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糸を引く08
変態筋肉ショーにも飽きたところで、東条先生には個室に戻らせた。 先生は全裸のままで便器に座り込んで、呼吸を荒くさせていた。
さっきまでのあれは、なんだったんだ。 俺は、なぜあんなことをしたんだ。
そんな疑問にも、『パペット』である東条先生は自分で理由を見つけてしまう。
少し魔が差しただけだ。 あれは、一種のストレス解消だ。
そんな無理のある思考が断片的に流れ込んでくる。 こうやって『パペット』に本人が絶対しないような行動をやらせて、その行動を必死に正当化しようと、頭を悩ませている様子を観察するのが一番面白い。
でも、可哀想だから助け舟を出してやるか。
「余程、ストレスが溜まっているに違いない。ここで一発抜いて、スッキリさせておくか」
僕が、東条先生の口を使ってそう呟くと、先生は、一瞬フリーズした。
抜く? 今、ここで? 一体、自分は何を口走っているんだ。
真面目な東条先生は、きっと勤務中にオナニーをするなんていう発想など、これまでの人生で一度も考えたことがないのだろう。
その時、校内にチャイムが響いた。 午後の授業が始まったのだ。
「やっぱり自習にしておいて正解だったな。これで……」
東条先生は、言い淀む。 じわっと先生の身体に脂汗が滲んだ。
だけど、抵抗なんてしても無駄ですよ。 僕は集中を強めていく。
「これで……思う存分、オナニーできる」
先生は、"自分の言葉"に従って、おずおずとペニスを握った。 きっと普段、オナニーするときと同じ慣れた手つきで。
「あー……、授業をサボってシコるのが、ストレスには一番、効くな」
ゆっくりとペニスを扱きながら、東条先生は呟いた。
オナニーがしたくて午後の授業を自習に変えた、という事実が、じわじわと東条先生の中で、既成事実として定着していく。 その様子を俯瞰しながら、僕は教室で、意味もなく教科書のページをめくった。
糸を引く07
鏡の中で、全裸の東条先生は、堂々と胸を張っている。
「俺は……」
東条先生はどんな時だって堂々と胸を張っていないとダメですよ。 どんな時も男らしくいなきゃ。
「俺は、いつも男らしい」
そうそう、その調子。
「俺は、自分の筋肉を誇りに思っている」
東条先生は、ゆっくりと両腕を曲げ始める。 自分の上腕の筋肉が太く逞しく隆起していく様子を、東条先生はじっと、瞬きもせずに見つめていた。
「こんなに良い筋肉を、披露しないなんて宝の持ち腐れだ」
うんうん、その通りですよ。
東条先生は、「むんっ」と喉の奥で短く唸り、見事なフロントダブルバイセップスを鏡に向かって決めた。同時に、垂れた男性器が揺れる。
「やっぱり、ポージングは全裸に限るな」
真顔のままで、東条先生はそう呟いた。 まあ、全部、僕が言わせてるんだけどね。
体育の授業とかで先生が喋っているときに、遠巻きに眺めながら、筋肉質だなあとか思うことはあったけど、筋肉を強調している状態で、こんなにじっくりと東条先生の身体を観察するのは初めてだ。
ボディビルダーのように盛り盛りの筋肉というわけではないけど、おそらくウェイトトレーニングをやっているであろう東条先生の筋肉はなかなか見ごたえがあった。
しかし、正直言って、僕はボディビルには興味がない。 だから、ポージングに関する知識をほとんど持っていなかった。
でも、幸いなことに、東条先生にはポージングの知識があったようで、僕が適当にポージングをしたい、と考えて身体を動かそうとするだけで良かった。
スリル満点、脳筋教師による即席のボディビル・ショーの始まりだ。 鏡にしっかりペニスまで映るように画角を調整して、はい、ポーズ。
東条先生は、両手を頭の後ろで組み、腹筋を誇示する。 同時に足を斜め前に踏み出し、太ももを隆起させた。 これは、何のポーズだろう?
