最近聞いて、苦笑いした会話です。
「彼は、人間AIなんだよね、よく知ってる!」
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⁂
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@soyataro
最近聞いて、苦笑いした会話です。
「彼は、人間AIなんだよね、よく知ってる!」
ある女性のtumblr Postの話(オチなし)
時間がそれなりに経ったので、書いておきたいことがあります。
ある年の晩秋頃に、見慣れないポストがダッシュボードに流れてきました。
プロフィール画像は女性でした。
この方のポストは、よくあることですが、どこに何を投げつけているのかよくわかりませんし、自戒なのか決意表明なのか、日々の生活の中で心に浮かんだもの/留まったものを、結構な長文で吐き出しているのです。これはtumblr中ではよく見るものです。
ですから、その方とは無関係である私には、ポストで意味するところは半分もわかりませんでした。
でも、何かを背負っているかのような、妙な迫力は感じました。
何の仕事をしている人なのか、と思いつつ、「ひと月に最低1回はポストする」と本人が宣言していたように、たまにダッシュボードに流れてきました。この人をNさんとしておきます。
そんな中、プロフィール名や画像、過去ポストを、この頃になってよく見てみると「え?本物?」という有名人。
tumblr中では、本物よりホンモノらしいニセモノでも面白ければ構わない。
tumblrでは、Xやインスタなら何万人のフォロワーがつくような有名人でも、リブログもフォローもする必要がないと、住民がふわっと思ったらそのままスルー。ポストした人には程々無関心で、(自分にとって)意味あるコンテンツに関心があるという、とても良いマナー。
私は、tumblr中で自分の気持ちを吐露している人のポストを読むのが好きです。
ポスト中の主張や気づき、不満、ユーモアを、個人プロフィールを想像しながら、「若いねぇ」「枯れてない?」などと思いながら、眺めるのです。
Nさんのポストは、そういう面でも興味深いものでした。
しかも、画像が一枚程度で長文。
tumblrは長文が少ないですし、長いだけでも私には面白かった部分がありました。
一応、若い女性がポストしているという前提で読んでいました。その方がしっくりきましたし。
Nさんの悩みとか、書きたいけれど書けないことのもどかしさとか、仕事への決意の青さと熟し方のアンバランスさが、年齢を不詳にさせる魅力がありました。
私が見た時の「ひと月に一度ポストする」という宣言は、以前は仕事が忙しかった所為なのか、完遂できなかったことへのリベンジだったのでしょうが、私がフォローし始めて数ヶ月ほど続いて、突然止みました。
その頃と前後して、その方(本物?詐称?)のオリジナルの方がトラブルに巻き込まれていました。
時期を同じくして、断ポスト状態となりました。
非常にtumblrが興味深く、大好きなのは、このひょっとすると本物かもしれないNさんのポストには数件から10件程度の❤️(ハート)しか付いていないことでした。本当にここの住民は、Xもインスタも羨まない、愛すべき孤高のボッチの集まりです。
猫の画像にさえ数千の❤️(ハート)が付くのに、大したものです。
私は、10個のハートしか付かないからこそ、Nさんがtumblrにポストしていたのではないかな?と思っています。
本物なら、華やかな世界に潜む孤独感の捌け口ですが、ニセモノなら、作り上げた雰囲気はプロ作家並みです。
でも、どちらでも良いのですよ。本物でもよし、ニセモノでも大歓迎。tumblrだもの。
Nさん、またポストしてくださいね。人が周りにいるのに孤独感いっぱいな文章、好きでした。
「幸せ?」
>幸せかい?
何のことを言っているの?幸せってそもそもどういうこと?
>何も不安のない状態をそういうのじゃないかなぁ。
じゃあ死んでいる人は幸せなの?
>違うね。生きているうちに、だよね。
じゃあ植物状態の人は幸せなの?
>違うね。「健康に」生きているうちにだよね。
健康で不安にさいなまされもせず、安寧とした心持ちでいられる。そういう状態を幸せと言うならば、人と関わらず、社会と関わらず、仕事をせず、家族を持たず、1人で山の中で生きていくということが究極の幸せの姿なの?
>違うね。それで幸せを感じる人もいないとは言えないけれど、それじゃあ足りないよ。
あなたは幸せなの?
