちをプレイしはじめた時に、急に目の前に現れた正体不明の存在がアシッドハウス(笑)。 とにかく、自分にとってその格好良さは衝撃的で、クラブから朝帰る電車の中で『i-D magazine(イギリス発のファッション&カルチャーマガジン)』を読みながら、直感的に「これをやろう!」って思ったのを良く覚えています。
— 正体不明のモノを、そこで直感的に「やろう!」と思えるのがEMMAさんの凄さですよね。すぐに自分のパーティーでもアシッドハウスをかけるようになったのでしょうか?
DJ EMMA:いや、とりあえず渋谷のクラブで知り合いのDJ達を集めて、『ACID ZONE』っていうイベントをやったんですよ。今でも良く覚えてますけど、その頃ってまだ”テクノ”って言葉でさえ浸透していないような時代ですから、集まったのはスカとかレゲエのDJばかりで、全員探り探りで、良く分からないまま、良く分からない曲をかけてました(笑)。 その後、さすがにその状態はマズいので、まずは「“アシッド”ってどういうことなんだ?」というのを音楽ライターの荏開津広さんと一緒に調べることになったんですが、元を辿っていくと結局は1960年代のアシッドロックに結びつくんですよね。アシッドロックって、サイケデリックな部分が予想以上に強いし、今で言うアシッドハウスとはまた異なる、少し突然変異的な流れの中で生まれたものなので、すごく面白いんです。で、その少し後にニューウェーブのアーティストだとか、ノイズをやってた人たちが急にアシッドハウスをやり出すような流れが来た。それこそ、Psychic TVとか、僕の敬愛するSIGUE SIGUE SPUTNIKもアシッドハウスをやってましたし、もちろん日本でもアシッド一色だった瞬間ってあるんです。みんな、笛吹いてDJをやってたりして
一同笑
DJ EMMA:まぁ、僕も例外では無く、そんな感じで多少勘違いしながらもみんなで面白おかしく、新しいムーブメントを作ろうとしていた感じですね。でも流行っているとはいえ、アシッドなので、音源の絶対数が圧倒的に少なかったし、アシッドハウスがかかるクラブ、アシッドハウスをかけるDJというのも本当に数えるほどしか存在していなかった。だけど不思議なもので定期的にアシッドの流行って来るんですよね。「ちょっとダンス・ミュージックに飽きたな」って頃に、テクノが来て、それに付随してアシッドが来る。流れは大体いつも同じなんですが、繰り返しブームはやってくるんです。そういう意味では、自分にとってアシッドはそんなに特別なものでも無いし、振り返ってみればいつもそばにあるものだったのかもしれません。
SIGUE SIGUE SPUTNIK 『Dress For Excess』
— そういったEMMAさんのアシッドとの付き合い方を踏まえた上でお聞きしますが、今回こういった形で、アシッドハウスのパッケージ化に踏み切ったのは何かキッカケや特別な理由があったのでしょうか?
DJ EMMA:まずは単純に作りたかったというのと、自分の中で手応えを確かめてみたかった部分があって。あとはアシッドハウスというものを使ってのチャレンジ的な側面もありますね。MALAWI ROCKSでDazzle Drumsの2人に「ちょっとアシッド作ってみてよ!」って頼んだ時もそうだったんですけど、みんなアシッドって聞くと苦笑いなんですよ
一同笑
DJ EMMA:「えっ、アシッドハウスですか………」って(笑)。まぁ、みんなアシッドハウスがどういうものかっていうのを良くも悪くも知っている訳で、それを自分たちで作るとなると、結構悩むみたいです。でも今回のコンピレーションに入っている曲は、どれもすごく良くて。この先、新しいアシッドハウスを日本から発信していけるんじゃないかなという予感のようなものを感じています。少し話がそれましたけど、要は流行る、流行らない、受け入れられる、受け入れられないとかでは無く、単純に「やりたい」って衝動の方が強かったんです。そんなに大した事は考えてないですよ(笑)。 色々と後付けでアンチテーゼのようなものは付け加えられるけど、大きく言ってしまえば「今の現状があまりにもつまらなかったから」。テックハウスも好きだし、プログレももちろん好きだけど、今はどれも飽和状態だし、曲の出来が良すぎて、僕にとってはつまらないものに見えてしまいます。格好良い曲はたくさんあるんだけど、完成度が高すぎる。まぁ、圧倒的にシカゴハウスが好きってこともあるんですけど、”ダンスミュージックのラフな部分”って、僕にはすごく重要だったりするんですよ。だから、既に完璧に構築されたものを素材として取り入れるのには抵抗がある。そんなことを3年くらい前からなんとなく思っていたんですが、たまたまなのかもしれないですけど、その気持ちに呼応するようにアシッドハウスのリリース量が世界的に増えてきました。もちろん、最初に経験したアシッドブームの頃と比べるとまた全然違うものではあるんですけど、自分のセットを歌モノ以外、全てアシッドハウスで組めるような質と量が揃ってきたので、そのタイミングで今まで使っていたテックハウスとか、プログレをごっそりアシッドハウスに入れ替えたんです。
Dazzle Drums 『Dazzle Drums EP』
— それはかなり思い切った決断ですね。テックハウスやプログレも一般的に言えば”伝わりづらい”ジャンルだと思いますが、アシッドハウスは更にもう一段階ハードルが上がるような気もします。
DJ EMMA:そうそう、問題はそこなんですよね。アシッドハウスに入れ替えたは良いけど、じゃあそれをどうやってお客さんに伝えようかっていう。伝わらなかったら何の意味も無いので。今回のアルバムのスタートも結局はそこなんです。伝えるためにはまず、自分たちがリリースするべきだろうと思って。それで、Dazzle Drumsの一曲をインスピレーション源に、本格的にアシッドハウスのアルバムを作りたいと考えて、色々なアーティストに話を振っていったという流れです。
— 実際に今の現場でのEMMAさんのプレイを見ても、アシッドハウスをかける場面が以前より飛躍的に増えていますよね。
DJ EMMA:そうですね。なんか”ACID”とか書いてあるTシャツを着てる人が1人でもいたりすると「かけようかな」と思っちゃう(笑)。 さっきおっしゃったように、DJたちはみんな好きだけど、お客さんはなかなか受け入れづらいっていうのがアシッドハウスなんですよね。一応、その感覚も分かってはいるんです。だからこそより良く、より格好良く、本当に上手くDJがかけてかけてあげないといけない。お客さん全員に、アシッドハウスを好きになってもらおうと思ってDJをしている訳だから、ミックスにしても、選曲にしても、ちゃんと喜びがあるところに持っていく。逆に言えば、そうやってお客さんとアシッドハウスを繋げて、アシッドハウスって言葉を頭の中にインプットさせれば、それでもう僕の役目は終了なんです。そんなに大層な狙いは無いですよ。別にEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)を悪者にしようとかも思ってないし。でもこれも後付けにはなるけど、EDMについて一言言わせてもらうなら、「あんなの流行っちゃうぐらいなら、アシッドが流行った方が良いよね」とは思うかな(笑)。
DJ EMMA〜THE KING OF HOUSEが語る「アシッドハウス」、そして「elevenの閉店」
何にせよ、僕にとっては今がアシッドの一番面白い時なんです。
— でもEDMの流行だとか一般的な流れは置いておいて、アンテナの敏感な人たちの間で、「今はアシッドが良い」って感覚があるのは、なんとなく分かる気がします。
DJ EMMA:やっぱり、分かっちゃいます?
