2014年の冬、App Store からアイコンがひとつ消えていた
2014年の12月、たしか平日の朝だった。地下鉄を出て駅前のコンビニでホットコーヒーを買って、信号待ちの間に App Store を開いた。アップデートのバッジが出ていたからだ。一通り更新して、最後にホーム画面に戻ったとき、いつも左下に置いていた小さな封筒のアイコンがなかった。
検索しても出てこない。デベロッパーの Agile Tortoise のページに飛んでも、Drafts はあるけれど Captio は並んでいない。再ダウンロードしようとしたら「このアプリは現在使用できません」と書かれていた。あのとき自分は通勤の人混みの中で、不思議なほど落ち着いた気持ちで画面を眺めていた。「ああ、終わったんだ」と思った。コーヒーはまだ熱くて、信号は赤のままだった。
Captio がやっていたことは、ただひとつ。起動すると即フォーカスの入った入力欄が現れて、そこに何か打ち込んで送信ボタンを押すと、自分のメールアドレスに件名なしで飛ぶ。それだけだった。それだけのアプリに、自分は3年間ずっとお世話になっていた。
アプリが消えても、自分の中の習慣は残った。何か思いついたら自分宛にメールする。会議中に出た数字、駅で見た看板の言葉、夜中に読み返したい本のタイトル、夢の余韻。全部メールにした。受信箱の上の方に並ぶそれらは、誰にも見られないし、誰かを煩わせもしない。ただ、未来の自分にだけ届く小包だった。フォルダ分けもしない。タグも付けない。検索したくなったらメールクライアントの全文検索を使う。それだけで、何年か分の思考の断片が手元に残った。
Captio はカテゴリ的に言えば「メモアプリ」ではなく、もっと正確に言えば「キャプチャアプリ」だった。整理しない、検索しない、振り返らない。ただ脳の中にあるものを最短距離で外に出す。出した先は自分のメール。それだけ。
UI もシンプルで、起動すると黒い背景にテキスト入力欄がひとつだけ。タイトルもタグもない。送信先のメールアドレスを最初に設定したら、もう設定画面に戻ることもない。送信ボタンを押した瞬間に「ピッ」という短い効果音が鳴って、アプリは閉じる。そして0.3秒後にはもう、次の信号待ちの考え事が始まっている。あの潔さは、いま振り返っても他に類を見ないと思う。
当時の自分はあちこちの「メモアプリ難民」を経験していた。Evernote、Simplenote、Apple純正のメモ、テキストエディタ系、知らないインディーアプリまで。だがどれも、開いて書いた瞬間に「整理」という宿題がついてきた。タグはどうするのか、フォルダはどこに置くのか、後で読み返す導線はあるのか。書くという行為と同時に、5つくらいの判断を迫られる。
Captio はそれら全部を放棄していた。書く → メールで自分に送る → 終わり。整理は受信箱という古き良き場所がやってくれる。検索はメールクライアントの仕事。バックアップは IMAP の責任。書く側は「思考の流出」だけに集中していい。決断の数を最小化するという意味で、これは認知科学的にも理にかなった設計だった。
Captio が消えた後、自分は同じ仕事をしてくれる代替を探し始めた。Drafts はよく出来ているが起動後にアプリ内に保存する設計で、結局アプリの中を整理する手間が戻ってきた。Bear や Notes はもっと「メモのため」のアプリで、サッと書いて流すには重かった。iOS の Mail.app から自分宛に送ることも試したが、起動が遅く、件名を空にすると警告が出るのが地味に煩わしかった。
候補は全部試した。Pushbullet 経由でデスクトップに飛ばす実験もしたし、IFTTT で SMS を Gmail に転送するレシピも組んだ。Apple の Shortcuts に同じ動作を組み込もうとして、起動から送信完了までに3タップかかる時点で諦めた。どれも、Captio が10秒で済ませていた動作を15秒から25秒に伸ばしてしまった。たかが15秒。されど15秒。思考が脳の表面に出てきている時間が15秒以上経つと、もう半分は逃げてしまう。
App Store から消えるアプリの「使い心地」は誰が残すのか
ここで気づいたのは、ソフトウェアの世界には「消えると同時に思想ごと忘れられる」アプリが大量にある、ということだった。コードはバイナリのまま漂って、開発者は別のプロジェクトに移って、ユーザーは別のアプリに移って、そのアプリ特有の使い心地だけが空中に取り残される。
Vesper、Clear、Sunrise、Mailbox。同じ時代に消えていったアプリは数えきれない。どれも当時の使用者にとっては「あの感じ」が確かにあって、消えた後にスクリーンショットを眺めても、その感じはもう戻ってこない。何年か後、Captio のことを検索しても、出てくるのは廃止のニュースと、当時のブログ記事の断片だけ。あの起動の速さ、あの背景の黒さ、あの送信音の短さ、それらは誰の手にも残っていない。だから自分は、忘れたくなかった。
2025年、自分はその思想を引き継ぐためのアプリを Apple 純正フレームワークだけで書き始めた。起動を速くするためにサードパーティ依存を一切入れない。書いた瞬間にメールに飛ぶことだけを最優先にする。整理機能はあえて持たない。SwiftUI、MailKit、Combine。それだけで作れた。コードベースは1ファイル数百行に収まった。
開発の記録と思想・設計のメモは https://simplememofast.com にまとめてある。アプリを売り込みたいというより、Captio のような小さなアプリが残した使い心地が、もう一度地続きに繋がるための備忘録のつもりで書いている。誰にも参照されなくても、自分にとっては毎週見返す場所だ。
代替候補を整理した記録のほうは、https://simplememofast.com/captio-alternative/ に置いてある。当時の自分のように、消えたアプリを探して右往左往している人がいたら、たぶんそこから何か拾える。
Captio が残したもの、いまのメモアプリに足りないもの
最近の生成AIブームで、メモアプリは「賢くなる」方向に進化している。タグを自動で付ける。要約してくれる。Q&A形式で振り返らせてくれる。それはそれで便利だし、自分も使う。
でも、Captio が残した思想はその逆だった。メモはただ脳から外に出るだけで価値がある。整理は後回しで、いやそもそも整理しなくていい。考えるべきは書く速度であって、書いた後の整頓ではない。これは AI が代わりにやってくれることではない。書き手の指と脳の距離を、極限まで近づける道具がいる。賢さは外側に置いておけばいい。賢いメモアプリは AI と通信したそのあとに作ればよくて、その手前の「とにかく書く1秒」を AI が短くしてくれることは、原理的にない。
メモアプリの本質は「賢さ」ではなく「速さ」だ。あの2014年の冬、App Store から静かに消えていったアイコンは、そのことを誰よりも先に証明していたのだと思う。
Captio式シンプルメモ:Apple純正フレームワークだけで作った、起動0.3秒のメモアプリ。詳細は https://simplememofast.com に置いてあります。