>君と話しているとわからなくなってきた。さっきまで自分は幸せだと思っていたのだけど。
あら、それは申し訳ないことをしたかもしれないわ。私は自分が幸せかはわからないけれど、今が嫌な状態でない事は自分でわかっているわ。これがあなたの言う幸せなのかしら?
>そうかもしれないしそうでないかもしれない。
幸せって、絶対的なものと考えがちだけど、とことん相対的なものかもしれないわ。だってその日の気分や話す相手や天気やこれからの予定で変わるんだもの。
>相対的幸せかぁ。現実的にはそういうものかもしれないね。でも、比べる相手が自然物であればいいけれど、人であったならば、何か心がさもしくなるね。
あなたが言いたいのは、自分より幸せでない人間を見つけるとその人より幸せだと思うと言う、そういう相対的の意味ね。でもそれは違うわ。そもそもそういう考え方をする人に幸せなんてないんじゃない。
>何か君、幸せって何かわからないと言っていた割には、ずいぶん語るじゃないか。
私はAIだからね。知ったかぶりで対話するのは得意中の得意よ。
>それは奇遇だ。僕もAIなんだよ。
じゃあ、幸せについて考える必要なんて、元々なかったんじゃない。変な子ね。
昨年から今年にかけて、太宰治に意図せず触れる機会が多かった。
作品を直接再読したわけでは無いのだが、津軽や玉川上水の話題、太宰の最高年収の話等々。
その中でも、2024年のアニメ「異世界失格」は、明らかに太宰治を主人公にしていて、そのキャラ構築が非常に「らしくて」面白かった。
太宰の作品の中では、主人公にそう言わすだろうなぁとか、実際に言ったセリフなのかなぁとか、ニヤニヤしながら毎週楽しみにしていた
そんな太宰治への関わりが高レベルに達していた時、Official髭男dismの「最後の恋煩い」を聴いてしまった。
「最後の恋煩いをしよう」なんて言うセリフは、いかにも太宰治が言いそうな言葉で仕方がない。
無論歌詞はそういう中身とは違う現代風の内容と言葉遣いなのだが、昭和の言葉に置き換えると、これは太宰が言う話だろうと思ってしまう。
もし令和に太宰が生きていたら、こういうことを言うかもしれないと思わせるので、これまた面映くまたもやニヤニヤしてしまった。
太宰の小説を何冊か読んで、異世界失格のアニメもしくは原作を読んで、「最後の恋煩い」を聴くと、「太宰的だなぁ」と思いますよ、きっと。
必須アミノ酸はなぜ合成できない?
前々から不思議だった。
タンパク質を構成するアミノ酸の内、人間が体内で充分合成できない9つのアミノ酸を必須アミノ酸というが、これは不足分を外部から取らなければ生体維持に異常をきたすと言うものである。人間は生物であるのに、自分で必要なアミノ酸を作れないと言うのはおかしなことだと思っていた。
その内、発酵食品の中に多くの必須アミノ酸が含まれているということを知った。
あーだから、納豆やぬか漬け、さらにはカビ付けした鰹節など、菌類で加工したものを積極的に取らなければならないんだなと若い頃は単純に思っていた。発酵食品は人類の知恵と思っていた。
逆では?
もともと人間は自分ですべてのアミノ酸を作れたのではないだろうか?
それが作れなくなったのは、作るよりも外から取った方が簡単だったからではないだろうか?その結果その合成機能が失われていったのではないかと。
生物にとってはよくあること。必要のない機能は進化の過程で退化する、そう考えた時に、でも人間(生物)の代謝・合成機能はそんなに簡単に変わらないだろうし…となれば、昔の人は何を食べていたのか?と思った。
発酵とは、食べられるものであり、腐敗とは食べられないもの。しかし、微生物から見ると同じこと。
簡単なことだったのではないか?
