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今日、最後に入った喫茶店で「一晩で3万字の文を書けますか」と訊かれて、書けるとも書けないとも答えられなかった。
大学1年次に受けた講義のレポートの、最低文字数が12,000だったような記憶がある。字数を意識しながら文を組み立てる機会は今でもあるが、それは一度に70文字しか送信できない社用携帯のSMSや、140文字までのTwitterなど、枠から溢れる文字を削っていく作業ばかりだった。だから、自分が何文字の文を書けるのか知らない。単純に気になったのと、自分が書けばその人も何か書いてくれるのではないかという目論見もあって、「今日眠るまでに、できる限り長い文を書いて載せます」と宣言して別れた。
部屋に戻ってすぐ煙の絡んだ衣服を脱ぎ、入浴と歯磨きを済ませて、PCを立ち上げる。テキストエディタに文字数カウントの拡張機能を入れて、ここまでの文を書く。それで大体400字ほど。このあと推敲して変動するかもしれない。
髪を乾かしながら何を書くか考えている時、数年前の誕生日にFさんと横浜へ行った時のことを思い出した。その日、予想していなかった喜びがあった。その場で突っ立っている私に「今書いている?」と笑いかけてくれたFさんを見て、その時まさに頭の中で文を組み立てていたので、かなり驚いた。
頭の中には常に文字の運河が流れていて、文を組み立てる時にはそこで言葉を汲む。放っておけばそれは氾濫してしまい、私はどこへも行けなくなる。そういうイメージがずっとある。
通常、こんな何にもならない自分だけのイメージのことはあまり書かないが、今日は「ただ長いだけの文」と言ってあったから、普段誰にも通じないようなことを書く時に感じる後ろめたさがない。
文を組み立てること自体が好きなので、頭の中だけでもそれなりに時間を潰せるが、すべて忘れてしまうので、できれば紙とペンがあってほしい。もっと長く文を組んでいたい時には、最初からキーボードを出している。
内容に関係なく、タイピングも同じくらい好きな行為だった。星座のようにぼんやり集まっている記憶の点のひとつに、実家の古い(当時は最新だったのかもしれない)WindowsPCで、ひたすらタイピングゲームをしていた小学生の自分がいる。ぱたぱたと切り替わる文章を、なるべく早く打ち込むだけのゲーム。すべて打ち終えたら、ミスの多いアルファベットが白い画面に表示される。
タイピングがこんなにも好きなのは、自分の身体を思い通りに動かせていると一番実感できるのが、キーボードを打っている時だからかもしれない。どちらかといえば、身体に振り回されることの方が多い。ピアノもギターも上手には弾けない。けれど、タイピングをしている時の指だけは、同じ時間に同じ方向を向いていると感じられる。頭が「楽しい」と思うのと同時に、左の人差し指は「t」のキーに伸びている。
エンジニアになったのも、キーボードを打つことを仕事にできるからという要素が大きかった。最初に入った会社の面接では「大学では短歌をやっていました、短歌もプログラミングも言葉のパズルみたいなことだと思うので多分できます」と言い切って採用してもらっていた。
そこから今の会社に移って数年後、左半身が痺れてから起こすようになった目眩が原因で、もうエンジニアではなくなった。会社のことは好きだったので、社長にお願いして、現在は営業として籍を置かせてもらっている。
「恩」という言葉の手触りは、この社長に教えてもらった。海の深さがどれほどか知らないのに、この人へは「海よりも深い恩がある」と閊えずに言うことができる。それがどれだけ深くとも上回ると確信している。
