こんにちは。最近人文科学に対する興味が本業のそれよりも、もしかしたら強いのではないかと思いはじめた理系の学生です。こんな体たらくですがなまじ本だけは読むので、折角なら趣味の一環としてアウトプットしてみよう。できることなら何か役に立ちそうなトピックスを集めて。そう思い立ち、つらつらとしたためています。どうぞよしなに。
今回のお話は「ことばとイメージ -記号学への旅立ち-」 川本茂雄著 岩波新書 からです。岩波新書のきいろいやつは面白いですねえ。岩波文庫なら青が好きです。どれも出来が良いので濫読にはもってこいです、おすすめです。
…話が逸れましたが、本書は「ことばとはなにか、を記号としての観点から考える」がテーマです。論理の展開のみならず、詩作や絵画、音楽にまで応用していますので読み応えバッチリです。ここではその序論、と言っても本の半分辺りまでについてお話をしたあとにまとめることにします。今日のお題は「記号学に見る、ことばを伝えるテクニック」です。
さて、本題です。サブタイトルの記号学という言葉に聞き覚えがない方が多いのではないでしょうか。文中から軽く紹介しますと、記号学は哲学者パースと言語学者ソシュールによって19世紀ごろ作られた学問です。両者は面識がなかったとされていますが、記号学という同一の概念に辿り着きました。記号学はsemioticsと書かれ、これはロックの著作の中でσημειωτικ‘η(セーメイオーティケー)として用いられました。
ロックは記号学を自然学(現在の物理学よりも広範な学問領域を有するようなもの、という解釈でよいようです)および倫理学に次ぐ第三の学問として位置づけました。また、記号として最も通常用いるものが言語(=λογος )であるため、ロジックと呼ぶのもふさわしいだろうともしています。こちらは論理学にあたりますね。記号学の位置づけをよく表していると思われる文章を引用しますので、解説はそれに任せることとしましょう。
”その仕事は物ごとを理解したり、物ごとの知識を他の人たちへ伝えたりするために、心が使う記号の本性を考察することである。
というのは、心が熟考する物ごとは、心自身を別としてどれも知性へ顕現しないから、知性の考察する物ごとの記号ないし表象として、他のあるものが知性へ顕現する必要がある。
また、一人の人間の思想を作る観念の場面は、他人が直接あらわに眺めることができないし、記憶するというすこぶる確かでない倉庫のほうに蓄えておくことができないから、私たちの思想を自分自身の用のために記録するだけでなく、互いに伝達しあうためにも、観念の記号は同じように必要である。人々が最も便利だと見いだしてきて、それゆえ一般に使う記号は文節音である。
そこで、知識の大きな道具としての観念と言葉の考察は、人知をその全範囲にわたって眺めようとする者の熟考の、軽視できない部分になる。”
単にコミュニケーションの道具としてではなく、事物に解釈を与え共有できる能力はすべての学問の基礎になる。故に重要である。そういう主張になっていますね。では続きです。生活の中にありふれるこの記号というやつ、一体何者なのでしょうか?
記号の定義:‘Aliquid stat pro aliquo’
これは記号を語る上でよく用いられる定義(らしい、ラテン語わからない)なのですが、Something stands for something ってことらしいです。stands forが特に厄介で、「表象する」と訳されます。聞いたことくらいはあるのではないでしょうか、「意志と表象としての世界」。あれです。(未読ですがこのいかめしいタイトルにその一端があるような気がします 今度読みます)
たらい回しのようになっていますが、この表象というものはある「刺激」に対して主体がその内に「認知」をすること、および記憶の中から再びその内に現れる「認識」を指します。心のなかにめばえるもの、とでも言えばよいのですかね。つまり、記号というものはこの表象の仲立ちをする役割があります。
ことばの他にも人間は様々な記号を用いますが、ここでは感覚的に用いている記号へのイメージに関してもう少しだけ補足を加えていきます。
ヒポクラテスというお医者様が、その昔のギリシャにおりました。彼の実践的な医学で特に重要な事柄は「ディアグノーシス」と「プログノーシス」になります。それぞれ「今起きていることから病気の原因を探る試み」と「病気の種類からこれからの経過を予測しようとする試み」にあたるわけですが、彼が判断に用いたものは身体に現れる「しるし」でした。例えば「ばち指」と呼ばれる特定の疾患が起こったときに、指の末端が腫れ上がる状態をヒポクラテス指なんて言ったりするそうですけど、両者には関連があるということを見とめました。しかしながら、これは記号とは呼ばず、徴候と呼びます。人為的にデザインされたものであることを、記号の定義上要求しています。あまり本筋ではないですが、まめちしきコーナーです。