— 最近気になるというか、洋服の分野でも良く聞くキーワードではありますよ、アシッド。
DJ EMMA:まぁリバイバル的な意味でのアシッドとはまた異なるんですが、何にせよ、僕にとっては今がアシッドの一番面白い時なんです。世界的な流行の後に流行るのが東京の特徴としてあるんですが、アシッドに関してはどうしてもそういう風にはしたくない。前回のインタビュー時のクラブの話にも通じている部分ですが、一般的になることが絶対的に良いかと言えば、実はそういうことでも無いんですよね。一般的になったが故に壊れてしまうものを、ここ数年だけでも嫌と言うほど見てきたし。だから、これは今自分が単純に一番面白いと思うものを提案しているだけであって、「売れないよ」と言われても既に自分で損を被る覚悟は出来ているので、全然気にならないです。参加してくれたアーティスト達には絶対損をさせないつもりでやっているし、最初こそみんな困ってましたけど、最終的にはみんな「やって良かった」と言ってくれました。それが一番嬉しかったことですね。普通コンピレーションの曲を発注しても、アーティスト側からそういう言葉を貰えることはなかなか無いので。あとは、周りのDJたちが自分のセットに段々とアシッドハウスを組み込んでいく姿を見るのが、地味な喜びだったりとか(笑)。 そういう時は「今なんだよな! 今だけなんだよ、この面白さは!」って心の中で納得しながら見ています。
— 前回のインタビュー時には「まだアシッドハウスの正体を自分の中で掴みきれていない」とお話されていましたが、このコンピレーションアルバムを作り終えた今、その姿は見えてきているのでしょうか?
DJ EMMA:はい、少しづつですが、実際に曲を作ってみて気付くことも多くありました。あえて具体的な例を1つあげるならば、最近忘れかけていたベースラインの重要性っていうのを今回で思い知りましたね。そういう意味では、今回のアルバムを通して、自分の気持ちがGOLDとか、コニーズ・パーティとか、DEEPをやる以前の、本当に初期の状態に戻ったのかもしれないです。DJをやり始めの頃に、夜な夜なプレイしたいクラブを探したり、勉強のために四つ打ちが掛かっているクラブを探し回ったりした気持ちを取り戻せたのは大いなる収穫だと思います。自分が何のためにDJをやりたかったのか、そういう原点を忘れないでいるべきだなと再認識しました。
— これまでにもNITELIST MUSICからは何枚かコンピレーションアルバムをリリースされていますが、ここまで1つのジャンルに特化したコンピレーションは無かったように思います。そういった意味では、制作の上で、何か大きな違いはありましたか?
DJ EMMA:基本的にやっていることはそんなに変わらないのですが、今までのコンピレーションアルバムはNITELIST MUSICからリリースしたアナログをコンパイルして出すという意味合いが強かった。でも、今回はアシッドありきで話が進んでいるので、元々の始まりということで言えば、全く異なるアプローチにはなります。
DJ Pierre 『The Essence Files Vol 1』
— アシッドハウスと言えば、前回のインタビューでのDJ Pierreの話が非常に印象的でした。『Acid City』の制作に際して、更にDJ Pierreの音源を聴き込んだのでは無いですか?
DJ EMMA:聴きましたねぇ~。改めて、先生は偉大だなと思いました。
一同笑
DJ EMMA:アーティストに「アシッドを作って」って話をすると大抵、「アシッドって、勉強するのに何を聴けば良いですか?」って聞かれるんですけど、僕の答えとしては「まずは先生のやつを聴いてくれ」と。すると、やっぱりみんな口を揃えて「………すごいです」って言うんです
一同笑
DJ EMMA:前回も言いましたけど、その凄さが何かと言えば、徹底している凄さなんですよね。まるで、「これが私の生きる道!」とでも思っているかのような徹底ぶり(笑)。 良くわからないけど、魅力的ですよ。DJのスタイルとして普通に考えれば、アシッドハウスに、DJ Pierreのもう1つの十八番であるワイルドピッチスタイルを融合させたって良い訳じゃないですか? だけど、頑なにそれをしない。そういう先生の後ろ姿から「実はアシッドのコンピレーションって格好良いんじゃないの?」って発想が生まれて、曲がたまっていく内にその発想が間違いじゃ無かったことを確信しました。しかも、これはお金の為にやっている訳でもないし、次のブレイクを狙っている訳でも無い。次のブレイクを狙う人は素直にEDMに行くべきだし、そういう流れみたいなものも、世間一般の価値観で考えれば決して悪いものでは無いと思うんです。ただ、僕個人として考えた時には、そこには決していたくないし、正直格好悪いなと思う。で、こういう流れの中でふと一生懸命アシッドに打ち込んでいる自分たちを俯瞰で見てみると「なんて輝きを増すんだろう、この時代に」という…
一同笑
DJ EMMA:いやいや、でもこの時代だからこそ輝きを増すなっていう感覚はすごくあるんですよ! 実際作った後に、こんなに充実感がある作品って久しぶりかもしれない。制作期間中、とにかく楽しくて仕方が無かったんです。曲を作るという行為自体は難しく、苦しい部分も多かったけど、全体として見れば、今後自分の中で忘れられない1枚になることは間違いないと思います。
— 少しアルバムから話はそれますが、この1年の間でEMMAさんが新たにスタートさせたことと言うと『EMMA HOUSE興』がまず挙げられるかと思います。このイベントについても少しお話を伺えますか?
