トムは真夜中の庭で
思い出の庭を通して過去と現実の夢が繋がる。温かく切ない、子どもたちだけの内緒話。眠れない夜に再読したい。

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トムは真夜中の庭で
思い出の庭を通して過去と現実の夢が繋がる。温かく切ない、子どもたちだけの内緒話。眠れない夜に再読したい。
方丈記
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ 消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし。
書き出しは聞いたことあったけど、実際に読んでみると意外と短いんだな と驚いた。川の流れのように儚い人生、実際に自分が満足するためには ほんの少しのものだけで充足できる。小さな家の中で10歳の男の子とたまに自然を散歩したりして、人間関係に悩まされることなく老年期を過ごした 鴨長明。想像すると羨ましいな。何でもかんでも大きくてたくさんあれば…と考えてしまうこともあるけど、実際に自分が満たされるためには ほんの少しのものだけでいいっていうことを思い出せた。どんな厄災が身に降りかかるかわからないこの世を生きるには、持ち歩くものは少数精鋭、気ままに動ける状態が素晴らしいんじゃないでしょうか。
夏の沈黙
スティーブンが真実を知った時の気持ちを思うと何とも言えない ぐるぐるとした感情になる。自分が加害者側に立ってしまったこと 見て見ぬふりをしたことに対する後悔と自責の念。親として責任を取るというのが どういうことなのか、母子不在になってようやく気づいたのだと思う。
キャサリンが息子に何かしたわけじゃなくてほっとしたけど、キャサリン自身がかわいそうすぎて…。スティーブンにはまだ良心があってよかったけど、ナンシーの盲目的な息子への献身と、ロバートの愛がうすら寒い表面的なものだったことが背筋をひんやりさせた。
世界各国で大人気!少年フィンと親友ジェイクが、不思議な大陸・ウーで冒険を繰り広げる、大人気TVアニメシリーズ。
アドベンチャータイム ついに完走した。シーズン10の戦争で、優しい世界が壊されるのにあまりにも耐えられなくて泣いてしまった。きっと その後もフィン達は楽しく生きたんだと信じたい。ジェイクが可愛すぎてキュート アグレッションを頻繁に起こしてしまう。こんなにたくさん話数があったのに終わってしまうとすごい 喪失感…。
紅だ!
話のテンポは少し早かったけど、面白くてトントン読めた!漫画とか 映画になったら ファンがつきそうなキャラが多そうだな〜と思った。
くますけと一緒に
ぬいぐるみホラー!斬新!ヒトコワ的な内容だと思ってたら、ぬいぐるみ信者という文化があることを知った今日になりました。救われる。ぬいぐるみかー。わたしはあんまりぬいぐるみを持たないけど、小さい頃に虹色の帽子と服を着た犬のぬいぐるみを持ってたなあ。諸般の事情があってもう私の手元にはいない子だけれど、今でもどんな姿をしていたか思い出せる。助けてもらってたなあ。また会いたいな、、と切ない気持ちになった。
シッダールタ
「私はあなたに贈るものも、舟賃ももちあわせておりません。親切な方よ。私は流浪の身、バラモンの子で、沙門です」「それはよくわかっていました」と渡し守は言った。「私はあなたから舟賃も贈り物もいただくつもりはありませんでした。あなたはいつの日か私にその贈り物をくださるでしょう」「そう思いますか?」シッダールタは楽しそうに言った。「思いますとも!このことも私は河から学んだのです。すべてのものは帰ってくるのです!あなたも、沙門よ、また来るでしょう。それではお幸せに!あなたの友情が私の報酬でありますように。あなたが神々に供儀を捧げるとき、私のことも考えてくださるように」
自分が愛するものすべてを思い起こしてくれるものを愛する、という考え方に到達したとき、一筋の光が射すような感覚になった。シッダールタのこの極地は、単に飢餓や貧乏というだけでなく、世俗的な幼児人間たちが抱えるようなあらゆる苦しみを経験し、最後に我が子への愛の渇望を抱えた先でしかそれは分からなかったと思う。かつて自分が富に溺れた幼児人間になり下がったあと、それは自分には必要な過程だったと理解しているのに、自分の息子にはそれが当てはまらないと考えてしまう愚かさ。「自分は違う」が彼の中にも生まれたことが、みっともないのに愛しい成長だなと感じた。