さて話を戻しますと、記号の機能としての表象には段階があることを述べました。外的な要因に関して話を進めたほうが楽なのでそちらを採用すると、「刺激」から「認知」に至るまでには細かく見るとタイムラグがあり、それらを区別することにします。すると、いくつかのケース分けをすることができるかと思います。
まず、刺激を感知しても対象が何であるのかを判断できない記号。わからないというのは怖いものですから、肝試しをしているときになにか異変に気づいてしまったような状況を想像してください。これは先ほどの徴候にあたるものですが、言うなれば「刺激に対する本質的な感覚」とでもしましょうか。西田幾多郎の「善の研究」でいうところの純粋経験です。このような関係にあるとき、第一次性の関係にあると表現します。またその刺激を個体記号もしくはイコン的記号といいます。以後この表現を用いることとします。
次に刺激を感知し、対象を知覚することのできる記号。きっとおばけというものを知らなかったのでしょう。正体がなんだかはわからないけれど、異変の原因はあいつらだ!ということを知覚します。これを第二次性の関係とし、性質記号もしくはインデックス的記号といいます。
最後に刺激の感知、対象の知覚、その区別までできる記号。いわゆる「知っている」という状態です。一つ目小僧に提灯お化けに、あとはおばけのステレオタイプみたいな皆さんがぞろぞろと…とそんな具合に。これを第三次性の関係とし、法則記号もしくはシンボル的記号といいます。
もう少しだけ、別の例を使って説明します。イコン的記号の本質は写像性であり、例えば黙って柑橘類の写った写真を見せたとしましょう。相手にはそれがみかんなのか何なのか判断がつかないまでも、そういう果実であることがとりあえずわかります。
インデックス的記号の本質は隣接性です。もし相手が買い物に行くことを事前にこちらに伝えていて、その支度でもしている時に柑橘類の写った写真を見せたなら「ついでにこれ買ってきて」そういうメッセージとしてとることができるかと思います。
シンボル的記号の本質は象徴性です。相手はカレンダーをちらと見ました。そうです、今日は冬至でした。日本では冬至の日にゆず湯に入る慣習があるため、それのことを言っているのだろうということが伝わりました。めでたし。
本書ではこのあたりの説明がかなりシンプルな図で表現されていたため、しつこめに補足しておきました。これでイコン、インデックス、シンボルすべてが分かっていただけたかと思います。
通常ことばが記号として用いられる場合は、この第三次性までの機能を全て備えている必要があります。ですが、退行(degenerate)という手法を用いることも時に効果的です。あまりよい単語とは思っていただけないかもしれませんが、ようは「第三次性の記号を第二次性に落とす」ことがとられます。
これによりことばのみで伝えられる情報量は減ったとしても、その上位となる第三次性の関係を相手の中で表象させることができます。直接的でないが本質を捉えた表現が文学的であるとして胸を打つのは、この退行が用いられているためです。ものごとの輪郭をことばでなぞるような、そんなふうにするといいんじゃないでしょうか。
もう一つは言語における「正常」と「逸脱」になります。表象をあらわすものとして「心のなかにめばえるもの」と表現しましたが、これは正しい文章でしょうか。比較的どこかで聞いたことがあるようなフレーズであるためあまり違和感は覚えないかもしれませんが、心に空間があって、そこに植物がにょきっと出てくるところを見たことはありませんし、聞いたこともないですね。このように正しい(通常の語の結びつきとして一般に了解がされているとみなせるもの)表現から逸脱することも、ことばにはゆるされています。
逸脱表現の名手だと思っているのが川端康成で、雪国を読んだ時なども「おっ」と思わされました。つららがかわいいのです。
小さく美しいものを形容するのに可愛いという表現を使うのは誤用ではないためこれは逸脱とはやや異なりますが、そこでかわいいを使うのかぁと思いました。場面は陽が上った気持ちの良い朝。雪国の厳しい夜の寒さが和らいで、こどもらがその辺を遊び回るのどかな風景。当然氷柱などは当たり前のようにそこらじゅうの屋根からぶら下がっているわけですが、それがゆっくりと融かされて、徐々に小さくなっていく。ひとときの平穏を表すにはこれ以上の表現が見つからないです。
(ただ、逸脱には事前に取り決めがあるわけではないので、意図を相手が汲んでくれるかどうかは書き手と受け手の技量に委ねられることを申し添えておきます。)
1. ことばを記号としての側面から捉えることで
イコン的記号 インデックス的記号 シンボル的記号
のようにケース分けができる。
2. そうした性質を見とめつつも、応用として退行、逸脱を用いることでより効果的な表現を目指すことができる。
としたいと思います。また面白い本が見つかったら書いてみようと思います。それでは。