DJ EMMA:「困っている人たちを助けたい」とか「東北地方を元気にしたい」というよりは、「もう後悔するのは嫌だな」と思ったんです。あの震災をきっかけに自分が出来なかったこととか、やろうとは思いつつも先延ばしにしてきたことがいっぱい蘇ってきて。3.11以降、自分の中でも色々なことが変わったんですが、そういうやり残したことを埋めたい衝動から生まれたのが『EMMA HOUSE興』というイベントです。もちろん、東京と比較すれば絶対数も圧倒的に少ないけれど、それでも頑張ってクラブを続けたり、DJをやろうとしている人たちがいて、そういう人達と”地方でもちゃんと出来るんだ”ってことを一緒に示したかった。
— 場所的な意味も含めて、色々な選択肢があったとは思うのですが、仙台でやることを選んだのには何か特別な理由があったのでしょうか?
DJ EMMA:インフラ的な意味において、単純に東北地方の中で仙台が中心地であるというのもありますが、既存のもの以外の”中心地になる要素”を、自分でも何か作れないかなと思ったんです。そうすることで仙台以外に住んでいる人たちも、その場所に来てくれるようなもの。実際、今も何人か仙台まで足を運んでくれている人たちがいますけど、そういう部分から活性化を図って、次の世代に渡したいというのが根本にはありますね。僕自身、生きている間にあと何回DJを出来るかって考えたら、きっとそんなに多くはないんですよ。その少ない中で自分には何が出来るのか、別に自分が正しいとかそういうことではなく、もしも何か次の世代に教えられることがあるならば、今のうちにやっておきたいんです。多少でも求心力というものを持っている間に。「残さなきゃいけないものはこういうもので、新しくしなきゃいけないのはこういうことなんだ」というか、伝えること自体は僕の主観で全然構わないから、こういう生き方もあるってことを提示しておきたいんですよ。
DJ EMMA〜THE KING OF HOUSEが語る「アシッドハウス」、そして「elevenの閉店」
elevenの閉店をきっかけに僕が心に決めたのは”繋いでいくこと”。
— EMMAさんは何歳までDJをやっていたいですか?
DJ EMMA:出来るならば、もう引退したいぐらいですけどね(笑)
— 本当ですか? とてもそうは見えません。
DJ EMMA:辛いことも多いので、弱音を吐かせてもらえるなら、早めにあがりたいです(笑)。 でも、自分にとって一番楽しいことがDJだし、みんなが踊っている時に一緒になって踊っている自分が僕はすごく好きです。みんなに喜んでもらえる手段って自分の中にはそれしかなくて、みんなの喜びを糧に自分も喜んでDJをやっているんですよね。だからずっとお客さんとはずっとイーブンな関係でいたいし、僕はせっかちだから早く答えを求めてしまうところがあるんだけど、DJに関しては長くやっていきたいなっていう部分もあります。
— もしDJを辞めたら、何かやってみたいことはありますか?
DJ EMMA:悩みますね。何しようかな~。あっ、色々な発明をしたいですね。王様のアイディア的なモノ。『見えないコンセント』とか、そういうのを発明したい。実は結構色々と考えてるんですよ。
— (笑)。では、DJになっていなかったら、今頃発明家になっていましたか?
DJ EMMA:いや、やっぱり何かしらの形で音楽に関わっていたとは思いますね。『Acid City』に関してはプロデューサー的な仕事半分、アーティストとしての仕事半分の割合で参加していますが、そういう微妙な立ち位置も悪くは無いなと思ってますから。
DJ EMMA 『『Hearbeat Presents Mixed by DJ Emma × Air Vol.2』』
— 今後プロデューサー的な立ち位置での活躍が増えそうですか? 何か具体的にプランがあれば教えてください。
DJ EMMA:自分がDJをやっている内は、どうしても自分がかけている曲、かけたい曲がメインになってくるとは思うんですけどね。だから『Acid City』と同時期に、歌モノ中心の『Hearbeat Presents Mixed by DJ Emma × Air Vol.2』を出すのは「こういうのもやってくぞ」という意思表明でもありますし。アシッドハウスとメロウな歌モノ。水と油みたいですけど、それらが混じり合って、一晩の内に交差する感じっていうのが、僕は今一番ユニークなDJスタイルだと考えています。別にそのスタイルを広めたい訳でも無いんですけど、僕自身がもっともっと面白いものを期待している。自分の頭で考えて、自分が何者であるのかっていうことを表現したものを若い世代には期待していますかね。外国の曲を日本語にしただけで売れてしまうようなことは、次の世代ではもう勘弁してもらいたい。
— 実際の現地(仙台)での雰囲気、反応といったものは東京でのパーティーと比較していかがでしょう?
DJ EMMA:前回のインタビューもそうですが、他でもちょこちょことACID HOUSEって単語を出していることもあってか、今までテクノしか聴いていなかった子たちが来てくれたりもするし、今までテックハウスやプログレが好きだった子たちがACID HOUSEを受け入れる速度は東京と同じくらい速いですよ。ACID HOUSEをかけて、「えっ?」ってなるような人は全然いないし、逆に言えばそれくらい今までのものが飽きられているのかもしれない。予想がついてしまうんですよね、「あぁ、今日もこの人はここでアゲるんだな」とか。そう感じられてしまうDJって、僕の目には、ただダラダラしているDJと同じように映ってしまいます。人の目にどう映っているかって、DJにとって重要なことだと思うんですよ。少し話はそれるけど、Steve Aokiが出てきた辺りからおかしなことになってきてるんですよね。みんな、あれに憧れちゃって。僕が先輩から教えてもらったのは、「DJブースは綺麗に使え」ってこと。イチローみたいなこと言いますけど、道具を大切に出来ない人は、どんな世界でも上手くなんかなれやしないですよ。それって、決して間違いでは無いと思うんです。でも、今はDJたちが差別化のためにそういうアピールをしがちです。盛り上げるために選曲以外の部分でアピールをして、結果、物理的にDJブースが曲がってしまったり、歪んでしまったりします。憧れるのは構わないんだけど、そういうのをどう思ってるのかな?と僕は思うんです。お客さんに、お店の人に、レコード会社の人に、その人の後にプレイするDJに、後輩の若いDJに、その姿がどう映っているのか。僕だったら、「ああ、こういうことやっていいんだな、DJって」とか、「売れればなんでもありなんだ」って感じると思います。次の世代の人たちにそういう風にはなって欲しくないし、そこは最低限守るべき部分のような気はしますけどね。人気取りがしたいんだったら他でやれよと思うし、そこだけは自分の中で曲げられない部分。何かあって責任を負うのは結局お店だし、それを注意しないのはクラブ側の責任でもあるけど、このままではいつか取り返しのつかない事が起きかねません。
— クラブの話が出てきたところで伺いたいのですが、先日西麻布のelevenが突如として閉店しましたよね。YELLOW時代も含めて、EMMAさんにとっては非常に身近な存在であり、縁も深いクラブだったと思います。最終日、EMMAさんも実際にフロアでプレイをされていたと思うのですが、この件に関してはどんな想いを抱いていますか?
