親ガエルの表情がどことなく奈良美智作品の少女に似ている気がした。

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Sade Olutola

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Keni
Three Goblin Art
hello vonnie
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❣ Chile in a Photography ❣
occasionally subtle
Misplaced Lens Cap
he wasn't even looking at me and he found me
almost home
"I'm Dorothy Gale from Kansas"
d e v o n

#extradirty
we're not kids anymore.
PUT YOUR BEARD IN MY MOUTH
dirt enthusiast

Love Begins
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親ガエルの表情がどことなく奈良美智作品の少女に似ている気がした。
NHKラジオ第2で放送されている番組「こころをよむ」の現在のテーマがミュージアムであることに遅ればせながら気づいた。これから欠かさず聞いたとしてもざっと全体の3分の2を聞き逃した計算になるので、テキストを買ってみた。ひと目で田中達也作品とわかる表紙が楽しく、作品中のフィギュア人間たちも心なしか楽しそうに見える。
ただし、この表紙から想起されるのは美術館だが、講師の稲村哲也氏の専門は美術ではなく文化人類学と博物館学なので、この番組ではミュージアムはミュージアムでも博物館のほうを扱っており、特にポストコロニアリズムに紙幅(ラジオだと時間か)を割いているようである。
YOU DO NOT の「U DO N(うどん)」の部分。
この「YOU DO NOT 〜」は、東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の「アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たち Alfredo Jaar | You and Me and the Others」の展示作品の一部。このポスター的な紙が床に積まれていて、来場者は1人1枚ずつ持ち帰れるようになっていた。
東北歴史博物館 総合展示室
東北歴史博物館の総合展示室(いわゆる常設展示)を見る。旧石器時代から近現代までの東北地方の歴史を扱っている。博物館の所在地、宮城県多賀城市の歴史をふまえた視点で構成されたコーナーもあり、東北目線、宮城目線、多賀城目線を使い分けたり並列させたりするのは難しそうだなとも思った。
まずは「世界遺産 縄文」展との関連で目に留まった展示品をいくつか。縄文時代のイヌの墓が「縄文」展にあったが、こちらの総合展示室ではイノシシの仔の墓を見ることができた。当時イノシシは狩りの獲物という以上の何か重要な意味を持っていた可能性がある。
こちらにも遮光器土偶がいた。出来ばえは素朴な感じ。
土でなく石で作ったものは岩偶(がんぐう)と呼ぶことを知る。
そして動物のツノで作ったものは角偶(かくぐう)。
装飾の施された岩版や土版。
人面獣(!)の複製品。オリジナルは重要文化財に指定されているそう。
縄文時代の漆製品の数々。
縄文アクセサリーの数々。
カエルをかたどった角製ペンダントの複製品。いい顔をしている。
ところで、縄文時代の展示の中に竪穴住居の模型があり、その解説パネルに当時の日常生活の想像図が描かれていた。女性が採集や調理をし、男性が狩りに行くような設定だったのだが、最近の研究では、狩猟採集の性別役割分担は従来考えられていたのとは異なる可能性が示唆されているのではなかっただろうか。この想像図を描き変えねばならない日が来るかもしれない……と思った。
次に、博物館のある多賀城関連の展示品を少々。下の写真は国府多賀城の建物に使われた瓦。左の瓦は現在の仙台市、右の瓦は宮城県北部で生産されたとのこと。
これは占いに使った卜骨。
卜骨など占いや祭祀関係の出土品は数多いとのこと。
人形(ひとがた)などもある。かなり長い。
これも祭祀用品。
多賀城の歴史は東北地方の歴史と密接に関わる。東北北部まで勢力を広げたいヤマトの中央政府と、支配されたくないエミシ(東北地方のまつろわぬ人々を中央政府側はエミシと呼んだ)との戦いで、国府多賀城やその周辺は最前線にもなった。国府多賀城は焼失したが中央政府は力を増して東北地方も支配下に置くこととなった。このあたりの歴史、中央とエミシの戦いを取り上げるコーナーがあるのは東北の歴史博物館だからこそと言えるかもしれない。
奥まった一室には、藁で作った神さまたちが勢揃いしていた。災いをもたらす悪いものは集落の外からやってくるということで(個人的には問題のある発想だとは思うが)村境に置かれる神、また、害虫を送り出す神、疫病を送り出す神などがある。
下の写真のは人形でなくヘビの形をしている。
ここから下は、有名な秋田のナマハゲと同じタイプの神さまで、村に訪れる神という位置付け。
