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(via https://www.youtube.com/watch?v=ABfTMEFu3Dw)
AngularJS Tutorial: Clone Linking Function in Transclusion (transclude function)
-What is transclude function -What is cloning of transcluding content -When do we need to clone transcluded content -Various forms of transclude function -What is Clone Linking Function (or Clone attach function) -How to clone transcluding content
(via Providing Custom View Templates For Components In Angular 2 Beta 6) Just like he did for Angular 1, Ben Nadal is dissecting Angular 2 in full force. In this post he shows a neat trick on how you can create custom views for component, but combining Projections and template variables.
stuck with angularjs transclusion?
This article on Angular transclusion by @teropa is really awesome
http://goo.gl/7YPe7w
The article is rather long, but points out an important fact, which, unless kept in mind, can be a cause of headache. It turns out, that when a directive uses translusion and has nested directives within the transluded content, their compile functions are ran in the order, similar to post-link (e.g child element, upwards)
原文:Transclusion will never catch on
著者:Mark Baker
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前提となる参考文献:
Wikipedia 東外大テキスト
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トランスクルージョンはあるページから他のページへと動的にコンテンツを引用する仕組みだ。 これはカット・アンド・ペーストというよりも、他のページの特定の部分への参照(ポインタ)を用意することに近い。ポインタは実行時に解決されるから、あなたがページをロードするタイミングでコンテンツを引用することになる。トランスクルージョンは、テッド・ネルソンの「ハイパーテキスト」構想の根本的な部分である。ごく限られた分野を除いては、トランスクルージョンはこれまで一度も陽の目を見ることはなかった概念だ。未だに興味深くはあるものの、これからも受け入れられることはないだろう。
Rick Yagodichが面白い記事を投稿していた。On Third Party Transclusionというこの記事では、現行のHTML上でトランスクルージョンを実装する計画の中にある、いくつかの問題について議論している。Rickの分析はとても良いものだったが、私に言わせれば、言及されている以外にも更に2つの問題がある。そしてその問題は、トランスクルージョンの実装計画の失敗を運命づけるものだ。
トランスクルージョンはWebの基本的な自然原理に相反するものだ
David WeinbergerはWebの原理について小さいピースが緩く結合したものと描写した。その通りで、Webが今、うまく動いているのは、何十億もの全てのWebページがゆるく結合しているからだ。この結合がきつくなれば、新しいページを1つ作ることも大変になるし、その結合クラスタに入っていないページは、Webを通して読めないし、そのページからWebの何十億ものページにアクセスすることも出来なくなるだろう(ゆえに大半のページは消滅するだろう)。Webのゆるい結合はWebがうまく動く上ではとても重要なことなのだ。
トランスクルージョンはページとページの間によりタイトな結合を与える。あるページが他のページから引用されている時、2つのページはきつい結合状態にあると言える。このページは、(著者がそれを知っていようと知らなかろうと)更に、トランスクルード元のページがトランスクルードしている他のページたちとも結合していることになる。トランスクルージョンはWebの自然原理に反する。HTTPのプロトコルがよりトランスクルージョンの実装を容易にする方向に進んでいったとしても、現在のWebの原則に反するがゆえに、その生態系を破壊することになるだろう。
「小さいピースの緩い結合」についてもっとフォーマルな言い方がソフトウェアデザインの世界にはある。「密結合と疎結合」だ。これはアダプタブルなソフトウェア設計の現場では本質的な考え方だ(そしてWebベースのソフトウェアアーキテクチャの基本でもある)。自己言及的・自己充足的で、他のモジュールの振る舞いを意識せず、自身の役割に徹したソフトウェアは高いコヒージョンを持つといえる。そうしたソフトウェアの組み合わせからなるシステムが疎結合と呼ばれる。
一般的にこのアーキテクチャはモジュール間のメッセージングによって実装される。開発者は好きなモジュールを好きに書き換えてもいいし、言語レベルで刷新を行ってもいい。ただ、同じフォーマットで同じメッセージを受け取り、同じ振る舞いを行い、同じメッセージを配信すればいいだけだ。この考え方はシステムのロバスト性を高めて、システムへの新たなニーズに対応することを容易にする。
一方トランスクルージョンは、コヒージョンが欠落していて、密結合的なコンテンツを生み出してしまう。コンテンツ・オブジェクトの実装は、内部的に別のコンテンツ・オブジェクトの実装と結びついたものとなる。これぞ密結合だーWebがここまで動いてきた原則とは正反対のものだ。