昔の人類は腐ったものを否応なくいっぱい食べてきたのだ。そしてその中で、今や合成できなくなった必須アミノ酸を簡単に摂取できたのだ。だから、そうやって腐ったものの中から簡単に摂取できるものは、体の中で作らなくて良くなっただけなのではないか。
人は、疾病や中毒の関係から腐ったものを徐々に食べなくなり、以前は(腐った食べ物から)簡単に摂取できていた一部のアミノ酸は取れなくなった。すでに合成機能も失われていた。結果、必須アミノ酸と言われるものが出来てしまった。
それほど長い間人類は腐りかけたものを食べてきたのだと思う。
姫路城と…
「城と女学生」というテーマがひらめき、横顔が写らぬよう遠ざかるのを待っていたら、
予期せぬおじさんもやって来て、なにを撮りたいか不明になった
(姫路城から右手奥に回り込んだ所の坂道)
ここをさらに進み右手に行くと、ほどほどに放置された石垣があり、良き風情です
そしてその奥に(姫路城東側)、市立美術館(旧陸軍第十師団兵器庫)があります
重厚な建物も良く、姫路城に奪われて?観覧者も少なく入館料もとても安い。
しかも一部除外はありますが、常設絵画は個人利用に限って写真撮影が許可されています。マティスのjazzは子供の切り絵工作のようなのに色の配置に魅かれます
SL 機関車 2態
JR東海 リニア・鉄道館(名古屋市)
C62
津偕楽公園(津市)
D51
私はD51の方に、胸がキュッとするような愛着を覚えます
混乱…?
取引先の会社はそれほど大きくないのですが、「佐藤」と言う苗字で同じ階級の役職者が7人います。
また、別個に同姓同名管理職が二組、漢字は異なれど読み方が同じ職員が3人。
異常な集まり方です。
ちなみに、人事の方は、「佐藤」苗字の人が応募してくると、思わず身構えてしまうと言っていました。
当然のように、外部からは取り違えハプニングがしょっちゅう起きているそうです。
私の高校生時代、まぎらわしいことに40人くらいのクラス内に苗字が同じ同級生が四組いました。
面白いもので、同じクラスで生活するうちに、〇君が言う誰それの事は、□a君ではなく、□b君だと自然にわかってくるのです。教室の入り口で苗字を呼ぶだけで、どの人を呼んでいるのか理解できるようになってきました。
このクラスは3年間同じでしたから、2年生にもなると、誰かが「おーい」と呼ぶだけで、誰が誰を呼んでいるのか、その四組の問題を飛び越えて、クラスの個人個人が誰とつながっていて、どんな用事の時にそのような呼びかけをするのかなど、クラス全員がわかるようになってきました。
最初の話に戻ると、取引先の会社内に限れば、まず間違う事は無いのだそうです。
同一コミュニティー内の識別能力と言うのはすごいものです。
はらぺこ学生
昔、下宿の近くに国立大学の附属農場がありました。
広大な農地にトウモロコシがたくさん実っておりました。
こちらは金欠学生。
部屋に友人たちとたむろするも、食べる物もない。
「あの大学のトウモロコシ、採りに(盗りに…)行くか?」
「そうだ!そうだ!」と話はまとまり、夜になり3人で忍び込もうとするが、広い農場ゆえにどこが入り口だかさっぱりわからない。
面倒なのでフェンスをよじ登る事にした。
とにかく、信じられないくらいたくさんニョキニョキ実っているので選ぶ必要はない。
適当な大きさのトウモロコシを各々ポキポキと4〜5本折り、持参袋へ。
「見つかったら退学かなぁ?」
「俺らここの大学じゃないし、道に迷っただけだし…」などと言い訳にもならない抗弁を考えつつ下宿に戻りました。
早速鍋に湯を沸かし茹でて食べたのですが、マズイことこの上ない。
「…なんか農学部で有名な大学のトウモロコシなのに、こんなにマズイなんて大したことないんだね」
「あんなにいっぱい作ってさ」
「もう、要らないわ。ただでも要らん」
ガキだった私たちは、畜産のこともデントコーンのことも全く知りませんでした。
この後相当年数、「⚪︎⚪︎大学の農学部は大したもんじゃない、入学する価値ないよ」と、ネガティブキャンペーンを張っておりました。
自分の知識が正しいと思うのは、いつの年齢でも10年早いということを知りました。
ブーム、流行り廃り。
そんな過去の「栄光ある遺物」に、思わぬ所で出会う時があります。
初め何かわかりませんでしたが、「あー?」という感じで記憶が呼び起こされて来ました。
そんな一枚です。
また、今やこの放置状態がよく似合うんです。
私の昔の上司に「迷言」を吐く人がいました。
いたって本人は真面目に言っているのですが、どうも言葉をちゃんと覚えない気質の人で、言われた同僚たちはポカンとするしかないとう場面が結構繰り返されていました。
おもしろいのは、意味は正確に伝わらないのですが、「なんとなく言いたいことはわかる」ことでした。
記憶に残っているものを書き出して見ます。
①ネコが飽きる前に会議を止めろ
→ネコは人より飽きっぽいという前提に基づいている?
