実体験。 体験とまではいけなくとも、ものづくりの現場を体感することが可能性を広げると感じます。

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実体験。 体験とまではいけなくとも、ものづくりの現場を体感することが可能性を広げると感じます。
だんじり。 SNSではないコミュニティーの魅力がたくさんつまっていました。
考える
大学時代の友達と、良質な思考時間に再現性を持たせるために、 「考える」を考えました。 お互い厳しく突っ込んだつもりです。一旦の着地点まで考えました。 考えるとは、 ⚫︎能動的に受け取る情報の解像度を上げる ⚫︎高い解像度で受け取った情報を細かい単位から組み合わせてシュミレートする ⚫︎シュミレート結果から問題点を見つけて、その箇所を組み替える ⚫︎上記の繰り返しの事。つまり頭の中で試行すること。センスと呼ばれるものも解像度と試行回数を上げれば補う事ができる。(理屈上) 【受け取る情報の解像度を上げる方法】 ⚫︎同一情報ソースで、解像度の組み合わせが異なる作品に触れる。 例)クラシック音楽・・・曲構成としては共通の内容でも、指揮者や演者によって演奏内容が異なり、解釈(見過ごしてた解像度)の発見につながる ⚫︎解釈を共有して、像(=解像度の組合せ・着目点)の捉え方を増やす。 ⚫︎自分で設定した目的だけで環境に居座らない。目的を増やす。 【発見】 解りにくい事・伝わらない魅力を他人に納得させるという事は、解像度お落として(荒いグリットに情報を置き換えて)伝え直し、 そこから一緒に段階を踏んで、細かい解像度に上げていくこと なのではないか。 様々な立場・経験の人から評価されるような優れた作品に共通している。 アトリエ系建築事務所人間と、財閥系不動産人間の 愉快な飲み会でした。
直喩と隠喩。 日本人の感覚ではあまり見ない直喩のデザイン
BAG。 紛れもなく大切なもの入れて運ぶBAGなのだ。
枠組みの時代
昨日の巨人対DNA戦、 ランナー1塁2塁で代打高橋由伸 →見逃し三振(ピッチャー素晴らしかった) 同点最終回、ランナー1塁で代走鈴木 →余裕の盗塁で2塁へ、ワイルドピッチで3塁へ、内野ゴロの間に、ホームへ。巨人勝利。 野球のネオポストモダン(適当)を垣間見ました。 さて次はサッカー。 【太っちょ野郎の”クリロナより凄い”フリーキックが話題】 matome.naver.jp/m/odai/2142837614926244401 サッカーは野球に比べて個人が活きにくいルールのように思います。 ルールが変わる前提は退屈ですが、 「キミは◯◯だからダメね」「そうね」で終わるようでは 新しい面白さが生まれたり時代がひっくり返る事は無いんじゃないでしょうか。その状況は衰退を生み易いと思います。
草木染め。 機能的役割の背景がその魅力を強調する。 @
民族性(Hey Brother)
今週末は福井県へ。 福井県といえば先日、北陸勢初の甲子園優勝を果たした訳ですが、福井ではそんなに盛り上がっていなかったとのこと。 理由は、メンバーにほとんど福井出身の人がいなかったから。地方の高校で良くある事です。
学校は名前を売る(生徒を増やす)ために必要な努力ですが、地域の人にとってはそんなビジネス関係無い話。むしろマイナスの出来事だった様です。教育が孕む本質的なパラドクスに繋がる訳です。
しかし、 出身が福井で、生まれた時からを知る人が出てこないと退屈なものでしょうか。違うと思います。 縁あって活躍の場に福井を選んで、そこから結果を出すに至るというのは、福井で育った私達が応援する十分な理由だと思います。 逆に、私は大学6年間だけ金沢にいて金沢に縁を感じています。それで十分だと思ってもらいたい。 大袈裟に言えば国だって、日本人じゃない人が日本のために尽力してくれるなら仲間だし応援すべき。
小さなこだわりは捨てて、自分の居場所を見つけた人の人生は素敵だと思うのです。
寿命
収入を得る方法で命の使い方が大きく偏ると思う。
“時間”がベースで給料が決まっている人(単純に時給だったり、基本給+残業代など)にとって、働く事とは命を削る事と言える。
反対に命を膨らますような事が起きると思う。 身につけた技術によって作品をつくる人とか、 実は資産を運用してる人もそうだと思う。
私は、本来なら授業料が発生するレベルの学習中の分野で、“時間”でお金をもらう荒技。 叶えられるなら、若いうちは潜り込めたら得だと思う。
寿命を使って学んで・蓄えて、時間を超えた概念に投資するつもり。 (立場を築いて単なる時間の勝負から脱する人もいるけど、それは私には無理かな。)
