初音ミクがこの世に登場してから10年経つらしく、自分が想像していたよりも大勢の人が祝っているのを目の当たりにしている。そんな中このような重厚なボカロ論を見つけたので、衝動的に自分も何か書きたく思った。
はてなブログに投稿しました #はてなブログ 初音ミク10周年記念に前後編1万字かけてボカロの歴史を追いました。メチャクチャ頑張って書いたので暇なときにでも読んで頂けると幸いです。
ボーカロイドのこれまでとこれから 前編 - 美忘録https://t.co/mQcpeWFpUb
ボカロは約7年ほど聴いているが、上エントリの方が良いことを言っているので先に見てもらいたい。これに述べられていない部分を補強する形で書いていきたい。またUTAU等、合成音声での楽曲を指した広義のVOCALOIDについて喋ることにする。
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自分は音楽の細かいジャンルについて語れるほど深く聴き込んでいるわけではないので、良く分析できていて素直にすごいと感じた。たしかに言われてみればそうだ、と何度も思った。
正直に述べると自分はギターがジャンジャカ鳴ったり、ドラムがドタバタしたりする、高速で早口な曲が苦手だ。なのでそのあたりの曲を丁寧に説明しているのを見ると「なるほどそういうことか」と思えるようになった。
あとこの方や、他のボカロ新曲毎日聴き勢がよく話題にするでんの子Pであるが、自分は最初いまいちピンときていなかった。だが彼の推す"ミッション・ボーカロイド・コマーシャル"は面白い!と思えた。
そのあとでんの子Pの"World is NOT beautiful"と"あの子の形見の音飛びCD"でようやく勘所が掴めた。
【蒼姫ラピス・ギャラ子NEO】World is NOT beautiful / でんの子P
自分の中で完全に「曲」や「歌」のパラダイムシフトが起こり、今までぱっとしないアングラな曲だと思っていた曲も「このようなこころもちで聴けばいいのか!」と目からうろこ、といった気分です。でんの子Pはポップ世界とラップ世界に橋を架けたのかも…。多分それより前にATOLSの"マカロン"(英語版も秀逸)と、円盤Pの"トラブルエブリデイ"を聴いたあとに、でんの子Pに挑戦したのが良かったと今は思う。
このようなボカロのニューウェーブは是非評価されてほしいが、同時にもっと前に投稿されたのに今頃流行りが来た、ようやく時代が追いついたぜ!みたいな曲も注目されてほしいと思う。個人的には"食べジャズ"、"のっとりりっくいずばっど"の緊急ゆるポートなんかを見ていってほしい。
ボカロが流行りだした一つの遠因に、ニコ動の検索性があると思う。
例えばYouTubeでは、「キーワードの関連度」という曖昧な検索・「関連動画」という曖昧な動画ネットワーク・「動画チャンネル」と「プレイリスト」という固定的な動画群を提供する。今YouTubeで「VOCALOID」と調べた結果と、去年そのようにした結果は大きく異なりうる。
それに対してニコ動は、「キーワードの関連度」と「動画投稿者ページ」「マイリスト」はYouTubeに近いものの、「タグ検索」という明快な動画ネットワークがある。しかもこれに対してマイリス数順、再生回数順、コメントが新しい順などの要素を組み合わせることで動画どうしに意味のある結合が生じている。
タグという繋がりは殊のほか音楽と相性が良いと思っていて、「似たような曲を探したい」といった需要になかなか上手く応えている。それに加え、CD屋を回るように「自ら曲を発掘する」楽しみに近いものがタグにはある気がする。「関連動画」にはそれが無い。
自分は余り興味がないので分からないが、これほどまでに水平的に曲を探すことは他の音楽カテゴリではなかなか成し得ないのではないかと思う。
ちなみに自分は vocaloid〇〇入りの一覧 のような一見関連のないジャンルをつなぐタグが好きだったりする。
自分がボカロを聴き出した当初は「邦楽のなかの1ジャンルとしてVOCALOIDがある」と考えていた。それは上エントリの方が言う「ボカロブーム期の曲」として、一つのジャンルと考えていたわけだ。
たしかにボカロ曲は独特だが、当然ロック・ポップ・テクノだけで成り立っているわけではない。それに気づいて、ボカロとは既存の「邦楽」「洋楽」に続く、新しい"洋"であると言えるのではないかと思い至った。
しかしそのように考えると、「それを成り立たせている前提は何か」という問いが生じる。つまりリスナーと音楽の伝播体系である。邦楽なら「日本語を解すリスナーとテレビなどのメディアと販売網」であるし、洋楽なら今は「英語を解すリスナーとYouTubeやテレビなどのメディア」だろうか(詳しくないのであしからず)。
ではボカロは…「ニコ厨とニコ動」になるのではないか?とどうしても思い至ってしまうわけである。上のエントリを書かれた方は他にも(http://nikoniko390831.hatenablog.com/entry/2017/03/09/085208)「VOCALOIDの半永久性」について述べているが、自分は以上の理由で「ニコ動が滅ぶ時(名目上か、実質的にかは分からないが)、ボカロも滅ぶ」気がしてならない。