DJ EMMA:今おっしゃったように、elevenは僕にとって大切なクラブの1つであり、内部の人間や周囲を取り巻く環境、事情といったものを全て把握しているから言えることではありますが、一言で言えば、すごく”複雑”です。「残念だ」とか、「今までありがとう!」といった言葉をここで出すのは簡単ですが、率直な想いを伝えると”複雑”という言葉が一番しっくりきますかね。ただ、elevenの閉店をきっかけに僕が心に決めたのは”繋いでいくこと”。あんなに最高のスタッフと機材が揃っている空間ってそうは無いし、機材はまだしも、人を育てるのには大変な時間と労力が掛かります。だから、あのスタッフたちを次に繋いでいくこと、それが僕の出来る恩返しなのかなと今は思っています。
— それは具体的に言えば、EMMAさん自身が新しいクラブを作るということになるのでしょうか?
DJ EMMA:そうですね、決して簡単なことでは無いですが、そういうことをやっても良い年齢になったのかな、と最近になって、やっと思えるようになりました。ありがたいことに、昔から「クラブ作ってみない?」とか、そういったお話を頂く機会は多々あったんですよ。でも、今までは、何故か一歩前に踏み出せない自分がいました。
DJ EMMA 『Hearbeat Presents Mixed by DJ Emma×Air Vol.1』
— 実現するとすれば本当にすごいことだし、楽しみにしているファンも全国にたくさんいると思います。話を音源に戻しますが、『Hearbeat Presents Mixed by DJ Emma×Air Vol.2』に関しては、Vol.1を出した時点で、既に次回作の構想があったのでしょうか?
DJ EMMA:反応も良かったし、最終的にそこそこ枚数も出たので、じゃあ次もやろうかという自然な流れでリリースは決まりましたね。最初は前回と同じようにAIRという箱の雰囲気を想像出来るようなスタートにして、あとはVol.1、Vol.2と続けて聴けるよう、今回は短めに作りました。ROMANTHONYの曲から始めて、Vol.1の最後に繋ぐという世界観も含めて、僕の天邪鬼的な側面が出た、良い出来だと思います。
— Vol.1に関しては前回のインタビューで「初めて長く聴いてほしいと思って作ったMIXCD」と話していましたが、そのスタンスはVol.2でも変わりませんか?
DJ EMMA:基本的には変わらないですね。今回も一発録りで提出したんですけど、少し時間があったので、マスタリングの前の日に急遽もう一回録る決意をして。そういう部分も含めて、生の良さを感じられるアルバムになっているのではないかなと思います。「現場で再現できないものをCDにしてもどうにもならないじゃん」って気持ちは常々あるし、とんでもなくキレイにMIXされたCDって作ってる人の頭の中が手に取るように分かっちゃうじゃないですか? そういうものでは無く、「どういうこと? この人何考えてるんだよ?」って感じを出したかった。本来DJのMIX CDって、そうあるべきじゃないですか。あえてズレている部分を残す感覚も、DJして遊んでる人たちなら分かると思うんですよ。なんか安心するというか。現場で実際にプレイしていたら様々なトラブルもあるし、折角作るのであれば、そういう生の部分を伝えられるようなMIXを作りたいですね。
— リリース後にはツアーも予定されていますが、ツアーではどんなプレイを見せてくれるのですか?
DJ EMMA:簡潔に言えば、AIRのMIX CDと、アシッドのコンピの内容が永遠に繰り返されると思って頂ければ…
一同笑
— そろそろ、次回の『EMMA HOUSE』にも期待が集まる頃合いかと思いますが…
DJ EMMA:具体的にはまだ全然予定は無いですね。2枚作り終えたばかりだし。アルバムに入れられなかった未発表が3曲あるので、『Acid City Part2』みたいなものはやりたいなと思ってるんですけど。しばらくはまだまだACIDをやるし、歌モノもやります(笑)。 まぁ、後はさっき話した新しいクラブをどうやっていくかなってことですね。秋ぐらいからは歌モノのプロジェクトを新しくやろうと考えているので、楽しみにして頂ければと。
1万字インタビュー:DJ EMMA〜“THE KING OF HOUSE”と考える日本のクラブの現状〜
DJ EMMA。ハウス・ミュージックを愛する人々の中で、このDJの名前を耳にしたことが無いという人はほとんど存在しないのではないでしょうか。1985年の活動スタートから常にシーンの最前線に立ち続けてきた彼は、高い技術に裏打ちされた繊細かつアグレッシブなプレイで海外からも高い評価を獲得し、これまでに世界中のクラブでいくつもの素晴らしい夜を築き上げてきました。そしてこの度、そんな“THE KING OF HOUSE”が、DERRICK MAY、FRANCOIS K.、Timmy Regisfordなど錚々たるDJ陣が参加してきた代官山 AIRの主催する人気MIXシリーズ“Heart Beat”に満を持して登場。EYESCREAM.JPではこれを記念し、初のロングインタビューを敢行しました。
最新アルバム『Heartbeat Presents Mixed By DJ EMMA×AIR』に込めた知られざる想いから、日本のクラブシーンの現状、昨今インターネット上で論争を巻き起こしている風営法の問題など、様々なジャンルに話が及んだインタビューは述べ1万字超。ハウス・ミュージックやクラブに縁の深い方はもちろんですが、音楽にあまり興味が無いという方もクラブを“洋服屋”、DJを“ブランド”に置き換えて、ぜひ彼の言葉に耳を傾けてみて下さい。恐らくファッション業界における状況もそこまで大きく変わらないはずですし、必ずや何か想うところがあるかと思います。
Photo:SATORU KOYAMA (ECOS) Interview&Text:EYESCREAM.JP
今まで自分のMIX CDを長く聴いて欲しいと思って作った事は無かったです。
— EYESCREAM.JPでEMMAさんにインタビューをさせて頂くのは今回が初めてですので、まずはEMMAさんの音楽遍歴や人となりといった部分からお話を伺っていければと思います。EMMAさんが一番最初に音楽に触れた瞬間というのはいつ頃だったのでしょうか?