博物館のロビーの一角では、これらの藁の神さまたちが集落の行事の中でどのように作られたり使われたりするかを映像で見られるようになっていた。それを見て気づいたのは、男神には一目見てそれとわかる男性器が付いていること。展示品には全然付いていないように見えたので、おそらく公序良俗に配慮したものと思われる。展示用に特別に“去勢”して作ったのか、あるいは腰蓑の下にひっそり付けてあったりするのか。
最後に、印象に残った展示品をひとつ。東北地方は冷害などもあってたびたび飢饉に見舞われた。それを示す展示の中に、「飢饉の時の食べ物」と題した食品サンプルがあった。わらび餅、ワラ餅、野老(ところ)餅、松皮餅、どんぐり餅。野老とはヤマイモに似た植物で苦みがあるという。毒でさえなければ野山にあるものをなんでも利用しようとしたのだろう。むかしの食事を食品サンプルで再現したものはまあまあ見かけるが、飢饉のときのそれを見るのは初めてだった。こういうものを食べざるを得ない状況には陥りたくないが、どれぐらい不味いのか味見してみたい気はする。
「世界遺産 縄文」展
東北歴史博物館で「世界遺産 縄文」展を見る。世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」の出土品や、遮光器土偶や国宝指定の土偶などを展示する、「北の縄文人」にフォーカスした企画の巡回展である。
展示室入口では、御所野遺跡(岩手)、里浜貝塚(宮城)、大湯環状列石(秋田)、三内丸山遺跡(青森)など東北の縄文時代の遺跡を撮影した映像が流れる。その後まずは少しだけ旧石器時代のおさらいをしてから縄文時代の遺物を見る形になる。石器はもちろん縄文時代にも引き続き作られており、旧石器時代との連続性があるためだと思われる。
矢の先端に用いられた石鏃(せきぞく)。縄文時代に特徴的な石器とのこと。
縄文時代草創期の多縄文土器。2種類の縄目で模様を付けている。
鹿の角で作った銛頭(もりがしら)。
展示室入口の映像にあった岩手の御所野遺跡からの出土品、円筒土器。これは縄文中期のものとのこと。
これも御所野遺跡の出土品で、大木式土器と呼ばれるもの。上の円筒土器とは異なる見た目の特徴を持っている。
青森の三内丸山遺跡から見つかった、黒曜石の石器。黒曜石は北海道産とのこと。
この下も同じく三内丸山遺跡からの出土品で、北海道のアオトラ石。未成品があることから、北海道の石を素材として持ち込んで集落で石器を作ったことがわかる。
新潟は糸魚川周辺から三内丸山までやってきたヒスイ。
縄文後期の土器。かなり大きい。入口の映像に出てきた秋田の大湯環状列石からの出土品。
ストーンサークルは祭祀に使われたとみられ、そのためのアイテムが出土している。下の写真の左側は土版の複製品。穴の数で1から6までの数字を表しているらしい。オリジナルは大湯環状列石のもの。右側の写真は、鐸形(もしくはイカ形)の土製品の複製。よく見ると三角形の部分に縄目模様がある。オリジナルは北海道の鷲ノ木4遺跡の出土品。
日本列島各地に稲作が広まっていったころ、北海道南西部から東北地方にかけての地域では縄文文化の継承が見られる。そこでは「亀ヶ岡文化」が広範囲に展開したのだという。その地域で使われた亀ヶ岡土器の例が下の写真2点。
漆は縄文時代早期から使われていたが、亀ヶ岡文化の時期になると技術が相当に向上する。下の写真は赤漆と黒漆を使った土器。全体の形も整っているし、漆で描いた文様がなんだかかっこいい。
さて、次に登場するのが今回の目玉のひとつ、東北の遮光器土偶コーナー。まずは星宮遺跡(秋田)の2点と、八日町遺跡(青森)の2点。作風の違いが見てとれる。
宮城の恵比須田遺跡の遮光器土偶。国の重要文化財に指定されていて東京国立博物館が所蔵しているが、約30年ぶりに宮城県へ“里帰り”したということで、特別扱いで単独でケースに収まっていた。
遮光器土偶の次は国宝土偶。下の写真は合掌土偶。風張1遺跡(青森)の出土品。
国宝の「縄文の女神」の複製品。オリジナルは山形の西ノ前遺跡出土。この写真はあえて正面でなく斜め後ろから撮ってみた。この曲線美が「女神」と称される所以か。
縄文の人々の暮らしぶりを追う章には、妊娠出産にまつわる土偶や土製品が数多く展示されていた。下の画像は妊娠した女性をかたどった土偶の例。
これは小さい子どもの手や足を形どった土製品。子どものすこやかな成長を願ったものか、失われた小さな命を悼んだものか。
生には死がつきもの。これは新生児または胎児を葬ったとおぼしき棺墓。亡骸を土器に収めて埋葬してあった模様。
ヒトだけでなくイヌも埋葬されていたようである。生前の姿を想像できそうな骨の残り具合。
宮城の里浜貝塚から剥ぎ取った貝の層が壁にどどーんと設置されていて、剥ぎ取りとはいえホンモノのもつ迫力みたいなものがあった。
竪穴住居の模型にシルバニアファミリーが住んでいたのにはちょっと笑ってしまったが、見れば見るほど芸が細かい。ちゃんと縄文アクセサリーなども着けている。きれいな石の首飾りとか、土器の耳飾りとか……
展示室の出口には「土偶にさわってみよう」コーナーが。ものによって質感が異なるのを実感できた。
「いつもそばには猫がいた 猫神信仰と猫供養」展
村田町歴史みらい館で「いつもそばには猫がいた 猫神信仰と猫供養」展を見る。猫と何らかの関係がある神社仏閣や祠などはほぼ全国的に存在している。この展示では、養蚕との関わりが深い猫神信仰と、死んだ猫のための猫供養に焦点を当て、猫を描いた猫絵、猫の彫像や石碑、鼠除けのお札やまじない、神社に奉納された絵馬など、さまざまな文物を紹介している。