「これは、アブドミナル・アンド・サイだ」
先生は僕の質問に答えるように呟く。 へえ、そういう名前のポーズなんだ。 もちろん、先生には僕の問いかけが聞こえているわけではない。「今のポージングを言葉にしろ」と操縦しただけだ。
「アブドミナル・アンド・サイは、その名前の通り、腹筋と太ももの筋肉を強調するポーズだ」
なるほど、なるほど。 先生は、そういう風に、まるで授業をするかのように、ひとつひとつのポージングについて解説しながら、次々に鏡の前でポージングを繰り出してくれた。
僕が、直接的に操縦したのは最初のほうだけで、その後は、指示をしなくても、自動的にポージングと解説をしてくれるようになった。 この場において「ポージングを決めたらその解説をする」「そういう作法である」という認識が、東条先生の中に生まれたのだろう。 行動によってルールを認識させる、という点では、犬に芸を仕込むことと、少し似ているかもしれない。東条先生のほうが物分かりが良いから、犬を躾けるより簡単なことだった。 東条先生の腋から、たらりと汗が垂れる。 先生の中では、「いったい俺は何をやっているんだ」「こんなところを誰かに見られたら」という焦りと、自分の言動との整合性を取るために「ポージングをするのが当然である」という考えがぶつかり合っている。 その歪みが、発汗という形で、身体に影響を与えているようだった。
鏡越しに見ると、東条先生は、堂々とポージングをしているように見える。 そうじゃなきゃいけない。 東条先生は、いつでもどんなときでも、堂々としていなければならないのだ。
だけど、東条先生の心臓は、破裂しそうなほどに激しく鼓動していた。 いつ人が入ってくるか分からない状態なんだから当たり前か。
額からも一筋の汗が流れて、顎の先で揺れている。 きっとこの変態ボディビルショーのスリルを、東条先生も楽しんでくれていることだろう。 でも、これは罰なんだから、東条先生が楽しんじゃったら意味ないか。
僕は東条先生に、再びフロントダブルバイセップスのポーズを取らせた。 やっぱりこのポーズが一番似合っている。 先生も、そう思いますよね?
「俺は……」
ほんの僅かな硬直があった。 先生は言い淀み、眉間に皴を寄せながら、鏡越しに自分の顔を見つめている。 東条先生のこめかみが、ヒクヒクと引き攣った。
しかし、少し集中を強めると、先生はすぐにその意味のない抵抗を止めた。
「俺は、自分の筋肉が大好きだ」
呟くと、東条先生は、上腕に隆起した力瘤に向かって、静かに唇を寄せた。 ちゅっと、湿り気を帯びたキスの音が、トイレの中に生々しく響いた。
糸を引く06
片腕を曲げてみる。 すると、上腕二頭筋が盛り上がって、立派な力瘤ができる。
流石は体育教師の身体。 もし僕が自分の身体を同じように動かしても、こうはならないはずだ。
でも、せっかくこんなに良い身体をしているんだから、もっとちゃんと披露させてあげたいなあ、と僕は思った。
個室の扉をロックしている鍵に手を伸ばす。 カチリ、と音がして、ロックが外れた。
心臓の鼓動が早くなった。 早くなったのは、僕の心臓じゃない。東条先生の心臓だ。 東条先生の心臓が、バクバクと音を立てているのを感じる。
そりゃそうだ。 個室の中なら、まだ誰かに見られることはない。 だけど、個室から出れば、誰に見られてもおかしくない。
もし見られたら? トイレの中で下着すら履かず、全裸になって性器を晒している姿は、完全なる変態教師だ。言い逃れすることはできない。
だから東条先生は、個室の扉に手をかけた状態で、必死に考え直そうとしている。
服を脱ぐまではギリギリ許容できた。 しかし、全裸で個室から出ることなど到底、許容できない。 東条先生にとって、そう考えることは当たり前のことだろう。
だけど、今の東条先生は、『パペット』だ。 教師である前に、立派な大人である前に、人間である前に、僕の『パペット』なのだ。『パペット』は、僕が「イエス」といえば「イエス」、「ノー」といえば「ノー」であると感じなければならない。受け入れなければならない。 だって、人形なのだから。
東条先生には、個室の扉を開ける以外の選択肢がなかった。 だから、東条先生は、いつも通りに胸を張って、堂々とした一歩を踏み出す。 狭い個室の中から、小便器の並ぶスペースに向かって、一歩踏み出した。 裸足のままで、冷たいトイレの床を踏みしめながら、歩いていく。
目的は、鏡だ。 職員用トイレの中、出入り口のすぐそばに備え付けられている手洗い場。 その壁には、大きな鏡がある。せっかくだから、その鏡に向かって、先生の自慢の筋肉を披露させてあげようと考えたのだ。
東条先生は、手洗い場の前で立ち止まった。 そして、目の前の鏡に目を向ける。
分厚い胸板。ごつごつした腕。引き締まった腹。 そして、びっしりと黒々と密集している陰毛。 太ももの根本から、だらりと垂れている男性器。
成熟した大人の男の身体が、鏡に余すことなく映し出されている。