現状、少なくないボカロアーティストたちがYouTubeにも動画を上げているし、そうでない曲もかなり転載されている。しかしYouTubeの「関連動画」からボカロ曲を探すのは、あまりに機微に欠く。
もしニコ動が本当に終わりそうになったりしたなら、それよりも早く別のコミュニティに活動の軸足を移すことがPにとって望ましいだろう。おそらくYouTubeかSoundCloud、もしくはピアプロが少し本気を出してニコ動とSoundCloudの中間みたいな再生&コメント機能を備えたりしたら良い気がする。こうすると既存曲をかなり保存しているピアプロはなかなか良い候補に見えてくるが、どうだろうか。
ともあれニコ動の運営はクソでもいいから、長く続いて欲しい…。
二次創作全般に言えることであるが、ボカロに大いに関係するためここに書くことにする。
ボカロ曲は決して投稿者(とその関係者)では成り立たないことは多くの人が納得するところであると思う。勝手に歌う歌い手、勝手にイラストを描く絵師、勝手にモデルを動かしモーションを流し込むMMDer等々。彼らが動画をうpする度に本家が伸び、より広範のニコ厨に曲が届く。ボカロ曲を聴かないというニコ厨も有名所は分かる、というのはこのためである。
この機構が健全に動くには、彼らの多くが自ら主体的に曲を聴く必要がある、と考えている。つまり「自らの人気のためだけに人気のある曲にしか関わりたくない」といった人が増えるのはよくない、と言いたい。(最近はボカロ界隈自体が商業味を帯びてきているので何ともいえないが...。)
とはいえ、ボカロ曲に関わる側からすれば「人気がなければコンテンツに参加しても注目されないのでは意味がない」と感じるだろうし、これが間違っているとは思えない。でも、自分が関わったことで創作のバトンが繋がる可能性があるように思うことができれば、注目の多さは大きな問題だろうか?
例えば好きな曲をイラストにしたら歌い手が動画にしたいと思うとか。または歌い手が一生懸命歌ったらMMDのPVがつくとか。このような創作の連鎖が起こるためには、あらゆる作り手が自らの琴線に触れるコンテンツを自分で探すことが大切だと思うのだ。
逆に、上位数組のボカロPしか観測しない歌い手や、上位数組の歌い手しか見ないMMDerが溢れたとしよう。すると人気争いに拍車がかかり、創作が人気なものに集中するというスパイラルに陥ってしまう。これは憶測となってしまうのだが、当時の歌い手・鋼兵が「ボカロ衰退論」に言及したのも、当時の最頻値的ボカロ曲ばかりに着目していたからなのかもしれない。
最近の ぼからんまとめ で、ボカロ曲の1週間あたりにおけるヒット曲の再生数が最盛期なみであると紹介された。別ページの 統計情報 でも確認できるように、再生数はここ1年半ほど高くなっている。
しかし他の指標は必ずしも芳しくはない。たとえば新曲数は減少傾向にあるし、マイリスやコメント数を含めた総合ポイントは低いままだ。特に「ぼからん入りする新曲」の割合はかなり減少している(これは過去のトップランカーが増えているため仕方ないという一面もあるが)。
ではニコニコ全体ではどうだろう?たとえばニコ動全体における時間あたりの再生回数が減っているなら、むしろニコ動内でのVOCALOIDの存在感は相対的に増すことになる。
タグ別・月間いろいろ調査 例のアレ 2017年3月うp分編 & ごあいさつ
などを見るに、「再生数はゆるやかに増え続けているが、コメント数・マイリス数は軒並み減っている」ことが分かる。なので単純にぼからん上位曲の再生数が伸びているからと言って、それが「ボカロが再び流行りだしている」とは言い難いと思う。とはいえボカロ曲の再生回数が減るよりも増えるほうが良いことは明らかだ。
それに、ボカロ曲のマイリスやコメントが減っているのはそれがボカロだからではなく、ニコ動全体にそのような現象が起こっていることが確認できた。それにしてもVOCALOIDがニコ動で、ここまで長い間影響力を持ち続けるとは思わなかった。
しかしこれらの統計から考えると、コメントが減っている原因として「携帯端末からだとコメントしづらい」ことが、マイリス数が減っている原因として「一般ユーザーのマイリスに上限がある」ことが、それぞれ簡単に思い浮かぶ。これに関して運営は是正措置をとるべきだと思う。かくいう自分も、スマホからはニコ動は見ないし、マイリスはとうの昔にいっぱいになっているので気に入った曲はYouTubeに集めている。
一般会員のマイリス枠を増やすこと(特に「とりえあえずマイリスト」枠)
それに加え、会員以外も再生だけはできるようにすること(もう出来たっけ?)
これらを是非運営には実行してもらいたい。超会議とかやっている場合ではないと思う…。あとユーザーをマイリストに近づけるため、右上の「メニュー▼」内のプルダウンから昇格さたら良いのでは(憶測)。もしくはYouTubeみたいに左端からマイページがニュッと出るようにするとか。
はじめはいちボーカロイドのキャラクタに過ぎなかったミクは、なぜここまで多く見かけるようになったのだろうか?
