英国のアビイ・ロードのように、日本においても有名な通りはいくつもある。銀座通り、中央通り、日比谷通り、明治通りなどを思い出す。住んでいる周辺においても、何かの場所を説明するときに通りの名前を言うと、おおよその場所を理解しやすい。通りの名前というものは、日常生活においても便利に利用できる。
私自身では、こうした都合以外でも記憶に残る通りがある。それは、永代通りだ。勤務先がこの通りに近かった時期が割と長かったこともあるが、私の顧客であったある小規模なソフトハウスがこの永代通りにあった点が大きい。思い出に残る案件だった。
ある朝出社すると、営業が来て「今日の午後、🔺🔺🔺(事業部)の◎◎さんが来るから、一緒に話を聞いてくれない?」との依頼があった。その日は、午前中に社内の打ち合わせが1件入っているだけで、午後の予定はなかった。そこで私は時間を確認することもなく「わかりました」と答えた。営業は「後で声かけるから」と言って戻っていった。
返事はしたものの、話を聞いて終わるはずはなく、なんらかの案件の依頼のはずだ。私のグループで、手が空いている人はおらず、私も複数の案件を抱えていて動きづらかった。単発の案件なら良いが、継続的で成果物が必要となる案件では、対応しづらい。単に断るだけでは角が立つので、悩ましかった。どうやって断るか、そんなことを考えていた。
あまりいい考えも浮かばないまま午後になり、14時過ぎごろだったか、営業と◎◎さんがやってきた。
◎◎さんは「うちの事業部では対応できないから、お願いしたい」ということだった。先方は、システムの切り替えを行いたい意向で、製品の導入とサポートであった。これならサポート部門で対応できそうだった。サポート部門とはうまくいっていたので、簡単に依頼できそうだった。私は少し安心した。
だが、システム移行の内容は、WindowsサーバからLinuxサーバ、データベースも変更するなどシステム基板その物を移行することとなるが、先方は、いずれの経験もないという。そうしたこともあって、先方としては毎週半日、1年間のシステム移行の技術支援を希望しているという。この手の案件としては、大抵は1、2ヶ月の技術支援が通例なので、期間としてはかなり長期になる。
しかも、こちらから見積もりをするまでもなく、費用もすでに提示されており、一般社員の1ヶ月分に近い金額であるという。それを12ヶ月かnということになる。1週間に半日、つまり1ヶ月で2日から2.5日程度で、一般社員のほぼ1ヶ月分に相当する金額を支払うというのだ。私は、先ほどまでの、できれば断りたいと思っていた気持ちから一転して、これは取りたいと思った。と同時に、若手2人の顔が頭に浮かんだ。彼らならできるだろう。1週交代、あるいは毎週2人を出してもいい。その2人とも優秀。今はプロジェクトに従事しているが、いずれさらに上流のシステムの構想や企画・計画、調査・分析、提案などのより経営戦略に密着した業務を担当させたいと思っていたので、今回の案件はその経験に相応しいように感じた。ただし、その2人とも現在はプロジェクトに入っており、その1人のプロジェクト・マネージャとはあまり親しくはないので、話の切り出し方は考える必要がありそうだった。このようなことが頭に浮かんだ。
すると◎◎さんは「これだと、片手間にやるのは難しいよな」と言った。確かにそうだった。冷静に考えれば、1ヶ月で2日から2.5日とはいえ、一般社員の1ヶ月に近い結果が求められているのだ。技術支援の範囲も広い。私の考えが見透かされているような気もした。私は「そうですね」と答えるしかなかった。
◎◎さんは、私に「🔳🔳🔳はどうなの?」と私に振ってきた。「私ですか?私は手一杯ですね」と答えた。◎◎さんは「でも、まだ余裕はあるよね?」と食い下がってきた。「余裕」と言われると、ないわけではなかった。「「余裕と言われたらそうですね」私は答えた。◎◎さんは「じゃぁ、🔳🔳🔳だな」と言った。話を持ってきてくれた営業が、すかさず「じゃあ、部長には私から話をしておくよ」と言った。これで、私が担当することが決まった。やや気は重かった。◎◎さんは、初めから私に担当させたかったのではないか、そんな疑念があった。
