Cafe「OffStream」
イントロダクション
ゴブレットビュートの石畳を踏むたびに、サーシャの革靴の底から疲れが滲み出るような気がした。
長い遠征だった。 南方の砂漠地帯を三週間かけて踏破し、モンスターの群れを掻き分け、仲間たちと野営を重ねた。 そのすべてが、今は遠い霞のように思える。 帰還して二日が経つが、体の節々はまだあの熱砂の重さを覚えていた。
ゴブレットビュートの拡張区は、夕刻になると独特の静けさに包まれる。 メインの通りから一本外れた中央部のプールの横、小さな看板がひっそりと立っていた。
Cafe「OffStream」
飾り気のない文字。 だが、その扉の前に立った瞬間、サーシャの足が止まった。
花の香りだった。
外の石畳と石壁、それだけの路地に、確かに、白い花びらの甘さと青草の清涼さが混じり合った香りが漂っている。 鼻腔の奥を、ふわりと何かが通り過ぎた。
半信半疑のまま扉を押すと、低い笑い声と陶器の音が漏れ聞こえてきた。
扉を押した瞬間、世界が変わった。
地下の要塞に迷い込んだような、と思った。
吹き抜けた天井の一角から青白い光のつらら――氷の結晶のような装飾――が静かに輝き、その光を受けて室内全体がうっすらと蒼く揺れていた。 壁は黒ずんだ石積みで、古い砦を思わせるほど重厚だが、その壁面には金の三日月と星々の吊り飾りが垂れ下がり、暖かな燭台の灯りと溶け合って、まるで石の空間に夜空が降りてきたような錯覚を起こさせる。
そして、花だ。
部屋の中央に設けられた大きな花壇――というよりも、庭――に、無数の花が咲き誇っていた。 深紅の薔薇、紫紺の穂花、淡桃のリリー、そして名も知らない青い植物が揺れている。花々の根元には橙色の炎のような光源が埋め込まれ、植物たちは内側から灯っているかのように艶めいていた。 ステンドグラスの窓からは七色の光が差し込み、花びらの上で踊っている。 別の区画では純白の花が一面に広がり、光を受けてまるで星屑を敷き詰めたように輝いていた。
賑やかだった。
テーブルはほぼ埋まっていた。 商人風の男が地図を広げながら連れと言い争い、エレゼン族の女性二人組が何かを笑い転げ、片隅では眠そうなルガディン族の大男が杯を傾けていた。 それでも騒々しいとは感じない。 花の香りと暖かな光が、すべての声を柔らかく包んでいるからか。
「いらっしゃいませ、どうぞどうぞ! どこでもお好きな席へ」
声は、カウンターの向こうから弾けるように聞こえた。
店主だとすぐにわかった。
アウラ族の女性だった。 白銀の髪が肩から胸元へと流れ、顔には深紺の鱗紋が花開くように広がっている。 瞳は暗い紅――まるで花壇の薔薇の芯を切り取ったような色をしていた。 その上に乗った黒いフェドラ帽が、奇妙なほどよく似合っている。
羽織っているのは豹柄のスーツだった。 くっきりとした黒の斑紋が白地に映え、胸元には砂色のネクタイが緩やかに垂れている。 華美なようで、どこか飄々としている。 重厚な石の空間に、彼女だけが別の時代から迷い込んできたかのようだった。 それでいて、この店の中心にいることがひどく自然に見えた。
目が合うと、彼女はにっこりと笑った。 目尻に細かな皺が寄る、屈託のない笑顔だった。
サーシャは花壇の縁に近い席を選んだ。
出てきたのは、深い琥珀色の飲み物だった。 カップに注がれた瞬間、湯気と一緒に甘く苦い香りが立ち上る。 一口含むと、熱さが喉を下り、胸の奥で静かに広がった。 砂漠の熱さとは違う、内側から解かされるような温もりだった。
花壇のすぐそばに座っているせいで、呼吸のたびに草と花の香りが混じってくる。 耳には隣のテーブルの笑い声、遠くで鳴る食器の音、誰かが小声で歌っているような旋律――それらがひとつの音楽のように重なり合って、やがてサーシャは何も考えていないことに気づいた。
遠征のこと。次の依頼のこと。 傷んだ装備の修繕。仲間への連絡。 そういったものが、全部どこかへ行ってしまっていた。
天井の氷晶が揺れ、青い光が花びらの上を滑った。
しばらくして、店主が新しいカップを持ってきた。 注文した覚えはなかったが、サーシャは何も言わなかった。 ただ、ありがとうと呟いた。
「お顔に砂漠の風が残ってますよ」
柔らかな声で、店主はそう言って微笑んだ。 それ以上は何も言わず、ただ新しいカップをそっとテーブルに置いて、また賑やかなカウンターへと戻っていった。 豹柄の背中が、花壇の向こうで次の客の相手をしながら声を上げて笑っている。
サーシャが店を出たとき、ゴブレットビュートには夜が来ていた。
石畳の上で、彼女は少しの間立ち止まった。 空を見上げると、エオルゼアの星々が濃紺の天蓋にびっしりと張り付いている。 遠征中も同じ星を見ていたはずなのに、今夜のそれはどこか違って見えた。 鋭くなく、ただ、そこにある、という静かさで輝いていた。
体の節々がまだ重いのは変わらない。 次の依頼も、装備の問題も、何も解決していない。 仲間への手紙も、まだ書いていない。
それでも――
胸の奥の、どこか固く縮こまっていたものが、ほんの少しだけ緩んでいた。 砂漠を歩き続けた三週間、サーシャは何かをずっと噛み締めたまま、吐き出すことを忘れていたのかもしれない。 あの温かいカップと、花の香りと、賑やかな笑い声が、気づかないうちにそれをほどいていた。
自分がいつの間にか深く息を吸っていることに、彼女は初めて気がついた。
どこからか、白い花びらが一枚、夜風に乗って石畳を転がっていった。
サーシャはそれを目で追い、やがて視線を前に戻した。 足が、確かに、少しだけ軽かった。
――・――・―― 店主さん
店内ハウジング
基本情報 Cafe「OffStream」 GaiaDC Alexander ゴブレットビュート 24-49 不定期営業 #OffStream