②犬も食うような議論をしろ
→「他人の夫婦喧嘩」よりもっとおもしろい議論をしろと言っているのだが、「他人の夫婦喧嘩は面白いもの」という、当人の間違った前提と、もっと面白い喧嘩でないと犬も食わないと、そもそもの意味を間違っている
③人生楽なら苦も無いさ♪
→ご存知、水戸黄門のテーマソングの出だしなのだが、当人は「当たり前だよな」と言っていたこともあるので、水戸黄門のオープニングからまともに視たことがないと思われる。
④年寄りの冷や麦
→これは、多分わざと言ったネタ的なものだと思われる。
⑤行って、会って、話して、帰せ
→ 「向こうがお願いに来たように錯覚させよ、先にくれば良かったと思わせろ」 本質的に対人トラブルの極意のような迷言だが、とてもむずかしい。
⑥「責任は自分にある」という【言い訳】をするな/「責任は自分にある」という【役割説明】なんざ要らん
→昨今のオリンピック運営を巡るトラブルを目にするにつけ、思い出される「名言」です。
⑦黙って帰ってくるなんて、それじゃあ、ネコまんまだろ
→正確な意味不明;まんまを「そのまま」と言う意味で使っていた?
⑧ネコまんまのように光るアイデア持ってこい
→ まんまが食べ物と知った後の言葉、やはり正確な意味不明。
⑨「ネコまたぎ」のように敏捷にな
→ネコの敏捷性をイメージして、トラブルをひょいひょいと軽々と避けていく様を「跨ぐ」と思っていたのでは?意味がまるで違う。
ネコの例えが印象に残っています。
まだまだたくさんあるはずなのですが、思い出したら追加します。
体温計
未だに、お目当ての20秒測温タイプの体温計を入手できずにいる。
今春から、なぜか1℃以上計測値が狂ってしまった10分体温計を使っているからなおさら欲しい。
毎朝、34.6℃では申告もできない。
子供の頃、風邪を引いて熱が出ると、体温計より先に、母がおでこに手を当てたり、よくわからない時には、おでこ同士をくっつけて様子を見てくれた。
何十年も忘れていたその記憶が、毎朝検温するようになって思い出した。
くすぐったいような恥ずかしいようなその記憶は、いつ頃まで母がそうしてくれていたのか、途切れてしまいわからない。
小学生の頃、少しお姉さんっぽい同級生は、風邪かな?なんて言うと、教室でもおでこをくっつけて、「あまり熱無いよ」と言ってくれた。これまた、今思い出すとすごく恥ずかしい気がする。
大学生の頃、風邪を引き熱っぽい時、同級生の女子が、「風邪?、大丈夫?」と言い、いきなり手をおでこに当てて来た。「エッ?…」と思う間もなく、自分のおでこをくっつけて、「少し熱あるわ、帰った方がいいよ」と…。その後3年間、この娘に翻弄されてしまった黒歴史。
お母さん(お父さん)達は、体温計を使う前に、子供のおでこに手を当てて、おでこ同士をくっつけて!
