01_/神さまの子ども(SummonNight2)
よその世界からやってきた男、レナードが言っていたが、これは、つまり神様と呼ぶらしい。彼の言う意味での“神”はどうあれ、僕はその言葉がすごくしっくりきたよ。神様。神さま。なるほどな。それは運命だったり、才能だったり、魅力であったり、業であったり、自分ではどうにもできないもの。生まれ持ったもの。でも全部ひっくるめて神様、という呼び方でいいだろう。だったら君はまさに神様の子どもだ。君の周りのすべての人がそうであるように、君自身も振り回されるから、そうならないために君はそれを飼いならすしか方法を持たない。手綱を握ることを許されたただ一人の人間。
「僕はなにもかもが嫌だったんだ。ぜんぶ。彼女を好きになって、その気持ちだけがしあわせなものだった。その愛おしい気持ちだけが本当で、あとは全部耐えられないような現実だった。」
自分以外の他者に好意を抱くとき、同時に照らし出される自分の存在が嫌だった。トリスに恋をして浮かび上がってきたのはみじめな自分だ。トリスは本当に魅力的な女の子だった。他人の心をとらえて、離さない。そのあまりに強烈な存在は圧倒的で、誰かにはとても好かれるが誰かにはものすごく嫌われる。好きになろうが嫌いになろうが結局は彼女の虜には変わりなくて、彼女に振り回されてしまう。フリップ様はその最もたる例だと思う。彼女にとらえられて一人で踊り、自分を追いつめて、しまいには、自分の握った紐が自分の首に絡まっているのにも気がつかないで自分の首を絞めた。僕だって同じようなものだ。違うのは、僕はフリップ様と違って彼女を好きだったということだけ。やっていることは、あまり大差ないように思う。彼女に惹かれ、そしてその気持ちの強さと比例するように自分が嫌になる。僕はトリスのことを、心をすべて奪われるよりもっと深く好きになってしまった。己の運命までもを差し出すところまで、深く。だから彼女に相対したときの自分の存在は堪え難い苦痛になった。彼女を好きになればなるほど、その好きな気持ちがどうしようもなければないほど、消えてしまいたくなる。僕は僕がどうしたいのか、もはや、わからない。
暗い、というか黒い浜辺に船が着いていた。ここからでは横っ腹しか見えないものの、小さく、それこそ「小舟」といったような、大きさだけじゃなく存在がこぢんまりとして頼りない印象を与える。───遠くが見渡せない。空間自体はものすごく広いのだが、どす黒く時たま血なまぐさい赤色の混じった不気味な色の空は低く、息が詰まる。遠く水平線は深淵へ落ち、ここはたぶん終わりの場所なのだなと妙に実感した。やけに重い足を引きずって舟に近づいていく。徐々に見えてくる舟の中に見えるはずの舟底というものは見えず、かわりに見えたのは、小さい僕だった。
驚いた。
舟底にまるで隠れるようにして身を丸くし、母胎の中にいる胎児のポーズで眠っている小さい僕は、とても頼りなくて、脆弱に見えた。僕は人間でいう「物心がつく」という事象を「はっきりとした自我の発生」として迎えた。そのせいで僕は今の今まで自分が大きくなっていって今に至ったという感覚があまりないので、だからこの小さく、難しいことなどわからなそうな、ただの普通の子供にみえる自分というのは奇妙なものだった。トリスから見た僕はとても大きく見えていたと錯覚していたが、全く違ったことに驚いた。初めて僕を認識して彼女が言ったのは泣かないで、という言葉だったが、これならなるほど納得がいく。泣いてなんていなかったけど、泣いているようには見えるな。
僕はそばまで近寄っていってしゃがみこんだ。舟のへりに組んだ腕の上に顔を乗せ、小さな僕に聞いてみる。すると、ぴく、とかすかに反応を返すとごそごそ起き出す。驚いてしまうほどの小さな手がごしごしと目をこすって、顔がこちらを向く。深い井戸のような目。知性はすでに芽生え、物わかりがよさそうで、そしてもう生きるのにうんざりした目だ。が、僕にはわかる。ものを見ようとしてない。
「センサーをオフにしているな。でも、目を使うこともしていない。」
「君は、二つの道を選べる。センサーを使うか、視覚を使うかだ。でも、どちらを選んだって、君の本質は変わらない。言っている意味は君ならわかるだろう。どちらを選んでも、それが完璧に手に入ることはないよ。どちらにしたってつらい。でもこれだけはよくわかっていてほしい。こうして選ぶということが君にしか許されなかったことを。それをふまえれば、運命から考えて選ぶべきは見えるはずだ。でも運命と好き嫌いは別だから、そこは、君がいいように選べばいい。」