まず第一にそのビジュアルが大きな理由であることは確かだろう。長い青緑のツインテールは悉くミクに見えてしまう。このデザインの強さも相まったことで、VOCALOIDとしての象徴たる立場を揺るがぬものにしている。
様々な創作を通すうちに、初音ミクは多くの性質を得ることとなった。
MMDはつまるところ「VOCALOIDをアイマス的にプロデュースしたい」という思いから出発していて、それはデフォルトのステージや初期のMMD動画からも想像がつく。このようにアイドルとしてのミクは初期のボカロ曲によく見られた。
今まで音楽で表現したいができなかった人と、彼らを欲するキャラクタとしてのミク。これはアイドルに近い捉え方ができるが、大きく違う点としてアイドルは「ボカロPの存在を覆い隠す」が、こちらは相棒という形で対等に近い関係性を明示している点だろう。
また"Alice in Musicland"や"ドリィムメルティックハロウィン"など、寓話の演者としても「ボカロキャラ」はよく登場している。そこから悪ノPの"悪ノ娘"-“悪ノ召使”-“リグレットメッセージ"、sasakure.UKの終末シリーズなどはボーカロイドの抽象度が上がり、外観と年齢などをボカロキャラからまるで「借りる」形でのみ用いている。ちなみにこれらの曲は近い世界観を共有する曲をまとめてシリーズとしている。その後もシリーズ化という手法は残ることになる。
さらに抽象的になっていくと、ボカロ曲の中の「そのボーカロイドである必然性」は徐々に薄れていき、声質と曲のイメージの兼ね合いのみが残る曲が今では多くなってきている。
だがミクが象徴するのは果たしてVOCALOIDだけであろうか?
例えばニコニコ技術部の定番BGMである「てってってー」であるが、このうちかなりの割合で「ミクのカバー版」のてってってーが使われているのである。しかも正直ハモリが過剰で、聴きにくいと自分は思う。また技術部動画でキャラクタが登場する場合、多くの場合初音ミクである。VRでデートしたり、スマホの目覚ましとして起こしてくれたり、半透明のスクリーン上に現れるのは、他の作品でも他のボカロキャラでもなく初音ミクである。
【AR】ピアノに合わせてミクが歌う Tell Your World【MMD】
思うに、多くの技術部員たちにとって、初音ミクは技術の象徴として映っていたのではないだろうか。電子の歌姫として永続するバーチャルアイドルは、まさしく未来的な技術として映っただろう。卵か鶏かという論争に近くなるためしないが、その技術の未来性から、ミクは未来の象徴にまでなっていると言えよう(ミクの漢字表記は未来なので当然かも知れないが)。
上の方のエントリではあくまで音楽としての考察が主だったが、動画としてのボカロ曲はどうだろうか。自分はネタ曲こそが、ボカロPとニコ動の大衆との関係を近いものにしてきたと思う。
ネタ曲の発端も恐らくアイドルとしてのボーカロイドで、「彼女(彼)らにいかに変なことを言わせるか」という好奇心だったであろう。CosMoの"初音ミクの暴走"などがその代表だといえる。そこからボカロキャラの概念が薄まっていくと、ネタ曲もそのアイドル性にかかわらなくなっていく。
初音ミクオリジナル曲 「初音ミクの暴走(LONG VERSION)」
ネタ曲作者として、すぐ頭に浮かぶPといえば上記のCosMoの他に、オワタP、ラマーズP、家の裏でマンボウが死んでるP(&恥P)、ほぼ日P、まこ猫などだろうか…。面白いのが、これらネタ曲は他の名曲と張り合う人気を誇っている点である。
【初音ミク・巡音ルカ】リンちゃんなう!【鏡音生誕祭2011】
【初音ミク】家の裏でマンボウが死んでる【オリジナル曲】
【初音ミク】家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。
【GUMI】わたしライス定食たべにきた【オリジナルPV】
ただでさえ音楽関係者は尊敬され、「憧れの遠くの存在」と思われやすい。であれば作曲者はなおさらであるはずだ。しかしニコ動でのボカロPは(程度の差こそあれ)「いち動画投稿者」かそれより少し凄い存在、くらいの立ち位置を保っている。これは変なボカロ曲や、ネタに走るボカロPたちのおかげであると思っている。
それの何が良いことかというと「ボカロPの新規参入を疎外しない」ことに尽きる。あまりに作曲者が尊敬されてしまうと、新しい作曲者予備軍が「作曲したいが、自分ではとても及ばない」と高いハードルを感じてしまうことになる。だから、一つの面白い動画として楽しめる曲でいいということ、そして親しみを持てるボカロPたちがいるということ。それ自体が次世代の作曲者にとって挑戦しやすい土壌を作っているのではなかろうか。
かなりまとまりのない雑文になってしまった。ともあれ10周年おめでとうございます。
あと10年経ったあとで「はあ?ボカロ衰退論…なにそれw」とか鼻で笑えるほど沢山の曲で溢れていることを願います。