呼吸に合わせて、胸板が弾むように上下している。 鏡越しに見える東条先生の筋肉質な体が、ほんの少し汗ばんでいるように見えた。 それは夏の暑さのせいだけではないのかもしれない。
昼休み。 職員用の男子トイレには、誰が入ってきたとしてもおかしくない。 もちろん教職員が入ってくることもあるだろうし、職員室近くで催した男子生徒がいきなり飛び込んでくることだってあるだろう。
鏡越しに、東条先生と目が合う。
まずい。 この状況は非常にまずい。
東条先生はまずいと分かっている。 だけど、鏡の前で、堂々と全裸を晒し続けるしかない。
もし誰かが入ってきたら、全国区のニュースになるかもしれない。 白昼堂々、校舎内で全裸を晒す変態体育教師、現る! そうなったら終わりだなあ、と僕は思った。
でもまあ、別にいいか。 終わるのは僕じゃなくて、東条先生だし。 もし本当にそうなったら、労いの言葉くらいはかけてあげよう。
東条先生、36年間の人生、お疲れ様でした、ってね。
糸を引く05
東条先生が教室に入ってくるのを、僕は自分の席から見ていた。 同時に東条先生の目からも、教室の席に座っている僕自身の姿が見える。
「急で悪いが、次の授業は、予定を変更して保健の自習にする」
昼休みの教室に、東条先生のよく通る声が響く。 そして、僕は黒板に大きく『自習』と書いた。 その筆跡は、もちろん僕のものではなくて、東条先生の書く無骨なそれだ。
ここまでが僕のやったこと。 そこで肉体の操縦権を東条先生に返す。 すると東条先生は、淀みなく自習の範囲を書き始めた。
まるでスマホの予測変換のようだ。「いつもお世話に」まで入力すると「なっております」が自動的に補完されるような、アレと同じ。 『パペット』によっては、察しが悪いヤツもいるんだけど、東条先生はなかなか使い勝手が良い。
教室の反応は、大半が好意的なものだった。 そりゃそうだ。
僕は、板書をしている東条先生の姿を、ぼんやりと見ていた。
いつも通りの東条先生の姿。 さっきまで、おちんちんを揉んでいたとは思えないね。
先生は、教室から出ると、今度こそ、という感じで職員室に向かおうとした。
いやいや、東条先生。 先生が行かなきゃいけないのは、職員室じゃないでしょ? 職員室なんかよりも、先生がもっと落ち着ける場所が、他にあるじゃないですか。
僕は、東条先生を、まっすぐに職員用男子トイレに向かわせた。 迷うことなく個室に入り、そして、鍵をかける。
もちろん東条先生は尿意があるわけでも、便意があるわけでもない。 東条先生が、「なぜ」と考え始めるより先に、僕は、先生にトイレの個室の中で服を脱がせ始めた。
ジッパーを下げて、ジャージを脱ぎ、床に落とす。 さらにジャージの中に着ていた白いTシャツにも指をかけて、一気に脱ぎ捨てる。上裸を晒すと、服の中に閉じ込めていた東条先生の身体の匂いのようなものが、むわっと広がって、個室の中に充満していくように思えた。
ハーフパンツを下ろす。 続けざまに、ボクサーブリーフにも指をかける。
その瞬間に、東条先生の感じている心理的な抵抗が僕にも伝わってきた。
先生、トイレはおちんちんを出すための場所ですから、そんなに恥ずかしがらなくていいんですよ。僕が集中を強めていくと、観念したように、東条先生はボクサーブリーフを一気に膝下まで下ろした。
ボロン。 東条先生の男性器が、惜しげもなく外気に晒される。御開帳だ。 やはり、包皮はしっかり剥けている。 でも、皮が余ってるから、頑張れば今からでも包茎に戻せますよ、東条先生。
ついでに、スニーカーと靴下も脱ぐ。
東条先生は、汚れも気にせずに、トイレの床を裸足で踏みしめた。 冷たくて、少しザラザラしているタイルの感触が、東条先生の足の裏を通じて、僕にも伝わってくる。
個室の隅には、東条先生の脱ぎ終えた衣類が積まれている。 最後の仕上げに、東条先生は首に下げていた銀色のホイッスルを、その上に乗せた。
「ふう、やはり全裸になると落ち着くな」
東条先生は呟いた。 僕の考えた通りの内容が、東条先生自身の解釈で、言葉に変わる。
その瞬間に、東条先生の中にあった「なぜ」に、答えがカチリとハマった。
「なぜ尿意も便意もないのに、トイレの個室に入ったのか?」 それはもちろん「全裸になりたかったから」だ。
職員用トイレの狭い個室の中。 東条先生は、生まれたままの姿で、ふうと一息ついた。
糸を引く04
僕は、小脇に抱えていた出席簿で、さりげなく東条先生の股間を隠した。 そしてその筋張った手を、ハーフパンツの中に、そして下着の中に潜り込ませる。
もじゃもじゃの陰毛の感触が指先に伝わってくる。 その先へとさらに指を伸ばして、先生のおちんちんに直接触れる。
その瞬間に、先生の身体から、汗がじわっと噴き出すのを感じた。 強い動揺が伝わってくる。 それを無視して、先生自身の手を使って、僕は先生の男性器を検分していく。
残念ながら先生は、包茎ではなかった。 包皮が全然、余っていないというわけではなさそうだから、剥き癖がつくように、頑張ったのかな?
