Faire justice moi-même
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Faire justice moi-même
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Ces femmes qui harcèlent les femmes vulnérables, un texte qui explique comment et pourquoi j'ai toléré de me faire harceler par des femmes parce qu'elles sont des femmes et que je suis une femme. Un sujet complexe, vulnérable, et difficile à écrire
// ohmu
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Concernant mon dernier texte illustré "incestée" (slides en bleu) : J'aurais du peut-être écrire certaines slides différemment car je reçois quelques messages qui croient que je suis seule et malheureuse et se font du soucis. Ce que je voulais dire c'est que j'ai des potes mais j'ai pas d'ami.e.s ou proches que je vois comme ma famille et ou que je vois dans une dynamique quotidienne à cause des conséquences de l'inceste. Je pense que la plupart ont compris mais je préfère préciser car oui je vais bien. Quand j'allais mal je n'étais pas capable d'écrire tout ça. Être en paix avec moi-même pour moi c'est pointer du doigt frontalement ce que j'ai vécu / ce que je vis.
Et je connais aussi très bien cette technique de manipulation de certains de faire passer les gens qui parlent comme des gens qui vont mal ou sont instables. Désolée pour vous, ce n'est pas le cas. Je sais que certains aimeraient que les incestés aillent tous mal et n'aient plus de force, comme ça ils resteraient silencieux. Mais, ce n'est pas mon cas. Je sais c'est énervant pour ceux qui incestent ou harcèlent les incestés. À ces gens, je leur rétorque leur phrase favorite "j'espère que vous trouverez la paix" lol.
// oh mu, Estelle
Hello everybody, Me revoilà vite fait après ma longue absence des ondes et mes derniers posts pas vraiment joyeux (la règle sur les réseaux sociaux…). Entre temps les choses se sont nettement aggravées (moi qui croyais que ça ne pouvait pas être pire…). Sans rentrer dans les détails un exemple : On m’accable toujours de tous les maux, comme si j’étais l’AUTEUR et non la VICTIME innocente… Maintenant on m’affirme que j’étais CONSENTANTE dès mes 8/9 ans 😡 Et ça me détruit encore + ☠️. Alors là c’est TROP. Donc j’ai coupé les ponts depuis un mois, je me sens terriblement seule et plus mal que jamais. Moralement bien sûr, et même physiquement (tension à 20, si ça continue je vais crever "naturellement" d’un AVC, crise cardiaque, rupture d’anévrisme… Sans même avoir besoin de me suicider, GÉNIAL !) Je tiens d’ailleurs à préciser qu’on incite énormément les victimes d’inceste à parler en ce moment. Mais ATTENTION, la parole n’est pas toujours "libératrice" : Parfois c’est encore pire en parlant, on se retrouve rejetée, mise plus bas que terre, accusée, critiquée par sa propre "famille" : il faut le savoir et mesurer ce risque… Perso si j’avais su je n’aurais jamais rien dit à personne. Certes je souffrais énormément dans mon silence, j’ai cru que parler me "soulagerait" et qu’on me comprendrait : Bilan après coup c’est 100 fois pire 😰. Alors attention, la parole n’est pas toujours LIBÉRATRICE… Bref sur ce j’aimerais bien recommencer à poster des trucs sympas sur Instagram (et mes autres réseaux sociaux) mais pour l’instant je ne trouve pas l’énergie pour, trop déprimée… Et puis je me demande à quoi bon ? J’ai perdu énormément de followers dans cette "affaire". Aujourd’hui je parle sûrement dans le vide d’ailleurs. Alors pourquoi continuer ??? Je retourne à ma solitude intersidérale… #inceste #metooinceste #parole #lafamiliagrande #deni #rejet #victime #trauma #potssyndrome #violencessexuelles #sspt #tspt #espt #ptsd #survivor #survivant #familletoxique #traumatisme (à Paris, France) https://www.instagram.com/p/COjdGsrhs6a/?igshid=eppkomq24mlz
ミュリエル・サルモナ 「6歳のとき、母は私を小児性犯罪者たちのところへ届けた」マリ・クレール誌
by Corine Goldberger 2021.1.18
先週土曜日、4万人以上の近親姦の被害者たちが、ハッシュタグ #metooinceste を使って、SNS上で証言をした。そして、精神科医で団体Mémoire traumatique et victimologie代表のミュリエル・サルモナ先生もまた、自身が6歳のころに受けた性暴力被害のあらましを、ツイッターで共有した。
(2021年)1月17日土曜日、団体Nous toutes の考案したハッシュタグ#metooincesteによって、大量の悲痛なツイートが津波のように急激に広がった。そしてそのなかで、とりわけ一つのツイートが、われわれに強く訴えかけてきた。
そのツイートとは、性暴力による心的外傷性健忘を社会に認めさせるための闘いによってメディアによく登場する、精神科医のミュリエル・サルモナ先生のものだ。彼女はまた、団体Mémoire traumatique et victimologieの創設者であり、性犯罪の公訴時効の廃止の実現のためにも闘っている。
ミュリエル・サルモナ先生は、勇敢にも証言することで、沈黙の掟を破るために証言する勇気を常に持ち合わせているわけではない他の被害者たちに証言する気を起こさせるための、手本を示した。
「これは歴史的な瞬間です」
われわれが彼女のツイッターでの証言を読み、彼女を小児性犯罪者たちのところに配達した「近親者」についてより詳しく話してもらいたいと電話で取材を申し込んだ際に、彼女はそう喜んだ。
双子の兄(弟)をレイプしたと、義父である政治学者のOlivier Duhamel を告発したCamille Kouchnerの衝撃の書が刊行され、そのことがきっかけとなり、近親姦の被害者たちが沈黙を破り、自分たちの受けた被害を語り始めた。
「#metooincesteのタグのついたツイートの数は、4万1千件を超えました。そして今回、その勢いはとどまるところを知りません。火山が噴火したときのように、最初の大きな揺れの後、いくつもの余震が起こることでしょう」
われわれは彼女に話を続けてもらった。
「その後、記憶の欠落に見舞われた」
