(via Xユーザーのささん: 「帝国データバンクの面白文書「組織の壊し方」は日本人は必見 https://t.co/DQugceYgL1」 / X)
Sade Olutola
Lint Roller? I Barely Know Her

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(via Xユーザーのささん: 「帝国データバンクの面白文書「組織の壊し方」は日本人は必見 https://t.co/DQugceYgL1」 / X)
“立憲民主党が「脱糞」で刑事告訴してるけど、この程度の名誉毀損なんて自分ら散々国会でやってるだろ。 モリカケやアベノマスクでは民間人まで標的にしてきたよな? それも不逮捕特権で守られながら。 それが自分らがやられたらいきなり刑事告訴する。 これほどグロテスクな特権集団無いだろ”
— pxf03241 / Twitter
“スイスの民間防衛には「武器なき平和を叫ぶ者は敵国の工作員だと思え」と書かれている またクラウゼヴィッツは「侵略者は平和を望む」という言葉を残している なるべく敵は弱い方が攻めやすいからな”
— 軍事力の保有を嫌がる人がいるのはなぜ? : 大艦巨砲主義! (via 774rider)
報道各社、テレビ局はうまく逃げられたと思ってるかもしれないが絶対に風化させてはいけない。
騙されて参加した高校生を死なせておいて笑いながら会見した奴らは許されるべきではない。
「氷河期世代が左に寄らないのはおかしい」といった雑な前提は、そろそろ捨てた方がいいですね。1,000万人規模で存在するとも言われる氷河期世代は、景気の波に巻き込まれた被害者であると同時に、「誰が自分たちを切り捨てたか」を身体で覚えている世代でもありますから。
当時何が起きていたのか、氷河期世代ど真ん中、1999年大学卒の私が解説しますね。
氷河期世代は就職時に不景気で、既存社員の雇用を守るために採用枠が減らされ、不本意ながら非正規雇用を選ばざるを得ず、キャリア形成機会を逃してしまった世代です。おそらくここまでは皆さんも共通認識としてお持ちでしょう。問題は「その時、誰が何をしたか」です。
左派の中核である労働組合が守ったのは「若者の雇用」ではなく、「既存の正社員の既得権」でした。結果として「氷河期を非正規で吸収してクッションにする構造」を容認したため、氷河期世代の若者は「守られる側」ではなく、「守るために切られる側」に回されたわけです。
この時点で信頼関係は切れているのに、その後さらに決定打が訪れました。
2009〜2012年。氷河期世代が20代後半~30代前半に差し掛かり、正社員として再チャレンジできるギリギリの年齢帯であり、本来なら「最後の救済タイミング」とでもいえる時期でした。しかし当時の民主党政権から出てきたのは「コンクリートから人へ」というスローガンのもとでの公共投資抑制、製造業に打撃を与える政策運営、そして公務員採用抑制。雇用を創るどころか、雇用の受け皿までをも削ってしまったんですね。
氷河期世代はここで完全に左派を見切りました。
左派はいつも「弱者救済」をスローガンのように語り続けてきましたが、氷河期世代はこれまでの経験から、「彼らは助ける相手を選別する。自分たちは決してその対象ではない」とすっかり諦観してしまってるんですよ。
結果として、私たち氷河期世代は「『あんな人たち』に期待したところで、どうせ助からない」⇒「せめて国としては安定していてほしい」と考え、現実的選択としての保守寄りになっているものと考えられます。我々は思想によって「右に寄った」のではなく、自分たちが踏みつけにされた経験から「左を切った」だけなんです。
さらに言えば、氷河期世代は「努力論で切り捨てられた経験」も生々しく持ってますからね。
「非正規は自己責任!」
「仕事があるだけ幸せと思え!」
「お前の代わりなんていくらでもいる!」
みたいな呪詛の言葉をさんざん浴び続けた側に、「弱者に寄り添う」とかいう後出しの言説が刺さるわけがないんですよ。つまりこういう構造です。
・雇用崩壊時に守られなかった
・制度的にも救済されなかった
・政治的にも裏切られた
・言説的にも切り捨てられた
これで「なぜ左派を支持しないのか?」などと言われましても。
本当に困ってるときは無視しておいて、あとから「寄り添ってます」は通用しません。信用ってのは「助けた実績」でしか積み上がりませんからね。見捨てた履歴は、何を言っても消えることはない。それだけの話です。
https://x.com/nittaryo/status/2037535077664792964?s=46&t=XBYGx0NYt69itB5p-cHcLg
『中川 郁子さんの投稿
夫は、帰国して成田空港を出て、わたしと電話で話をするまで、ローマの記者会見について、日本のテレビやネットで大炎上していたことを知らなかった…
同行していた財務省の方々が、なぜ、夫に伝えなかったのか。
今でも疑問に思います。
〜〜〜〜
2009年2月13日、ローマでのG7会合の合間を縫って
夫は、日本の財務金融担当大臣として、IMFのストロスカーン専務理事と調印式を行いました。
リーマンショック後の金融危機に対応するため日本からI MFに1000億ドルの融資を実施するという合意文書に調印したのです。
日本がIMFの資金基盤を強化し、新興国を含む世界経済の安定に貢献するための重要な金融支援でした。
日本が世界的な金融危機に大きな貢献をし、その危機管理能力を高く評価されるものと、夫も、麻生太郎総理大臣も確信していたのでした。
夫は、成田空港到着後、財務省の公用車に乗りこむと直ぐに、わたしに電話をかけ、
「日本のテレビはどうだった?ずいぶん褒めていただろう?」
と聞きました。
日本では、IMFとの調印式について全く報道されないどころか、
朝から「酩酊会見、日本の恥だ!」
テレビもネットも大騒ぎだったのです。
スマホ、タブレットもSNSもない時代です。
本人は、役所の方々から聞かされなければ何も知ることは出来ません。
ローマには、篠原尚之財務官も玉木林太郎国際局長やその他の幹部職員も、財務省側の秘書官などたくさんの方々が同行していました。
成田空港には、大臣出張を出迎えるほかの幹部もいたはずです。
成田空港到着は午後3時過ぎ、わたしがテレビで見たのは午前9時。息子がインターネットで大騒ぎになっていることをわたしに知らせてくれたのはそれより前です。
なぜ、夫には情報は伝わっていなかったのか?
