河出文庫さんのツイート: “編集担当がいちばん力を入れたところです。 RT @kosyodoris 河出文庫版「オーメン」の定価は¥666(税別) http://t.co/GhqWkeN8N6”

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30年越しの近現代史を学び直してみる
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読了 新潮文庫の100冊をきっかけに手にとった。小説以外も読んでみたいという気持ちで。 結論から言うと、かなり難しかった。中高生への講義を書き起こしたものと知っていたが、最後は流し読みになった。30年前の自分が授業で習ったはずの近現代史が、こんなに手強いとは思っていなかった。 学生のころ、近現代史はなんとなくうやむやに次の項目へ進んでいく授業だった。日本人だからか、都合の悪いことはぼかされていたように思う。あのうやむやが何だったのか、この本を読んでようやく輪郭が見えてきた気がする。 一番残っているのは「帝国主義の正義」という概念。力で奪うことが文明普及の手段として国際的に正当化されていた時代——今の感覚では異常も異常なのだが、当時はそれが世界各国の共通ルールとして機能していた。日本もそのゲームに参加しようとした側だった。悪い指導者がいたから狂気に駆られたから、という単純な話ではない。当時の論理の中で合理的に動いていた人たちが、それでも破滅的な結末に向かっていった。 誰にも正義があった。印象操作もあった。善悪の基準は時代と文脈に埋め込まれている。 30年越しでようやく持てた、自分の問いとして。
『TIME OFF』読了。
余暇の重要性は理解できる。アイデアも創造性も、休息があってこそ生まれる。筆者の主張には素直に頷ける部分が多い。だが読み進めるうちに「分かっちゃいるけど、それができりゃ苦労しない」というスタンスから抜け出せなかった。
実践の入口は「環境を変える決断」であり、そこには相当なコストがかかる。タイムオフを生み出すために環境を変える、しかしそのエネルギーを生み出すためにタイムオフが必要——気づけば鶏と卵の話になっている。本は背中を押してくれるが、足場は自分で作るしかない。その現実と向き合わせてくれる一冊。
遠藤周作『沈黙』読了。
先日の里帰りで、母が長崎のキリシタンだったと聞いた。今はもう特にそういう縛りはないらしいけど、そんな話のきっかけになればと思って手に取った一冊。
長崎育ちのせいか、キリスト教徒というのは自分にとって違和感のない存在だ。でも、イスラム教や他の宗教を見るときは、どこか斜に構えてしまうことがある。あの「自分には馴染みのない信仰」への微妙な距離感——この小説の中で迫害される人々を見ながら、ふとそれに気づいた。自分も似たようなことをしているんじゃないか、と。
ヨーロッパから日本まで船で来るという、その行為だけでもう相当なことだ。中継地があるとはいえ、命がけに近い。その覚悟の上でやって来た司祭が「もし神がいないとしたら」と内側で揺れるシーン、信仰を支えにしてきた人間がその支えを疑い始める瞬間の、あの絶望の重さが伝わってきた。
キチジローについては、「やっぱり裏切り者だった」という気持ちと、「でもこの人が一番普通なんじゃないか」という気持ちが同時にある。何度踏み絵を踏んでも、また戻ってくる。弱くて、情けなくて、でもそれが人間の等身大じゃないかと思う。強く美しい信仰より、キチジローの弱さのほうがずっとリアルだった。
信仰心だけで様々な苦しみを耐えられるのか、という問いは、読みながらずっと引っかかっていた。他者を傷つけるためでもなく、ただ自分が信じているというだけで、これだけの苦しみを受け入れられるのか。自分には正直、自信がない。
対照的に印象に残ったのが、自ら名乗り出たとされる神父だ。信仰心と尊厳から、逃げも隠れもしなかった。その姿勢は確かに一貫していた。でも結果として、周囲の信者を巻き込むことになった。隠れていた人たちが隠れにくくなった。——これって、「自分が気持ちよくなるための行動」だったんじゃないかと思ってしまう。正しさを貫くことで、自分の尊厳は守られた。でも周りが幸せになったかというと、そうではなかった。
行動には責任が伴う。信仰の話をしているようで、これはもっと普遍的な話だと感じた。
神は沈黙していた。でもこの小説が問いかけているのは、神の不在よりも、「それでも人間はどう生きるか」なんだと思う。答えは出ない。出ないまま終わる。でも、その問いの重さが、読後もしばらく残っている。