親指と人差し指を使って輪を作り、亀頭の大きさを測る。 流石は、一児のパパのおちんちん。平常時だというのに、ずっしりしていて、これで奥さんを喜ばせているのかあ、なんて、僕は先生のチンポを好き勝手に弄り回しながら、下世話な想像を膨らませていった。
人差し指を使って、僕は東条先生の立派な亀頭の根本、いわゆるカリの溝の部分に触れる。包皮が剥けているといっても、この辺りは少ししっとりとした感触だ。根元にだぶついている余計な皮を奥に押しのけながら、その溝をなぞるように擦った。
東条先生は、「自分は一体、何をしているんだ」と、困惑しているようだった。
まあ、そうだよね。 チンポジが気になるだけなら、こんなにしつこくチンポに触れる必要なんてない。だから、先生の考えた理由付けでは、自分の行動を説明できなくなってくる。認知的不協和? そういうものが生まれてしまう。
こんなことはおかしい、間違っている。 東条先生の額に、じわりと汗が浮かぶのを僕は感じた。
それでも白昼堂々、東条先生は下着の中に手を突っ込んで、もぞもぞと性器の敏感な部分を的確に刺激し続けている。
すぐ隣を、談笑しながら歩く生徒とすれ違う。 だけど、東条先生は、おちんちんを弄ることをやめられない。
なぜなら東条先生は僕の『パペット』だから。
『パペット』は僕の思い通りに動かなければならない。 決して、おかしいだなんて感じてはならない。 そんなことは許されない。
東条先生は、きっと脳みそをフル回転させている。 「なぜ、自分は廊下を歩きながら、チンポを弄っているのか」
おちんちんを弄っている時間が長くなればなるほど、チンポジを直したかっただとか、蒸れているのが気になってつい触ってしまっただとか、そういう小手先の言い訳が出来なくなってくる。 その結果、導き出される答えは、こうだ。
「自分は、チンポを弄りたくて仕方なかった。だから、我慢ができずにチンポを弄ってしまっている」
うんうん。 もはや、それ以外の理由は不自然だよね。 先生の思考が、思い通りの方向に誘導されていくのを感じて、僕はほくそ笑んだ。
東条先生は、どうしても、おちんちんを弄りたくて仕方がない。 そう思ってしまったのだから、仕方がない。 そう認めざるを得ない。
それでも東条先生は、自らが導き出したその結論を飲み込むのには、少し抵抗があるようだった。
でも、大丈夫。 先生が「どうしても今ここでチンポを揉みたかったのだ」という考えを受け入れるまで、ずっとおちんちんを弄り続けてあげればいい。
執拗に先生のチンポを弄り続けるように強制していると、次第に東条先生の手つきは、どんどん大胆におちんちんへの刺激を楽しむような動きに変わっていった。
僕は、タイミングを見計らって、先生に肉体の操縦権を完全に返却する。 もう僕は何も強制していないというのに、東条先生は、そのままおちんちんを弄り続ける。その刺激を受けて、東条先生のチンポは僅かに膨張し始めていた。
おっと、そこまで。 今度は逆にチンポを弄るのを止めるように強制する。 すると東条先生は、名残惜しそうに、最後に亀頭の裏筋をひと擦りしてから、下着の中から手を取り出した。
その指先を、何気ない調子で、先生の鼻先に近づける。 そしてゆっくりと、味わうようにその匂いを吸い込んだ。
ああ、蒸れたチンポの匂いだ。 東条先生のチンポの匂い。 僕はその匂いを堪能した。
まあ、僕が堪能しているということは、東条先生も自分のチンポの匂いを堪能している、ということになるのだけど、まあ、きっとこれも「チンポの匂いを嗅ぐと落ち着く」とか、適当に理由付けされることだろう。
東条先生は、廊下の角ですれ違った男子生徒にふと目を止める。 何かに気づいたようだった。
「おい、襟が曲がってるぞ」
さっきまでチンポを弄っていたその指で、東条先生はその男子生徒の襟を正した。 「すみません」と男子生徒が頭を下げると、東条先生は「気をつけろよ」と、その分厚い手のひらで、彼の肩をポンと叩いた。
糸を引く03
職員室に行くはずだった東条先生は、なぜか見当違いの方向に向かい始めている自分に対して、「いったいなぜ?」という気持ちを抱き始めているようだった。
もっとも、そんな困惑も長くは続かない。 東条先生は、すぐに「元々、自分は職員室ではなく、別の場所に向かうつもりだったのだ」と考えを修正して、「なぜ?」という疑問をゴミ箱へ放り込むように消し去った。
そうそう。 『パペット』は、余計な疑問を持つことなんて許されるわけがないのだ。