猫瓦。左は目に穴を開けてある。右のほうは猫の頭部のシルエットになっている。
神社に奉納されていた猫像。
蔵守り猫。
飼い猫のペーちゃんを供養する碑。
猫を彫って描いてある扁額と、鼠除猫お札。
猫絵。この写真のもの以外にもたくさん展示されていた。
猫絵の中には、上州は新田岩松氏の当主、新田徳純(にったよしずみ)が四代にわたって描いた「新田猫絵」もあった。
宮城県大和町の猫神社のものと推定される、小さい素焼きの猫像。
まじないの本。鼠除けのも書いてある(左のページの右から2番目)。
鼠除けのまじない札。
鼠除猫お札とその版木。梵字を組み合わせた猫の姿に注目。
鼠除け猫お札とともに、「飼猫安全」と書かれたお札が展示してある(左から2番目)。このお札は現在でも入手可能らしい。
仏教の放生会と養蚕とのつながりを示す回向袋なども。
富山などの薬屋さんが鼠除けの絵をおまけとして配布していたらしい。
神社に奉納された猫図絵馬がたくさん展示されていた。必ずしも達者ではない手書きの絵が見ていて楽しい。
題材こそ違うが構図的に神坂雪佳の《狗児》を思い起こさせる絵馬。ただし年代的に雪佳の作品よりこの絵馬のほうがずっと古い。
黒猫の後ろ姿がなかなか洒落ていると思ったら……
別の展示ケースにもよく似た絵馬があり(下の写真の左下)、それとともに『尋常小学校新定畫帖』の黒猫後ろ姿のページが示してあった。ほとんどの絵馬はプロの絵師が描いたわけではないと思うので、こういう画帳などを元ネタにして絵馬が作られたのだろうと思う。
絵入りの版本をお手本にして絵馬を描いた例もあった。ちなみに下の写真の2点の絵馬は裏側も見えるように展示されていて、裏に描かれた猫の絵も見ることができた。
なお、神社に奉納された猫像や絵馬などは、ご利益を求めてひとつ拝借し、のちにお礼として倍の数をお返しする習慣があったそうである。絵馬はたくさん残っているようだが、素焼きの猫像などは現存するものが少ないとのこと。
宮城県丸森町にあった猫神社の旗が2枚セットで壁に掛かっている。
そして片方の旗には猫の足跡が! 墨が乾く前に猫が上を歩いてしまった模様。足跡はもう1か所あり。
猫を擬人化して養蚕の様子を描いた、明治時代の浮世絵。
全国各地に多数ある猫の石碑などの一部は、写真と拓本がセットで、もしくは写真のみで、ロビーにたくさん展示されていた。
「Book Shelves Retrospective」展
目黒区美術館区民ギャラリーで「Book Shelves Retrospective/書棚 ─ 佇まいの彼方」展を見た。写真家の薈田純一が撮影したさまざまな書棚写真を展示した個展である。たとえば誰の書棚かというと、著名人では江戸川乱歩、立花隆、松岡正剛など。ほかに、文庫本などが置かれた居酒屋の棚、駅に設置された本棚、一般人の別荘の棚などの写真もあった。大量の蔵書を収めた著名人の書棚はもちろん圧巻で、写っている本を舐めるように見てしまったが、ごく小さな書棚を撮った作品もあるのがよかった。本や書棚の価値や魅力はその物量だけで決まるものではない。
薈田の撮影手法は、一度に書棚全体を撮るのではなく、棚を1段ずつ別個に撮ってからそれを組み合わせて元の書棚の状態に“復元”するというものである。そのため、よく見ると書棚本体やその周囲に写り込んだモノのパースがずれていることがわかる。その一方で、どの書籍も背表紙等がクリアに見えるので、どんな本がどのように並んでいるかがとてもわかりやすい。書棚のある室内風景をなんとなくそれらしく撮った写真とは異なり、書棚そのものあるいは本そのものが主役になっているのが特徴であり良さだと思った。
「クルト・ネフ生誕99年」展
目黒区美術館で「クルト・ネフ生誕99年」展を見る。スイスのトイメーカーNaef(ネフ)社の創立者、クルト・ネフを紹介する企画である。トイは実際に触れて遊んでなんぼのものだとは思うが、ウェルメイド玩具がずらりと勢ぞろいしたさまは見ごたえがあった。親子連れの来訪者が多く、どちらかというと子どもより大人のほうが歓声を上げていたのも印象的だった。会場内のキャプションによると、ネフ社の海外輸出の約半分が日本向けなのだそう。また、目黒区立保育園ではネフ社のトイも含め輸入玩具を日常的に使用しているとのこと。
ネフ社の代表的なトイのバリエーションいろいろ。
赤ちゃん向けのガラガラのようなトイもたくさんある。
これは素材が樹脂で、なんだかネフっぽくないなと思ったら、ニューヨークのトイのセレクトショップで特注生産されたものだそうで、なるほどアメリカ仕様か……と納得。
これは人形の家。器用な人が自作したかのような手作り感があるのがいいのだろうと思う。
ネフ社の古いカタログなど。
『美術手帖』や『民藝』でネフ社のトイが取り上げられた号。
手前はクルト・ネフ所蔵のこけし、奥がクルト・ネフ自身のろくろ作品。
階段脇のエリアにもネフ社のトイが展示されていた。
「⚪︎△◻︎(まる さんかく しかく)えほんのせかい+目黒区美術館トイコレクション」展
目黒区美術館で「○△□(まる さんかく しかく)えほんのせかい+目黒区美術館トイコレクション」展を見る。及川賢治と竹内繭子の絵本作品2点と、美術館の開館以前よりコレクションしてきた国内外のトイを紹介する企画展である。プレイコーナーも用意されており、親子連れが何組かトイで遊んでいた。
展示室入口。
絵本『まるさんかくぞう』より。
絵本『いっこさんこ』より。
かなり大きいサイズに拡大してあるので、絵本を読むのとは違ったおもしろさがあるのではないかと思う(絵本は未読)。