DJ EMMA:恐らく幼稚園の時ですね。幼稚園の時に桜田淳子の“三色すみれ”から入って、2曲目はたしか西城秀樹の“ジャガー”だったと思います。
三色すみれも収録された桜田淳子のベスト盤 『桜田淳子 GOLDEN☆BEST』
— ご自分で初めて購入したレコードが桜田淳子の“三色すみれ”ということですか?
DJ EMMA:そうです。近所のレコード屋さんに自分の足で行って、初めて買ったドーナツ盤ですね。で、その後はいわゆる“ピンク・レディー ブーム”みたいなものがやって来る訳ですが、それが僕らの世代にとって、初めてのダンスミュージック。自分が人生で初めて踊ったのはピンクレディーでした(笑)。 今考えてみると当時から普通のポップスよりはピンク・レディーとか、郷ひろみとか、ダンサブルな音楽が好きでした。
— それが少なからず、今のご自身の音楽にも影響を与えていると。
DJ EMMA:うん、もちろん音の好みとか、そういう面に反映はされていると思うんですけど、でも実際はミュージシャン、DJと言えども、みんなそんなもんなんじゃないのかな? 「幼稚園からジャズを聴いてます」とか、そんな人って何万人に一人でしょ(笑)?
— まぁ、お会いした事は無いですね(笑)。
DJ EMMA:なので、幼い頃からクラシックの英才教育を受けてるような音楽一家という訳ではなく、僕は極々一般的な家庭環境で育ちました。
— なるほど。具体的に「将来は音楽で食っていこう」と意識し出したのはいつ頃だったんですか?
DJ EMMA:小学校6年生で既にその想いはあったので、中学に入った頃には自分で曲を作り始めてました。それと、直接DJの下敷きになったかどうかは分からないですが、ブラックミュージックの洗礼を受けたのも、丁度中学生の時。同時期に僕の中でテクノとヘヴィーメタルとパンクが全部一緒に来ていたから、そういう異なるジャンルの中から気に入った曲をチョイスして聴いていました。とにかくありとあらゆる音楽を聴きたいと思っていたから、今振り返ると何かに偏るということが少ない音楽遍歴だったかなとは思いますね
— 当時、そういった新しい音楽の情報というのはどこから得ていたんですか?
DJ EMMA:友達ですかね。一番影響が大きかったのは、音楽好きな友達や、先輩たち。今思うと自分にとっての初期衝動は近所のお兄さんの家に行って、初めてギターを触ったことだったんですよ。僕も色々なミュージシャンから影響を受けていますけど、そういう身近なことの方が自分にとっては衝撃的でした。
ロンドン・ナイトの歩みを語るレコードたちを 一挙に紹介した書籍 「LONDON NITE DISC GUIDE」
— DJというよりはバンドマンに近い初期衝動ですよね。そこからDJをやるようになったきっかけは何かあったのでしょうか?
DJ EMMA:まさしく仰る通りで、僕もバンドをやってたんですが、当時は新宿のライブハウスに出入りする機会が多かったんです。でも17、8の遊びたい盛りだったから、ライブハウスだけじゃなく、ディスコにも行きたかった訳ですよ。でもその頃にライブハウスとディスコを行き来している人って、本当に少なくて…。で、僕の場合はたまたま同じような仲間が出来て、ツバキハウスに行ったり、ロンドン・ナイトに遊びにいかせてもらうようになったんですが、とにかくお金が無い(笑)。 だから、何とかしてタダで遊びたいと思っていて、タダで遊ぶにはどうすれば良いんだろうって考えた結果、「働けば良いんだ!」って閃いたんです。実際に働くようになってから、結局は働いてると遊べないんだってことに気付くんですけどね。
一同笑
DJ EMMA:でも働いていると自然と色々な曲を覚えてきて、一般的なもの、そうでないもの、アンダーグラウンドなものっていう区別が段々とつくようになってくる。そこからですかね、DJをやるようになったのは。その頃はレゲエが流行っていたから、レゲエの12インチをたくさん買ってて、友達の誕生日パーティーでDJをやってくれって頼まれたのが最初のDJ体験だと記憶しています。それが18歳の時かな? そこから新宿のブギーボーイってクラブでレギュラーパーティーを持って、同時期に下北ナイトクラブでも働きだして…っていうのが最初の流れですね。
— ハウスを回すようになったのはいつ頃からなんですか?
DJ EMMA:最初はレゲエとロック。次にニューウェーブの日を任されるようになったんですが、その次の年には『コニーズ・パーティ(※コニー・イーが主催を務めた伝説的パーティー。DJ EMMAはこのパーティーのレジデントDJを務めていた。)』っていうのをやり始めていて。それからですね、ハウスを中心にプレイするようになったのは。もちろん、ハウスだけをかけていた訳じゃなくて、時にはニューウェーブやロックの比率が多い日もありましたけど。それが終わってからGOLD(※1990年より芝浦で営業を開始したクラブ)と契約したんですけど、GOLDでもハウスだけをプレイした訳ではないです。
— GOLDと契約する前にツアーでヨーロッパに行かれていますよね。当時、日本人でヨーロッパでプレイをしているDJはほとんどいなかったのでは?
DJ EMMA:MARBOはロンドンに住んで、人気が高かったです。彼ぐらいですかね。逆にいないからこそ、やりたかったですし。トントン拍子に事が運んだのは、90年代初頭のヨーロッパでは日本人のDJがめずらしく、聴きたがっていたという事実が大きいと思うんです。まだ世界中でニューヨーク至上主義みたいなところがあったし、そのくらい当時のニューヨークはすごかったんですよね。日本人のDJもたくさんいたし。でも日本人のDJがいないからヨーロッパを選んだのかというと、そうでも無くて、あまりにも東京がニューヨークの影響を受け過ぎていて、僕にとってはつまらない場所に感じてしまったというか、もう少し日本らしいものがあっても良いんじゃないかと思ったんです。僕個人としては、ニューヨークの物を日本的に直してもそんなに良い物は出来ないんじゃないかと思っていて、やっぱり一から作っていくべきだって考えがありました。だから、その頃は色々と特徴のあるやり方をしていましたね。
— 日本でのプレイと海外のプレイで何か意識的に変えている点はありますか?