わたしは、夫の問いに
「なにも知らないのですか?その車に乗っている秘書官にすべて聞いて下さい!」
と答えるのが、やっとでした。
翌朝、山本高史秘書(中川事務所)が泣きながら、わたしの家に来ました。
IMF調印式のあと「今日の会見はなくなりました」と財務省側の事務秘書官から言われたので、財務大臣会合で各国の大臣からいただいたお土産などを、パッキングするために自分の部屋に
戻ったのだそうです。
しかし、その後、
「会見が始まります」と言って誰かが連れ出したのだ、
と説明をしました。
後日、夫を連れ出したのは、玉木林太郎国際局長だったことがわかります。
山本秘書が部屋に戻ったのを確認すると、玉木林太郎国際局長は、まず、夫をランチに誘いました。
オフィシャルなランチ会合は既に終わっていましたが、内輪でやり直そう、と玉木林太郎さんがセッティングしました。
そこには、読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビ原聡子記者がいました。
越前谷さんは、玉木林太郎さんとは特段の仲らしく、わたしは面識はありません。
一方、原聡子記者は、夫の好きな「笑点」の公開録画に誘うなどずいぶん近づいていましたが、日本テレビ社内的には担当外でした。
夫も、玉木林太郎さんから「記者会見はなくなりました」と聞いたそうです。
このとき、夫は、越前谷さんから、「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら?」と言われて、渡された薬を飲みワインを一口だけ飲んだのだそうです。
夫は、ワイン好きでしたが、海外出張のときは飲まないようにしていました。
この直後、越前谷知子記者は、「おもしろいことが起こるわよ」と、複数の人に伝えていたそうです。
事件後、越前谷記者は、アメリカ勤務になり日本からは姿を消しています。
原聡子記者は、誰より先にわたしたちの自宅前に到着して夫の帰宅時にマイクを向けていました。
その後、日本テレビの花形情報番組の「バンキシャ!」のキャスターに抜擢されています。
話は戻ります。
ランチのあと、部屋に戻り休んでいる夫を、玉木林太郎さんが
「記者会見は、やはりやることになったので」と言って迎えに来たのです。
夫の死後、葬儀が終わったあとになってやっと現れた玉木林太郎さんは
「ホテルの部屋にお迎えに行ったとき、中川昭一大臣は酩酊状態ではなく、しっかりとしておられました。これによって中川大臣の名誉は保たれます。」
と言われました。
わたしからは
「財務省の名誉が保たれる、の間違いではないですか?」
とお応えしました。
玉木林太郎さんは、麻布高校の同級生でしたが、在学中も卒業後も全くお付き合いはありませんでした。
夫が玉木さんを認識したのは、玉木さんが在アメリカ合衆国日本大使館経済公使になられた頃です。
ワシントンで、別の経済公使から紹介されました。
夫が財務大臣に就任してから、玉木林太郎さんも国際局長へとジャンプアップし、なにかにつけて相談しているようで、いちばん近くにいた印象があります。
帰国後、予算委員会での審議の2日目の夜、自民党から慶應病院に入院するように促され、テレビのテロップで「財務大臣更迭」を知らされました。
「病室ではテレビを見ないでね」と、
高校生だった息子が、TSUTAYAで夫が大好きな映画をたくさん借りて来ました。
数ヶ月後、会見を見たのか恐る恐る尋ねると、
「見た、信じられなかった…」
そのときの夫の顔を忘れることができません。
わたしは、その後、何度も「記者会見」を見ましたが、ろれつがまわっていない夫の両脇には、篠原尚之財務官と白川日銀総裁が、何も言わず、表情をひとつ変えずに座っていたこと、テーブルにはワインが置かれていたことは、極めて不自然に思いましたし、今でも不思議でなりません。
玉木林太郎さんは、その後、財務官に昇格し、夫の死後は、
OECD事務次長へと異例の出世をして行きます。
夫に玉木林太郎さんを紹介した方もその後、民主党政権で外務事務次官に昇格しましたが、自民党に政権が戻ると、安倍総理から事実上の更迭、僅か9ヶ月で退任することになります。