階段を上り終えて、廊下を歩いている先生の身体の主導権を、僕は奪う。 そして、その手で、股間の膨らみに触れる。 指先で竿や亀頭の形状をハーフパンツ越しに確かめる。
僕は、先生の股間を丸ごと手のひらで包むようにして、揉んだ。 さりげない素振りで、それでも大胆に、手のひら全体で先生のおちんちんの感触を楽しむように揉みほぐした。
『パペット』は、自分が「操られている」ことを、どうやっても認識することができない。
仮に、もしも「何かがおかしい」「自分は、誰かに操られているのでは?」なんていう結論に達しそうになると、そういう余計な考えを、自ら上書きして、正当化してしまう。どんなに逸脱した行動を取らせたとしても、『パペット』はそれを全て「自分の意志でやったこと」だと考えてしまうのだ。
だから、こんなふうに生徒が往来している昼休みの廊下を歩きながら、東条先生に自分のおちんちんを揉み揉みさせたとしても、全然問題がない。まあ、廊下を歩きながら、おちんちんを揉み揉みしているところを誰かに見られちゃうと、教職員としては大いに問題ではあるけど。
でも、まさか東条先生が、公衆の面前でおちんちんを揉んでいるなんて誰も思わないだろう。堂々とさえしていれば、意外とバレないものだ。
それに、仮にバレてしまったら、それはそれで問題ない。 その時は、東条先生がどういう風に誤魔化すのか、僕は観察して楽しませてもらうことにするし。
それで、当の東条先生はというと、学校の廊下で股間を触り始める、という自分の行動に、戸惑いを感じたようだった。
だけど、その戸惑いも一瞬のことだ。 すぐに「ペニスの位置が悪く、不快だったので、整えるために触れる必要があったのだ」というふうに、その行動について自分なりの理由付けをし始めていた。
うんうん、分かるよ、東条先生。男なら、どうしてもチンポジが気になっちゃうことってあるよね。特に今は夏だし、先生みたいに新陳代謝の良いスポーツマンは汗をかきやすいだろうから、おちんちんが蒸れ蒸れになって余計に気になっちゃうんだよね? うんうん。それなら、こっそり人前でおちんちんを揉み揉みしちゃっても、仕方がないね。
じゃあ、これはどうかな?
糸を引く02
『パペット』というのは、僕が勝手に付けた呼び方だ。 もしかすると『憑依先』と呼んだほうが感覚的には理解しやすいのかもしれない。
僕は、自分の意識を他人の中に潜ませて、他人の身体を操ることができる。 だけど、これを『憑依』と呼ぶのは、なんとなくしっくりこなかった。
『憑依』という言葉を使うのなら、きっと着ぐるみのように東条先生の身体を内側から動かしていて、その間、僕の体の中は空っぽになっている。そんなイメージになるように思う。
だけど、『パペット』を操縦しているとき、僕の身体は空っぽにはならない。 並行して、自分の身体も同時に動かすこともできるからだ。
東条先生とすれ違った後、僕の身体はどうしていたかというと、そのまま廊下を進んで、階段を上っていた。 なんなら今も、教室の入り口で同級生と会話をしている。
複雑そうに聞こえるかもしれない。 だけど、僕にとって、右手と左手を同時に動かすことと、自分の身体と『パペット』を同時に動かすことは、感覚的にはそんなに変わらない。 だから、自分の魂が他人の身体に乗り移る『憑依』という言葉は、いまいちしっくりこないのだ。
それに、もしも、東条先生の身体を着ぐるみにして、その中に僕が入ったとする。その場合、見た目は同じだったとしても、僕が東条先生らしさを再現することは難しいはずだ。
歩き方、姿勢、話し方。 快活な体育教師の中身が、いきなり運動嫌いの学生に変わるわけだから、周りの人から見たら、違和感の塊だろう。
だけど、僕が『パペット』を操縦するときには、普段通りの本人の仕草や癖が、そのまま反映される。 なぜなら、実際に肉体を動かしているのは、『パペット』自身だからだ。
例えるなら、僕は指揮者みたいなものだ。 タクトを振ると演奏が始まる。だけど、実際に演奏をしているのは、僕じゃなくて演奏者。
だから、『パペット』は着ぐるみ人形ではなく、操り人形に近い。
やろうと思えば、『パペット』を着ぐるみのように動かすこともできる。集中するほど、直接的に肉体を操ることができるようになるからだ。 でも、そんな風に『パペット』を動かすことは少ない。それが必要になる状況なんて、そんなにないし、単純に疲れるし。
おっと。 そんなことを考えている隙に、東条先生は、元々の移動先である職員室に向かってどんどん進んでしまっていた。
職員室はもう目と鼻の先だ。 だけど、東条先生の行きたい場所はそっちじゃないでしょ?