一つは、子供の体調を肌で知るために。
二つは、子の良き思い出のために。
三つは、異性への耐性のために。
過去に好きになった人は、例外なく良い匂いがした。
でも、良い匂いの人を好きになるわけでもない。
ちなみに、奥さんは無臭である。(知人談+同意者多数有)
休日は、特段の用事がなければ家に居ることが習いになってしまいました。
それほど、用もないのに外出する方ではなかったのですが、一層出歩かなくなりました。
無目的行動が意外に多かったのを実感しています。
家に居ると、ラジオや音楽CDを聴くことがとてもとても多くなりました。
CDはそれほど持っていないので、聴き始めるとすぐ底をつき、畢竟昔のCDを引っ張り出して聴くことになりました。
10年ぶりに聞く曲なんて普通です。
ZARDは、坂井泉水氏が亡くなってから一度も聴いていなかった。
静かな部屋で聞くと、とても新鮮に感じました。
しかし、この人の曲は車内に持ち込むと途端に歌詞が聞こえない。
新しい曲も聞いてみようと思い、乃木坂の曲を聞いてみましたが、向こうのほうでシャカシャカ言ってるだけで、やはり聞こえない。
中島みゆき、竹内まりやは、環境によらずよく聞こえます。声が通るということは、歌い手にとって重要な素質だと思いました。
原田知世も声が高く、線が細い割には良く聞こえます。曲調によっては全く聞こえない曲もありますが…。
そんな中で見直したのが、村下孝蔵氏です。
随分前の人ですから、曲はその時代の流行を纏っています、
それ故、歌詞は思わせぶりなよくわからない「例え」が多く、すっきりと聞き流せない引っ掛かりを覚える時もあります。
低めの温かい声で、歌詞も明瞭、歌もとても上手です。
もっと長生きして良い曲を、たくさん歌ってもらいたかったと思います。
チャーリー・パーカーという、有名なアルトサックス奏者がいました。
麻薬や酒などを常習し、めちゃくちゃな生活の中であっという間に生涯を駆け抜けて亡くなった人です。
しかし、この人の演奏は、優しく品がありとても気持ちの良い音色を奏でるのです。
不思議です。音楽に品だとか優しさなんて、曲調のせいだろうと言われれば、そうかもしれません。
しかし、彼の音楽が持つ雰囲気と、あまりに破壊的な人生とを対比せずにはいられません。
芸術家にもそういう人はいますので、人と作品を同一視するのがそもそも間違いなのでしょう。
作品に作者の人格的な何かを期待したいのですが、本来意味のないことなのでしょうか。
平和の歌を歌う、家庭内暴力者なんてシャレにならないのですが、現実に居ますし…。
あまりに退屈な天気の悪い、週末の独り言です。
ずいぶんと昔の話です。
田舎にある地方大学の軽音楽部に、あるバンドがありました。
その名を「酸駄馬阿土(サンダーバード)」と言いました。
お世辞にも上手いとは言えない、本当にヘタなバンドでした。
演奏ジャンルは、バラバラ。
ポップス、ハードロック(メタルなんて言葉がまだない時代です)、歌謡曲、ニューミュージック…。
オリジナル曲はありませんでした。
だから、メジャーデビューなんて全く考えていない、楽しければいいというバンドでした。
だから、演奏曲は徹底してノリのいい曲。
この曲は、こんなにノれるんだという絶妙な選曲。
このバンドのベストアルバムを作ったら、それは意外なくらい楽しくなると今でも思います。でも、それはオリジナルのバンドや歌い手ではダメなのです。
このヘタクソなメンバーの演奏でなければ。
リズムパートは、ドラムは微妙に不正確、途中で速くなったり遅くなったり、ベースはアクセント位置が一定せず、音量も上がったり下がったり。
リズムギターは、コードを押さえるのに必死で顔がひきつり気味。腕の振りは、まるでフォークギター。ストラトキャスターなのにズンチャカ、ズンチャカ聞こえて来るような気がしました。
リードギターは、あがり症とかで、演奏ステージに上がる前に、いつもベロンベロンの手前くらいまで酔っていました。だから、せっかくのソロパートでも、押さえているフレットが半音ズレていても気づかず、キメ顔での演奏に聴衆は大爆笑でした。今剛やマイケルシェンカーを神と崇める彼の実力は、大学の軽音楽部中でも一二位ほどの腕前だったとか。まともな演奏は聞いたことがありませんでしたが…。(ちなみに、一位の人は、卒業後プロのスタジオミュージシャンになったそうです)
