Travelling Without Moving
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Introduction : 本シリーズは新型コロナウィルス(COVID-19)で国境が閉鎖し、国内外での移動に著しく制限がかけられていた、2020年から2023年の間に制作されました。
2020年、パンデミックの影響で帰国を余儀なくされた外国籍アーティストたちが去り、人気のなくなった京都から、わたしは「パリのことを考える」という瞑想的な時間を過ごしました。
今からでは思い返すことさえ難しく感じられるのですが、2020年、例年であれば人々が誘って外へ出る桜の季節になっても、町には圧倒的な閉塞感が蔓延し、社会には重苦しい雰囲気が沈澱しているようでした。オーソリティはしきりにデジタル化を勧告し、助成金を使ってタブレットを購入すること(そしてそれを使って仕事をすること)が推奨されました。
オンライン・ミーティング、オンライン・エキシビション、果てはオンライン・アーティスト・イン・レジデンスという、言語的に倒錯したような可能性さえもが、真剣に議論されました。(もっとも、この努力により開かれた可能性も今日では多くあります)
「移動」はもはや不可能なのか。そもそも「移動」とはどんなものだっただろうか。COVID-19という出来事は、極めて根本的な疑問をわたしたちに突きつけました。これは有史以来初めて、世界中の社会が「同時に」「同じ出来事」を経験するという事態となったのです。
折りからの化石燃料に対する抵抗運動とも相まって、社会のデジタル化は急加速しました。このまま社会の営みは、すべてデジタルに置き換わってゆくのだろうか。人との出会いはモニターを通して、町の歴史は検索を通して、目の前に現れてくる時代になるのだろうか。そんな想像がポケットのスマートフォンから、食卓のラップトップから、日々のあらゆるところから立ち上がってくるように感じられました。
世界はどんな様相をしていただろうか。移動は、そうせずともその必要が満たされる時代になるのだろうか。はたして人は身体的な経験を排除して、ピクセル変換された情報を脳に再構築するだけで、生命をまっとうして行けるのだろうか。
そうした「オンラインへの引っ越し」に抵抗を感じながらも、わたしはそのような擬似信号の「世界」を渡って「京都からパリへ行く」ことにしました。
《#1 Le tour le monde en…》(2020)
2020年初夏、わたしは京都から西へ向かい、海を越え、大陸を渡り《Le tour le monde en…》と題した数十分の旅を行いました。(『八十日間世界一周 / Le tour du monde en quatre-vingt jours』は、ジュール・ヴェルヌの作品のタイトルです)
人々の「移動」が今よりもまだ技術的に制限されていた頃、人は指で地図をなぞりながら、どのように遠い世界に想いを巡らせていたのでしょうか。
デジタル通信の解像度が上がり、異国のロック・ダウンがほとんどタイムラグなく、ポケットのスマートフォンを通して認識可能となった今日、遠い世界、未知なるものへと向かう想像力を、わたしはあらためて持ちえるのでしょうか。
のちに《Sliding the surface of the Globe》と改名したこのシリーズの旅はシンプルです。すなわちグーグル・マップである地点から別の地点までを移動するという(だけの)ものですが、ただひとつ、わたしはマップ上での移動中は「ピンチ・イン/ピンチ・アウト」をしないということをルールとして課しています。
鮮やかに広がるCDA HEX「#579cda」色の海を渡り、朝鮮半島を越え中国へ。何の手がかりもない(ようにみえる)広大な中央アジアをひたすら西へ。時には川を、時にはそろりと現れる道路を頼りに、わたしは指で走りました。やがて黒海を抜け欧州に入ってからは、周囲の言語(表記)を手がかりに、わたしはパリを目指しました。そうしてほとんど旧式のiPadの充電が2%を切った頃、最後はセーヌ河を遡るようにして、わたしはパリの街へと滑り込んだのでした。
《#2 Travelling Without Moving 》(2022)