東条先生は足を止めて、わずかに眉間に皴を寄せた。
ほんの僅かな逡巡の後。 東条先生は、職員室に背を向ける。 そして、廊下を引き返して、階段を上り始めた。
糸を引く01
体育の授業が嫌なのは、別に、僕が運動音痴だからじゃない。 夏のカンカン照りの日に、わざわざ外で運動なんてしたくない。そう思うのは、何も僕だけというわけではないだろう。
せめて、水泳の授業だったら、と思う。
敷地の端にあるプール。 その煌めいている水面を、廊下の窓から僕は眺める。
もしも、プールに入れたなら、億劫な体育の授業も少しは許せる気持ちになるかもしれない。
本当なら朝一番の冷たいプールがベストではある。 午後のプールの水温は、まあ多少は、生ぬるくなっているかもしれない。いや、それでも上々だ。汗だくで意味もなく、固い陸の上をあくせくと動き回るよりずっとマシだ。
思わず、ため息が出る。 どんなにプールのことを考えても、今日の授業がグラウンド集合であることは変えられない。不毛なことを考えるのは止めよう。
僕は、視線を体育館のほうに移した。
この憂鬱さの元凶。 つまり、体育の授業を担当している東条先生は、恐らく体育館に併設されている体育教官室の中にいるはずだ。
そう考えていると、ちょうど体育教官室のドアが開き、東条先生が出てくるのが見えた。グッドタイミングだ。
今日の東条先生は、白と黒のバイカラーがあしらわれた、薄手のジャージを着ていた。ジャージの生地越しでも、胸板や肩周りの厚みが分かる。 下は動きやすそうな同色のハーフパンツで、露出した膝下の肌が、真夏の日差しを受けて健康的に焼けていた。
東条先生は、出席簿を小脇に抱えて、快活な足取りで校舎に向かい、歩いている。
短く刈り上げられた黒髪と、背筋の伸びた姿勢の良さは、いかにも爽やかなスポーツマンといった感じ。きっと「身体を動かして、汗をかくのは気持ちが良い」とか、本気で思っているに違いない。 見下ろしながら、僕は思った。
やはり、こんな暑い日に、わざわざグラウンドで授業することに決めた脳筋教師には、徹底的に罰を与えてやらないと世の中のためにならないな。
それが昼休みの貴重な睡眠時間を犠牲にして、僕がわざわざ教室から出歩いている理由だった。
一階に降りると、ちょうど廊下の先から東条先生がこちらに向かってくる。 何気ない調子で歩き、そして、すれ違いざまに僕は東条先生に目を合わせた。
その瞬間、するり、と。 僕の意識は、音もなく、文字通り東条先生の内側に入り込んだ。
立ち止まり、僕は廊下の窓を見る。 窓に反射して映っている顔は、いつも鏡越しに見ている僕の顔とは全然違う。 間違いなく、その顔は東条先生のものだ。
次に手のひらを握ったり開いたりして、僕の思った通りに、東条先生の身体がスムーズに動かせることを確かめる。 先生の手は、僕の手とは違って、分厚くてゴツゴツしていた。
再び、廊下を歩き始める。 歩きながら横目で、窓に反射する姿を見る。 少しも違和感はない。普段通りの東条先生が歩いているように見える。
まるで重力が半分になったようだ。 ……というのは、少し大げさだけど、東条先生の身体を使って歩くことには、ある種の爽快感があった。 それだけ東条先生の身体能力が高いということかもしれない。
もしも、限界がくるまで、グラウンドを走り続けさせたら、東条先生はどれくらい走り続けられるんだろう。文字通り、一日中。24時間、不眠不休で運動させて持久力をテストする。精神面の影響を無視したとき、シンプルに肉体だけのスペックを測定したら、先生の身体はどれくらい持つんだろう? そういう趣向も、罰としては面白いかもしれない、と僕は思った。
確認を終えた僕は、肉体の操縦権を東条先生に返した。 すると、東条先生は何事もなかったかのように、自分の意志で歩き始める。
もちろん何の違和感も、何の疑問も抱くことがない。 今まで自分の身体を、好き勝手に動かされていたことなど、全く気付いていない。 気付くことなどできるわけがない。
想定通りの挙動。完璧だった。 東条先生に試すのは初めてだったから、一発でうまくいくかどうか自信がなかったけど、これで先生の身体を支配して、自由に操縦することができるようになった。
東条先生を、僕の『パペット』にすることができたのだ。
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潜入04A-09A(chameleon) / 20,000字程度|mtosak|pixivFANBOX
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潜入06A
「脅威度の事前予測なんてあてにならんもんだな」
『関東安心警備サービス』の事務所。 トレーニング後の柴田は、タオルで汗を拭きながら、そうぼやいた。
「潜在的な被害者の数は、かなりのものだったらしいですね」 「はい、まだ全てを洗い出しきれてはいないようです」 青木の言葉に、若松は頷いた。