もちろん、既に現行のシステムの中にトランスクルージョンの影響を見出すことはいくらでもできるーDITA(訳注:Wikipedia参照)のように。DITAはトランスクルージョンの一例といえるだろうが、しかし、DITAは多くの現行の文書システムと同様に、コヒージョンは低く結合度が高いものだ。この傾向が、こういったシステムやプロジェクトのほとんどが壊れやすい原因だ。そしてそれぞれに協調することもできなければ、データの変換も難しくしてしまう原因でもある。 密結合に利点はない。トランスクルージョンの文書の再利用は、実装も理解も密結合的に行えば容易なものだが、そこにWebらしさは無い。(文書システムにおける疎結合の事例としてはWikiやSPFEが挙げられる)。
トランスクルージョンは時代遅れの出版モデルに基づいている
トランスクルージョンのアイデアの背景には、新たな出版物を他の出版物からの「動的な」引用によって創りだそうという意図がある。これは出版物が固有の状態を持つということに依存している:出版物が静的なアドレスを持つ静的オブジェクトであるということだ。これこそWeb的ではない。Webにはあるコンテンツが次のタイミングに同じアドレスを持っている保証はないし、あるアドレスのコンテンツが次のタイミングに同じものである保証もない。メディアとして常に動的なものだ。
紙の出版物では、コピーライトを明記することで著者が著作権をコントロールすることが出来る。しかし、ひとたびコピーされて、製本して販売でもされてしまうと、購入された時点で購入者の資産となってしまう。それをオリジナルの著者が返せということはもうできない。ひとたび出版されてしまえば、それはもうある種公衆に属するものだ。少なくとも、読みやすいものが残っていく。
電子出版はこんなことにはならない。著作がキャッシュされ、コピーされ、あなたのKindleの中にダウンロードされても、著作者は削除することが出来る。あなたはコンテンツの閲覧権を購入したのであり、コンテンツの著作権は著作者に帰属するのだ。
このことが、電子出版の出版物なんて絶対に買わないよ、紙媒体の書籍しか買わない、という誓いにも似た思いを抱いている人を多く産んだものであり、反論の多い考え方であることはわかっている。電子書籍は購入者にとっての基本的権利に踏み込んでしまっていると感じられるというわけだ。だけれども、実際は、この対立関係は、異なるテクノロジーによって生まれたものであれば、異なる関係性を生み出せる、ということを映し出しているにすぎないと考えている。
電子「貸本」のアイデアは内部的には何も間違っていない。図書館と同じだ。レンタルビデオ店もそうだ。じっさい我々が消費したコンテンツをもう一度消費したいと思うことはほとんど無いわけだから、著作権を購入したり永続化した権利を購入するよりも、ワンタイムで利用し消費する権利を購入するほうがずっと経済的だ。
また、これと同じで、非公開文書にできるというアプローチも悪くない。近年EUで制定されている「忘れられる権利」がまさにそうだ。しかし、これは筋違いの例だと思っている。この出版物を無効にするためのものであり、著者についてのものではないからだ。とはいえ、昔出版した何かがいま、自分を辱めるとして、それを取り下げる方法が何も用意されていないというのはナンセンスだ。それはつまり、あなたがカーテンを開けたとして、二度と閉めることが出来ないということだ。私が一端、ある仕事について公開状態にしたいと思った時、また、それらを非公開にしたいと思った時、そう出来ないようにする理由はないだろう?
そう、非公開にするというアプローチは、全ての「参照」と「引用」の構造を破壊する。我々が勝手に、出版物は変更不可能、取り消し不可能だという幻想を持っていたのである。参照や引用といった構造は「忘れられる権利」を否定するに足るものではない。(ちなみに「非公開にする(unpublish)」という言葉はスペルチェックにかけると不明な言葉と指摘される。我々の専門用語としておこう)
同じく重要なのは我々の目に映る出版物を編集し修正する権利だ。これはWebを動かす基本原則の1つであり、読者達の「出版とはなにか」という概念を動かしているものだ。あるURLがポイントするのが、オリジナルが出版されてからずっと変わらない内容を持つコンテンツであることを期待するよりもむしろ、我々は最新バージョンのコンテンツであることを期待するだろう。
こういうユーザの期待は、トランスクルージョンでは答えられないものだ。コンテンツを更新した時、あなたがトランスクルードしたものが明日も同じ実体を参照しているとは限らない。
そう、あなたが丁寧に細心の注意を払って他のページから現在最新の状態にあるページ要素をトランスクルードしたとしても、それはあのチカチカ言う株式相場の表示器をインクルードしているようなものだ。 しかしその特性こそがWebサービスを動かしているものだ。Webサービスが規約に従っていて、特定のクエリに対しての返り値について常に動的でありながらも特定の目的に応じたものであるという信頼がWebサービスの根源にある。アドホックなコンテンツの再利用はトランスクルージョンには出来ない。 ふつうのWebページというものは、将来何が含まれるかも、将来どのアドレスで見れるようになるのかもわからないものだ。
トランスクルージョンは、一般的に受け入れられることは、ないだろう。
Webサービスは、明瞭な仕組みで、明瞭な目的があり、明瞭なフォーマット規約があり、長年に渡り受け入れられてきた。これ以上何かを発明する必要はない。 むしろ、我々はWebサービスのモデルからどのようなアドバンテージを得て、管理して、届けていくことが出来るかについて議論することに目を向けるべきである。
所感:
トランスクルージョンは、今のWebには無い魅力的な機能をたくさん備えていて、それはそれは魅力的なストーリーだと感じていた。完璧なバージョン管理と、完璧なトランスクルードがなされていれば、秩序のある、綺麗なWebを再構築でき、著作のオリジナルは常に参照できる、という感じ方で。
ここでMark Bakerが述べていることはある意味正論だと思う(WebサービスやREST APIのモデルはうまく行っているから)が、トランスクルージョンは、実装自体がそもそも既存のWeb上では成立しない、別種のWebを構築するプロジェクトだから、Webの流儀に反するという主張は少し的外れだ。
問題意識としては、インクルード(引用)にフィルタ(編集)をかけられることが問題で、トランスクルード(参照)であればフィルタを掛けられないから、誤りも生まれないだろう、という意識が今はある。