『コンビニ人間』を読んで考えたこと
人のオリジナルとは何だろう。誰かの真似をミックスして、また変化していく——そう考えると、「普通」もまた多くの人の模倣が積み重なって作られた正解もどきに過ぎない。
私生活や学校のような世界では、異物とみなされても踏みとどまることはできる。だが会社を中心とした資本主義の世界では、異物は強制的に排除される。恵子はその最たる例だ。ただ、アリのような組織では排除してもまた同じ割合で異物が生まれるという。強制排除はその場しのぎに過ぎないかもしれない。もっとも、排除される個人を主語にすれば、そうも言っていられないのだが。
印象的だったのは見下す人の顔を観察する恵子の眼差し。自分ならまず逃げたいと思う場面で、彼女は感情でなく観察で処理している。差別する人間への分析も鋭く、自分の意見というより周囲に染められた人ほど他者の目に怯えているという指摘には、妙に納得した。
学生の頃は正解のある世界を生きていた。大人になるとは、正解も不正解もない世界へ踏み出すことだ。それなのに社会は「普通」という名の正解を手放さない。その矛盾の中で、一番自分の頭で考えていたのは恵子だったのかもしれない。
『コンビニ人間』を読んで考えたこと
人のオリジナルとは何だろう。誰かの真似をミックスして、また変化していく——そう考えると、「普通」もまた多くの人の模倣が積み重なって作られた正解もどきに過ぎない。
私生活や学校のような世界では、異物とみなされても踏みとどまることはできる。だが会社を中心とした資本主義の世界では、異物は強制的に排除される。恵子はその最たる例だ。ただ、アリのような組織では排除してもまた同じ割合で異物が生まれるという。強制排除はその場しのぎに過ぎないかもしれない。もっとも、排除される個人を主語にすれば、そうも言っていられないのだが。
印象的だったのは見下す人の顔を観察する恵子の眼差し。自分ならまず逃げたいと思う場面で、彼女は感情でなく観察で処理している。差別する人間への分析も鋭く、自分の意見というより周囲に染められた人ほど他者の目に怯えているという指摘には、妙に納得した。
学生の頃は正解のある世界を生きていた。大人になるとは、正解も不正解もない世界へ踏み出すことだ。それなのに社会は「普通」という名の正解を手放さない。その矛盾の中で、一番自分の頭で考えていたのは恵子だったのかもしれない。
『自省のすすめ』読了のつらつらとメモ
自省するとは、困難から目を逸らさずに考え抜くことである。
どうすれば良いのか。
問題を切り分けることからはじめる。
今目の前にある困難とは何か。
自分で対処できるものなのか。対処できないものについて、考えてもしょうがない。
自分がやるべき行動として、自分のためになる行いか(善)。ためにならない行いか(悪)を判断軸とする。
考え抜くために、タイパを重視してはならない。
例えば思いつくのはKindleなどの電子書籍やオーディブルなどの音声読書。これらは「コンテンツから情報を得る」と目的だけを削ぎ落とした結果だと考えている。
表紙や髪質やフォントや行間。作者が考えた文章以外の部分が消えている。伝えたかった内容の何割が残っているだろう。
例えばインターネットの情報。専門家でもない素人の知識や二次情報三次情報であふれている。さらに検索するときに拾うのは自分の考えのものばかりというバイアスも働いている。
考え抜くために文章に書き出すのも大きい。
まず言葉にすることで、考えていること思い浮かべたことを抽象化し、文章にすることで具体的に再構築している。
何かの助けを得ようとしすぎないで、1人で対話をしよう。
『海の見える理髪店』から家族を思う
表題作の「海の見える理髪店」
客が息子だと店主はいつ気づいたのか。つむじを見つめた瞬間だろうか。頭のかたちや生え癖は親子で似る。床屋という職業だからこそ、そこに「あ」と来たのではないか。 過去をたくさん語ったのは、残したかったからではなく、ただ話したかったからだと思う。その「ただ話したかった」に、会えなかった年月の重さがある。 読みながら、もう話せない父のことを思った。今、目の前にいる家族と、タイミングを待たずに話そうと思う。
『自分で考える勇気 カント哲学入門』