「私はそれを知っていた。君はあの子に無理強いもせず、殴りもせず、命令もしていない。柔は剛よりも強く、水は岩よりも強く、愛は暴力よりも強いことを知っているからだ。とてもよいことだ。私は君を賞賛する。けれど、君が彼に何も強制していない、彼を罰していないと思っているのは君の思い違いではないだろうか?君は彼を君の愛情という絆で縛りつけてはいないだろうか?君の善意と忍耐心で、彼に毎日恥ずかしい思いをさせて、かえってつらい思いをさせているのではないだろうか?君は、あの思い上がってわがままに育った子供に、バナナを食べて生きる二人の老人と暮らすことを強制してはいないだろうか?私たちには米がもうすでに贅沢な食べ物で、彼と同じことを考えることはできず、心臓は彼の心臓とは違って老いておだやかに鼓動している。あの子はこういうことすべてのことで強制を受けてはいないだろうか?懲らしめられてはいないだろうか?」
物語全体を通して、清らかで聖人のようなシッダールタが、だんだんと人間臭く、生々しくなっていき、それによって叡智を得ていくのが面白かった。こうして本を読んで知識を積むだけでは得られない極地があるんだろうな、と思うと、自分には途方もないことだと感じてしまう。
「怒り」の表出の仕方と家族という話に関して、ふたりの考え方が全然違くて面白いなあと思った。こんなに人って違く育つことができるんだって思いながら、不思議~という気持ちと面白~という気持ちになって楽しめた。
若い頃、恋人と夜道を歩いていたら、酔っ払いがすれ違いざまに「ブス」って言ってきて、僕は聞こえないふりしてすれ違ってしまったんだけど、何十年後の今でも、あの時恋人を侮辱した酔っ払いを呼び止めて殴るべきだったんじゃないかと気にしてるんですね。ところが最近この話をある人にしたら、それはすでに彼女への愛とか怒りじゃなく、セルフイメージを守りたいという話にすり替わっているから、その時点でダメだよ、と言われて…すごく正しい指摘なんです(笑)。僕は自分を、それも何十年も前の自分を守りたいだけだったんだ。
僕は母親が死んだ時、蛇口がとまったような感じがした。その蛇口から何が出ていたかといえば、やっぱり無償の愛情みたいなもので、例の友達に言わせれば、自己愛だから無償なのであって、その無償性こそが最悪だということになるんだけど、それでもキュッと蛇口がとまった時、ああ、これで「人を何人殺してもあなたはいい子」と言ってくれる存在がこの世にいなくなったなあという気はしたね。・・・・・・結局、親に対してだけは、メタになることができないんだよ。
リッツくらい大きなダイアモンド
面白かった!莫大な財産を隠すために今まで色々やってきたのに家族もろとも破滅することになったワシントン一家。富裕層の残酷さ。奴隷制がなくなったことを知らない黒人たちをいまだ 雇って自分の所有物だと信じている。生まれついた時からワシントン 一家にいたキスミンはそのことについてまるで疑うことを知らない、信じられないくらいに無垢な美しい女の子。パーシーがどうして主人公にこんな秘密を打ち明けてくれるんだろうと思ってたけど、案の定 殺すつもりで連れてきてたんだ!やっぱり〜と思うと同時に怖いなと思った。自分たちの退屈を紛らわすために友人たちを招いて自分たちの秘密を漏らさないようにその友人を殺す。傲慢で残酷で恐ろしい一家が爆発してその後何が残るんだろう。スカッとすると同時に、エプスタイン事件のニュースを見た後だと、こんな世界が本当にどこかにあるんだろうかと思っちゃう。フィクションじゃないのかもなーと思うのがとっても怖い。でも面白かった。
最後の「娘について」がエグい。怖いと言うか、無意識の嫉妬ってここまで何かを、人の人生を狂わせてしまうんだっていう。友達や親関係で悩んだことがある人は1回読んでみるとわかるかも…。
