[サー・ロジャー・ノリントン指揮、カメラータ・ザルツブルクを聴く]
モーツァルテウムにて、ロジャー・ノリントンの指揮でカメラータ・ザルツブルクを聴いた。今年で85歳になるノリントンだが、毎年ザルツブルクでは必ずカメラータと演奏会を持っている。
本日のプログラムは、モーツァルトの歌劇『イドメネオ』よりバレエ音楽、ストラヴィンスキーによるバレエ音楽『ミューズを率いるアポロン』、休憩を挟んでハイドン交響曲104番「ロンドン」。歌劇や舞踏の舞台から切り離されてコンサートで演奏されるようになった2つの作品と、舞曲のような趣きをもつ交響曲、という構想らしい。
最近はつねに椅子に座って指揮するようになったとはいえ、まだまだ矍鑠としたノリントン。ザルツブルクの演奏会では、客席に対して自らメッセージを伝えたいらしい。今日も指揮台に着くやいなやマイクを手に語り出した。ただでさえ演奏時間が長い『イドメネオ』、バレエを含めると実に長大な作品になること、切れ目なく演奏されるのでどこがラストなのかわからないよ、というようなジョークを交えて上機嫌でひとしきり喋っていた。
『イドメネオ』のバレエ曲は本当に魔法のようだった。指揮棒を使わないノリントン、座ったまま、両手をあちこちに伸ばして指を差したり拳を広げたり、その手の先で美しい音の花火が溢れ散るような、華やかで賑わいのある演奏だった。舞曲のテンポもとりつつ、バレエ音楽の雰囲気もしっかり残していて、演奏会用というところにフォーカスせず、オリジナル作品から自然に切り取ってきた感じのアプローチがとても良かった。
ストラヴィンスキーの『ミューズを率いるアポロ』は、1928年、ディアギレフのロシア・バレエ団のために作曲された作品である。ストラヴィンスキーとロシア・バレエ=バレエ・リュスのコラボレーションと聞くと、まず「春の祭典」や「ペトルーシュカ」のような斬新な舞踏作品が思い浮かぶが、この『アポロ』は当初から白いチュチュを着けたダンサーによるクラシカルな作品として構想されていた。音楽もそのコンセプトに合わせ、弦楽のみによる古典的な作品である。1920年代後半、ストラヴィンスキー自身、ロシア正教に回帰するなど、伝統的な文化とのつながりを回復する傾向にあった時期で、この舞踏音楽だけでなく、この時期の作品にはその傾向が色濃く現れている。作曲家の作品史においては「新古典主義期」と呼ばれるらしいが、同じ時期に舞台用の作品を多く手がけたリヒャルト・シュトラウスのような「揺らぎ」もほとんど感じさせず、まるでバロック音楽のようにきっちりと音符を重ねて曲が進行していく。10曲からなる長い作品だが、どの曲も美しいメロディを含んでいて、思わず聴き入った。ただし、指揮者が冒頭で触れた通り、この作品は曲の進行とともに、出口のない迷路のような雰囲気を帯びてくる。モーツァルテウム大ホールはとにかく空調設備が極端に悪く、演奏中はモーター音が出るので空調をオフにせざるを得ない。開演前に全開で吹かして冷やしておくのだが、20分ほどの「イドメネオ」のあと、30分あまり演奏が続くと、客席はだいぶん息苦しい感じになってくる。眩惑的な音の重なりに、ラストは頭がくらくらとするような感覚に囚われた。
後半のハイドンは、まさに真打登場である。ノリントンのハイドンが聴きたくて訪れた聴衆も多いように見えた。「交響曲の父」と呼ばれたハイドンの最後の交響曲、編成も大きく、フルートやオーボ絵のソロパートも多くあって全体にとても華やかな作品である。第一楽章のゆっくりとした序奏部のあと、ノリントンは全体をかなりのハイテンポで引っ張っていった。今日だけの例外だが、マエストロは、何と楽章ごとに、振り終わると客席の方を向いてニコニコと反応を見ている。こうなると、聴衆ももはや拍手をせざるを得ない。なので、本日は全楽章ごとにアプローズが入るという珍事態となった。深刻味のない、どちらかといえば楽しみに満ちたハイドンの交響曲なので特に違和感はなかったが、客席のどこかから、Oh my God! と、ため息混じりの言葉が聞こえてきた。普通はしないことだから、当然違和感を感じる人もいるだろう。
こんなこともあったが、ノリントンは、ブロムシュテットやメータ、ヤンソンスと並んで、確実に本物のマエストロのひとりであり、とりわけモーツァルトやハイドンの指揮ぶりは、ゴッドハンドかと思えるような神々しさを帯びている。こうしてライブでその演奏を聴けることそのものが、もはやギフトといっていいと思う。
お盆が近づいてきて、ザルツブルクにも日本人の姿が多く見かけられるようになった。日本人のコンサート客はだいたいとても鑑賞マナーが良く、むしろ座った席の近くに日本人グループがいると安心してしまうくらいだが、今日はどうしたことか、最前列で演奏中にスマフォをずっと見ているおばさんがいて呆れた。スマフォの電源が切れない病?はヨーロッパ人の方がひどいと思うので行為そのものははや驚かないが、最前列はおそらく演奏者からも見えている。さすがに考えて欲しいと思った。