2、3日後に顧客となるソフトハウスへ◎◎さんとご挨拶に伺うことになった。事前情報としては、社長は元大手電機メーカー勤務。業態はわからないがもともと家業があるとのことで、お兄さんが手伝っているとのこと。なるほど、想像できることがいくつかある。社長である父親の後ろ姿を見て育ち、自分でも、社長業をやってみたかったことは確かだろう。裕福な家庭のボンボン社長ではないことを願うだけだ。
社長にお会いすると、年齢は私より2、3歳上程度年上でで、同年代と言っていい年齢だった。社長は、今回の依頼内容として、システム移行の技術支援を挙げた。移行作業自体は、顧客であるソフトハウスが担当する。続いて、期間は12ヶ月、契約は6ヶ月ごと。ただし、次の6ヶ月も契約をするので、技術支援計画を立案する際には12ヶ月を前提として計画を立ててほしいとのことだった。この6ヶ月の契約は、費用の支払いタイミングを意味しており、支払いは2回に分けるということだ。そして社長は「出席者は2、3名。中でも⚪︎⚪︎は必ず出席させます、⚪︎⚪︎は我が社のエースです。どんどん鍛えてやってください」と言った。
なるほど、そういうことだったのか。一般社員の1人分に近いコストをかけてまでやりたかったことは、技術支援だけではなく、人材育成だったのだ。ひょっとすると、社内で天狗になっている⚪︎⚪︎さんに社外の風を入れ、井の中の蛙にさらに広い外界を知ってほしいのかもしれない。そんな社長の想いが伝わってきた。この場合、同年代と見られる当初考えた2人の若手より私の方が適任だ。
技術部門は2部門あり、その2人の部長と総務部長にもご挨拶。2人の技術系の部長は、私とほぼ同年代か。総務部長と後日ご挨拶した営業部長は、私よりも若いようだった。このようなソフトハウスの場合、社長の右腕として基本的な会社運営を担う60代のベテラン社員が在籍していることもあるが、ここにはそのような社員はいないようだった。大半が20代と30代の社員で、若く活気のあるように見えた。
2週間程度かけて今後12ヶ月の予定を作成した。システムの移行作業そのものは6ヶ月を考えているとのことだっt。だが、システムの規模やマンパワーも明らかではない現在、これを前提とするにはリスクがある。そもそも、移行方針や方法の検討も必要になる。私には、移行作業に対する責任はないとはいえ、確実に移行させる必要がある。このため、システムの移行は8ヶ月とし、作業量に応じて前後することで了解を得た。スケジュールが遅れるよりも前倒しになる方が心象が良くなることも考慮して入る。スケジュールとしては11ヶ月で一通り終了、最後の1ヶ月はまとめや仕上げのための予備月とした。これでスケジュールは了解を得た。
社長が「我が社のエース」という⚪︎⚪︎さんにもお会いした。歳のころは20代後半、やや茶髪でサバサバしたラフな感じのタイプ。私の会社ではあまり見ないタイプではある。
次週から技術支援を始めることとなった。通例、システム導入から2、3週間は問い合わせが多いので、いつでも連絡をしてほしいと⚪︎⚪︎さんには伝える。スケジュールさえ合えば、お伺いする。たいてい、この期間でシステムのおおまかなところは理解できるようだ。
実際、最初の2週間程度は週に2、3回お邪魔していただろうか。教えられるだけではなく、自分でやってみることで理解も深まり、新たな疑問も湧いてくる。こうして回っていくものだ。
1ヶ月程度経過した頃だっただろうか。⚪︎⚪︎さんのキーボードのタイピングが今ひとつであることに気づいた。タッチタイピングができる人が優秀とは限らないが、優秀な人の多くはタッチタイピングができる、これが私の持論だった。顧客や他の業界を見ても、私から若い世代についてはこれがよく当てはまった。タッチタイピングのできる人は、優れた人の部分集合に近かった。そこからはみ出ている部分もあるが。そこで私は、⚪︎⚪︎さんにタッチタイピングの練習のコツを教えた。それまでにも、タッチタイピングのコツを話したことはあったが、ここまで教えたことはなかったというところまで教えた。すると、2ヶ月程度で、⚪︎⚪︎さんは、見違えるようにタッチタイピングができるようになった。これは一生の宝物になるのだ。
