ナイスバナナジュース

seen from Canada
seen from United States
seen from Czechia
seen from Japan
seen from Germany

seen from Malaysia

seen from Canada
seen from United States

seen from Italy

seen from Canada
seen from Russia

seen from Germany
seen from United Kingdom
seen from Ukraine

seen from Malaysia
seen from France

seen from United States
seen from United States

seen from United States
seen from United States
ナイスバナナジュース
『オフリミット』終演しました!
粘土の味『オフリミット』、無事に5ステージをつとめおわりました。ご協力いただいたみなさま、また、ご来場くださいましたみなさま、心より感謝申し上げます。 努力クラブでもなくしたためでもない、「粘土の味」の上演ができたな、という確信があります。ありがとうございました。
合田団地と和田ながらのタッグ、現段階で次回作は未定ですが、またいろいろなところでみなさまにお目にかかれれば、と思っております。どうぞ合田と和田を今後ともよろしくお願いいたします!
『わたしのある日』について
本日はご来場いただき、ありがとうございます。
2011年2月に、『巣』というしたため初の作品を、アトリエ劇研で上演しました。『巣』をつくりながら思っていたのは、舞台芸術について語るときに「非日常」という言葉を簡単に使ってしまうのは、まずいんじゃないか、ということでした。そこで「非」とした「日常」のことを、あたかもわがもののように思っているけれど、実のところ、その厖大な細部は指のすきまからどんどんこぼれおちてゆき、とどめることができない。わたしは「日常」を、手にしたことはない。知ったかぶりしているだけじゃないか。なのに、簡単に「非」なんてつけてわかったつもりになるなんて、まずい。
そのまずさを考えつづけること、日々を接写しようとすることは、『巣』からはじまったしたための活動をつらぬいている作業で、そして『わたしのある日』もまた、その作業を5人の出演者とともに反復する中で編みあがってゆきました。
今年の3月に『肩甲骨と鎖骨』という作品をつくった時、「記憶すること/思い出すことの反復運動が、俳優の労働の実質だ」という仮説を立てました。今回の作品を通じて、彼らの仕事には、うつす/ゆだねる/あずかる、というみっつの動詞に、ヒントがあるように思いはじめています。
わたしはこの先どのくらい、このように書いたいまのこの自分のことをおぼえているだろう。 「ずっと」という言葉は、あまくてやさしいけれど、信じてはいけない。
『わたしのある日』の公演当日パンフレットに載せた言葉です。
『わたしのある日』について
「きのう、なにしてました?」と、出演者にたずねるところからいつも稽古をはじめる。それから、「きのうのこと、この先どのくらいおぼえていると思いますか?」と、稽古を続ける。けれども、わたしたちはとても忘れっぽいので、たかだかきのうのこともだいぶ思い出せない。だからきっと、いまこの瞬間のことも、普通の一日としてくくって、近いうちに忘れてしまう。わたしは、本当のところ、自分にとっての普通の一日というのを、知ったかぶりしているだけだと思う。でもわたしは、いずれ忘れてしまう"いま"のことをよく知らないままいつか死ぬのはいやだから、飽きるほど見つめて、それがめくれあがりやしないかと期待しながら、この作品をつくります。
『わたしのある日』のフライヤーに載せた文章。
『肩甲骨と鎖骨』について
俳優の仕事とはなんだろう。俳優とは、身体になにかをかりそめに内蔵させて、それを繰り返し取りだしてみせる仕掛けを組み立てるひとだとして、記憶すること/思い出すことの反復運動が、彼らの労働の実質だ、というのが、この作品に取り組みながらおぼろげに見えてきた仮説です。記憶という、私たち自身から取り外しえないこの機能は、まず第一にその個体のためのものだけれど、それ以外のために働かせることができるものなのだろうか。
ジョルジュ・ペレックという作家の作業が、この作品のひとつの指針になりました。献辞をささげるとしたら、彼に宛てます。
『肩甲骨と鎖骨』を発表した「村川拓也×和田ながら×punto」の当日パンフレットに載せた作品についての言葉。
『肩甲骨と鎖骨』について
1936年に生まれ1982年に死んだジョルジュ・ペレックという小説家のことが、ずっと気になっている。記憶すること、思い出すこと、書くこと。その行為に向けてついやされた力の分厚さに、彼の(日本語に翻訳された)著作に触れるたび、いつもたじろぐ。精細に記憶すること、それを誤りながらも思い出すこと、そしてそれを執拗に書くこと。おそらくその行為に、わたしもずっとのめり込んでいて、そしてこれからものめり込んでいく。だからわたしは、彼の行為の(勝手な)継承者として、(勝手に)名乗りを上げようと思う。
肩甲骨と鎖骨は、ペレックが幼少時代、実際には骨折していないのに、骨折したことがあると記憶を食い違えていたところ。
『肩甲骨と鎖骨』のチラシに載せた言葉。
したための演出家、和田 ながらさんにインタビューしました。
「頭を下げれば大丈夫」というインタビューサイトに取材していただいた記事です。
「村川拓也×和田ながら×punto」で発表した『肩甲骨と鎖骨』について、ウェブマガジン「アンテナ」さんに取材していただいた記事です。