砂漠の街
シンドゥラ暦三二八年 五月一日
シンドゥラ暦はパルスよりも一年早い為、パルス暦で言えば三二七年となる。
シンドゥラの年を数え始めてもうすぐ一年。それは、この周辺諸国で唯一王を有するシンドゥラに渡りついてから、一年ということになる。
パルスとは景色も気候も何もかも違うこの地は、どこまで見眺めても乾いた砂の色が広がっているが、街に出れば人は行き交い、色鮮やかな果物が露店に並び、笑い合う者が居れば、口論している者もおり、とても賑わっている。
その姿は過去、この地に初めて訪れた頃と変わりないが、変わるとすれば、その中に以前よりもパルス人が見受けられる事だ。
流浪の楽士と言えど、それはパルス国内の中での話で、こうも長い事パルスの地を離れた事は無かった。
この熱帯地域ならではの熱さは、一年程ではまだ肌に慣れず、燦々と降り注ぐ太陽の熱を遮るため、昼間出歩くたびに袖の長く風通しの良い麻の素材の羽織を着込むが、やはりにわかに額には汗の玉を滲ませる。
シンドゥラの街の中心を抜けて程なくすると、道々に出歩く人の姿は減り、パルス人の居住と自治が認められる、パルスタン地区となる。そこには一面芸香(ヘンルーダ)園が広がっている。
キシュワードの妻、ナスリーンが代表を務め、ファランギースがその補佐をするこの地区では、初めの頃はほぼ女子供が人口の大半を占めていたが、この一年でギランからの船でシンドゥラに渡ってくる者が少しずつだが増えつつあった。
この時、シンドゥラ王ラジェンドラにチュルク国への親征の件で呼び出され、王宮に赴いた帰りであったが、それについて真っ直ぐ自治府に報告に行くわけでもなく、手近にあった木の陰に入り、幹にもたれ掛かるようにして腰をおろした。
ラジェンドラと謁見する際には、常に妻であるサリーマが横に据えており、何かとパルスタンに良き方向に取り計ってくれた。
それが友好の国としてなのか、それとも過去ジャスワントが仕えていた家の娘であった、という事からの配慮であるかは定かでは無い。
シンドゥラ国一の美女と噂されるサリーマについて、以前までのギーヴであれば一目見た時から、夫王であるラジェンドラを差し置いて、賛美の雨を降らせていたに違いないが、こと特段興味も示さずにいるのは、“あの日”から、いくら煌びやかな花の色もこのシンドゥラの大地と変わらぬ色に写るようになったのだ。
(…一年とはこうも、ノロマな奴だったかな)
木陰の中にあっては直接太陽に晒されないものの、たまに流れる温く乾いた風を不愉快に感じ、溜息こそ付かないもののゆったりとした動作で頰に垂れる髪をかきあげる。
周りに女性こそ居れば、その一見優雅な姿に矯声が上がるところではあるが、この時周りに居たのは何処から来たのか、一人で立ち尽くしてこちらの様子を伺っているアイヤールのみであった。
「ギーヴ卿!」
すると後方から聞き慣れた声が名を呼んだが、誰のものかは分かりきって居た為、用があればそちらから来るであろうと特に振り返るわけでも無く聞き流した。
声の主は足早に横を駆けていくと、先程からあどけない表情でこちらを伺って居たアイヤールの小さな手を取り、濃い影が地に伸ばすところまで戻ってきた。
「こまかいの(オフルール)が目を離した隙に姿が見えなくなったようで、皆で探していたんですが…ギーヴ卿が見ていて下さったんですね」
「見てはいない。そいつが勝手に俺の視界の端に入ってきただけだ」
それと…と前置きをしつつ、漸く顔ごと目の前に佇むまだ若い青年に視線を向ける。
「卿…はやめろと言っただろ?エラム。俺はこの国ではなんの地位も持たん、ただ一介の楽士さ」
と、肩をすくめて見せると、今時分己の口から出た言葉を振り返ったように、あっ…と言う声を漏らし、エラムは申し訳なさげに軽く頭を下げた。
「つい、癖で…それより王宮からの帰りですよね?ギーヴ様にのみお任せして申し訳ありませんでした」
「そう思うのなら次はお前一人で行ってくれよ。シンドゥラの色男も女の尻に敷かれたとあっては、ただの首輪に繋がれた猿同然だな」
瞬間その様子を想像したエラムは、あまりに滑稽なラジェンドラの姿に思わず笑い声を漏らすと、手を繋がれていた小さな勇者にもそれが伝染したようにエラムの楽しげな表情を見ては満面の笑みを浮かべた。
言い終えると同時にその場から腰を上げていた楽士は、踵を返し既にその場を立ち去ろうというところだったので、慌てたエラムが更なる一言をその去り行く背中に投げた。
「明日の式典にはいらっしゃいますよね…!」
了承の意か、それとも好きにしてくれというものかは分からなかったが、返ってきたのは肩越しに手を振る姿のみであった。
明日はパルス暦三二七年五月二日。
数百年振りに英雄王カイ・ホスローの宝剣ルクナバードがその刃を白く禍々しい血で染めた日。
それは、蛇王ザッハークを討ち倒し、そしてーー・・・解放王アルスラーンが逝去した日であった。