岩波ジュニア新書なのに難しかった。それが正直な第一印象。似たような言葉が多く、知らない意味で使われる言葉も多い。それでも読み切ったのは、話の随所に「今の自分」と重なる部分を見つけられたからかもしれない。 システムエンジニアとして仕様書を読み込む一方、現場の動作がわからないことに悩んでいる。カントがルソーの『エミール』に影響を受け、「知識より体験が先」という発想に目覚めた話は、耳が痛かった。 「感じることは受動的、考えることは能動的」という区別、そして誰も見ていなくても正しく行動できることが本当の道徳だという定言命法。「天知る地知る我ぞ知る」という言葉が浮かんだ。職場でも家庭でも、言われてやるのではなく自分で考えて動ける人間を育てることの難しさと重なった。 230年以上前に書かれた「常備軍は廃止すべき」「他国に武力干渉するな」という言葉が、今もそのまま問いとして生きている。哲学とは答えを出すものではなく、答えのない問いと付き合い続けることなのかもしれない。 難しかったけれど、読んで損はなかった。疲れた。
Reading Note: 『「みんな違ってみんないい」のか?』(山口裕之)
「人それぞれだよね」で会話が終わってしまう寂しさの正体が、少しわかった気がします。 それは多様性を認めているようでいて、実は議論の放棄であり、相手を切り捨てていること。 「これが絶対正しい!」と言い切るのも危険だけど、「何でもあり」もまた無責任。 大切なのは、今より少しでもマシな「正しさ」に向けて、みんなで言葉を尽くすことなんですね。 高校生・大学生にも向けられている内容なのでサクサク読めますが、読後の「もやもや」はしっかり。問いを残すとはこういうことか、と実感しています。
知的な筋肉痛を楽しむ
ジョン・ドット『自分を鍛える!』(渡部昇一訳)を読了。
Kindleで「知力の鍛え方」「24時間の使い方」というキーワードに惹かれて手に取ったが、予想以上に硬派でストイックな一冊だった。
エンジニアとして日々の業務に追われる中で、この「知的生活」への姿勢には、心地よい刺激と、現代とのギャップによる「しんどさ」の両面がある。
🧠 脳の使い惜しみをしない
「使うほど、追い込むほど成長する」というエール。
疲れたら休むのではなく「別の勉強をして脳を切り替える」という発想は、マルチタスクが常態化している現場において、ある種のライフハックとも取れる。低俗な娯楽に逃げず、知的な負荷をかけ続ける忍耐力が問われる。
📚 読書の作法を疑う
一番の気づきは「本を開く前に、まず表紙と向き合う」こと。
ジャケ買いしてすぐ中身に飛びついていた自分にはなかった視点だ。さらに、読書時間の1/4を振り返りに充てろという。
タイパや速読、効率的な情報収集がもてはやされる今、一つの対象にここまで入念に向き合う泥臭さは、逆に新鮮に映る。
🚶 理想と現実のギャップ
「散歩は友達と行くのがベスト」と言われても、身近にそんな相手はいないし、不要な社交を切り捨てろと言われれば、自分の振る舞いにがんじがらめになる感覚もある。
ただ、「会話だけの人間は危うい、本を信じろ、でも本も疑え」というバランス感覚は、情報の正誤を見極める今の仕事にも通じるものがある。
「自分を鍛える」とは、慣れ親しんだ効率を一度捨てて、一冊の本、一人の著者と真正面から対峙することなのかもしれない。
『ユダヤ人の歴史』の第一章 古代−−王国とディアスポラ
『ユダヤ人の歴史』の第一章を読んで
ユダヤ人っていうくくりはユダヤ人の母から生まれるか、ユダヤ教に改宗するかの二択の呼び名らしい。(俗に言う民族とは違う)
かつてバビロン捕囚(紀元前550年前後)が行われて以降人々は散り散りに暮らしていて神殿の代替であるシナゴーグを各地に立てて律法に従って社会生活を営んでいるのがユダヤ教の基本形態になったという。
ここまで読んで、中央集権型ネットワークのtwitterやめていった人たちがmastodonのインスタンスに入っていく分散型ネットワークにいきつく今の自分たちと似ているな、と思った。
Reading Note: 早朝始発の殺風景(青崎有吾)
集英社文庫「ナツイチ2025」より。 日常に転がっている何気ない言動から、隠された真実を編み出す連作短編集。
構成: 基本的に2人〜3人の会話劇。ミニマルな舞台設定ゆえに、非常に読みやすく、言葉の細部に集中できる。
練習: 「こうじゃないかな?」と裏を読み、「ちょっとおかしい」という違和感を大切にすること。
印象: 『メロンソーダ・ファクトリー』における音の対比。不協和音のチャイムから、最後は木槌の代わりにテーブルを叩く小気味よい着地まで。
最近このミス対象だった『謎の香りはパン屋から』と似ているかな、とか。 残念な違和感としては、「始発」という言葉は車両運用上の折返し後に使う言葉(↔終点・終着)であって、よく使われている一日の最初の電車のことは「初電」(↔終電)というんだけど、これは業界用語なのかな?