3ヶ月目に入った頃だっただろうか。ある日、顧客のオフィスにお邪魔すると、珍しく社長が在席していて立ち上がり、私の方にに手招きしているように見えた。何度も手招きするので、「私ですか?」と私は自分を指差した。すると社長は、うん、うんと頷いたので、そのまま社長のところにご挨拶に行った。社長は「終わったら声かけて」ということだった。
当日の予定を終えて、再び社長の元へ伺う。応接室へ通され、「⚪︎⚪︎はどうですか」と尋ねられた。予想はしていたことだった。しかし、考えはまとまっていなかった。月初には、前月の実施概要を記した月報を提出していたが、特に⚪︎⚪︎さんについて触れてはいなかったと気づいた。社長はやはり気になっていたのだ。
通例、この種の技術支援は2、3ヶ月なので、⚪︎⚪︎さんも基本的なことについてはほぼ理解できていた。理解も早い方だった。十分とは言えなかったが社長にはそのような内容で報告した。
私も、移行するアプリについて大まかな内容が把握できてきた。そして、私としては移行は2段階で行いたいこと、移行方針・方法の策定には1ヶ月程度は要すること、実際の移行方針策定には⚪︎⚪︎さんと検討し、⚪︎⚪︎さんに資料を作成してもらうこと、それを社長に説明させることなどを説明した。⚪︎⚪︎さんには⚪︎⚪︎なりの考えがあるかもしれない。また、闇雲に力任せで移行するのではなく、今後のメンテナンスも考えた構造を予め考えておくことが重要なのだ。作成資料の目安としては、A4の文書であれば2、3ページ程度、PowerPointであれば6、7ページ程度を想定していた。
その後、社長から、移行対象である現行のアプリについてどう思うかを尋ねられた。厳密に言えば、これは契約の範囲外であった。ただ、契約自体が包括的な面もあるので、ここはまだよく理解しているわけではないと断った上で、気になることを2点挙げさせてもらった。その中の1点はやや工数のかかる内容で、社内でも認識されているようだった。
スケジュールとしては、移行方針・方法を検討する時期となった。私としては、当初の考え通りに2段階での移行を考えていた。⚪︎⚪︎さんと検討したが、⚪︎⚪︎さんはあまり考えてはいなかった様子で、私が考えた2段階での移行となった。
社長への説明資料は⚪︎⚪︎さんに作成を依頼する。これについても、あまり経験がないようでアイディアが出てこないようだった。まだ若いので、言われたこと・やるべきことをやってきただけかもしれない。そこで私が全体のストーリーを考えて構成を作成、目次レベルのタイトルも考えて提示、⚪︎⚪︎さんがその中身を作成していった。
まず、⚪︎⚪︎さんの上司である部長に説明。日を改めて、社長に説明。いずれも私も同席した。これで、基本的な移行方法は確定した。
作業が進んでいたそんなある日のことだ。⚪︎⚪︎さんが、永代通りの向かい側にある社長が借りている部屋へ行きましょう、といった。すぐ近くに、社長が借りている部屋があるのだ。許可は必要と思われるが、社員も入室することができるようだ。その部屋は、マンションの何階だったかは失念したが、通路を歩いてみると「法律事務所」「会計事務所」といった表札が並び、多くが個人オフィスとして使用しているようだった。駅からも比較的近い。個人のオフィスとしての需要が大きいようだった。
部屋に入ってみると、間取りは2DK。驚いたことに、ダイイングには、所狭しとPCサーバが設置されている。さらに、寝室も見せてもらうと、ベッドはあるものの、ここも十数台のPCサーバが設置されている。ベッドがあるとはいえ、サーバが発する騒音で眠ることはできないだろう。さながら、マシンルームといった趣だった。合計で、4、50台のサーバが設置されていた。今回、移行対象となっているアプリは、相当数のユーザ企業があるようだ。これには驚かされた。しかも、これらの運用を担う社員が半ば常駐しているようだった。
ニッチな市場とはいえ、これほどまでに多くのユーザ企業を抱えていることは、大きな強みだろう。社員の技術力も高そうだ。私はふと、このハウスを自社の協力会社として使えないだろうか、そんなことが頭に浮かんだ。下請けに抵抗があるようなら、丸投げでも構わない。なんとかならないものだろうか。そこで私は、この話を持ってきてくれた営業の◎◎さんに、協力会社として使えないか尋ねてみた。すると、◎◎さんsんはあっさい「無理じゃないかな」と言った。過去に、仕事が欲しいと言われたことがないという。なるほど、そうか。考えてみれば、社長は大手電機メーカー出身だ。システムの開発を担当していたとすれば、下請け企業の悲哀は痛いほどわかっているだろう。下請けでは、そこから脱却することはできないのだ。それをよく知っているだろう。
