キッチン前のパパイヤの木。一年経ってこんなにも伸びた。変わっていないように見える風景の中にも、実は色々な変化がある。
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キッチン前のパパイヤの木。一年経ってこんなにも伸びた。変わっていないように見える風景の中にも、実は色々な変化がある。
自転車を買った。歩きでも車でもない独特の速さ。久しぶりだ。風が気持ちいい。
最近の出来事、三本立て。
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車が帰ってきた。
島に取り残されていたプロジェクトの車が、二ヶ月ぶりに本土に戻ってきた。12月、湖の中の島で活動をしていた頃、本土と島を行き来するフェリーが書類手続き上の関係でお国から突然運休させられ、それ以来、その時に島にあった1台は島に留め置きになっていた。1月の頭に島での活動が終わって、車を使う必要はなくなったけれども、安全上、車だけを置き去りにすることもできず、2人いるドライバーが1週間交代で島に行き、車の世話をしてくれていた。そして今日、ようやくフェリーがやってきて(公式にはまだ運航していないけれど)、2ヶ月間島から出られなかった車がようやくこちら側の土を踏むことができた。
こんなことは当然論文に書かれることもないし、ましてやなんの成果にもつながらない。そして別になにかを達成したわけでもないけれど、なかなかうれしかったし、みんなのある種一大イベントだった。その一体感が、ひとつ気持ちよかった。
フェリーが内陸に到着した時には大きな汽笛が鳴らされて、それはいつもみんながいるオフィスの中まで聞こえてきた。
*****
妻がクッキーを焼いた。
先週末、妻がかねてから所望していたオーブンを買って来た。キッチンにセットアップして早速次の日、晩御飯を食べ終わった後に、なにやら材料を引っ張り出してきてクッキーづくりを始めていた。あるものでの即席のレシピということだったけど、しっかりとクッキーの味だったし、なにより焼けるまでじーっとオーブンの中を覗き込んでいる妻が、まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のようでほほえましかった。
夜に焼き上がり、新しく買った器に盛られたクッキーは、どこかくすんだセピア調の色合いで、いかにも夜の色だなぁと思った。
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みんなで映画を観た。
某所からプロジェクターを借りてきて、近所の友人も呼んで、映画を観た。何度も観た映画だったけれど、みんなで観ると、終わった後のとりとめもない感想の吐露が面白い。特に、人物の心情に、みんな少しづつ違った理解をしていて、でも実はそれは日常生活でだって起きていることなんだよなぁと思うと、なおのこと映画というものは面白い入れ物だなぁと思った。
Wordleというオンラインで気軽にできるパズルが最近はやっていて、御多分に洩れず楽しませてもらっているのだけれど(このご時世に、一日一題しか解けないというスローさが良い)、そのwordleが人の命を救ったという話。
Denyse Holt’s daughter alerted police after she failed to share the daily solution
赤道直下のケニア、常夏で季節感なんてないと思われがちだけれど、それでも果物のシーズンや咲く花でちょっとした変化が起きている。
年末から年明けにかけてはマンゴーの時期で、文字通りあらゆる街角(街というより村だが)、老若男女誰もがマンゴーを頬張っていた。日本で考えたらなんとも贅沢な光景。1月の半ばにはシーズンを過ぎて見なくなったのだけれど、クリスマス、ニューイヤーの高揚感とともにマンゴーもなくなってしまったようで、ちょっとさみしい。
先週、一週間ぶりくらいにフィールドへ行ったら、ある村の周辺で黄色い花が満開になっていた。あちこちで、大きく広げた枝先に鮮やかな黄色がこぼれ落ちているようで、これがここでの桜だなと思った。
少し前からECM Recordsにハマっている。
クラシックともジャズともつかない、不思議な音楽が、アーティスティックなジャケットとともにリリースされるレーベル。「沈黙の次に美しい音楽」がキャッチコピーらしいけれど、言い得て妙だ。このレーベルのアルバムを聴いてると、音楽というより音、そのものを楽しんでいる感覚が強くなる。響き、余韻、混ざり、ぶつかり。
レーベルを楽しむということも今までしたことがなかったけれど、統一した世界観を長く楽しめて面白い。静謐なパッケージに硬質なコンテンツ、どこかみすず書房みたいだと勝手に思ってる。