『限界はあなたの頭の中にしかない』読書記録
1. 手に取った背景
Kindleで自己啓発本を探索中、「限界」という言葉に目が留まった。「自分では限界を決めているつもりはないが、一体何が自分を縛っているのか?」という問いが、本書を読み始めるトリガーとなった。
2. 読後の率直な感想
本書は終始、著者のジェイ・エイブラハムが直接語りかけてくるような文体で、非常に没入感があった。一方で、一部「日本人とは〜」といった主語の大きな表現には違和感を覚える場面もあったが、それを差し引いても得られる戦略的示唆は大きかった。
3. 「自分ごと」への昇華:常駐SEとしての顧客定義
最も大きな気づきは、本書が提唱する「顧客数」の概念だ。当初、エンドユーザーと直接接点のない常駐SEの自分には、顧客数を増やすという戦略は無関係に思えた。 しかし、「顧客=自分の価値を認めるキーマン(部長、リーダー、プロパー社員など)」と定義し直すことで、視界が一気に開けた。「次もあなたにお願いしたい」と言わせる相手を何人作れるか。これはまさに、将来経営者として「無形資産(人脈と信頼)」を築くためのシミュレーションそのものだ。
4. 今後の実践事項(アクションプラン)
経営者・管理者へのステップアップに向け、以下の2点を日課とする。
知の拡張: 毎日誰かと対話し、未知の領域を学ぶ。自分という「商品」の幅を広げる投資を怠らない。
思考の深化: 毎日最低2件、あえて深く考えたことがなかった事象を熟考する。表面的な作業で終わらせず、「なぜ?」「どうすれば仕組み化できるか?」という経営者特有の思考回路を鍛える。
5. 総括
本書を通じて再認識したのは、**「目標の保持」「傾聴」「熟考」**という、極めてシンプルだが強力なビジネスの真理だ。技術スキルに安住せず、顧客(キーマン)のビジネスを成功させるアドバイザーとしてのスタンスを貫くことが、今の自分にとっての「限界」を打ち破る鍵になると確信した。
『常設展示室』読書録:人生という名のギャラリーを歩く
新宿紀伊國屋書店で、ふらっと吸い寄せられるように手に取った一冊。ずっと「読みたい本リスト」に入っていたこと、そして信頼の原田マハ作品であること。帯に記された上白石萌音さんの言葉に背中を押され、私はその「展示室」の扉を叩いた。
ひとつひとつの人生に寄り添う、切なくも温かな短編集
本作は、実在する名画をモチーフにした短編集だ。一編ごとに異なる主人公がいて、それぞれの人生のドラマが丁寧に描かれている。全体を通して漂うのは、どこか切なく、胸を締め付けられるような情緒。しかし、読み終えた後には一筋の光が差し込むような、そんな読後感に包まれた。
「常設」という言葉の深淵に触れて
読み進めるうちに、「常設展示」という言葉の意味が自分の中で形を変えていった。 華やかな「企画展」の影で、いつもそこにある「常設展」。それは、普段は意識の向かない「当たり前の存在」かもしれない。しかし、それは人間に置き換えれば、その人の揺るぎない**「本質」**そのものではないだろうか。
企画展が非日常の旅だとするならば、常設展は「帰る場所」。アートも人も、迷い、傷ついたとき、最終的に戻ってくるのは、変わらずそこに在り続ける「常設」の場所なのだと気づかされた。
読後に残った「問い」と、自らへの不甲斐なさ
一方で、いくつかの引っ掛かりも残った。 物語の主人公の多くが40代女性に設定されている点だ。個人的には、男性が主人公の物語も読んでみたかったという思いがある。
そして何より、自分自身の鑑賞眼への悔しさが募る。「なぜこの名画に、この物語をぶつけたのか」という作者の意図を、自分なりに解釈しきれなかった。絵画と物語の幸福な結婚、その本質を掴みきれない自分の力量不足を突きつけられたような、もどかしい感覚が残っている。
しかし、その「わからなさ」こそが、次なる一冊、次なる名画へと私を向かわせる原動力になるのかもしれない。
「常設」の場所を大切にできる人間でありたい。
『高慢と偏見(下)』再読了
最高ですね。
上巻に比べはるかにページを捲る手が早くなりました。物語が楽しすぎて。キャラクターが生き生きしすぎて。金持ちで高貴な家庭の自己肯定感高い人が、周りからちやほやされ慣れているところにガツンと言ってくれる人が現れて成長する。
普通の家庭の子がプライド高く、意志も固く好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとはっきり物言う。でも実は誤解があってその誤りを認めることで成長する。
第一印象はとても大事。でも積み重ねた行動が最後に信頼を勝ち取るものなのですね。
今年目標にしていた「本を50冊読む」は達成していたようです。 2025年は58冊読了していたみたい。 今年やりたかった「活字への慣れ」や「読書時間を作る」はだいぶできるようになった。 ただ、冊数をこなしているからといってそれが身についたかといわれたら疑問。 一番は"再読が苦手"っていう問題。 来年の目標は「新書を月1冊」「家の小説を再読する」の二本立てにしようと思う。