一度、どうしても会社の方針を受け入れられなかった時、退職しようとしたことがある。転職経験のある友人から「個人のキャリアアドバイザーの人に話を聞いてもらうのがおすすめ」とアドバイスをもらい、その日のうちに予約をして、22時過ぎから話を聞いてもらった。メールに記載されていたURLにアクセスすると、童話の舞台の森のようなバーチャル背景に、父よりも少し年上らしいアドバイザー(Aさん)が映る。私の説明を聞いた後、絡まった糸を解くように、丁寧に選んで質問をしてくれる。それに答えているうちに、気付けば咽び泣いていた。
約束の30分を過ぎてからも、無理やり話を閉じようとする私を宥め、質問を重ねてくれた。ひとしきり話した後、あらためてお礼を伝えると「前に進もうとしている人は、周りを瑞々しい気持ちにしてくれますから」と言ってくれた。「瑞々しい」という言葉を自分と紐づけられた覚えは他になかった。Aさんと話したのはこの一度きりだけれど、心が沈み込みそうになった時に思い出しては、支えになってもらっている。
Aさんは「身体を大事にしてあげましょう」と何度も言った。人間は頭でっかちな生き物で、悩みがあると忽ち肥大化して身動きが取れなくなる、とのことだった。その時のメモには「まず楽しい、心地いいということが重要」、「聴覚・味覚・肌感覚などで、自分を癒せることを沢山持っておくと良い」と書いてある。
頭と身体を別物とする考え方は、自分によく合っていた。登場人物のいない文で、私が「自分」と書く時、それは頭(あるいは心や脳や思考と呼ばれるもの)を指していることが多い。それ以外の身体を、自分と一体だとあまり思えない。「身体に振り回される」と書いたのも、この線引きから来るものだった。以前は不眠や冷えに由来する不一致だったけれど、この数年は目眩との争いだった。
まだSと暮らしていた頃、舌の痺れた夜があった。翌朝、左手がうまく動かせないので#7119へ相談すると、瞬く間に救急車を呼ばれ、次の記憶では、知らない看護師に車椅子で運ばれている。数えてみればたった数日の入院は、時間が引き延ばされたように長く感じた。それから、目眩は自分と切り離せないものになった。
酒をよく飲むようになったのも、はじめは目眩のためだった。
自分で引いた線の内側に、理解できないもののあることが怖い。自分の一部だと思っているものに異変があれば、それがどれだけちっぽけなものだとしても、すべて明らかになるまで眠ることができない。だから、原因の分からない目眩に身体を乗っ取られているのは耐え難かった。新しい病院へ行き、あるいは数万の検査費用を払い、「原因は分かりませんでした」と告げられるたび、本当に死のうと思った。それはいつも希うような自分の存在をなくすためのものではなく、“分からない”を消すための死だった。ただ、この時も死ぬことはできなかった。疲れ果てて、後付けでも目眩に理由をつけようと飲酒をする日が増えた。酒を飲めば目は回る、それで安心していた。
営業部へ配属されてから、たった一人の上司が酒好きの人嫌いだったこともあって、良い関係を築くために、外回りの帰りはよく二人で酒を飲んだ。今では、上司の一番親しい人類は自分だと胸を張れるほどになった。この上司も本当に良い人だった。虚弱体質だが、いわゆる怪我の功名だと思えることが多いので、最近はそこまで悲観していない。周りにはいい迷惑かもしれない。
酒に関連する話では、今月から、数年振りに飲食店でアルバイトをしている。私の住む街には、元は闇市だった横丁があって、興味はあるものの単身で入り込むには少し怖い場所だった。先月、仕事の関連で求人サイトを眺めていた時に偶然その中にある立ち飲み屋の募集を見つけて、その夜に店へ行き、面接の申し込みをした。仕事が終わってから週に1回程度、3時間だけのアルバイト。店主も常連の方々も、寛容な人達だった。もたもたと酒を出しても、手元が狂ってグラスから泡を溢れさせても、怒られたり嫌な顔をされたりしたことは一度もない。が、今まで無かったはずの作業マニュアルが、私が入ってから作成されたことから、かなり仕事のできないアルバイターであることは自覚したほうが良い。
