Medical woodblock prints from 19th-century Japan ~ Pink Tentacle
Defeating cholera / Kimura Takejiro
虎列刺退治(コレラタイヂ) 木村竹次郎? 1886年
"虎列刺の奇藥 廣島鎮臺に在勤せらるゝ歩兵大尉某氏ハこの程コレラにかゝりて死去せられたるが死後ハかならず解剖して公衆の為にその病源を究むべしと遺言ありたり 依て國手(いしや)の集りて死体を解剖し顕微鏡にてらして病毒とおぼしきものを見るに果して数多の動物(むし)ありて大に國手の感想を起さしめたり 此の動物こそコレラの病源なれ 此病源を殺すハ石炭酸にありといへる説の実地に効あるやいなやをためし見るとて先づ三十倍の石炭酸をそゝぎたるにかの動物ハ更に死するの色なけれバ今度ハ二十倍の物を用ひたれどもすこしも窮苦(くるしむ)の体あらざるにぞ流石の國手も手を袖にしてなすべきやうなかりしにかたはらにある一老醫の申しけるにハ往昔より梅酢ハ霍乱症に用ひて大効あるものなり これを試みてハ如何といひけれバ國手一同然るべしとありてこれをそゝぎ見るに奇なるかな忽ち死してまた甦(いけ)るべうもあらず偖(さて)ハ梅酢ハコレラの特効薬となり官民ともにこれを用ふるに至れり 去れバ陸軍一般に梅干を常に食用なせしのみならず市中にても衛生に注意するものハ梅干を菜にして三度の飯を喫することになれりと同地の知友より報知ありたり もし梅酢にしてコレラに効あるものならバこれを用ふるに容易にして此の怕るべき厄病を防ぐの一助たるを得べし 醫家の参考且ハ諸人の注意ともなるべけれバこれを掲げられたしと府下の某氏より特に報じこされたり 日々新聞抄書 御届 明治十九年八月十七日 神田區??丁七バンチ 画工兼出板人 木村竹次郎"