江畑さんは、本来ならば、「軍事評論家」というよりは、日本の然るべき大学で軍事・安全保障を講ずべき方だったように思う。その場を江畑さんにきちん提供できなかったのは、日本における「知の世界」の貧困を象徴しているのではないか。
追悼 江畑謙介さん: 雪斎の随想録 (via kuwataro) (via ninjatottori) (via jinon)
戦争は学べば豊饒な領域ですよ。私は以下のような書物で友人と勉強しました。「日本では、軍事評論というのは、余りにも政治的なバイアスが掛ったものであるか、オタク的な趣味の反映であるか、あるいは「自分の経験」に依って語られるものであるかの何れかであることが多い。」というのは我々も認識していたので、できるかぎり戦争にまつわる個々のガジェットに対するフェティシズムは離れ、大局的・俯瞰的に知識を得ることを目論みました。
戦争を例にとって経済学を学ぶとも言えるし、戦争の経済学的側面を活写する本とも言える。私がここから読みとったことを簡単に言うと、資本主義を奉じる民主政国家間での戦争すなわち強強度紛争は起きそうになく(経済の競争になる)、一国内での紛争(低強度紛争)も、民主政から遠い、賄賂などの横行する腐敗した統治構造で発生する経済格差(特に天然資源とインフラ)が原因であるということだ。
また自爆テロを担うのは教育を受けた高学歴・高所得階層である。専制主義国家で社会の変革を目指しても民主政のフェアなプロセスに訴えることができないために、ほとんど唯一残された手段として自爆テロに及ぶ。これは「テロの経済学」で詳述されていることだ。
要するに世界の安全保障のためには一国の歴史・文化にかかずらうことなく、専制国家に或る種暴力的に民主政をブッ込むこと、ということがわかった。
戦争の分野に限っては、日本人の書いた新書クラスの書籍は読むに耐えませんでした。例外的に「軍事学入門」と「安全保障学入門」の2冊は、防衛大学校の教官が纏めたテキストであって、コンパクトでかつ包括的な良い入門となるでしょう。
一点だけ取り出すとすれば、兵器戦略の進歩は戦略核兵器の登場、つまり大陸間弾道弾ICBMと潜水艦発射弾道弾SLBMによる相互確証破壊の枠組みの構築によって終焉を迎えたと言わざるを得ないようです。発射された弾道弾を止めることは不可能でありまさに最終兵器であること、これ一点によって、米ソの両大国は遂に「仲良くケンカしな」状態を迎えました。冷戦によってこれも終了したわけですが、これと対比するかたちで、安価で十分な殺傷能力を持って増殖を続けるAK47というのはいわば究極兵器と言えるようです。
西欧を中心に、兵器の進歩と、それを活かす戦略の発達を追いかける2冊。特に後者は、高名な世界史学者が、自らの従軍経験も交えながら纏めた大著で、どちらか一方をと言えば後者が圧倒的に刺激的です。
偶像破壊的な筆致で、ある程度の戦史の知識を必要とするものの、過去の戦争において兵站がいかに重要であったかを知らしめた必読の名著。私見では「銀河英雄伝説」や「皇国の守護者」などのタネ本ではなかろうか。
近年存在感を増す民間軍事企業PMFともPMCとも呼ばれる組織を描く本のはしり。批判も出てきていて、James Jay Carafano, Private Sector, Public Wars 書評 - 雑読すんの書評コーナー「書海への旅 航海記録」では「少なくともイラク・アフガニスタンにおける民間軍事企業に関しては、事実に基づいた正確な分析や発言をできる立場にない」という。Carafano 2008は邦訳がまだ世に成されず手に取りにくいが「戦争請負会社」と併せて読むべきだろう。
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