この文章を書くきっかけになった友人が「自分を観測してくれている人がいると生活が回る」と話していたのを思い出し、Twitterで作業音を垂れ流す。誰かが配信を聞き始めてくれたことを知らせる音が鳴ったり、ボタンを押し間違えたらしい友人の声を少し聞けたりして嬉しかった。一人暮らしをしていた頃(今も一人で暮らしているので、正確には第1期の一人暮らし時代)、作業通話が好きだった。流行病でどこへも行けなかった頃、H先輩と毎日通話を繋いで作業していた。何を話すわけでもなく、お互いの向き合わなければいけない仕事をこなして、時折声を掛け合って、とても居心地が良かった。上京してから今までを通して、あんなに人と会わなかった時期はないが、H先輩のおかげで日々楽しさを見つけられていた。
また通知音が鳴って、見たことのないアイコンが表示される。
今日「Twitterに文を書かなくなりましたね」と言われて、その通りだった。気まぐれに写真を載せ始めて、知らない人からの反応が増えた。その人達には、時々良い景色の見える窓、くらいに思われている気がして、次第に自分のことを書けなくなっていった。Twitterをフォローしてくれて知り合った人と初対面をやる時も、少しだけ気が引ける。猫背でふやけた自分を恥ずかしく思う。
ここまでで4,000字。ある程度の文字数を過ぎたら、今まであまり書いたことのない自分のことを書くつもりだったのだけれど、「書いたことのない自分のこと」がそんなに思いつかない。
親しい人には、自分のことを何でも話してしまう。かつての恋人について「私の大切なものは洗い浚い話してしまっているから、自分丸ごとこの人の領土のような気がしている」と書いたことがあった。これもtumblrで公開していたので、会ったことのない人から「あの一文を短歌にしたところ新聞に載りました」という内容の連絡が来た。その人は、売ることも捨てることもできなかった短歌の本を十数冊、番号式のコインロッカーを経由して引き取ってくれた人だった。
Sと結婚する以前の破局については、あまり大っぴらに書いたことはない。そこには、16歳からの3年間交際していた人が、「別れた人数は、壊した人間関係の数と一緒」と言っていたのを忘れられずにいることが根差していると思う。私は10回以上、交際関係を破綻させている。殆どが私の不寛容によって崩れていった。書かないうちに、彼らのことを忘れていくのは悲しい。かつて交際関係を結んでくれた人で、現在形で私を良く思ってくれている(少なくとも悪くは思っていない)と確信できるのはEだけだった。E以外の全員は、きっと悪い夢のように私との過去を処理しているだろう。
Sと離婚したことを書いてから、別の人と配偶関係になったことも、まだはっきりとは書いていない。ほぼ私信のために使っているInstagramのストーリーズにだけその報告を載せた時、Sさんが「もっかいけっこんしたん?!!?!」とメッセージをくれて嬉しかった。「また」ではなく「もっかい」という言葉選びに、Sさんの優しさが滲んでいた。SさんとTさんは、Twitterで知り合った友人の学生時代のルームメイトだった。Tさんは友人の中で3番目に家が近く、Sさんもよく遊びに来ているので、二人のことをご近所さんだと思っている。ある日の仕事中、画面を上にしたままだった私用携帯に、「いますごい綺麗な虹出てるよ」とTさんから連絡があった。「いま虹が綺麗みたいです」とメッセージを読み上げると、「それは仕方ないねえ」と社長が言って、その場にいた全員で虹を見るために外へ出た。ゲームのクリア画面みたいだったな、と今書き起こしながら思う。
眠るまでを今日としているのだけれど、普段睡眠薬で眠っている私は、よほど疲れているか深酒をしているかしない限り、うっかり眠ってしまうことはない。そして今日は素面で、そんなには疲れていない。とにかく長い文にしたいので、手当たり次第に浮かんだことを打ち込んでいく。言い換えや書き直しが必要な部分は{}で囲っておく。文字数が燃料なら、自分の船はそれなりに遠くまで行けるのではないかと思う。











