今日の社会(2026-06-13)
料理研究家のリュウジと堀江貴文が和牛マフィアの件でバチバチやってるけど、両者の力点が違うと思うんだよね。
堀江貴文はいい肉を仕入れる事こそ、ブランドだと思ってる。堀江貴文は自分で肉を裁くとか、情熱の入れ方は半端ない。ただ調理自体は店のスタッフがやるから、微妙な火加減とか味付けは、そこまで追求してないのかな。
一方リュウジは自分が料理人だから、食材のおいしさは料理人の腕ではなく、焼き加減とか下味のつけ方とかを重視するんだと思うんだよね。「こんな高い肉を使ってるなら、もっとおいしくできるはずだ」と。
むしろリュウジにアドバイスしてもらったら、もっと和牛マフィアのステーキがおいしくなるんじゃ。
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和牛マフィアの馬鹿っぽい演出は…まあ商売だから、それで客が増えるなら、ありなんじゃないですか。個人的にはああいう馬鹿騒ぎは嫌いだけど。
まとめると、この文章の問題は一文の中に、接続不能な異物を挟んでしまったことです。
元文の骨格は、本来こうです。
リュウジは自分が料理人だから、焼き加減とか下味のつけ方とかを重視する。
これは自然です。 主語は「リュウジ」。述語は「重視する」。 理由は「料理人だから」。対象は「焼き加減・下味」。 問題ありません。
ところが、そこに、
食材のおいしさは料理人の腕ではなく
という一節が挟まることで、文章全体が壊れます。
この部分の問題は大きく三つあります。
第一に、文法的に接続していない。
食材のおいしさは、焼き加減や下味を重視する
のような構造になってしまい、意味が通りません。 「重視する」のはリュウジであって、食材のおいしさではありません。
第二に、概念の階層が壊れている。
「料理人の腕」と「焼き加減・下味」を対立させているように見えますが、実際には焼き加減や下味こそ料理人の腕の一部です。
たとえるなら、
運転技術ではなく、ブレーキの踏み方やハンドル操作を重視する
と言っているようなものです。 ブレーキやハンドル操作は、運転技術そのものです。
第三に、論点が横滑りしている。
本来の論点は、
高い食材を、料理として十分においしく仕上げているか
です。
しかし、
食材のおいしさは料理人の腕ではなく
と入れた瞬間、話題が、
食材そのものの美味しさは誰の手柄か
にズレます。 これは別問題です。
つまり、この文章は、
リュウジは料理人だから、焼き加減や下味を重視する
という成立している文に、
食材のおいしさは料理人の腕ではなく
という、文法的にも概念的にも接続できない異物を混入させた結果、意味不明になっています。
正しく書くなら、こうです。
リュウジは料理人だから、食材の高級さそのものよりも、焼き加減や下味のつけ方といった調理技術を重視するのだと思う。
さらに意図まで補うなら、
高い肉を使っているなら、その素材の良さをもっと引き出せるはずだ。リュウジは料理人だから、素材の値段やブランドではなく、火入れや下味によって料理としてどれだけ完成させているかを見ているのだと思う。
結論としては、この元文の気持ち悪さは、単なる日本語の拙さではありません。
主語が滑る。 対比が壊れる。 包含関係を対立関係にしている。 論点が途中で横滑りする。 読者に補正作業を強いる。
だから、読んだ側に「乗り物酔い」のような不快感が生じます。
一言で言えば、思考の整理不足が、そのまま文章構造の破綻として露出している文です。