展示ケースの中に紙や木や陶の作品。
展示室フロアのあちこちにトイの展示。
おもにブルーノ・ムナーリの作品を集めたエリア。
この下はムナーリではなくエンツォ・マーリ。
美術館1階受付付近のディスプレイ。
「Dressing Up: Pushpamala N」展
シャネルネクサスホールで「Dressing Up: Pushpamala N」展を見る。インド出身のプシュパマラ Nの日本初個展である。さまざまな分野で活動するアーティストのフォト・パフォーマンス作品を3点展示している。
作品のほかに、2012年に撮影されたインタビュー映像もあり、とても興味深く充実した内容だった。プシュパマラ作品にはインド映画など大衆文化からの影響が大きい。たとえば、美術評論家のハンス・マシューズの言を参照しつつ、次のようなことが語られる。油彩画は西洋が圧倒的な伝統を持っている。それに対して写真や映像は誕生して間もなくインドへも伝わったため植民地主義的な負のイメージを伴わない。そして大衆文化こそがインドの近代性を形作ってきた、と。また、プシュパマラは自身の作品制作について、写真は事実を記録するドキュメンタリー的な役割を担うことが多いが、フィクションの記録(いわば“写真小説”のような)のために使うことに興味がある、しかし写真家や映画監督になりたいわけではないので自身がパフォーマンスをしたものを本職の人に撮ってもらう、と話していた。
《ファントム レディ あるいはキスメット》。プシュパマラの初めてのフォト・パフォーマンス作品。快傑ゾロのような仮面をつけたファントム レディとその双子の妹にプシュパマラが一人二役で扮し、フィルム・ノワール風の写真シリーズに仕立てられている。
時計回りに見ていくとストーリーがなんとなく想像できるようになっている。
このシーン、ファントム レディの頭のところに布袋がいて、とても気になった。布袋はインド由来じゃないのになんでここに…?と疑問に思ったので検索したら、どうやらインドでは幸運を呼ぶ置物として人気があるらしい……?
《帰ってきたファントム レディ》。上の作品の続編。現代のムンバイを舞台に、孤児の少女を助け出すというストーリー仕立てで、映画館など古き良き雰囲気の場所が舞台に選ばれている。前作よりも照明の使い方などがドラマチックになっているように見える。
これは反時計回りに見るとストーリーが見えてくる形。
とても狙っている感のある鏡の使い方。ファントム レディも中央付近にちらりと見える。
本棚と、そこから覗くファントム レディがよい。
映画館のシーンでは、客席だけでなく映写室も舞台になっている。
《ナヴァラサ スイート》は、インド美学の9つの感情ーー恋情、ユーモア、勇敢、寂静、怒り、悲しみ、嫌悪、恐怖、驚きーーをもとにしたポートレート。これも背景に何らかのストーリーがありそうな演出になっている。撮影を担当したのは、インド映画黄金期の俳優で写真家でもあるJH タッカー。
下の画像中央の「怒り」の撮影の際には、照明を適切に当てるために2時間ぐらい同じ姿勢をしていたんだとか。
「絵画入門 よくわかる神仏と人物のフシギ」展
静嘉堂文庫美術館で「絵画入門 よくわかる神仏と人物のフシギ」展を見る。神や仏や人間が描かれるときの約束ごとなどをやさしく解説する企画である。作品の状態も良好、キャプションは総ルビで子どもたちにもやさしい仕様になっているのが良い。展覧会タイトルの「神仏」と「人物」で韻を踏んでいるのも良いかもしれない。
第1章のテーマは「やまと絵と高貴な人の姿」。
平安貴族を描いた絵などでよくある「引目鉤鼻」を紹介するのに引き合いに出された「住吉物語絵巻」。
歌仙絵。左から、九条良経、在原業平、藤原家隆、小野小町。
源公忠。この作品では顔は様式化されておらずリアル感がある(とはいえ平安時代の人を鎌倉時代の人が描いたものなので、実物とは似ても似つかない可能性が高いのではないかと思うが)。
この屏風の中には天皇が描かれている。天皇を直接描くことをはばかるのがふつうだったが、現実とは異なるフィクショナルな場面では描くことができたらしい。
第2章は「神さまと仏さまの姿」。
垂迹画。仏が日本の神の姿で現れたという思想にもとづくもの。
当麻曼荼羅。反対側の壁に、曼荼羅のどこに何が描いてあるかを解説するパネルもあるので、じっくり見比べることができる。
菅原道真の図。右の絵では無実の罪で左遷されたことを恨んでジト目をしている。左は菅原道真が夢の中で中国へ渡った伝説にもとづく絵。
聖徳太子絵伝の第一幅と第二幅。聖徳太子の一生を描いたもので、年齢ごとに有名なエピソードが示される。どこに何が描いてあるか解説したパネルがロビーに用意されているので、聖徳太子の故事に詳しくなくとも無問題。
『仏像図彙』。初学者向けに神や仏の図を示した江戸時代の書物。むかしの人もこういうのを参照しないと誰が誰だか分からなかったのだなと思うとなんとなくホッとする。
第3章は「道釈画と故事人物画」。道釈画は道教の仙人や仏教の羅漢などを描いたもの、故事人物画はよく知られた故事や歴史上の人物を描いたもの。
寒山図。寒山拾得の寒山がピンで描かれている。
観音図2点。
羅漢図3点。
函谷関を通ろうとする老子を描いた絵。
王羲之を描いた絵。なんでも、王羲之はガチョウが大好きで、美しいガチョウを自分の書と交換で手に入れたという故事があるのだとか。王羲之は書聖としてあまりにも有名だがガチョウ好きの話は知らなかった……!