この1ヶ月間は、まさに怒涛だった。 若松の追っていたマインドコントロールの案件。 ガセネタと思われていたそれに、大きな進展があったのだ。
「それにしても、お手柄だったな、若松」 柴田は上機嫌に若松の頭をガシガシと撫でる。
「うーむ。しかし、認めたくはないが、やっぱりお前はアサルターより、インフィルの才能があるんじゃないか?」 「いやいや、柴田さんまで、そんなこと言わないでくださいよ」 「コンバットスーツなしで、俺に一度でも膝をつかせたら認めてやるよ」 柴田が笑いながらも挑発的にそう言うと、若松の闘志に火がついたようだった。
「それ、マジで言ってますか?」 「ああ、本気だ。試してみるか?」 「望むところです」
また始まった、と青木は思った。 しかし、こうしたやりとりを見るのも、久しぶりのことだ。 慌ただしい日々が終わりを迎えて、やっと日常が戻ってきたのだなあと、青木は静かに感慨に耽っていた。
*
若松とのスパーリングを終えた柴田は、乳酸の溜まった筋肉に、心地よい疲労を感じていた。
久々に良い汗をかいた。 とはいえ、ひとっ風呂浴びて、流石にスッキリしてえなあ。 そんなことを考えながら、自室へと戻る。
柴田の自室は、紙だらけだった。 白い紙があらゆる場所に貼られている。 1ヶ月前とは、比べ物にならないほどの量だった。
そんな部屋の状況を目にしても、柴田は特に無反応だった。 その視線は、ただ部屋の壁に貼られているひとつの張り紙に、自然と向けられた。
『入浴禁止。共同生活において、水資源を節約することは重要です。入浴やシャワーは、最低限の回数で済ませるようにしましょう』
その文章が目に入ってきた瞬間には、入浴したいなどという愚かで浅はかな考えは、柴田の中から完全に失われていた。 いや、彼は、最初から、汗を流したいとは考えていなかったのだ。 柴田が、そんな馬鹿なことを考えるはずがない。
なにしろ、共同生活において、水資源を節約することは重要であり、入浴やシャワーは最低限の回数で済ませるべきなのだから。
しかし、汗ばんだ身体が不快であるということに変わりはない。 柴田は、トレーニング用のコンプレッションシャツを脱いだ。
『洗濯禁止』
収納ボックスの蓋を開ける。むっとするような汗臭い匂いが溢れ出し、自らの匂いとはいえ、なかなか強烈だなと、柴田は苦笑する。
『洗濯が必要な衣類は、こちらへどうぞ』
そのボックスの中に脱ぎたてのコンプレッションウェアを放り込む。 靴下とまとめてハーフパンツを脱ぎ、それも放り込む。 次に柴田は、スパッツに手をかける。
『ただし、チンポ臭い洗濯物は、こちらのエチケットボックスにどうぞ』
柴田は、脱ぎ終えたスパッツを顔に押し付けて、それを嗅ぐ。 どうだろう。 微かに匂いが染みついているような気がするが、チンポ臭いとまでは言えない。
『チンポ臭い洗濯物が混ざらないようにしましょう。分別にご協力ください』
……やっぱり、これはチンポ臭えってほどの匂いじゃねえな。 少し迷ってから、柴田は通常の収納ボックスにスパッツを分別した。
残すは、スパッツの下に着用していたボクサーブリーフのみだ。 脱ぐと、柴田はそれを躊躇うことなく嗅いだ。
「我ながら、流石にこりゃチンポ臭えな……」 ちょうど自身のペニスの収まっていたであろう部分に鼻を押し当てながら呟く。
今度は迷うことはなく、『チンポ臭専用』と太字で書かれた紙が貼ってあるエチケットボックスの中に、そのボクサーブリーフを入れた。
脱衣は、それで完了だった。 鍛え上げた自慢の肉体を、文字通り、余すことなく晒す一匹の男の完成だ。
誰に見られるわけでもない。 完全にプライバシーが保証されている。 全裸になろうが、性器を晒そうが完全に自由だ。
だから、この自分しかいない部屋の中で、見知らぬ男に背後から身体を抱きしめられているなどありえないことだ。
興奮した男の鼻息が、耳をくすぐっているはずがない。 うなじを舐め上げられ、こそばゆさを感じているはずなどない。 まるでスーパーヒーローのような人間離れした骨格。その丹念に鍛え上げられた肉体に見合う太々しいペニスを、我が物顔で握られているなど、あり得るはずがない。
そんなことがあれば、柴田はそいつを殴り飛ばしている。 まさか無抵抗で、屈強なアサルターが自分の肉体を、ましてや男性器を、見知らぬ男に弄らせることなど、絶対にありえないことだ。 あってはならないはずだ。
なにせここは、柴田逸平にとって、最も安全でプライベートな空間なのだから。
ふう、と柴田は息をつく。 そして、ベッドに腰を下ろした。
今日はトレーニングだけでなく、若松とのスパーリングで疲労している。 腰を下ろして、落ち着きたいと考えるのは決して不自然なことではなかった。
「それじゃ、逸平くん。そろそろベッドに座ってイチャイチャしようか」
そんな囁きが聞こえるはずがない。