主人公は分かってて全部誘導したんよね。自分よりも上に行って欲しくなくて。自分と同じかそれよりも下の場所にいてほしくて。誰かに対してこんな風に嫉妬でおかしくなってしまわないように、めちゃくちゃ気をつけようと思った。この気持ちが無意識化で起こるっていうのがマジで怖い。分かってるのに分かってないふりしてしまう感じ。だから友達は自分が尊敬できる人を選ぼうっていうんだなあ。自戒を込めて、感想。
どんぐり姉妹
「ああ、わかります。私もいつもそう思ってますから。」そう言って笑って、はじめて気がついた。そうか、私もそう思ってるんだ。あの日以来ずっと。絶えることなく、私の一部はあの雪のベランダでお姉ちゃんの後ろ姿を見て心で泣いてるんだ。
誰かと言葉を交わすことで知らず知らずのうちに救われることってあるよな…って感じられた。心地よい小説だった。
話の終わり
だがそんなことを考えていると、カウンターの男が私の座っている高い本棚の陰までやってきて、私のほうに身をかがめ、優しい声で紅茶を飲むかと訊ねた。それを持ってきてもらうと私は彼に礼を言い、口をつけた。紅茶は濃く熱く、舌が干からびるほど苦かった。
別れた恋人のことを思い出そうとすると、相手はあの時何と言っていたのか、私は何と返したのか、どんな顔をしていたのか、もう自信をもって思い出すことができない。相手に執着しているのか、執着が習慣になってしまったからやめられなくなっているのかわからなくなる主人公のストーカーじみた態度が、理解できないような、でも少しわかるような、そんな気持ちになりながら読んだ。彼女がここまで過去の恋人にこだわる気持ちは分からないなあ。でも、恋人との別れにある種の儀式が必要というのはなんとなく感じる。別れを切り出す側はそれまでの間にたくさん考えて自分の中で決着をつけてから「別れよう」と言うけど、切り出された側はそこからがスタートなんだよね。急に「はい、おしまい!」っておもちゃを取り上げられた子供みたいな気持ち。何が悪かったのかな、とかまだ遊んでいたいよ、とか、そういう気持ちで頭がいっぱいになってしまう。自発的に行うことができなかった側は、気持ちに区切りをつけるという意味で何かしらの儀式が必要なんじゃないかなあと思った。
吹上奇譚
読むセラピーみたいな本だなあと思った。単にへんてこだけど平和な町の日常を描くだけじゃなくて、だれにでもあるそこかしこの小さな後悔、大きなトラウマ、自己否定感をそっと救い上げてくれるような物語だった。ファンタジーだけどSFすぎない、きさらぎ駅のような町で生きる異世界人ハーフたちのお話。
この人たちにひどいことをしていたかもしれない、自分の悪いくせも宇宙に溶けていきそうだ。私が私を見る目よりもずっと優しいこの人たちの、ひいき目メガネの中で生きていたい。そうしたらもっと自分を好きになって、この人たちにも、他の大好きな人たちにももっといいことをしてあげられるかもしれない。
あとがきの「いろいろな人を傷つけて生きてきたが、小説だけは人々を救ってきたところがあると自信を持って言える」ということばが、いいな~と思った。私もこんなふうに胸を張れる自分の良いところを見つけていきたいな。
私はもう、あなたなしでは歩けない。単なる友達だけれど。・・・取ったり取られたり、狙ったり用心したりすることが全くない。自分のことは自分でやって、余裕のあるものを出し合って真ん中に置いておいて、必要な時にさっと見るだけでお互いが安心する、気づいたらそこに何かが実ってるから、最高に熟れてるときに分け合ってにこにこする。
あまり想像したくないことだが、人の歴史の中には、そして今現在も絶えることなく、人の手によって最悪の拷問を受けながら殺されていった人がごまんといるのだ。動物に狩られてちょっとずつ食べられて死んだ人だっていただろう。私たちのDNAにはそんな記憶がしっかりと刻まれている。それが再現されて恐怖が強化され続けた人の状態を、シンプルに割り切ることはできない。そして彼女のように、何とか生き延びてはいてもきつい経験があれば、この世の中を普通に生きて自由に動けることを、体はもう決して信用しない。
孤独に慣れすぎると人といるのが苦痛になるとか、一度恐怖を味わうとそれについて心配していなかった前の自分には二度と戻れないとか、人生のどうにもならないことをここまで妙に言語化して物語に落とし込めるんだ。作家さんってスゲーと思うなどした。