禅宗の祖である達磨と以後の祖師を合計28人ぶん描いた作品。
『羅漢図冊』の羅漢と布袋が描いてあるページ。羅漢図冊なのになぜ布袋が?と思ったら、布袋は弥勒菩薩の化身とされたことと関係があるかもしれないとのこと。
北宋時代の政治家、司馬光の子ども時代のエピソードを描いた作品。友だちが水瓶に落ちてしまい、司馬光がとっさに水瓶を割って助けたのだそう。
狩野派の画家が中国の人を描いた屏風。異国や異文化への憧れが表れており、中国の知識人が重んじた教養である琴、囲碁、書、絵画をたしなんでいる場面が確認できる。
右は琴などの楽器を演奏している場面、左は舟を浮かべてその上で碁を打っている場面。
右は読み書きをしている場面、左は絵を描いている場面。
「建築家・内藤廣 なんでも手帳と思考のスケッチ in 紀尾井清堂」展
倫理研究所 紀尾井清堂で「建築家・内藤廣 なんでも手帳と思考のスケッチ in 紀尾井清堂」展を見る。建築家があれこれ書き込んたり貼り込んだりした40年分の手帳を年代順に展示する企画である。
中央の、相対的にやや背の低く見える建物が紀尾井清堂。
会場の紀尾井清堂自体が内藤の設計によるもの。1階の壁に設計図が掛かっている。
これは渋谷で開催中の「建築家・内藤廣 赤鬼と青鬼の場外乱闘 in 渋谷」に展示されていた紀尾井清堂の模型。
壁には鉄の板とおぼしきものも掛かっていた。
厚みがあるのでかなり重そう。
1階の展示は「東日本大震災への鎮魂」と題したインスタレーション。床には、京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)で以前行なった展示を再構成したものが置かれている。
京都ではガラスピースを方形に敷き詰めたのに対し、こちらは円環。
ガラスピースはひとつひとつ表情が異なる。
以前ここで奇跡の一本松展が開催されたときの写真。
震災から2か月後、震災の死者と行方不明者を合わせた数が報道されたのに触れた建築家は、それと同じ数の点を紙に打った。展示されているのはそれを拡大したもの。
こうして手を動かすことで、死者や行方不明者が単なる数字ではなくなり、身体に実感として刻み込まれたのだろうと思う。
この点々がもととなり、のちに高田松原津波復興祈念公園 国営 追悼・祈念施設の外壁に犠牲者数と同じ数の孔が穿たれた。
2階へ上がる。外階段と中をつなぐドアを内側から見たところ。スリットから外の光が入る。
半開きのドア。
ドアのスリットを接写。
2階には「言葉の曼荼羅」が展示されている。これは3階から撮ったもの。天窓からの光が当たったところは白飛びしている。
曼荼羅の一部を近くから撮ったもの。
3階から5階が手帳の展示。各年の手帳の実物の見開き2ページとそれに関する建築家本人のコメント、さらに手帳の一部を複製したものを自由にめくって見ることもできるようになっていた。撮影は不可だったので写真なし。以下、個人的に印象に残った点を散漫にメモしておく。
フランク・ロイド・ライトの住宅建築をとてもほめている。天井の高さなど寸法の操作、空間のバランス、スケール感、どれをとっても素晴らしい由。
逆に全然ほめていないのは、ビルバオのグッゲンハイム美術館。形は奇抜だが内部の空間が新しくないとのこと。空間を重要視する内藤らしい評だと思った。
2000年代にコロンビアのメデジン市ベレン公園図書館のプロジェクトに関わった際は命がけだったとか。メデジンはコロンビア第2の都市。1990年代半ばから公共交通機関が整備されて見違えるように変貌したそうだが、治安の問題があり、メデジン市長は図書館を作って文化政策でテロをなくしたいと考えたものらしい。その心意気や良し。
東日本大震災後、公的な施設の設計に携わるにあたり、お役所相手の仕事の難しさを感じ、行政を知るため国土交通六法を読み込み、わからないことがあれば他の法律も読んだりしたとのこと。さらっと書いてあったがとてつもない勉強量だったのではないかと思う。
「建築家・内藤廣 赤鬼と青鬼の場外乱闘 in 渋谷」展
渋谷ストリーム ホールで「建築家・内藤廣 赤鬼と青鬼の場外乱闘 in 渋谷」展を見る。渋谷駅周辺の再開発にもたずさわっている建築家のこれまでの仕事(ボツになったものも含め)を概観できる企画である。主催者によると、今回の展示は“2023年に島根県益田市の島根県立石見美術館(島根県芸術文化センター「グラントワ」内)で開催された展覧会「建築家・内藤廣 BuiltとUnbuilt 赤鬼と青鬼の果てしなき戦い」の渋谷版”という位置付けになっている。
会場はミュージアムではなくホール。窓からは、たとえばこんな景色が見える。まさに絶賛再開発中といった趣があって良い。
展示解説をしてくれたりする赤鬼と青鬼。どちらも建築家の異なる一面を表しており、パッションの赤鬼とクールな青鬼の掛け合いがおもしろい。
卒業設計 (1974)。環境問題が話題になり始めて建築は害悪と見なされたり、学生運動の残滓もあって建築は資本主義的ということで敵視されたり、という時代だった由。
初期のアンビルト(実現しなかった)作品、名護市庁舎 (1979)。
ギャラリーTOM (1984)。施工不良で雨漏りが発生して大変だったようである。
住居 No.1 共生住宅 (1984)。内藤自身とその家族が住むために建てた家。インタビュー映像もあり。住宅は建築事務所的には赤字になってしまう仕事だが、住む人自身がお金を出すものだし住む人の人生観なども関わってくるので難しいけれど建築の中でいちばん大事、との弁。
海の博物館 (1992)。土地の気候風土に根差した建物。バブル期に限られた資金で作ったので苦労が多かった由。