DJ EMMA:その辺りも先ほどの「日本人のDJがめずらしかった。聴いたことがなかった」って話に繋がるんですが、海外でのプレイは昔の方がやりやすかったですね。昔は情報自体が少なかったから、その中で選ぶとなると、何と言うかもっとハングリーだったと思うんです。そもそも、当時の日本のクラブシーンって海外の輸入ばかりだったし、なんとなく僕自身も「このまま輸入国で終わるんだろうな。」って意識を持っていたから。輸入国のDJが輸出国で普段と違うプレイをしても仕方ないじゃないですか? だから意識的に何かやるというよりは、僕が日本でやってきたことをそのままやるという選択肢しか無かったんです。でも、それがたまたま受けた。本当にたまたまですよ、これは。それで1回目のツアーは8ヶ所だったんですけど、次のツアーはそれが24ヶ所に増えた。今はまた状況が違いますけど、要は世界的に日本人のDJをちょっと聴いてみたい気分だったんでしょうね(笑)。 ミックステープの段階でどんどん出演が決まって行きました。実力云々よりもやる気の問題だったように思います。
DJ EMMAとsugiurumnによる コラボレーション・ミックスCD 『LIVE AT PACHA IBIZA mixed by sugiurumn&DJ EMMA』
— 90年代初頭、日本のシーンと海外のシーンにはまだまだ大きな差があったんですね。
DJ EMMA:そうですね。実はツアーでヨーロッパに行く前にも、ちょくちょく遊びに行ってたんですが、現地に行ってみると良く分かるんですよ。たしかに色々な国の影響を受けているけど、決して真似をしている訳ではない。イビザのやり方が受けているからといって、それを日本に持ってきても全く意味が無いんです。イビザ的なものをやりたいんだったら、イビザのDJを日本に呼んできた方が早いでしょ? ロンドンでもニューヨークでも、どこに行っても感じることは一緒です。その土地のオリジナルを作り出すってことが、僕にとっては普遍的な目標なんです。
— その時から10年以上が経過しましたが、今、東京で、東京的なもの、東京オリジナルのものというのは生まれてきていますか?
DJ EMMA:あるとは思います。でもその東京的なものが果たして国際レベルなのかどうか、ネームバリューだけで集まるような人たち以外の層に本当に通用するものなのか、っていう部分は大きな問題じゃないですか? オリジナリティがあると言っても、それはただ突飛なだけのものかもしれないし。そうではなく、誰もがすんなり入れるもので、尚且つ新しいものっていうのは本当に難しいですよ。答えが出ないから。だからこそ僕はそれを追い続けているんじゃないかなと思います。
— 先ほどGOLDのお話が出ましたが、読者の中には「GOLDって話では良く聞くけど、どんなものなのか分からない」という方もたくさんいらっしゃると思います。EMMAさんの言葉で簡単に説明して頂くと、どんな空間だったのでしょうか?
DJ EMMA:まぁ、一言で言うとハウスミュージックというものが上陸して以来、それを最も誤解されない形で、広く一般に伝えたお店ですよね。ハウスをもっと早くからやっていたクラブ、パーティーはたくさんありましたけど、サウンドシステムも含めて誤解が少ない形で伝えられたってことが一番大きいんじゃないかな。客層に関しても本当に世界中から人が来てたというか。バブルだったからってこともあると思うんですけどね。
— たしかにそうですね。
DJ EMMA:そこの問題ですよね。あの頃は日本に海外のクリエイターがたくさんいたし、自分のお金で日本に来ている外国人も多くて、センスのある人たちが集まっていたんです。今とはちょっと状況が違う。今、たしかにクラブは一般化したけど、決して質を求めて一般化してきた訳ではないですから。間口を広げていっただけで、単純に入りやすくなっただけだと思うんですよ。クリエイターやパフォーマーが作る作品、世界は、当然10年前より遥かにレベルが高いし、自分達がはじめた頃と比べても、今は格段に上のレベルにいると思います。でもクラブの実態として考えた時、間違いなく質は下がっていますね。人は多いけど。もしかしたら人が多いから、見つけることが出来ないのかもしれない。実は特別なパーティーっていくつもあると思いますが、見えなくなってしまっているんです。本当にクラブの中だけでやっているものだったら、ある程度アンダーグラウンドな落とし込みに見えると思うんです。今の東京はどうしてもお金のため、サウンドシステムのため、“○○のため”ってなりがちで、僕の中にはそれに対して「でも違うでしょ」って想いがあります。クラブ関係者には「それは理想です。それじゃ成り立ちませんよ。」って言われてしまうかもしれないけど、理想でやって欲しいし、理想で生きて欲しい。そうするべきだって思うんです。やってることが全てだし、言い訳は聞きたくない。
だから、僕らが思っている以上にクラブの人たちのチョイスって重要なんですよ。海外でも、日本でも、良いDJっていくらでもいますから。そういうDJをチョイスするのか、自分達は良いと思っていなくてもネームバリューを優先して選ぶのか。その「自分達が良いと思っていなくても呼んじゃう」って行為が全てをダメにしてると思います。自分達が良いと思っていないDJにも、必ずそのDJを好きな人たちがいて、そのパーティーは好きな人たちがやるべき。そうすれば上手くも、格好良くも見える。「格好悪いけど、スピーカーのためにやる」とか、そういうのが全てをぐちゃぐちゃにしている原因のように思います。DJのスタイルは千差万別です。だからクラブ側のチョイスっていうのは、シーンに対して、大きな影響を与えているんです。東京のクラブ全体が「自分達が面白いと思う人たちを呼んで、パーティーをやろう!」っていう本来のやり方ではなく、結局お金。そうなってしまっているのが現状です。お金が問題の中心になっているクラブがあまりにも多すぎるってことです。クラブが10年、20年続くって本当にすごい事だと思うんですが、だけど、長く続くことが全てでは無い。短期間でも圧倒的な存在感があったりとか、人の人生をまるごと変えてしまうくらいすごいものがある、それがクラブだったと思うんですよね。10年、20年続くのはあくまでも結果なんですよ。今は5年やるため、10年やるためのコンテンツをクラブ側が考えてスタートする。おもしろいものが生まれにくい状況にはなって来ていますよね。
EMMA HOUSEシリーズの最新作 『EMMA HOUSE 18 MIXED BY DJ EMMA』
— 非常に勉強になるお話でした。その後、『EMMA HOUSE』をリリースしていくことになる訳ですが、これはどういった経緯で? 今でこそ、DJのMIX CDは当たり前の存在になっていますが、当時はまた状況も違ったかと思います。
DJ EMMA:音源に関してはテクノやハウスが浸透し始めて来た頃で、売れる確証は無かったと思いますけど。実際1枚目はそんなに売れていないですし、すぐに廃盤になっています。でも、そこでレーベルが諦めずに「もう少しやりましょう」と言ってくれた。結果として2枚目と3枚目が売れました。DJによるダンスミュージックのコンピレーションアルバムがオリコンの上位に入るのって恐らく初めてだったから、当時はなんか申し訳なくなっちゃって…。オリコン上位ともなると、ポップ系の雑誌からも取材を受けちゃうんですね。ほとんど僕の曲じゃないのに(笑)。 自分が考えてた以上に、2枚目、3枚目の効果って言うのは大きかったんですよね、自分が思っていたよりも。もちろん、それは自分の望むところでは無い訳だけど、そういう売れ方をした時点で、その頃はそれをどう捌いていくかって考えることがすごくしんどかったですね。売れるってことが仕事にここまで影響するのか、と正直ビビってしまいました(笑)。 今振り返れば、それをきっかけに「勘違いしないようにしよう」と再認識出来たので、結果的には良かったなと思います。
— 今回のミックスは一発録りということですが、何か特別な理由があったのでしょうか?
