判断基準
何を残せば(何を消せば)「そのもの」であることがわかるか
と
効率
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判断基準
何を残せば(何を消せば)「そのもの」であることがわかるか
と
効率
揺るぎないような全体の片隅に緩やかな流れがあるときもちい 声に出すといい
具体と抽象
物事を具体のままにしておくのは、めんどくさいけど大切だと思う 一回抽象にしちゃうと、なっかなかもとの具体には戻せない というか、戻せる!と思っても、きっと何か忘れちゃってて、きっともとにはなってない 具体をそのまま置いとくと、一旦抽象にしちゃっても、すぐ、もとに戻れる 思い出せない(そもそも意識にない)ことだって、問題ない そのままにある だから私は、もともとをなかなか捨てられない 私の部屋が物に溢れてるのは、もしかしてこれが原因なのか、も、
カケラと私
カケラは、 合理的な現代人として振る舞おうとしてしまう私を、時間はかかるけど愛のある人間にとどめておくための、おもりのような気がする 今変換で気づいたけど、お守りっておもりとも読むね。
切実さ
切実で適切な理由で選ばれたものは、なかなか思い出になりにくいのかもしれない。 忘れやすいのかもしれないなあ。 どうにかして選んだものには、思い出というか思い入れがあって、なかなか忘れにくい。 思い出は守りやすいけど、忘れてたら守りようないよなあ〜
編集は同質をめざさない。いつも異質や異物と一緒にいるほうを選ぶ。そこをまぜこぜに組み上げて「もう一つの世間体」を用意する。それが僕が選んだ編集という仕事なのである。
擬/松岡正剛
しかし人間の知覚と心による鑑賞と評価は、言葉や音楽や絵画による「あらわし」に新たな「あらわれ」を感じさせるようにもなった。
擬/松岡正剛
写真を撮ること
この写真群は、この町に住む人にとって、どうってことのない風景、もしくは見たこともない風景なのです 「ない」に至るまでにきっと、「ある」があったのだとおもう あるっていうバロメーターが振り切れた瞬間に、ないに変わって、つまり慣れてしまう 慣れてしまったその先にあるのは、ない、ということな気がする 見慣れすぎて、見えなくなってしまった風景はたくさんある それをよそから来た観察者としての私が、見つける 街の人がそれを見て、街を見直す そうしたことできっとなにかが繋がってくる気がする でもそれは義務でも啓蒙でもなくて、そっと置かれるものでありたい それを少しでも伝えるツールとして、写真を撮っていると思う