18歳になって今年は走る意欲あるかな〜と思いながらいつもの広場へ。
目も見えないし耳も聞こえないからか慣れた匂いのするこの場所だけは伸び伸びしています(毎回震えてて道ゆく人に心配されるけど)
右目はかろうじて動く影は見えてるみたいなので、ちょっと斜め前あたりを先導してあげると駆け足になる。
急に何かにぶつかりそうな仕草を見せて止まる事もあるし茂みに突っ込んでいく事もある冒険家の彼。
震えてる割に外が好きで家の窓を開けやるといつのまにか外に出て凛々しく鼻を突き上げ匂いを嗅いでいる。(道路には出ないようにバリケードはあるよ)
そして春から夏に近づくにつれ暖かくなってくるとお日様にあたりながら外のクッションの上でぐっすり気持ちよさそうに眠る。
この一年でスロープも登れなくなったし、毛布を鼻先でめくって自分で潜る事もできなくなった。そのかわりに彼は「フーンフーン」と鳴き毛布をかけてもらう技を身に付けている。
股関節も硬くなり突っ張ったような歩き方とガニ股でカエルのように横になる事も増えた。
眠っていると息をしているかお腹の辺りをじっと見つめて確認するのが日課になった。掴みようのない予感がそこにあるんだよね。
時は戻って一昨年の夏。1時間も早く待ち合わせ場所に行ってしまった時に近くの書店で隙間時間に良さそうだとたまたま見つけた本が伊集院静さんのエッセイ集「それでも前へ進む」でした。
大学生の時に水難事故で弟を亡くし、奥さんが27歳という若さで亡くなり、人よりも離別の多い人生だと言いながら自身の死生観を綴っているエッセイもありました。
その中で、時間が癒してくれるなんてよく言ったもんで傷が癒えることは無い。ただ生きる術を身につけてしまっただけだ。という言葉があった
愛犬が高齢になるにつれて予感は現実味を帯びていくけれど、今この瞬間ストーブの前で眠っている彼はとても気持ちよさそうにしている。
人の死は残された者にとっての問題だと近しい人を亡くした時に思った事がある。
まだ目の前で生きてるのに考えるのは早いけれどふと考えてしまう瞬間があるんだよね。
そんなことをたまに考えながら生活していた今朝、栃木にいる祖母の妹がいよいよかもしれないという事で会いにいく母と叔母を空港まで送って行く道中こんな話をしてた。
「本当に辛かったらひろしさん(亡くなった旦那さん)のところにいくんだよ」と話していたという話を聞いて聞きようによっては受け取り方は色々あるけれど(私の母はなんか死ねって言ってるもんじゃんと受け取ったらしい)私は祖母の声掛けはすごいなと思ったの。
きっと祖母は妹に生きていて欲しいと思っている。でも妹が少しでも安心できるように大丈夫だからねと心を優しく寄せているように感じた。
その話を聞いて私も今は残される自分の心配をしていないで祖母のように相手に心を寄せて日々を過ごす事にピントを合わせていこう
ただ、先のことを考えるのをゼロにはできないからポートレイトのようにぼんやりさせておこうかなと思いました。
心配をよそに彼は毎日ご飯をモリモリ食べて元気にうんちをして散歩に行けば駆け足をして、ときどき冒険家にもなるのでとても元気です。