DJ EMMA:失敗が許されない状況の中で、どこまで感情の起伏を表現できるのかということを試してみたかったんです。実際はいつもやっていることなので、ほとんど失敗はしないんですが、そういう“自分で転ぶ石を置く”というか、簡単では無いことをチョイスするのが好きなんですよね。で、その結果をパッケージメディアとして値段を付けて売るというのはすごく面白いかなと。
DJ EMMAの最新MIX CD 『Heartbeat Presents Mixed By DJ EMMA×AIR』
— EMMAさんはミックスを制作する際、予め全体のテーマを決めたりするのでしょうか? それとも自分の今の想いや気分を表現することを第一に考えますか?
DJ EMMA:いや、どちらかというと、かける曲そのものがテーマだったりしますね。今回のCDに関して言えば、2曲目の曲はどういう風にすれば、より良く自分が良いと思った感情を多くの人に伝えられるのかということを考えた結果、1曲目ではなく、2曲目に“DO BETTER”を持ってくるべきだとか、そういうことを意識しています。チョイスした曲に関してはAIRに似合うもの、小さい空間の中でも激しさがあったり、生音があったりする感じがAIRらしいところだと僕は思っているので、その空気感を詰め込めれば成功と言えるのかなと。もちろん、想いは色々ありますよ。自分のその時、その日の感情もあります。もっと長いタームで考えれば、今の日本には大きな危機感がありますよね。去年の震災でたぶん1人1人、生命の危機を感じたと思うんです。みんなが同じように感じて、同じように考えたのであれば、みんなが今望んでいるようなDJプレイがしたい。だから今回はそういう感情をストレートに表現したし、繰り返し聴けるアルバムにしたいなと思って作りました。
— 現場でプレイする時と、CDを制作する時ではやはり考えや気を遣う部分も異なりますか?
DJ EMMA:うーん…と言うより、これは長く聴いてもらえるようにと思って作った初めてのMIX CDですね。今までのMIXに関しては流れていってしまうことを良しとしていたし、その為の選曲をしていました。クラブの一晩で終わってしまう美しさに近い物というか、その時の旬な選曲をして、時が経つに連れて流れていくという美しさを意識していたし、記憶されないからこそ面白いと思っている部分があったんですよね。今まで自分のMIX CDを長く聴いて欲しいと思って作った事は無かったです。
DJにとって面白いのは「お客さんが好きな曲で踊ってる瞬間」じゃなくて、「お客さんが変な曲で踊ってしまっている瞬間」なんですよ。
— 海外も含めて、EMMAさんの好きなクラブというか、理想に近いと思うクラブはありますか?
DJ EMMA:いや場所と言うより、結局は人なんじゃないでしょうかね。面白い人がいるクラブはやっぱり面白いですよ。どうしても自分からボールを投げる一方だと疲れてしまうし、僕はDJが偉い存在になってしまうのが本当に嫌なんですよ。僕の普段のパーティーのDJブースが高い場所にあるから誤解してる人もいるかもしれないんですが、本当はDJブースも同目線が良いし、なんならフロアより下でも良いぐらい。
一同笑
DJ EMMA:本当はそれ位で楽にやりたいんです。そうすれば、ジロジロ見られないし(笑)。 まぁ見ちゃう気持ちも分かるんですけどね。でも、人間が本当に音楽に集中しているときって大体目をつぶりませんか?
DJ EMMA 1985年にDJ活動をスタート。1990年から3年間に渡るヨーロッパツアーを成功させ、1994年に芝浦 GOLDと契約。日本のハウス界の頂点を極めた。以来、様々なレジデンツパーティー及びイベント等でのGIGを通じて20年以上もの間、トップDJとして活躍を続けている。現在はageha、WOMBでのレジデンツパーティーを中心に、海外でも精力的に活動を展開。MIX CDのパイオニア的存在である「EMMA HOUSE」は過去19作リリースされており、去る2012年6月6日には最新MIX CD『Heartbeat Presents Mixed By DJ EMMA×AIR』をリリースした。
— あー、なるほど。
DJ EMMA:自分でも気持ち良い時って目をつぶってることが多いような気がしますね。話は戻りますけど、自分が楽しくプレイするためには、当然良いお客さんが多くいる場所の方が良くて、自分が投げたボールを返してくれるお客さんの方が面白い。で、返してくれるお客さんが多いのはやっぱり海外ですね。ただ日本のお客さんの良いところは静かに音楽を聴いてくれるってこと。アメリカとかは盛り上がりはすごいんだけど、その代わりに滅茶苦茶というか(笑)。 音楽をちゃんと聴いてくれるってミュージシャンやDJからしてみれば相当嬉しいことですよ。それは日本のクラブの良いところだと思います。
— その辺も変な意味ではなく国民性なんですかね。ではEMMAさんにとって理想のパーティーというのはどんなものですか?
DJ EMMA:一言で言えばシンプルで、一晩を楽しめるダンスパーティーってところですかね。何か悩んだり、迷ったりした時に、踊りに行くとすっきりして帰ってこられる場所というか…。少なくとも僕のパーティーはそうでありたいと思っているし、もっと細かく言えば何か出会いがあって欲しいとか、そういう部分も含めてオーガナイズしてるつもりなんですよ。だから多少はナンパの手伝いとかもしてる訳です(笑)。 ただ盛り上がるだけのパーティーをやりたい訳では無いんです。だって、何事も起伏が激しいほうが楽しいですよね? だからそういうパーティーが良いパーティーなのかなと。シンプルなものが好きなんですよ。それはずっと変わらないです。
— たしかにEMMAさんはロングセットでプレイすることが多い印象がありますね。1回のパーティーにどれくらいのレコードを持っていかれるんですか?