「父は食肉店を経営しており、母は配達の仕事を引き受けていました。母はとても美しく、父以外の他の男性たちとも関係を持っていました。父は非常に不幸でした。そんなわけで父は呑んだくれ、しばしば社会的には無能力でした。
父は幼少期の体験が元で、トラウマを抱えていました。また父は兵士としてインドシナ半島に配属された経験もあり、母が他の男たちと逢瀬を重ねているというこの現実に、まったく立ち向かうことができませんでした」
「それ以上のことがなされたのかどうかはわかりません。懸命に思い出そうとするのですが」
「ある日のこと、私が6歳のときのことです。私は母から、 Verneuil-sur Seine 近くの他人の別荘に連れて行かれました。母は肉の配達をしており、あちこちでと言っていいほど、多くの男性たちとの出会いを楽しんでいました。母の言うところによると、その別荘には、映画業界の人たちやプロデューサーたちがいるとのことでした。もしかすると、母は彼らの気を引いたのかもしれません。なぜなら母は当時28歳で、とても美しかったからです。そして母は、その場から姿を消しました。私は何人もの男性たちの真ん中に置き去りにされました。配達した肉の包みがスツールに置かれ、私はもう一つのスツールに坐らされていました。そして私が覚えているのは、その男たちが私を「弄んだ」ということだけです。
性器に指を挿入されたことを覚えています。しかし、それ以上の行為がなされたかどうかはわかりません。懸命に思い出そうとするのですが。そして、その後のことはまったく覚えていません。記憶が欠落しているのです。しかし私は、多くの(PTSD)の症状を抱えています。したがって、それ以上の行為がなされたことも考えられます。また、それが冬だったことを覚えています。というのも、踏み固められてきしきし音を立てる雪の上を歩くときに、不安の発作に襲われる症状があったからです。今はその症状は収まりました。原因がはっきりしたからです。しかし以前は、この感覚を味わうのは、私にとって耐え難いことでした」
「5年近くのあいだ、私は幽霊のような子どもでした」
「ヴェルヌィユの別荘での出来事は、その後の虐待の端緒となる暴力でした。母は私に身体的な、そして言葉による暴力を振るったものでした。ヴェルヌィユでの出来事から半年後に食肉店は倒産し、私は全く長く苦しい時期に入りました。
5年近くのあいだ、私は幽霊のような子どもでした。私は精神的に死んでいました。口をきかず、誰とも関わりを持たず、自分の殻に閉じこもって、行動せずにいました。また、私は母方の祖母の家で、見事に身を守っていたそうです。というのも、私は針と少しの糸(祖母は仕立屋でした)を持ってテーブルの下に逃げ、そこで何時間も過ごしていたというのです。
そして床の上で針の束の先端と糸を使って遊び、小さなマスコット人形を作ったものでした。私は一人っ子で、手のかからない子どもでした。そして、ひとりぼっちでした(そのことを思い出すと、泣きたくなります)」
「毎晩こっそり泣いていました」
「私は中級科1年までの小学校時代の記憶も、まったく失っています。学校や女友達、また教師のこともまったく記憶していません。私が知っているのは、そこでもまた、自分がまったく孤立していたということだけです。もっともこれは、親戚の人が教えてくれたから知っているに過ぎないのですが。また、成績はまったく振るわず、クラスでビリでした(そのことの何よりの証拠となる成績表をいくつか見つけました)。母は私のことも、私の学業についても気にかけてはくれませんでした。
小学校中級科2年での成績は悲惨なものでした。私は落第し、二度目の小学校中級科2年では、いくらかましな成績を取ることができました。父は仕事を見つけ、母も仕立屋の仕事を取り戻しました。両親の仲は、少し安定していました。私も危険な状態に陥ることが少なくなりました。そして私が10歳になって少しした頃、私たち一家は La Garenne-Colombes に引越しました。
私は中学校に戻ったのですが、それは私にとっての再出発でした。私は勉強することができ、そしてすべてをこの手に取り戻すことができたのです。多くの苦しみ、不安定な状態、毎晩の悪夢に悩まされながらも。
私は毎晩こっそり泣いていました。なぜなら昼間は、悲しくなったり泣いたりすることが許されなかったからです。それでも私は、ついに人生を取り戻したのです。雲の切れ間から差し込む、太陽の光とともに」
「私は闘い始めた」
「私に再び生活意欲を与えてくれたのは、一匹の雌犬でした。孤独を感じことが少なくなり、私はその犬のことを信頼していたからです。それから、中学校の先生たちのことも信頼できました。私は彼らに、心から感謝しています」
「生きていても仕方がないのだから、すぐにでも死ぬか、それとも、自分が世の中を変えるか」
「私にとって、取引は簡単なものでした。それはこうでした。「生きていても仕方がないのだから、すぐにでも死ぬか、それとも、自分が世の中を変えるか」
13歳のとき、そのことを覚えていますが、私は後者を選択したのです。そして私はそのことを、性暴力についての批判資料集である、拙著に記しています。私は後には引きたくありません。今では私は、もっとも傷つきやすい人たちや子どもたち、そして女性たちが守られるよう闘いたいと思っています。私は生と闘いへの激しい執着を持ち、知識欲が湧き、沢山の友人たちと出会うことができました。そして私は闘い始めたのです」
トラウマ性記憶と、恐ろしい症状
「当初、私は教師になろうと考え、それから医師や、なにか子供達を守るための最前線の仕事に就こうと考えました。
