9:00 アーサナ②
さて、リトリート2日目のアーサナクラスです。
今回の宇宙ヨガ祭りは、高野山ではじめての「ゲストハウス」宿泊リトリートです。Kokuuや、ゲストハウスならではの魅力も知ってほしかったし、おかげで参加費も、前代未聞レベルまで安くすることができました。:)
だけど、やっぱり高野山・お寺の魅力も味わっていただきたい。それに、何よりヨギのみなさんだから、きっと・・・「高野山のヨガ・リトリートに来たからには、やっぱりお寺でアーサナもやりたいよ~!!」というお気持ちですよね◯ わたしだって、そう思います。えへ ^^
と、いうわけで、無量光院の皆さま&Matthias先生の全面協力のもと、
100畳もの大広間を、アーサナ練習に使わせていただけることに!
大きな輪~◯になってウォームアップを行いつつ、
ぐ~っと、心もカラダもほぐしていきます。
高野山、そしてお寺は、日常生活よりも「本質」の深いところにコミットしやすく、当然ながら、ヨガ・瞑想にも最適な環境です。 (。-人-。)
インドのヨガでも、自身の肉体を、常に「お寺 -temple- 」と同じように扱います。
いつも清浄に、シンプルに保ち、すべてのいのちを大切に扱いながら、自分自身のいのちも、神さま・仏さま・大宇宙と同じように、大切に尊重していく。また、カラダを「お寺」と捉えることで、自身の内側にある神聖さも養っていきましょう、という教えです。
掃除やメンテナンスをしたり、体内の気を浄化したり、常にシンプルでおだやかな状態を保てるよう、自分自身のカラダを、神聖に大切に扱っていきます。
また、そういった日々の行いの「結果」を手放し、いまここの行いに専念することで、チェーンのように絶えず動き続ける「心」や「考え」を鎮め、調和へとコントロールしていくことが出来ます。
大事なのは「心」と「体」と「魂」の調和。
ポーズの完成度(結果)がヨガの目的ではありません。
(実践を重ねれば結果はあとからついてくる、自然に現れます。)
アーサナの基本は、快適に、快適に、リラックスした状態で行うこと。
結果を誰かと比べたり、上手くやろうと頑張らなくていいんです。
まずは、いまここの、からだの声を聞いて。
よけいな力みがあれば、出来る限り手放していきます。
ポーズの完成度への「執着」をひとつ手放したら、ふだんの意識(思考、感情、記憶、エゴ、etc )や次から次に出てくる「考え」もひとつずつ手放していきます。
穏やかに、リラックスして、自分自身の潜在意識に働きかけるようにアーサナを行い、ゆっくりと心身を解放していきましょう。
肯定、手放し、受容。
いまはただ、それらが「在る」ことを受け入れ、手放していきましょう。静かに、ゆったりと、からっぽになって。シンプルな状態に近づく。アーサナを味わう。
日常的な哲学の学びは必要ですが、どんなスタイルであれ、アーサナの練習をコツコツ実践していると、いつか自然と「深い瞑想」の実践へとすすんでいきます。
本来のヨーガの目的は、「本質的なわたし」を知り、そこに定着・調和することです。これは、ポーズの「型」「流派」に限らず、古代から受け継がれてきた普遍のもの。本質はひとつ。やり方は、いろいろ。
ふだんの練習は、あなたにとって本質を学びやすいもの、心地よくフィットするものを、自然に選べばいいと思います。それが「流派」「スタイル」と呼ばれているもの。
でも、「どのヨガが一番優れているか?」の追求が大事なのではありません。大事なのは、ひとりひとりが「ヨーガの本質」を捉えること。
たとえばわかりやすい話、「刃物」は使い手によって、料理をしたり、工具だったり、素晴らしいツールにもなりますし、人を傷つける凶器にもなりえますよね。つまりは、使い手の姿勢、そのひと次第。ヨーガも同じです。
たとえ同じ「◯◯ヨガ」であっても、その「型」を扱うひと次第。
ツールそのものが一番大事なんじゃなくて、いつだって、ツールを扱う「側」があなたです。うっかり「ツールが目的」になってしまっては、ヨガの意味がありません。ツールの背後にある、ヨガ全体を学びましょう。「本質」を捉えたヨギであれば、きっと、自分に合ったツール(アーサナ)をみつけ、使いこなしていくことができます。
例えば、優れた「ブランド」の高級トンカチで釘を打とうと、
優れた「職人」が、自分の肌に合う、無名のトンカチで釘を打とうと、
どちらも目的は「釘を打つこと」ですよね。(・ω・)☆
ヨガも同じで、アーサナの「流派」や「スクール」の名前にこだわりすぎたり、他の流派との優劣にばかりコミットしているひとは、本当の意味で「ヨガ的に生きている」とは言えないことがほとんどです。どの流派が最も優れているかという問いは、本来的な「アーサナ・坐法」の練習において、意味などありません。とってもナンセンスです。w
「流派」という概念自体が悪いという話ではありませんよ。
むしろ、あなたがよほどヨガに卓越していない限りは、自身で勝手にカスタムした「オリジナルアーサナ」を練習するよりも、インドの優れた賢者たちが構築した、いずれかの優れた「型」に沿って練習した方が安心、かつ賢明です。:)
また、食事の章でも書きましたが、流派ごとの良さや素晴らしさは、
実際にそれに専念した人でないと分かりません。
だけど、その際に大事なのは、広い視野と余裕(心のスペース)。
どのツールを選んでも、真理(ゴール)はひとつです。本質というのは、流派どころかヨガ以外のひと、全人類に例外無く通用する教えで、普遍的なものですね。だから、流派にとらわれて、排他的になっては意味がありません。
ヨーガの「道」は、あなたのグルや師匠が、きっと教えてくれます。たとえいま、まだグルと呼べる存在に出会っていなくても、いつか心から尊敬し、「師」と呼べる、あなたの先生に出会います。:)
師は、ヨガの哲学や本質を、広い視野から教えてくれる存在。
本人の可能性を広げ、あなたが迷ったとき、気づきへと導いてくれる存在です。心から求めていれば、必要なときに、必要なタイミングで、必ず良い先生に巡り会えます。*
周りにそんな人はいないという方も、聖典や、本の中に、賢者の教えがたくさんあります。また、先生とは、ヨガのみならず「生き方」を教えてくれる存在。あらゆる世界にいることも、忘れないでください。
ヨガを実践していようと、いなかろうと、自然のリズムと調和し、ヨギよりもヨガ的に生きる、すばらしい「お手本」たちが、世界中に、そして日本にもたくさんいます。;)
たとえば、食の先生、舞の先生、畑の先生、植物の先生、建築の先生、音楽のせんせい、珈琲のせんせいかもしれないし、山のせんせい、旅のせんせい、、、etc ∞
あなたにとって心から尊敬できる「生き方」の先輩たち、
きっと、探し求めていれば、出会えます。
また、どんな分野においても、型や流派の「呼び名」だけにとらわれることなく、まずは「全体」と「本質」をとらえる視点を大事にしてください。 (^^) ◯*。そうすることで、一部の姿もよりハッキリ見え、一部に執着することなく、かつ一部を健全に深めていけます。
「これじゃないとだめ」という執着、思い込みを手放し、視野と可能性を広げながら、ひととして優しく、愛のある豊かな人生を送る。
宇宙ヨガ祭りが届けたい、大切なコンセプトのひとつです:)
いま、ここの、
あなたのヨーガを、深めていきましょう。:)