安倍総理は、何かを知っていたのかも知れません。
〜〜〜〜
「自分は、アメリカから殺される」
「こどもたちを頼む」
夫が繰り返し、わたしにそう話すようになったのは、亡くなる10年ほど前からだったと、思います。』
“・アメリカが第一次世界大戦に参戦したのは、財界がイギリスとフランスに、たくさんお金を貸していたからである。ドイツには貸していない。イギリスとフランスが負けると、アメリカの財界は貸していた金を取りはぐれることになる。その要望が、参戦を決めた本音の理由だ。 ・アメリカは世界一の債務国で、一兆ドルの借金があるがアメリカに金を貸している国は、すべてアメリカの応援をする。 ・日本に金を借りている国は、すべて日本の敵に回る。日本から借金をしている国は、日本が滅びてくれれば丸儲けだからだ。債権大国になったことを喜んでいる場合ではない、という戦争論からの認識が欠けている。 ・もしも、大東亜戦争の前に日本がアメリカから派手に借金をしていれば、逆に保護してもらえたかもしれない。実際は、逆に預金していたので日本の財産は凍結され、敗戦後の講和条約では没収されてしまったのである。”
— 紙魚:So-netブログ (via lastscenecom)
“AWSとかGoogleのプラットフォームに依存するということは、彼らの政治的主張によっては突然コンテンツを全部消されるリスクがあることが明らかになった。 つまり、これからは安易に「クラウドバンザイ」とは言えないよね。特に国のシステムとかは GAFAは政治的中立な存在ではなく一企業であることの証拠であり、彼らに企業の重要な資産を預けることは一つのリスクとして議論されるべき内容になる。”
— ゆいゆい / Twitter
“タスキーギ梅毒実験 (アメリカ) 【1932 ~ 1972】 1932年、アメリカ・アラバマ州タスキーギという田舎町で、アメリカ合衆国公衆衛生局が、現地の貧しい小作農を食事を無料で提供するとして集めた。 そして、集められた600人の内、梅毒に罹っている399人の黒人男性に対し、治療が行われる事となる。 この治療は表向きは健康管理を名目としていたが、実際は治療が行われる事は一切なかった。 梅毒患者がいかに感染を拡大し、どのような経過に至って死んでいくかを観察するという非道なものであった。 そもそも梅毒はバラ疹と呼ばれる全身性発疹から皮膚や筋肉、骨等にゴム腫というゴムのような腫瘍や臓器に腫瘍が出来、脳や脊髄、神経を侵され麻痺性痴呆、心臓病や麻痺、失明や精神異常等を引き起こし、およそ10年以上かけて死に至らしめる恐ろしい病気であった。 衛生局の職員は、被験者がただただ苦しむ様子を見守った。 そして、血液のサンプルや、1年に1度、神経梅毒があるかどうか脳脊髄液も採取し、その様子を詳細に観察して記録した。 1947年、ペニシリンが実用化され、梅毒に対する治療法が確立された。 これによりタスキーギで行われている実験も終了するかに思われたが、実験は続けられた。 しかも、被験者が一般の病院で梅毒と診断された場合、衛生局から病院に圧力をかけ、担当医にペニシリンによる治療を行わないよう要請するという徹底ぶりであった。 衛生局は梅毒で死んだ遺体に最も興味を抱いており、遺体回収の為、生前葬儀代を援助する代わりに検死に応じる約束を取りつけていた。 こうして実験は1972年まで実に40年も続けられた。 しかし、衛生局職員の内部告発により事件が明るみになる。 事件が公になると、国家が行っていたあまりに非道な実験に全米が騒然となった。 実験は直ちに中止となったが、結局、この実験により28人が直接梅毒で、100人が梅毒に関連する合併症により死亡した。 更に、被験者の配偶者40人が感染し、夫婦から生まれた19人の子供が先天性梅毒に感染していた。 実験中止から25年後の1997年、当時のアメリカ大統領クリントンが、被害者に対してアメリカ政府からの正式な謝罪が行われた。 余談だが、この40年という長きに渡る実験は、医学史上最も長期に及ぶ人体実験とされている。 《犠牲者》 128人以上 (他感染者多数) 《実験期間》 1932年~1972年”
— 国家が行った観察と傍観による蛮行 : 世界の猟奇殺人者