最近聴いているこのStephan Micusは世界のあまたある民族楽器をマスターし、それをまぜこぜに取り入れ演奏している超人。
昨日の昼、久しぶりに行きつけのヤギ肉炭火焼のお店に行こうとしたら、なんと、お店がない。一昨日に通りかかったときには確かにあったお店が、ない。よく見回してみれば周りの建物もダメージを受けたり、柱を残して解体されていたりしていた。
ケニアでは通りから数十メートルには建物を建ててはいけないことになっているらしく、これまでもそういう建物に赤いペンキでバツが付けられているのは見たことがあったのだけれど、それが実際に撤去されたようだ。なんでも役人が夜中にごっそり壊し、解体していくらしい。おそらく昨日投稿した小屋の引っ越しは、これを知っていた人が、避難させていたのだろう。いつも行っていた街に一つの豚肉屋さんも、基礎を残してごっそり消えていた。街中がなにやら乱闘のあとのようだった。やるときはやる役人…。
それでも炭火焼屋の店主は明日には再開すると息巻いていた。建物も何もかも跡形もなくなっていたが。
このところ話題に事欠かないMbitaである。
「ちいさいおうち」という絵本で、家をごっそり移送するシーンがあったけれど、まさにそんな情景。
雨の日の翌朝、道の上でひらひらと落ち葉のようにはためいて見えたのは、驚くことにすべて、ばらばらになった虫の羽根だった。大雨の後に地上に降り立ち、羽根を落として土に潜る虫がいるらしい。調べてみたらシロアリの仲間のようだ。
そして、その虫を集めて食べる。子供たちは大好物らしく、文字通り至るところの道端で子供が土を掘り返していた。あまりにみんな夢中で、こういう日は学校を休む子が続出するらしい。
今日は大雨だった。朝晩降ることはあっても、日中まで降り続くことは今まで経験してなかったので、どうせ止むだろうと高を括っていたけれど、予想に反してほとんど一日降り続いた。特に午前中は大雨だった。
こうなるとフィールドワークになんか行けないし、それどころか街もみんな閉まったまま、機能停止。完全にゴーストタウンと化していた。夕方くらいになって雨も弱まり、ようやくみんなそろりそろりと街に出てきて。なんだか大雪の日のよう。
雨で一日うちにこもっていたので、ほどよくやることをやり、ほどよくゆっくりした、いわば半平日半休日だった。こういう予期しない一日もたまには悪くない。
妻が、昨日の夢の話をしてくれた。なんでも、中学校の先生に、教室でお菓子を食べたことで怒られたが、自分もやりましたと最初に言い出せず後悔した、そんな夢らしい。その夢には原体験がちゃんとあって…と、1組の男子から始まってお菓子を学校に持ち込むのがブームになったこと、自分も学校の帰りに飴を友達からもらったこと、最後には鶴家先生に見つかって学年集会を開くまでなったこと、などなどその実際の出来事も話してくれたのだが、本人はなぜ今この夢をみたのか、全然わからないということだった。でも聞いているこちらはピンときた。昨日、日本から持ってきたお土産用の飴を何の気なしにつまんでいた妻に、「それはお土産なの?自分のお菓子なの?」と聞いたのは私だ。
Lake Victoria, 7:20am.
アフガニスタンのことを考える。
9.11からアフガン紛争、そしてイラク戦争という流れが始まった2001年。13歳だった。ようやくニュースを理解し、いわゆる世界というものが見えてき始めたころだったように思う。正義、英雄、報復、そんなドラマやアニメでしか使われないような浮ついた言葉と裏腹に、混沌としていく世の中を見て、勧善懲悪などというものの空々しさ、如何に現実が両義的で複雑であるか、を感じていた。ある命を救うために行うことが、多方の命を奪うことがある。誰にも等しく正しいことなどありうるのだろうか。そして生まれた場所で規定されてしまう不条理。その時に社会から感じていたことは、今も自分の中に強く残っている。
だから今、再びアフガニスタンの混迷を目にするたび、その当時の空気をまた思い出し、自分の中の社会に対するスタンスのようなものの形成過程を再びなぞっている。そして、当時とは少し違った立場にいる自分の行動というものを、振り返る。アフガニスタンに直接的に絡むことがないにせよ、あれらの出来事が起こる同じ世界のうえで、すべてが両義的で、なにが正しくてなにが間違っているかを簡単に決めにくいこの世界で(それは時としてコロナの文脈で語られてきたことでもある)、いったい自分は何ができて、そしてそんな世の中にどう働きかけたいのかを考えている。
友人の家へ遊びに行った。記憶が正しければ、6年前、初めてケニアに来た頃から一緒に調査を手伝ってくれている仲間だ。