自分で言っていて、この台詞はどこかできいたことがある、と思っていたがすぐにわかった。これは義父さんが僕に言ったことだ。こんな言い方ではなかったにしろ、大筋はこういうことを言っていた。未来は見えている。僕は、目で見ることを選んだ。それは偽物で、自分を否定する選択肢だった。このときから僕はもう変われることを自分で証明しているではないか。僕としたことが、全部わかったつもりでいて、根本的なことを見落としている。意外と抜けてるな。そんな僕はやっぱりあらすじ通りに、目をぐっと細めて、僕を凝視した。僕は君の見ているものがわかるよ。君はいま、ものすごくぼやけた、物心ついてはじめて得た概念“視界”のなかで、記憶の中でしか知らなかったものをみているんだ。それは、生きている他人だ。喜びようがないだろうな。でも、これは君にとっての、君の人生においてそれは最大の幸運で、最大の幸福なんだ……そういうことを考えていると自然と顔の筋肉がほころんだ。そうか、義父さんはこういう気持ちだったからあんなふうに笑っていたのか。
運命と好き嫌いは別というのは、言い得て妙だなと感心する。それこそ僕とトリスの関係のようだからだ。僕とトリスに先立つものといえば、好き嫌いではなくお互いの背負った業で、運命だからだ。僕がトリスを好きになったのが運命、という話ではない。そういう運命があって、一緒にならざるを得なくて、そこで偶然僕がトリスを好きになったという話。僕が彼女を好きになろうがなるまいが一緒にいなければいけないことには変わりない。なら、好きになれてよかった。そう思う。ただそのせいで苦しみは増した訳だが、それはまあ、人を好きになるならそれ位はしかたのないことだろう。そういうことをレナードに言うと、彼は「うへえ」といった変な声を出し、そして「普通はそこまでじゃないと思うぞぉ」と言った。でも、僕はきっとこれが普通にありふれたことなんだと、今でも思う。たとえ僕が人間でトリスがクレスメントじゃなかったとしても、きっと僕はトリスを好きになったなら同じくらい苦しんだだろう。人を好きになるというのはそういうことだと思う。自分の思うようにはいかなくて、彼女の心は僕の物ではなく、僕は自分を嫌いだ。きっと変わらない。トリスのことが好きという気持ちが変わらないように。運命が僕らの手にないのと同じく。ああ、トリス、ほんとうに、すまない。見えていたはずのものが、僕にはもう見えなくなってしまったんだ。
そして神様は僕に選ばせ、僕は正しい方を選んだ。「間違えることができる正しい方」。そこには慈悲もあわれみも愛もない。あるのは賭けと運だけだ。場から動かすことのできないトリスに僕という切り札をあてるという失敗すればすべてが終わる賭けで、神様はちゃあんと勝ってみせたのである。そう、世界はまず救われた。ただそれだけの話だ。神様が勝ったってそれはそれ、僕らが救われるわけじゃない。それは、また全然別の話だ。“神様の賭け”は僕らではなく僕らが身ごもった業にこそ役目があって、僕ら自身にとってはただのきっかけにすぎなかった。運命と個人はいつだって別の場所にある。そしてあの結末がやってきた。ことの顛末はすべて滞りなかった。その上で、僕はきちんと君のことを見て、君に触れ、君のそばにいた。僕個人としても役をきっちり消化した。すべてがうまくいったんだ。君は、恨むかもしれないが。
もう、あらすじは存在しない。許された訳じゃないけれど、でも、僕らが世界において大きな役目を果たすことはもうないと思う。あとは、そう───どうにでもなる。たとえ僕が永遠にこのままでも、さしたる問題ではない。やるべきことは変わらないから。……でも、やっぱり、どうせだったら生身の君に触れたいな。このままでも、そばにいることには変わりないが。もしこの現実が地について重みを持つ日が来るとしたら、そのときはもう昨日にはない運命がそこにあるんだろうね。それでこそ、僕らがつくった未来、僕らが描いた明日だ。
そして、もし、許されるなら、君と幸せになりたいな。
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