事情は理解したものの、私は諦めきれなかった。そこで、営業部長の方に相談してみた。丸投げでやってもらえないかと。だが「独自に営業で回っていますので」とやんわりと断られた。やはりそうか。確かに、多数の企業を顧客に持っている。そうした企業の案件があるのだろう。残念だが、諦めはついた。
また、開発が進んでいく中で、社内のイベントにもお誘いいただくようになった。この時も、話を持ってきていただいた営業の◎◎さんと共に出席した。さすが、社長のセンスがいいのか、普段は口にできないようなものもいただけた。そして、あまり話をしたことのない社員とも話をしてみた。年齢はみん若く、中にはオタクっぽい人もいるが、思っていた以上に素直でしっかりとした考えを持っていた。良い人材を獲得できているようだった。社長の思いは、社員によく浸透しているのかもしれない。若い企業の勢いを感じることができた。
そうんなことをしている間に半年が過ぎ、納品の時期となった。これまでに提出した資料に幾つか資料を追加し、バインダーにまとめて納品。まとめてみると、こんなに作ったのかと思うほど分量はあった。ただ、すでに次の契約も済んでいるので儀式のような形ではあったが。
その後1ヶ月程度で、移行作業はほぼ完了。最終的なテストと、移行時期の検討に入っていた。どちらかといえば余裕を持ったスケジュールとしていたこともあり、予定より早く進んでいた。実際の移行時期は、顧客の判断になる。
さらに1ヶ月経過した月末のことだった。いつものように始めようとすると、⚪︎⚪︎さんが私に「ボク、今月いっぱいで辞めることになりました」と伝えてきた。「エェッ!?」。そんなことが起きていいのだろうか。社長が「我が社のエースです」と胸を張って言った⚪︎⚪︎さんが退職するというのだ。私は、なんとも複雑な思いにとらわれた。鍛え過ぎたかな。普通は話をしないような内容や私自身の経験を多数話をしてきた。時間のかかる作業の時には、雑談的とはいえ業界で起きた事件などについて意見交換し、考える習慣もついてきた。一般的にも良書とされる書籍を何冊か紹介し、それらを読んでいる様子もあった。だが、それらは無駄になったのだろうか。
その日、予定も終わり、帰社する前にご挨拶に伺うと、総務部長の方から「⚪︎⚪︎が今月いっぱいで退職になるので、今回のことは今月いっぱいで終わりとさせてください。◎◎さんには、私から連絡させていただきます」と言われた。「ご本人から伺いました。私の力足らずで、申し訳ありませんでした」と私はお詫びをした。この時には、気持ちは落ち着いていた。
月が改まり、2ヶ月分の納品物を持って、◎◎さんと客先を訪問した。珍しく社長が在席していた。ご挨拶をすると、社長は苦笑いしながらもサバサバした表情で「ありがとうございました」とお礼の言葉を言ってくれた。私も「お世話になりました」と言った。その後二言、三言話をした記憶はある。
これで終わった。まだやり残したことはいくつもあり、ここまでの資料作成もかなり手間と時間を費やしたが、打てば響く感触もあり、充実した8ヶ月間だった。気になるのは、最終的な移行はどうなったのか、ということ。
その後のプロジェクトでも、その途中で退職していく顧客サイドの若手社員もいる。中には、プロジェクトの途中で入社し、途中で退職していく若手もいる。退職する場合は事前にわかるので、客先での打ち合わせの前後で通路やトイレで会った時に尋ねるようにしている。「次は大手ですか、ベンチャー系ですか?」。3人に尋ねたことがあるが、いずれもベンチャー系であった。中小の方がやりがいを感じるのかもしれない。ただ、独自の技術や商品を持った企業でないと、厳しいだろう。
今調べてみると、この顧客企業は今でも同じ場所にオフィスを構える。社長も同じだ。社員数も増えてはいるが、目立って増えている印象はない。堅実な経営をしているのだろう。ややホッとする。