安曇野ちひろ美術館 (1997)。のちに東京のちひろ美術館 (2002) 、さらには黒柳徹子がちひろ美術館の館長というつながりで黒柳徹子ミュージアム (2025) も手がけている。なお、窓際のパネル展示は、8番が安曇野ちひろ美術館、51番がこまつドーム (1994、アンビルト)。
牧野富太郎記念館 (1999)。これも気候風土に根差した設計で、風景に溶け込むような外観、台風にも耐えられる作りになっている。
横浜高速鉄道みなとみらい線の馬車道駅 (2004)。馬車道は明治時代に初めてガス灯がともった場所なので、レンガの壁などでレトロで洋風な風情の駅にしたかったとのこと。とはいえ模型は真っ白なので、心の目で洋風レトロを思い浮かべる必要がある。
日向市駅 (2008)。駅としてはほかに高知駅 (2009)、旭川駅 (2011) なども手がけている。
倫理研究所 富士高原研修所 (2001)。篠原一男のから傘の家をちらっと思い浮かべたが、素人の連想に過ぎないのでぜんぜん関係ないかもしれない。
神奈川芸術劇場 (2006、アンビルト)。これはいける!と思ったのにボツになってしまったものだそう。模型などが残っていなかったので新たに作り直したとのこと。
CCC 代官山 (2010、アンビルト)。設計思想が先進的すぎてCCC(わかりやすくいえばTSUTAYA)としてはボツにせざるを得なかったらしい。
アルゲリッチハウス (2012、アンビルト)。あとは着工するだけという段階までいったのに諸般の事情により実現しなかったという。実現していればぜひ音楽を聴きに訪れたい場所になっていたはず。
高田松原津波復興祈念公園 国営 追悼・祈念施設 (2019)。内藤は東日本大震災以降ずっと被災地と関わり続けてきた。
陸前高田市東日本大震災追悼施設 (2022)。
静岡県草薙総合運動場体育館 (2015)。ドリンクヨーグルトの蓋から形状の着想を得たらしい……
これがその蓋。
多摩美術大学 新棟・講堂 (2023-、進行中)。
講堂の形状のイメージは、少し空気が抜けたゴムボールを押してひしゃげたときの形、らしい。
鎌倉新市庁舎 (2024、アンビルト)。内藤の自宅は鎌倉にあるようなので、これがボツになったときはさぞ残念だったろうと思う。
最後のフロアでは、内藤の設計した島根県芸術文化センター「グラントワ」のある益田市と、内藤が再開発に携わっている渋谷とを対比するような展示がなされている。グラントワと渋谷駅の大きなサイズの模型が圧巻。
益田市の1/200スケールの都市模型。
背後の壁には赤と青の文字で書かれた建築家のことばがぎっしり並んでいる。すべてを熟読したわけではないが、「空間」が大事なキーワードのひとつのように見受けられた。建築というと建物の形などの見た目が注目されがちだが、大事なのはその構造物の作り出す空間のほうなのだ、という意味で。
島根県芸術文化センター「グラントワ」(2005)。
大ホールの断面模型。
建物の外装に使われた石州瓦の実物と、その色変わりを示す写真。
渋谷の1/200スケールの都市模型。ぱっと見には四角い建物ばかりが目立つが、下のほうをよく見ると人や車の通る空間も感じられる作り。
東京メトロ銀座線渋谷駅。四角四面ではない空間なら、渋谷の大混雑でも「狭苦しい場所に詰め込まれている」感が減じるかもしれない。光の入り方も美しく見える。
渋谷駅街区東口二階デッキ。模型を覗き込んだ途端に空間がぐっと立ち上がってこちらに迫ってくる感じがしておもしろかった。これが可能なのは大きいサイズの模型だからこそだと思った。
新宿歌舞伎町春画展
新宿歌舞伎町能舞台で新宿歌舞伎町春画展を見る。コレクターとして著名な浦上満氏の春画コレクションから選ばれただけあって、展示されている作品は状態が良好なものばかり。近年少しずつ見る機会が増えてきた春画だが、新宿は歌舞伎町しかも能舞台で見ることになろうとは想像していなかった。しかし考えてみれば、歌舞伎町のような歓楽街は春画と相性が良いとも言えるかもしれない。
全面的に撮影可だったので写真はたくさん撮ったのだが、Tumblrの規約に引っかかってしまうため、あからさまでないものだけ選んで載せる。
展示室となった新宿歌舞伎町能舞台。舞台の上にも作品が並んでおり、靴を脱いで上がって見ることができる。
歌川国貞が絵を手がけた「花鳥余情 吾妻源氏」。『源氏物語』を引用した作品で、彫りも摺りも超一級。
源氏物語モチーフなので人物表現などが平安調。交尾するネコを見る男女。
渓斎英泉「美多礼嘉見」。基本的に英泉はあまり自分の好みではないのだが、春画を見て英泉も案外悪くないかもと思った。
豆判の春画。歌川派の手によるもの。
葛飾北斎の艶本「万福和合神」。富裕な生まれの少女おさね、貧しい生まれの少女おつび、それぞれの人生(性的な)が語られる。下の画像は主人公のふたり。キャプションによれば、おつび(左)が持っているのは湯桶で、書かれている文字「開」は女性器の隠語なのだそう。
歌川国虎「祝言色女男思」に描かれた貸本屋。セールストークで、最近の客は目が肥えてるから絵だけでなく文字もいろいろ書き込んで趣向を凝らさないといけないんだみたいなことを言っている模様(ちゃんと釈文が用意されていたおかげでわかった)。
歌川国芳の艶本「華古与見」より、隅田川の川開きの図。女性の背後に男の顔がちらりと見え、開くのは川だけではないことがわかる。
これも歌川国芳「華古与見」。この艶本は全体的に摺りが豪華であるらしい。
古い作品やモノクロの作品にもおおらかな味わいがある。ここに載せられる画像がほとんどないのが残念だが……
新宿歌舞伎町能舞台の近くに第2会場が用意されていた。こちらは判型が比較的小さい作品が中心。
歌川国麿「艶色美談 露之飛奴間」の一図。
二代歌川国盛「和哥紫」。
恋川笑由「酒樓尽」。タコを登場させる発想は北斎の蛸と海女から来ているのだろうか?
