なぜAV女優になったのか、と問われた女優は、たいていカメラが回っているところでは「エッチが好きだから」とか答えるし、ジャーナリズムの入ったインタビューだったら「お金が必要だった」とか「家庭環境が悪かった」とかそういうことを言うんですけど、春原未来はいきなりマズローの欲求5段階説を持ち出します。
完全なる人間―魂のめざすもの
作者: アブラハム・H.マスロー,Abraham H. Maslow,上田吉一
出版社/メーカー: 誠信書房
発売日: 1998/09
メディア: 単行本
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アブラハム・マズローの理論によれば、人間の欲求は「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」と段階を踏んでいきます。春原未来は、自分のビデオを見ることで、生理的欲求のうちにある性の欲求を満たし、ファンにも自己実現に近づいてほしい、と考えているというのです。
ここで興味を持ったタートル今田監督は、彼女とメールのやり取りやミーティングを重ねることで企画を練り、「私のことを知ったら、100%嫌いになるよ」という彼女を説き伏せて、結果として「小樽まで2泊3日の旅をして、そこで彼女と話し合いながら、気が向いたらセックスをする」というプランを立てました。監督が男優とカメラマンを、女優がADを兼ねるという最小限のユニットで旅ははじまります。
初日は札幌のホテルにチェックインし、ここではロングインタビューが行われます。この内容が、春原未来のプロ意識というより、常軌を逸した自己犠牲と奉仕の精神が露わになる、鬼気迫るものなんです。
ベッドに腰掛けて「とにかく誰かの役に立つことがしたかった」という彼女ですが、AV女優には珍しくない異常な自己評価の低さを見せて「でも私には何もできない」「医者や弁護士みたいな仕事はできない」「私の価値はセックスしかない」と、切々と語ります。
監督も、たぶん「そんなことないんじゃないの」と言いたくなるところだったと思いますが、そこをぐっとこらえてさらに語らせます。内容はさらに、常人では考えられない領域へと踏み込んでいきます。
春原未来は、やるからには命がけでやるしかない、という覚悟を表明して「それで死んだら死んだでいい」とまで言います。「自分には他に何もない」「これで死んでもかまわない」というから、エヴァンゲリオンに乗る綾波レイ並みの覚悟です。そりゃシンジさんもドン引きしますわ。
しかもですよ、「そういうことをすると発売できないのはわかってるけど、引退作では流血とかしたい」「そういう性癖の人、屍姦が好きな人とかもいるから、みんなに喜んでほしい」みたいなことを言い出すので、オレの中のメンヘラセンサーが「これあかんやつや」とアラートを鳴らし始めるんですわ。
しかし、春原未来はその辺のこともきっちり理解していて「だから、ネットとかでメンヘラって書かれたりする」と言うので、先回りで出鼻をくじかれます。
「リストカットとかはしてないけど、やる人っていうのは気づいてほしいからやる」「本当につらい人は、気づいてほしいという思いも出せない」と語るので、彼女も相当につらい思いをしてきたのだろうと思わされますが、監督はそこにはあえて深く突っ込まず、彼女の語るにまかせます。「両親には愛されて育ったけど、2人の人生に私は必要なかった」「両親は結婚するべきじゃなかったし、私も生まれるべきじゃなかった」というあたりは聞いていて本当につらくなりますが、でも、このぐらいのことを言うAV女優ならそこまで希少というわけでもないんです。
春原未来がすごいのは、プロ意識とかサービス精神とかいう枠組みをはるかに超えてしまっている、ファンへの愛情です。
「自分の作品で楽しんでほしい」ぐらいのことは、プロのAV女優なら誰でも言いますが、春原未来は「どんなに忙しくても、月に1度はファンと触れ合うイベントをやりたい」「本当はファンクラブじゃなくてサークルを作りたい。みんなで運動とかして、みんなが健康な生活を送れるようにしたい」「ファンの人には、私のビデオでオナニーするだけで自己完結してほしくない。私のことを見て、女の子っていいものだなと思って、一歩外へ踏み出して、いい恋愛ができるようになってほしい」なんてことまで言うんですよ、すげえ真顔で。
AVファンのみならず、アイドルのファンにもあると思いますが、崇拝しているはずの女優やアイドルに対して「でもどうせ俺らファンのことなんか、金もってくるゴキブリ程度にしか思ってねえんだろう」みたいな屈折した想いがあったりするじゃないですか。でも、春原未来はファンの人生についてまで考えているというのだから、もうね、この人は菩薩か何かか、と思いましたね。