ジャクソンポロック。ニューヨークにおける近代美術の代表画家。後期は世の中の期待と自身の新たな試みに葛藤し、アルコール依存性になったそう。最後は44歳で事故死という短い生涯でした。画家も作品が世の中に受け入れられるかどうか、常に命懸けなんだ。そう思うと評価はどうあれ作品に生命力を感じるよね。っていう話を先週聞いて背筋がピンとなった。
先日、ついに北陸新幹線が開通しました。これにより東京〜金沢間がぐっと近くなります。これは旧国鉄の『ディスカバー・ジャパン』キャンペーン時に金沢にある俵屋の前で撮られたポスター。今見ても古さを感じないデザイン。女性の社会進出、有名観光資源とは違う新たな角度から見た魅力の再発見。集団から個へ意識が変わりつつあった70年代を反映したデザインだと思います。
次を考えることが大事。
自分の未来に漠然と不安なだけでは駄目で、自分の番はもう来てると思った方が良い。 一度向こう側に行くと、自分がどうなってるかも見えなくなってしまうんだ。
模倣。 模倣の失敗から生まれた形式と聞きました。 模倣と聞くと少しネガティブなイメージを抱きがちですが、未来への大切なステップなのだと思っています。
教養 を切り取る 遊び
つづき
「ハイカルチャーは“理論や形式(=教養)”が土台となるもの」 「サブカルチャーは感情・感覚が土台となるもの」
この整理から浮かぶ中で1番グッと来た文化、それは、 そう「ヒップホップ」
全てがそうでは無いし、かなり強引に省略した説明になりますが、 ヒップホップは他の音楽と違って[演奏]をしないのです。 しかし高貴な楽器の音色や和音が曲の中で使われる。(ハイカルチャーとしての作品を“サンプリング”し、組み合わせて別のものを作っている) 言わばハイカルチャーの再構築がサブカルチャーの視点でされている。(勿論サブカルチャーをサンプリングする事も多々)
ヒップホップの中でも当然良し悪しはありますが、ヒップホップの行為自体が、これまでに無かった文化的出来事を生んだ という事です。
移動が生む時間、時間が生む人間
本日は熱海に向かってます。
移動中というのは自分が気になっていてそのままにしていた事がふと、よぎったりするものです。そして自分なりに掘り下げられる時間もある。 毎日の都会のサラリーマンに欠けている出来事のように思います。
さて、 今は、ハイカルチャーとサブカルチャーの違いについて、考えていました。私が持つこの辺の知識はWikipedia程度、経験からの推測が大半。 (Wikipediaの内容の議論はさて置き。)
落ち着いた整理は、 「ハイカルチャーは“理論や形式(=教養)”が土台となるもの」 「サブカルチャーは感情・感覚が土台となるもの」 そこに歴史的繋がりが絡んでハイカルチャーだったものがサブカルチャーになったりしてややこしくしているだけであって、それだけの事ではないかと。 これは個人的な整理なので、色々な事を当てはめた時の異論を伺いたい。
この考え方だと私は大体の事が腑に落ちると同時に、何より サブカルチャーの中で特に魅力的に感じるものが出てきました。それが今の移動時間の一番の収穫。
考えが正しいか否か も当然大事ですが、「1つの出来事に対して、感じ取れる魅力を増やせる解釈力を持てるか」は人間性を深める重要な要素だと思っているのです。
つづく (枝葉の話を主役にする回なのであった。)
DEAN & DELUCA-ブランディングについて
今回は、輸入食品や加工食品を取り扱うグローサリーストア、【DEAN&DELUCA】について。
『1977年9月にジョエル・ディーンとジョルジオ・デ・ルーカによってニューヨーク市で開業した。2人が世界各国を旅して発見した多彩な食材を取扱い、その後「セレブ御用達」の高級食材店兼デリカテッセンとして人気が出ることとなる。」 Wkipediaより引用
▲これがDEAN&DELUCA一号店
日本に入ってきたのは2002年。目にも鮮やかな食材と美しいディスプレイが特徴であり、以来「食のセレクトショップ」として独特のポジションを獲得している。
ブランディングについて、いろいろと着目すべき点はあるが、私が特におもしろいと感じるのは、すべての判断基準が「DEAN&DELUCAらしいかどうか」という非常に曖昧なものであること。代表の横川正紀氏はブランドとは「人格」であると定義しており、「DEAN&DELUCA」という食いしん坊な人格がどう考えるか、ということが最大の判断基準となっている。これはすなわち、各スタッフのこだわりや思想が色濃く反映されるということであり、「自分がブランドを育てている」という意識を強く作り出すことができる非常に良い考え方である。(もちろん、判断基準が曖昧なため、毎回の判断がぶれやすいという弱点もある)
ブランドにおいて、何をもって判断するのかというのは大きな問題であり、その難しい問題に対して、非常に親しみやすい回答を出した例として個人的に好きな事例の1つである。
参考文献:『ブランドのそだてかた』日経BP社,2012,中川淳・西澤明洋共著