絵師不詳「開談花の雲」。たぶん今回の展示でいちばんかわいいやつ。
「死と再生の物語(ナラティヴ)―中国古代の神話とデザイン」展
泉屋博古館で「死と再生の物語(ナラティヴ)―中国古代の神話とデザイン」展を見た。古代中国の青銅器や青銅鏡のデザインをテーマ別に読みといていく企画展である。キャプションが親切なので、青銅器や鏡の鑑賞にあまり慣れていなくとも比較的見やすいのではないかと思う。
第1章のテーマは、天と地を媒介するものとしての動物たち。有名な饕餮文(怪獣面文様)のほか、蝉、龍、鳥、鳳凰、麒麟などの文様が紹介される。
下の画像は、殷の時代に作られた、鴟鴞(しきょう。フクロウやミミズク)の立像をかたどった酒器。鴟鴞は夜行性ということで古代中国では不吉の鳥とされていたが、殷の時代には嫌われていなかったらしく、青銅器が作られ、墓の副葬品にもなっていたという。
第2章のテーマは聖なる樹と山。当時の世界観では、太陽が10個、月が12個あり、東海に扶桑樹があり、3本足の烏が太陽の中にいた。また世界は上から順に天界、仙界、人界に分かれていた。それを表す文様が青銅鏡などに描かれた。
第3章のテーマは宇宙。現存するものとしては世界最古の天文図、淳祐天文図がまず目を引く。そして、東西南北を司る青龍白虎朱雀玄武の四神を配した鏡、四神に加えて十二支を配置した鏡、神仙や神獣をあらわした神獣鏡などが並ぶ。ここでは、中国の神仙が日本に伝わり受容された例として、尾竹竹坡《寿老人図》も見ることができる。
第4章のテーマは西王母と七夕。西王母は不死の薬や仙桃にまつわる伝説が有名な仙女で、鏡の図像にもよく描かれた。西王母の世界は、不死の薬を盗んで月へ逃げた嫦娥にもつながっていく。また、七夕伝説の織女は西王母の孫娘であるという説もあるらしい。この章には、日本での受容の例として円山応震《西王母図》、上島鳳山《十二ヶ月美人》より「八月嫦娥」「七月七夕」が展示されていた。
第5章は「神仙への憧れ、そして日本へ」と題されている。神仙や神獣を文様にした鏡のほか、伝説上の琴の名手、伯牙(ばくが)や、その師匠やその良き理解者をあらわした鏡が何点もあり、当時の人気のほどが窺えた。日本で出土した中国製の鏡や日本で作られた鏡も展示されており、日本では中国製の鏡の文様の意味をまったく理解しておらず、見た目だけなんとなく真似て作っていたことがわかり、さもありなんと思った。
美術館のロビーにあった魁星像。科挙主席合格を願う受験生の信仰を集め、学問の神として文人の書斎に奉られたりもしたそうで、右手に筆を持っているのはそのためかと納得。
以下は同時開催の「泉屋ビエンナーレSelection」。 いずれも中国古代の青銅器とのコラボ作品である。
見目未果《ほねを いれる ための ようき》。
梶浦聖子《地上から私が消えても、青銅》。
邪鬼が押し潰されている。
佐治真理子《きいてみたいこと ~Who are you?~》。青銅器の文様がどうかすると顔に見えてしまうのをうまく活かしている。
久野彩子《time capsule》。古代から来たもののようにも、未来から来たもののようにも、異界から来たもののようにも見えて、よい。
「能楽入門」展
国立能楽堂資料展示室で入門展「能楽入門」を見る。タイトルどおり初心者向けの内容で、面(おもて)、装束、小道具、楽器などを解説とともに紹介している。自分自身まぎれもない初心者なので、知らなかったことが多く、とても勉強になった。
能の演目は5つに分類される:神が登場する初番目物、武将が登場する二番目物、女性が主人公の三番目物、他に当てはまらないものを集めた四番目物、鬼などの人間でないものが登場する五番目物。ほかに、これらの五番立に属さない、翁の登場する演目もある。展示ではそれぞれの分類ごとに面や装束や舞台写真などを見ることができる。衣装は現代のものが多かったが、面は桃山時代〜江戸初期まで遡れる古いものも展示されていた。装束の作りを見ると、着物の柄合わせがわりときっちりしているものもあればアバウトなものもあり、たまたまなのか何か基準があるのか気になった。
狂言のほうは、おもな登場人物——太郎冠者、その主人、大名、そして唐人(外国人)の装束などが展示されていた。唐人の装束はなんちゃってチャイニーズ風。そして狂言の装束は全体的に能の装束より生地が薄く、質素というかお金がかかってなさそうな見た目だと思った。地味に見えても高価かもしれないので実際のところどうなのかはわからないが、太郎冠者はともかく、主人や大名の衣装も特に豪華には見えず、大名の持つ扇が金地になる程度なのがおもしろかった。
能楽で用いる楽器4種——笛、小鼓、大鼓、太鼓、合わせて四拍子とか囃子と呼ぶ——と、それぞれの楽譜も展示されている。楽器はともかく楽譜を見たのは初めてで、さっぱり読めないながらも興味深かった。