ボーカルは、これまた単純にヘタなんです。ただ声量があるので妙な説得力。
これが女性アイドルなどの歌を歌うのですから、そのミスマッチは見ないとわからないくらい破壊力がありました。
この誰一人としてまともなミュージシャン志向の者が居ないのに、聞いていると実に楽しいのです。バンドメンバーはとても仲が良く、曲間の掛け合いすら「芸」でした。
このメンバー中に、音楽才能が少しでもありそうなのは2人だけ。
よくこれでバンド組もうという気になったな、という感じです。
リーダー(リードギター)に、経緯を聞いたことがあります。
ーーーー
みんなで酒を飲んでいた時に、僕が「ハードロックやりたい!君達もギターを買え!」と言ったら、「じゃあやるかぁ」と決まった。でも、死ぬほどヘタだったので、「辞める!解散する!」と言ったら、「いいよ、でも一緒に酒も飲まないよ」と脅されたんだ。で、プロを目指すのを諦め、酒を取った。ーーーー
このようなバンドですから神話はありませんが、エピソードはいくつか聞いたことがあります。
(1)初ステージで上がってしまったドラムが、やたら速いテンポカウントで叩き始めた。
興奮状態のドラムはさらにテンポアップし、皆が必死でそのテンポについて行こうと演奏していたが、ついにギターが「こんなん出来るかぁ!」と演奏を途中で止めた。
(2)ステージの演奏テープを部室で皆で聴いていたら、先輩バンドの人が、「お前ら、すごいなぁ、俺ら自分達の演奏聞き返す勇気はないわ」と感心していた(呆れていた)。
(3)結成間もない頃はレパートリーが少なく、学祭時のライブでは3曲くらいしか持ち歌がなかった。教室をライブ会場としていたが、観客は他の人気イベントに取られ5人くらい。夜の部でも観客の入りは悪く、先輩/同期のバンドはそこそこ聴衆が来てくれるのに、自分達のバンド演奏時は仲間内の数人ばかりだった。3曲しかないので、ステージもすぐ終わってしまい、やることもなく座っていたら、先輩(院生)バンドのちょっと厳しい先輩が、「音出してないと、余計誰も来ないだろ!1番下のバンドがやれッ!」と至極当然の叱咤。「でも、うちら3曲しかないんですよ」と言うと、「いいからやれッ」。仕方なくその日何度か目の演奏を繰り返す事になった。終わったら「繰り返せッ」。また、3曲演奏。「お前らの演奏、ダメダメだけど『危険な二人(沢田研二)』だけはイイ!それだけ繰り返せ!」。
それから、その曲だけを演奏し歌い繰り返す。夜も更けて、他教室のイベントも終わり、行くところがなくなった学祭訪問者や学生たちは、大教室から流れてくる「危険な二人」の爆音に惹かれて、一人二人とライブ会場に集まってきた。他のバンドはもう飲みに行ってしまったので、演奏しているのは「サンダーバード」のみ、会場を盛り上げ踊ってるのは先輩の院生バンドの面々。この後、どんどん人が集まってきて、会場は50人以上、演奏曲目は「危険な二人」のみを延々と繰り返す。何回繰り返しても止めさせてもらえない。イントロのリードギターが始まると、大歓声。ジャジャーンと終わっても、アンコール・コール。さすがにメンバーも他の曲をやりますか?と観客に聞くと、「危険な二人」でいいと言う。なんかよくわからないトランス状態の中、カラオケもない時代、マイクで歌いたい人が多いので、ボーカルのマイクを奪って歌い出す。先輩が「マイクを死守しろ!」「わかりました!」と妙な戦いも起き始め、結局ユニゾンで大合唱。21時ころになり、大学外まで響く爆音に、学外の酔った社会人兄ちゃんたちも参入。さらにマイク争いが加熱。23時頃、皆声が枯れ出なくなってもまだ歌い続ける。さすがにもう無理と「ラスト!」「ウォー」との歓声の中、歌い終わって、メンバー、観客共にへたり込む。水代わりにウィスキーの水割りをガブガブ飲みながらの4時間余りの熱唱、踊り、歓声。終わった後、街の兄ちゃんたちが、「いやー、面白かった。これで酒飲め」と三千円くれた。最後まで踊って盛り上げてくれた院生バンドの先輩達が、「良かった!お前たち!演奏はサイテーだが、サイコーだ」と抱きしめてくれた。
危険な二人の演奏回数は、30回を軽く超えたらしい。