彼の家はRusinga島にある。島と言っても内陸と近接していて、1kmにも満たない橋でつながっている。自分の家から彼の家もほんの6,7kmの距離のなので、隣の学区くらいの意識でいた。だから電話で”How is Mbita?“と問われるたびに、ん?同じMbita sub-countyなのに?というおかしみを感じていたのだけれど、実際に訪れて、その生活を垣間見て、その問いかけにも少し合点がいった。ほぼ自給自足の生活、バイクで10分で町の中心とはいえ、よほど用事もない限り、徒歩圏内の近所で日々を過ごしていそうだった。とはいえ、家の周りにはたくさんの作物が植わっていて、一見しただけでは分からない多様性がそこにはある。
調査で色々な家へ足を運び、この田舎町の生活はたいてい見知っているつもりではあったけれど、友人の目線であらためて見てみると気づかされることはある。
Kenyaというひとくくりだった国の中から、Mbitaという地域を知り、Mbitaの中のTownとRusingaを知り。世界の解像度が変わっていく。
ケニア、ヴィクトリア湖沿いのフィールド。
車で走っていると、どこまでも代り映えのしない、ただひたすらな荒野だなぁと思うのだけれど、実際にその中を歩いて、一軒一軒の家を訪ねてみようとすれば、距離、道の凸凹、太陽の暑さから、自然とその家々に住む人たちの日々をなぞることとなり、行き着いた先では、それぞれの家族の生活と、今日にいたるまでの何年、何十年の歴史の片鱗を目にする。それはたいてい自分の見知った世界からはだいぶ遠くにみえる生活世界で、とはいえその中にもさらなるバリエーションがある。「荒野」という一言で終わりかねなかった空間に、現在、過去を含めたいくつもの世界が立ち上がってくる。
去年ぐらいから、鮮やかな紅葉に対して、飽き、物足りなさを感じるようになった。ネットや広告に流れる彩度の飽和した写真たちに食傷気味ということもあるが、極彩色のモミジやイチョウばかり追いかけていると、秋を見ているのかスタンプラリーをしているのかわからなくなってしまう。さりとて、市井の紅葉にも美しさがあるはずだと思いながら、なかなかそれをすっきり自分の中で味わい、楽しむこともできずにいた。そんな秋の終わりに見た當麻寺の東塔は、ひとつの啓示のような出会いだった。
寺の裏のこんもりと生い茂った竹藪の奥、高台にひっそりとたたずんでいる天平時代の三重塔。近世以前に建立された東西両塔としては日本で唯一残る組のかたわれで国宝、というなかなか位置づけにもかかわらず、とても地味な扱いだ。前から脇から伸びる竹と笹のせいで、真下に行くまではその全容が見えない。けれども実はそのおかげで、塔を見たい人は必ず近づいて、そして下から見上げることになる。すると視界いっぱいに無数の木組みからなる屋根裏が広がる。整然と並ぶ垂木と、ごつごつとした柱。朱色はほとんど落ち、白塗りもほとんど剥げているのだけれど、木組みは依然として堅牢で、精緻なリズムを保っている。その構造の妙と相まって、塗料の鈍った色は結果的に時間が生み出した新たな魅力となり、綺麗というのとは違った美しさを生み出す。鈍さ、渋さ、褪せ。誉め言葉ではないはずの言葉が、むしろその魅力を表現する。 伽藍の他の建造物も同様に、褪せた魅力を持っていた。京都よりも奈良という人に時々会うけれど、きっと彼ら・彼女らはこの判然としない中にある美しさに魅入られているのだろう。東塔はその中でも、全容を一目で把握できないという歯がゆさ、曖昧さがさらなる神秘性を生み出し、だからこそ惹きつけられたのかもしれない。竹藪の中で、静かに対峙する時間もその感覚を増強させてくれた。
東塔を堪能した後に、金堂の中で5メートルほどもあろうかという仏像と対峙していたら、細く開いたお堂の扉からすっと日が差してきた。曇天のわずかな日の光が、ぼんやりとした、かろうじて人間と分かるかどうかといった自分の影を奥の柱に投げかけた。
祖父の葬儀を終えて家に帰ってきて、久しぶりに祖父から譲り受けたフィルム一眼を引っ張り出してきた。 ついこないだまでは“祖父から譲り受けたカメラ”だったものが、突然“祖父の形見”と変わってしまった。なんとはなしに、部屋の植物に向けてシャッターを切ってみたが、電池が無くなっていたようで、シャッターが上がりきったまま、ファインダーが真っ暗になったまま、固まってしまった。まるで、祖父の瞼が永遠に閉じてしまったのとあわせるかのように。
久しぶりに持ち出したついでにかこつけて、レンズを新調した(新調したと言っても当然中古なわけだが)。これまで持っていた50mmと24mmのあいだ、35mm。慣れのせいもあるかもしれないけれど、この画角が一番自分にしっくりくる。50mmや24mmの場合には、ファインダーを覗いた瞬間、その画に慣れるまで一瞬のラグがあるが、35mmだとそれがない。このくらいの距離でこのくらいを切り取るという身体感覚がぴたりとマッチして、気持ちがいい。 数年前に、父方の祖母のカメラを掘り出してきたとき、なにか祖母の目と共に世界を覗いているような感覚があって、少しうれしくなった。今度は、このカメラで祖父と世界を。