しかし私の家では、高等教育を受けるのは考えられないことでした。母からはよく怒鳴られたものでした。なぜなら私が夜に勉強し、電気を消費していたからです。私には、自分の部屋も勉強机もありませんでした。私たちは一家で部屋を借りていましたが、その部屋は食堂と両親の住居とを兼ねていました。
父が破産してから、私たちは地下倉を改装した部屋にも住んでいました。トラウマ性記憶と、その恐ろしい症状と、来る日も来る日も闘わなければなりませんでした…。いくつかの性的な場面と、指を挿入されている感覚のほかは、そのことについて話したくありません。
私に最初の答えと、探求心を与えてくれたのは、文学と造形藝術でした。またそれらのおかげで、私は逃避することもできました」
繰り返し見る悪夢
「繰り返し見る悪夢のなかで、途方もなく大きな塊が私にのしかかり、私は逃げようとするのですが、その塊に押しつぶされていました。また私は捕まり、男たちの手で列車に乗せられていました。
私は非常に若くして、ショア(ホロコースト)に関する書物を読み始めました。私は他人からモノのように扱われた経験から、殺された数百万人のユダヤ人たちと自分とを完全に同一視し、自分のことをユダヤ人だと感じていました。私は自分のことを、ユダヤ人と同じように、自分の幼少期の物語の中に監禁された抑留者だったと思っています。なぜなら、そのヴェルヌィユの別荘で私は、生きながらにして殺されてしまったかのようになったからです」
「子どもをレイプすること、それは、子どもをモノのように扱い、その人間性を破壊することを目的とするもの」
「人道に対する罪のみが時効にかからないのだといって、子どもに対するレイプ犯罪の公訴時効廃止を拒んでいる法律家や政治家たちがいます。彼らにとって、子どもに対するレイプを時効にかからないようにすることは、ショアをありきたりな出来事にすることになるのでしょう。しかし、子どもをレイプすることは、子どもをモノとして扱い、その人間性を破壊することを目的とするものなのです。
それから私は、今の夫と出会いました。彼の一族はみな、ガス室で殺されました。私たちは一緒に、彼のおばに当る女性について捜査しました。彼のおばの名前はDinahといい、彼女はSobiborの収容所で殺されていました。彼女はマルセイユの港で検挙され、彼女の夫と義理の両親とともに収容所に入れられ、殺されました。この事実を発見したのは、私たちでした。私は夫に付き添ってその地を訪れ、調査に打ち込み、そしてユダヤ教(リベラルな、そしてフェミニストとしての)に改宗しました」
破壊された青春
母との仲は常に険悪でした。しかし、私は母とのあいだにとても冷めたつながりを保っており、絶縁したわけではありませんでした。いづれにせよ、私は年老いた母のために、かなりの世話をしました。私のことを虐待した母とはいえ、母もまた、破壊された青少年期を送っていたのです。そのことは、母が私に振るった暴力や、意地悪な言動に対する言い訳にはなりませんが、そのような振る舞いをしたことの説明にはなります。
傍目には、母は親切で愛想のいい女性に見えたかもしれません。私が小学校中級科2年を落第したとき、ようやく私にも女の子の友達ができ、その子が母のことを立派だと思っていたのを覚えています。要するに、母は二重人格だったのです。よくある話です。
父の死後、母はろくでもない男と暮らし始めました。3年前、母が亡くなったとき、-私が母を自由に告発できると感じるのはそのためなのですが-母の住居を引き払わなければなりませんでした。そこで母の遺品を整理していたときに、母が若い頃にペタン元帥に心酔していことの証拠となるものをいくつか見つけました。
当然、母にとって、私がユダヤ人の夫を持つことも、ユダヤ教に改宗したことも、耐えがたいことだったのです。
父は48歳のときに、若くして亡くなりました。私がリセの最終学年を過ごしていたときのことでした。父はアルコールとタバコの中毒でした。トラウマから逃れるためだったと、私は確信しています。
父の容子を目にしていたおかげで、私にはトラウマに対する免疫ができました。それは、「ワクチン接種」のようなものでした。そのため私は、酒や薬物などの中毒にならずに、自分のトラウマを乗り切ることができました。そしてそういったことのすべてが、医学の勉強をする気持ちをより強くしてくれたのです。
そうして私は精神科医になり、精神的外傷に関する専門医療行為、つまり性暴力被害と、被害者の抱える心的、精神医学的症状とのあいだの関連性を明らかにする仕事に従事するようになったのです。自分の過去を見つめるために、とてつもなく大きな仕事を自分自身に課さなければなりませんでした。私はすばらしい夫と子どもたちに支えられました。
そして、こうしたことのすべてが、私に今の道を歩ませてくれたのです」(了)
(元記事)https://www.marieclaire.fr/muriel-salmona-a-six-ans-ma-mere-m-a-livree-a-des-pedocriminels,1369067.asp
ift.tt/3p9KGkG #Metooinceste : dans le sillage de l’affaire Duhamel, des centaines de victimes témoignent sur Twitter
#MeTooInceste http://chng.it/4VPSH7DzKH https://www.instagram.com/p/CKQ8rPWAPvy/?igshid=zopi9ztkhmo1