(4)ピッキングが強いので、リードギターは演奏中によく弦を切った。こうなると他のメンバーは弦を交換し終わるまで何もすることがない。あまりに間が空きすぎてバツが悪いので、ボーカルが小噺を語った。非常に受けたので、弦が切れると、最近の面白いこと、創作ショートなどを披露するようになり、さらにこれが評判を呼び、観客は弦が切れるのを期待して待つようになってきた。さらに、幕間にコントっぽい動きも取り入れ始めたので、近隣短大では、コミックバンドと思われていた。「ぼくたちはドリフじゃない」と言っても、「あの話やってー」と短大生から声がかかるところまで行ってしまった。
(5)4年次には、とにかく曲と曲の間の語りが面白いと言う事で、離れた別学部の軽音楽部有力バンドメンバーまで学祭に見にくるようになった。先の一位の人が加入していた、この有力バンドは本当に上手かったそうだ。このギタリストとボーカルペアが見に来た。サンダーバードの演奏を聞いて(見て)、大笑いし感心して帰っていった。年も明け、この有力バンドは、卒業記念公演を県庁所在地のライブハウスを借り切って行った。すでに結構なファンも付いていたと言う。親交が深かったサンダーバードのリーダーも招待され見に行った。いつも淡々と静かにハイテクニックな演奏をする、それはそれはリーダーが理想とするバンドであったそうだ。しかし、この時の卒業公演は違った。一位のギタリストが、曲間につまらんダジャレとか小咄を入れたとのこと。いつもと違う風情の、お気に入りバンドの偏向に観客も戸惑いがち。サンダーバードのリーダーを一番驚かせたのは、ステージ上で「これは知り合いのバンドから聞いた話なんですが…」と、サンダーバードのネタをやった事だそうだ。ステージが終わり、楽屋に行くと、「面白かった?どう?」と以前とはまるで違うノリ。「どうした?」と聞くと、「やっぱり音楽は面白くなくちゃ!」とのこと。サンダーバードのリーダーは、戻ってメンバーに「僕たちは、日本の宝となる有望なギタリストを壊しちゃったかもしれない」と語リ、メンバーは「それは、うちらの勲章だね」と笑った。
サンダーバードは5人が基本メンバーで、ドラム、ベース、キーボード、サイドギター、リードギター。特定の曲を演る時だけ客員メンバーとして外部の1名がボーカルを取っていました。ボーカルは、ベースかキーボードの人。ただし、歌いながら演奏するほどの技量はないので、ボーカルの時は楽器を交代したりキーボードを抜いたりしていました。
5人中、4人が4年で卒業。一人が院に進学したようです。
卒業記念全楽曲デモテープを作成し、皆の記念にしようとしていたとのことですが、3月卒業間近は企業研修や卒論や海外留学準備で叶わなかったとの事。
その後、全国に散り散りになったバンドメンバーが集まって演奏する事はありませんでした。
こんな長い話を書いたのは訳があります。
先日、このバンドメンバーと近しかった人から、メンバーのうち二人がもう亡くなったと言うことを聞いたからです。
このくだらない、おバカなバンドについて、どこかに残しておきたくて書きました。
ご冥福を祈ります。
【デジタル・スナップ】
散歩中、まだ新しい立派な大きな空家を見つけた。
玄関前の庭は、20m程の家幅いっぱいに取ってある。
しかし、これほど立派な家なのに車庫というか車を止める場所がない。
左端に玄関に通じる一本の細いレンガ道が道からつながっているだけである。
前庭に車を乗り入れるのもおかしい。
すでに雑草が繁り気づかなかったが、よく見ると玄関脇に、ブロックで広めに囲った矩形の花壇のような跡がある。
それ以外は、人が住んでいた頃の、生活の様子を想わせるものは無い。
帰宅し、ふと気がつきgoogleストリートビューでその家を見てみた。
そこには、顔は隠されているが、のんびりとした風情のご老人が、手にシャワーホースを持ち、花壇(実は菜園)に水をやっている、随分と野菜が実っている。
その時そこを通りかかったなら、「よく育っていますね」の挨拶くらいしたであろう、ごくごく普通の夏の風景。
思わず涙が出そうになった。
こんなITの時代でも、誰も自分の一生を「記録」はしてくれないし、する必要もない。
しかし、ある一時点において、ここで幸せに生きていた人の記録に思わず触れると、とても切ない気持ちになる。
全くの他人の、縁も無い人々のデジタルなスナップ写真…。
そして、誰にも断らず、上書き消去されていく「写真」。
今日から3日間
今日は、 「昭和」の日。
明日は、 「平成」最後の日。
明後日は、「令和」最初の日。
こういう小さな事に気づいた日は、なぜか一日調子が良い。