二回目の旅の機会は2022年の夏に訪れました。シドニー在住のアーティストからオンラインでの展覧会へ出展しないか、という問い合わせを受けたわたしは《Travelling Without Moving》と題した南半球への旅にでました。(タイトルはたまたまインターネットから流れていた1990年代の楽曲のタイトルです)
わたしは京都から南へ向かい、大海に出て、馴染みのない島々を眺めながらオセアニアを目指しました。
延々と続くグーグル・マップの青い(CDA HEX「#93b3f3」)海を南下し、最初に到着した陸地をわたしはオーストラリアだと信じたのですが、後にそれはパプアニューギニアではないかということに思いが至り、しかしそこからさらに南の海に乗り出すのは、なかなか勇気を必要とする決断でした。
下手をするとそれは南極への道のりかもしれない・・・しかしそんな心配をよそに、やがて陸地は現れました。オーストラリアにはまったく土地勘がなかったので、ともあれ海岸を頼りに、ついにはシドニーまで辿り着いたのでした。
《#3 Sliding the surface of the Globe》(2023)
東京の渋谷にあるギャラリーで「球体」をテーマにした展覧会から声をかけて頂いた際に、わたしは偶然フランスのリヨンにおりました。
今回より改題した本作《Sliding the surface of the Globe》は、形状としてはまったく「球体」ではありませんが、平面(スクリーン)に広げられた「球体(グローブ)」の表面を滑ることで、脳に喚起されるものを試験するものです。遠からず、展覧会のテーマに合致することを確認したわたしは、リヨンから渋谷まで行くことにしました。
フランスから東へ向かい、まずは黒海を目指します。一作目の経験を経て、この移動にはもはや土地勘のようなものさえ感じられます。問題は黒海を超えて中国に入ってからです。東へ東へと向かっているつもりでも、上下、つまり南北への誤差は発生します。北に行き過ぎるとロシアに入り、南に下りすぎると南アジアに入ってしまいます。わたしは漢字圏を出ないように、慎重に日本列島を目指しました。
結論から言えば、どこをどう通ったのか自覚できないような状態で、わたしは北海道に到着してしまいました。周囲の言語(表記)が日本語であるということには気づいたのですが、「それ」が日本列島の「どこ」に当たるのかに気づくまでには少々時間がかかりました。そうして闇雲に歩いているうちに、やがてわたしは一本のまっすぐな線路に行きあたりました。それは2016年に開通した北海道新幹線でした。新幹線に乗れば快適です。わたしは一直線に東京までの旅を進めたのでした。
《#4 Throw Away Your Screen, Rally in the Streets》(2023)
やがてパンデミックの収束も見えて、2023年の京都には海外からの旅行者も戻ってきました。COVID-19とはいったい何だったのだろうか。世界が「同時に」「同じ出来事」を体験したということの意味を改めて考えてみる暇もないまま、あたらしい日常が始まりました。唐突に日々はよそよそしく、この出来事を機会に何かが決定的に変化した、と結論づけるにも早すぎるそんな中、わたしはチェコ共和国のフルボカー・ナト・ヴルタヴォウという(わたしにとっては馴染みのない)小さな町での展覧会に招待されました。
わたしは《Throw Away Your Screens, Rally in the Streets》と題した最後の旅に出ることにしました。(タイトルは寺山修司の批評集『書を捨てよ、町へ出よう / Throw Away Your Books, Rally in the Streets』へのオマージュです)
モニターを出して京都を出発して西へ向かう。もはや行き慣れた旅です。黒海までは何の心配もありません。ただ、たまたま通りかかる大きな、あるいは名前を知っているような町に行き当たると心踊るような気持ちになります。画面に大都市の名前が出ると思わず自慢したくなるような、そんな記号獲得的な快楽が生じます。
この感覚とはいったい何なのでしょうか。
わたしは「知らないところ」へ行くよりも「知っている名前」を確認する方を喜んでいるのでしょうか。「未知なるものへ向かう想像力」というのは、いったいどこへ行ったのでしょうか。
この旅に終わりはありません。やがてフルボカー・ナト・ヴルタヴォウに到着したわたしは、この機会に、それまでまったく知らなかったこのフルボカー・ナト・ヴルタヴォウという町へと実際に行くことにしたのでした。













