『わたしのある日』について
本日はご来場いただき、ありがとうございます。
2011年2月に、『巣』というしたため初の作品を、アトリエ劇研で上演しました。『巣』をつくりながら思っていたのは、舞台芸術について語るときに「非日常」という言葉を簡単に使ってしまうのは、まずいんじゃないか、ということでした。そこで「非」とした「日常」のことを、あたかもわがもののように思っているけれど、実のところ、その厖大な細部は指のすきまからどんどんこぼれおちてゆき、とどめることができない。わたしは「日常」を、手にしたことはない。知ったかぶりしているだけじゃないか。なのに、簡単に「非」なんてつけてわかったつもりになるなんて、まずい。
そのまずさを考えつづけること、日々を接写しようとすることは、『巣』からはじまったしたための活動をつらぬいている作業で、そして『わたしのある日』もまた、その作業を5人の出演者とともに反復する中で編みあがってゆきました。
今年の3月に『肩甲骨と鎖骨』という作品をつくった時、「記憶すること/思い出すことの反復運動が、俳優の労働の実質だ」という仮説を立てました。今回の作品を通じて、彼らの仕事には、うつす/ゆだねる/あずかる、というみっつの動詞に、ヒントがあるように思いはじめています。
わたしはこの先どのくらい、このように書いたいまのこの自分のことをおぼえているだろう。 「ずっと」という言葉は、あまくてやさしいけれど、信じてはいけない。
『わたしのある日』の公演当日パンフレットに載せた言葉です。