DJ EMMA:200枚ぐらいですね。それ以上持っていっても悩むだけだし、機転が効かなくなっちゃうから。今ってPCを一台持って行かなくてもメモリースティックで何万曲って持ち運ぶことも可能じゃないですか? でもそうすると結局家と同じ状態になってしまう。クラブだからこそアナログをかけたい。よく「アナログは重いから」なんて言うけど、レコードなんて5人いないと持てないってものでもないでしょ。MP3でPCをカチャカチャやって手ぶらで帰るなんて、全然スマートに見えないですよ。僕はアナログレコードをかけているスタイル自体が格好いいと思う。持ち歩くのは全く苦では無いですね。
— その200枚の中身はどういうタイミングで入れ替えるんですか?
DJ EMMA:ある程度は固定ですね。そこからその日の天気だとか、色々なことを考えて、気分で何十枚かプラスする感じです。ただ、それがその日にかかるかっていったらそうでも無いんですよね。新しい曲をかけないと自分が飽きてしまうから、どうしても新曲中心になってしまうんですが、そこにちょっと懐かしいのを入れたり、良くわからないものが入ってるっていうのが理想かな。未だにアンセム系を1曲目にかけちゃうDJって実際に沢山いますから。それではその曲の価値は下がってしまう。曲の価値を下げるのはDJのするべき事では無いと思うんです。例えすごく出来が悪い曲でも、それなりに聴かせるのがDJの仕事ですからね。DJにとって面白いのは「お客さんが好きな曲で踊ってる瞬間」じゃなくて、「お客さんが変な曲で踊ってしまっている瞬間」なんですよ。踊りたくて仕方ないから踊ってるんだけど、心の中では「あれ?なんでこんな曲で踊ってるんだろう」っていう瞬間(笑)。 そういう瞬間を多く作り出せるDJでありたいですね。
DJ Pierreのアルバム 『DJ Pierre』
— 海外も含めて、最近面白いなと思うDJ、ミュージシャンがいたら教えてください。
DJ EMMA:抜群に面白いのはDJ Pierreですね。1年前くらいに自分のレーベルを作って、色々とやってるんですが、頑張っている割にやることは何一つ変わって無い(笑)。 “歌モノ”やるから自分のレーベル作って、コラボもしたよって言うなら分かるんですが、一貫してアシッドハウス。「この時代にアシッドハウス1本かよ!」っていう面白さですよね。機材も変わって無いし、本当に何も変わって無いから、男気を通り越して、この人ちょっとおかしいんじゃないかなって思うくらい。でもそこが魅力的ですね。
一同笑
DJ EMMA:決してフォロワーになりたい訳では無いんですけど、アシッドハウスは何かの形でやりたいなと思ってるんですよね。というのも、僕の中でアシッドハウスが何なのかっていう正体を未だに掴みきれていないから。だからやりきりたいという思いがあって、これはしばらく続けると思います。
— 他に今後何かやってみたいことはありますか?
DJ EMMA:まだ具体的に何をやっていいのかは分からないですが、今やっているレギュラーのパーティーとは別の形でのパーティーっていうのを模索中ですね。時代的にある程度フィットしていて、尚且つ半歩先を行っているパーティー。例えば会員制のパーティーとかね。さっきも言った通り、良くも悪くも今は間口が広すぎる部分があると思うので。
— EMMAさんは地方のクラブにツアー等で行かれることも多いと思うのですが、やはり地方と東京のクラブに格差はありますか?
DJ EMMA:格差というか、地方のクラブってやり方だけは東京なんですね。だから、チグハグになっています。そう考えると東京さえしっかりすればどうにかなると楽観的に考えています。しかし、地方のクラブに行くと普通のパーティーで5.6人のDJで廻す事が多い。札幌のPRECIOUS HALLのように一貫してポリシーを崩さない所は本当に少ないです。東京のクラブが迷走しているのに、それをお手本にしているから気付かずにいるんですよ。だから、最初の話に戻りますが、東京のクラブの責任がどれだけ重いのかってことですよね。
— クラブの現状と言えば、昨今、風営法の問題が大きな話題となっています。差し支えなければ何か思うところ、ご意見を頂いてもよろしいですか。
DJ EMMA:悔しいけれども、現在の日本の風営法では僕たちDJは毎週末、法を犯しているという事になります。 この業界で仕事をするのであれば、向き合わざるを得ない問題です。きっかけとなった1982年の事件は、女子中学生2人が新宿のディスコでナンパされ千葉の森林で暴行を受け、アキレス腱を切られ捨てられ、一人は死亡という凄惨な事件でした。数行の言葉でこの事件の事を語るのは不可能ですが、当時、社会現象にまでなったこの事件が直接的な原因です。当然風営法は厳しいものとなりました。良く覚えていますが、映画化もされています。クラブやディスコが危険な場所だと判断された訳です。その歴史が現在にフィットしていないという事を訴えるのであれば、DJをとりまく環境を例に挙げて、世界の現状はこうだからとか、音楽の力とか、文化とか、簡単に口に出さないでほしい。なぜなら、やれて来れなかったから今の現状があるんです。自由を訴える立場ではなく、認めてもらう立場のはずなのだから、地域に貢献をしていないと次に進めないんじゃないかと思うんです。僕たちも何度か風営法に関して動いた事がありますが、僕らの世界は僕らの営みからしか変える事が出来ないと痛感しました。確かに潰れたお店も沢山ありましたが、先人たちは調整という形で乗り越えて来ました。それでも幾つもの素晴らしい夜を作って来ていると思います。本来であれば風営法の事は、しかるべき場所で十分な時間と準備をして原因から話し合って行かなくてはいけないのではないでしょうか。新風営法の改正の直接的原因となった1982年の犠牲者が出た事件と、最近の一連のクラブの締め付け(京都、大阪など)の発端とみられている大阪のクラブでの死亡事故に、大義名分のため、触れないようにして進めて行く運動には賛同出来ないし、そこまで調べて考えてから署名をしているのかという点についても疑問に感じます。
— では最後の質問になりますが、今後DJはどういう存在になっていくとお考えですか?
DJ EMMA:うーん…正直に言えば、僕にも分からないです。憧れの対象であって欲しいと思う反面、今の“DJに対する憧れ”は何かが違うように思うんです。今のDJという職業のとらえられ方って、少し悲しい結末ですよね。でも、それは僕個人では止めることが出来ないから。自分の周りの人間であれば、「違うだろ」って言えるんですが、そんなに誰とでも仲が良い訳ではないので…
一同笑
DJ EMMA:こんなことばっかり言ってると、クラブから仕事が来なくなっちゃいそうですけどね。
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