展示室の中央のケースには、能楽関連の版画や画帖などが展示されていた。描いた人がわかるものは、月岡耕漁《能楽図絵二百五十番》より「葵上」「船弁慶」「鵜飼」「鉄輪」「玉井」、月岡耕漁と月岡江文の共作《狂言五十番》から江文の「釣針」「附子」、狂言師でもあった伊勢門水《狂言画》の「寝音曲」。可能な限りこの時期に開催される能楽公演の演目を選んでいるように見受けられた。通常の展覧会では能楽を描いた作品をあまり見る機会がないので新鮮だったし、作者不明の画帖も収納箱が一緒に展示されていたりしてとてもよかった。
展示室内は撮影不可だが、入口近くに撮影スポットが用意されている。みんな大好き般若の能面(レプリカ)。
この展示を見たあと能楽の公演を見て、国立能楽堂のキャラクター、はんにゃちゃんのステッカーをもらった。能面とはよくできたもので、文脈を与えられればさまざまな表情を読み込むことができる。このステッカーなら、アイスを落としてしまってショックを受けているような顔に見えたり、バツの悪さを笑って誤魔化そうとしているように見えたりして、楽しい。
千葉市美術館コレクション選
千葉市美術館で常設展「千葉市美術館コレクション選」を見る。3本立ての構成で、自分が見たときの内容は
斎藤義重《Black Box 3》
[コレクションはここからはじまった]死絵と追善のかたち—林美一コレクションを中心に
河口龍夫《関係—蓮の時・葉緑素》
それぞれ、この美術館の収集方針「千葉市を中心とした房総ゆかりの作品」、「近世から近代の日本絵画と版画」、「1945年以降の現代美術」からピックアップされている。
死絵(しにえ)——歌舞伎役者が死亡した際に作られる浮世絵——は以前国立劇場の展示などでいくつか見たことがあるが、まとまった数を一度に見るのは初めてで、たいへんおもしろかった。
豊国が描いた四代目瀬川路考の死絵。このコレクションの中ではいちばん古いものとのこと。
歌川国安の描いた、三代目坂東三津五郎の死絵。蓮華の花びらが散る中、樒(しきみ)を手に、袈裟を羽織り、雲に乗っている。
国貞の描いた、五代目瀬川菊之丞と三代目坂東三津五郎の死絵。このふたりは舞台で共演しただけでなく男色関係にあったといわれ、死亡した日も近かったため、ふたりをペアにした死絵がたくさん作られた由。
国貞の、五代目松本幸四郎の死絵。着ているのは死装束として用いられた水裃。
平清盛を演じている公演期間中に死亡した、四代目中村歌右衛門の死絵。
八代目市川團十郎の死絵。江戸一番の人気役者が自害したことで、さまざまな死絵が作られたという。
同じく團十郎の死絵。嘆き悲しむ女性ファンたちの台詞も書き込んである。キャプションに釈文も添えてあるので、くずし字が読めなくても内容がわかって助かる。
引き続き團十郎の死絵。左上が八代目、それを見上げているのは父親の海老蔵。
まだまだ團十郎の死絵。死出の旅路に出る八代目に対し、右からはファンの皆さんが、左からは既に鬼籍に入っている役者たちが手を伸ばしている。
国芳の「極楽道中図」。八代目市川團十郎と坂東しうかの死絵。舞台でしばしば共演した名コンビということで、死絵でも一緒に描かれた。天界にいる仏たちは既に鬼籍に入っている役者だったり、團十郎が蓮の花の代わりに牡丹の花(團十郎を象徴する花)を持っていたりと、茶目っ気もある。
死絵だけでなく、追善本や、追善の狂歌集が作られたりもした。
四代目中村歌右衛門の死絵。在りし日の故人の肖像画といった風情。
加藤清正を演じる四代目中村歌右衛門の死絵。こちらも在りし日の故人ではあるが、舞台上の姿を偲ぶもの。
またも八代目團十郎の死絵。自死というスキャンダラスな死に方をしたため、團十郎とその近親者にまつわる噂を風刺した浮世絵も作られた。
四代目歌右衛門の死絵。小人たちが、死出の旅路に出なければならない歌右衛門を急かしている。
八代目團十郎の死絵。閻魔様のところで顔パスできそうな團十郎が描かれる。
八代目團十郎の死絵。賽の河原で鬼を懲らしめる図。
八代目團十郎の死絵、舞台口上バージョン。
八代目團十郎の死絵、涅槃図バージョン。
八代目團十郎の死絵、極楽浄土バージョン。
八代目團十郎の死絵。掛軸を前に泣き濡れるファンの皆さん。
三代目尾上菊五郎の死絵。菊の花を手向けているのは四代目尾上梅幸。
初代河原崎国太郎の死絵。掛軸の前で懐紙を手にしているのは十三代目市村羽左衛門(のちの五代目尾上菊五郎)。
三代豊国の描いた、四代目尾上菊五郎とその妻お蝶の死絵。菊五郎が死亡したのと同じ日に後を追うようにお蝶も亡くなったことから、めずらしく夫婦を描いた死絵が作られたとのこと。
最後に河口龍夫作品の画像をいくつか。枯れた蓮の花托と茎を鉛で封印して表面に葉緑素を塗ってあるのだそう。