その子どもはなぜ、おかゆの中で煮えているのか
サーカス 一家の子供として生まれた主人公の女の子が、どうやって「お粥の中で煮えられる子供になっていく」のか、子供の視点で語られる。自分の母親が誇りに思っていることは、世間一般では何の役にも立たないことを思い知らされる、かわいそうな女の子の話。作者の自伝的小説という訳者あとがきを見て『地獄は天国の裏にある』というカバーのことばがフィクションではないことが悲しかった。
グレート・ギャッツビー
ギャッツビーが気の毒だよ…。これがアメリカンドリームを追いかけた男の末路?人は届かなかったもの、得られなかったものに執着すると言う。ギャッツビーはそれを体現したような人で、そのためにやってきた 努力はすごいけど、彼は引き際を間違えちゃったんだなとも思う。階級社会でのし上がってきた彼があっけなく引き下ろされ、トムとデイジーは何事もなかったかのように元の生活に戻る。ウィルソンもギャッツビーも、世襲の富裕層に振り回されて…。
皆がギャッツビーの家から去った後、ニック・キャラウェイだけが ギャツビーのことを語ってくれる。切実で切なくて、空っぽだけど愛おしくなるギャッツビーの物語だった。
私は砂に坐って、遠い昔の未知の世界に思いを馳せながら 、デイジーの家の突堤に初めて見た 緑の灯を見たギャッツビーの感動を思った。青々とした芝生にたどり着くまでには、長い道のりがあったはずだ。ここまで来たら、ほんの少しで夢に手が届きそうで、つかみ損なうことがあるとは考えなかったろう。夢が後ろにあるとは思いもよらなかった。もう夢は、都会の向こうに広がる巨大な闇、この国の暗い原野がうねって続く夜の世界へ行っている。
ギャッツビーは緑の灯を信じた。悦楽の未来を信じた。それが年々遠ざかる。するりと逃げるものだった。いや、だからと言って何なのか。あすはもっと早く走れば良い。もっと腕を伸ばせばよい……そのうちに、ある晴れた 朝が来てーー
だから夢中で漕いでいる。流れに逆らう船である。そして、いつでも過去へ戻される。
存在の耐えられない軽さ
トマーシュは、女と愛し合うのと、一緒に眠るのとは、まったく違う二つの情熱であるばかりか、対立するとさえいえるものだといっていた。愛というものは愛し合うことを望むのではなく(この望みは数えきれないほどの多数の女と関係する)、一緒に眠ることを望むものである(この望みはただ一人の女と関係する)。
一緒に眠りたいという情熱が愛という視点がすごく新鮮だけどしっくり来た。愛し合いたいという情熱は愛よりも単なる欲望だと思う。欲望が主体だから、多数の相手とそれが実現できる。一緒に眠りたいという望みは、自分が無防備で弱い状態のときに一緒にいたいと思える相手を得るという点で、前者よりもはるかに困難だと思う。困難さや信頼の重さ、欲望よりも相手が主体になるという意味で、一緒に眠りたいという望みは愛し合いたいという情熱よりも上を行く。トマーシュの愛はそういう「重さ」でできていると思う。テレザは彼の「重さ」とはっきりとなりえる存在で、だからこそトマーシュはテレザから離れられない。流されてきた籠の中の子どもを見捨てることが困難なように、テレザを見捨てることができない。
サビナは逆に、「軽さ」によって構築された人だと思う。
人生のドラマというものはいつも重さというメタファーで表現できる。われわれはある人間が重荷を負わされたという。その人間はその重荷に耐えられるか、それとも耐えられずにその下敷きになるか、それと争い、敗けるか勝つかする。しかしいったい何がサビナに起こったのだろうか?何も。一人の男と別れたかったから捨てた。それでつけまわされた?復讐された?いや。彼女のドラマは重さのドラマではなく、軽さのであった。サビナに落ちてきたのは重荷ではなく、存在の耐えられない軽さであった。これまではそれぞれの裏切りの瞬間が裏切りという新しい冒険に通ずる新しい道を開いたので、彼女を興奮と喜びで満たしてきた。しかし、その道がいつか終わるとしたらどうしたらいいのか?人は両親を、夫を、愛を、祖国を裏切ることができるが、もう両親も、夫も、愛も、祖国もないとしたら、何を裏切るのであろうか?
サビナは裏切りによって喜びを得て、自分を足蹴にするような暴力性に惹かれる。命令されることに興奮する。だからフランツが生まれ持った力強さをサビナに行使しないことに失望する。自分が裏切る側に立つことが多い人だからこそそう感じるのかなあ。裏切りによる人生が彼女を輝かせる。サビナが一番難しい人だなと思ったけど、一番共感できる人でもあるかもしれない。父を、自分を羨望する男を裏切ることで、過去から切り離され、何も持ち合わせないことに喜びを感じると同時に、空虚さから逃げられない。そうした相反する気持ちが、テレザやトマーシュのような「重さ」によって結びつかれる人たちへのうっすらとした憧れみたいなものにつながっていたんじゃないのかなと思う。2人が亡くなったと知ったときのサビナのショックな様子からそんなふうに思った。「彼女を過去と結びつけていた最後の綱が切れたのである」という一文が、あ、サビナにとってふたりは重さという幸福の象徴だったのか、と感じさせた。また、幸福というのがどういうものなのか、ということについては、テレザとトマーシュが田舎に引っ越したあとの章で下記のように語られていた。
もしカレーニンが犬ではなく、人間であったなら、きっとずっと以前に、「悪いけど毎日ロールパンを口にくわえて運ぶのはもう面白くもなんともないわ。何か新しいことを私のために考え出せないの?」と、いったことであろう。このことばの中に人間への判決がなにもかも含まれている。人間の時間は輪となってめぐることはなく、直線に沿って前へと走るのである。これが人間が幸福になれない理由である。幸福は繰り返しへの憧れなのだからである。
トマーシュはテレザを愛することでこの輪の中に少なからず入っていったのではないかなと思う。医師という過去や道から切り離されて、田舎へふたりと一匹はやってきた。もう戻ることはないだろう。老いたトマーシュを見て、テレザは彼に老いてほしいと願ったことを後悔した。でもトマーシュは存在の軽さから解放された気分を喜んだ。自由を得た変わり軽さは悲しみと幸福をもたらした。二人はダンスをして、最後はホテルの部屋で一緒に眠ったのだろう。美しい終わり方だなあと思った。
「存在の耐えられない軽さ」というのはどういうことだろう。読了後、分かったような、でも言語化できないような。私は、自由と孤独はセットだと思っている。ここでいう軽さがサビナのような裏切りの人生、トマーシュの田舎生活(先生と呼ばれることが無くなった日々)をいうなら、そこからもたらされる自由と孤独、その空っぽさ、空虚さに耐えられないという意味かしら。でもそれは幸福でもあるんだよなあ。
変身
わーなんか、、なんだかな〜〜〜
人間だった時はずっと家族のために朝から晩まで働いて、でも虫になってしまった後の方がなんだか自由で心地よくて。なんだかなーって感じだ。すごく。妹はもう限界だったんだよね。お母さんは息子を殺したくないけど、おぞましい見た目の虫になってしまった息子をもう心から愛しく見つめることはできない。父からしたら稼ぎ頭の息子がいなくなったかわりにでっかい虫がやってきてイライラする。「そうだよ。はじめからこうなっていればよかったんだ……」という主人公の最後のセリフがグワーッと来てしまった。
虫になった息子から解放された親子3人は、清々しい気分で外出する。両親はグレーテがいつのまにか 美しい娘になっていたと気づく。
夫婦は思わず顔を見合わせた。娘にいい相手を探そう、それで老後は安泰だ。
このさー、このさー、、、「老後は安泰だ」って言葉をチョイスする あたりさー、、主人公の今までの過去が察せられて、まあ…虫になった方が幸せだったのかもな…とか思ったりするなどした。