柴田がベッドに座ったのは、決して、彼の部屋に潜む見知らぬ男性に手を引かれて誘導されたから、というわけではなかった。
潜入05A
若松と柴田は、トレーニング室に向かっている。 その途中で、カメレオンは二人から離れ、別の通路を進んでいった。
『新宿』の地下には、メンバーそれぞれに私的な居住用のスペースや、入浴や洗濯、生活のための共用設備が存在している。 彼らは、基本的にはその居住エリアで共同生活を送っているようだった。
ただ、カメレオンが観察したところ、必ずしも毎日、全員が基地内で寝泊まりをしているわけではなかった。 もしかすると、宿直のようなルールや規則が存在しているのかもしれない。
それでも、班員たちはほとんどの時間を基地内で過ごしているようだった。 特務機関という性質上、基地に常駐するメリットは大きいのだろうと、カメレオンは勝手に想像していた。 それ以上の興味もなかった。
この数日間で、カメレオンは地下の構造を、ある程度は把握していた。 興味のない区画には立ち入っていないため、完全というわけではない。 しかし、カメレオンの目的を考えるとその程度で十分だった。
カメレオンが向かったのは、柴田逸平の私室だった。
各メンバーに割り当てられている部屋は、生体認証もしくは、本人の携帯しているカードキーによって解錠できるようだった。 ほとんどのメンバーは生体認証のみを使って解錠しており、カードキーによる解錠方法はほとんど使われていないことを、この数日間でカメレオンは把握していた。 そして、このカードキーを拝借することは、カメレオンにとってそれほど難しいことではなかった。
到着すると、彼はポケットから平然とカードキーを取り出して、かざした。 カチリという乾いた音がして、扉は呆気なく解錠された。
部屋に入って、まず目に飛び込んでくるのは、壁に掛けられたグラビアアイドルのポスターだ。 しかし、色鮮やかな水着姿の女性の顔や体を覆い隠すようにして、そこにはコピー用紙のような白い紙が貼られていた。
紙の中央には、太いマジックペンを使った手書きの文字が書かれている。
『消臭禁止』
その下には、同じ筆跡の文章が続く。
『優秀なアサルターは常に男らしくあるべきです。デオドラントスプレーや香水を使って体臭を誤魔化すことは、女々しいことです。女々しい消臭行為はやめて、アサルターらしい男らしさを維持しましょう』
これは前回、カメレオンが部屋に侵入した際に貼ったものだった。
先ほどの柴田たちの会話を、もちろんカメレオンは聞いていた。 この馬鹿げた張り紙が、間違いなく効果を発揮していることは確かだった。
カメレオンは、紙の糊付けが甘くなっていないか、軽く引っ張って確認する。 問題ないようだ。
うんうんと頷き、そして、お待ちかねの戦利品を確認することにした。
部屋の片隅に置かれているポリプロピレン製の蓋付きの収納ボックス。 いかにも軍用といったオリーブドラブのカラーリング。頑強そうな見た目だ。 そこにも、白い紙が貼られている。
『洗濯が必要な衣類は、こちらへどうぞ』
蓋を開ける。 その瞬間、むわっとした臭気がカメレオンの嗅覚を刺激した。
収納ボックスの中には、ここ数日、柴田が着用していたであろう下着やシャツ、トレーニングウェアやスパッツなどが無造作に詰め込まれていた。
凝縮された男の匂い。汗の匂い。逞しさの匂い。努力の匂い。 本来なら誰にも嗅がれるはずのない恥ずかしい匂い。 カメレオンは収納ボックスの中に顔を突っ込むと、深呼吸して、その香りを胸いっぱいに吸い込む。
最高の戦利品だった。 たった数日でこれほどの成果を上げられるとは。
張り紙がどれほど効果を発揮するかは、設置したカメレオンにとっても未知数だった。しかし、『関東』に所属する精鋭であるはずの柴田も、カメレオンの定めたルールに律儀に従った。
トレーニングを終えた柴田が張り紙の指示に従い、律儀に脱いだ下着を収納ボックスの中に入れている光景をカメレオンは想像した。想像するだけで、強い興奮がカメレオンの中に生まれる。
まともに戦っても決して勝つことはできないあの男たちを、自分は支配しているのだ。自分は支配者なのだ。 そう考えるだけで、カメレオンの性器は力強く勃起した。
衝動的にカメレオンは、収納ボックスを持ち上げると、その中身を柴田のベッドの上にぶちまけた。そして、カメレオン自身もベッドの上に飛び乗る。ぎしぎしとスプリングが軋む。 ベッドの上でカメレオンは、全裸になった。
パーティの始まりだ。 手当たり次第に周囲の戦利品を手に取り、それを嗅ぎながら、カメレオンは自らの性器を扱いた。
最初に手に取ったのは、汗の染みたトレーニングウェア。 しばらく収納ボックスの中で保管されていたからか、匂いがより凝縮されている気がする。特に、腋の部分の匂いが強い。
次に手に取ったのは、黒のボクサーブリーフ。 柴田のペニスが収まっていたであろう部分に執拗に顔を押し付ける。期待したほどの強い匂いを感じることができない。シャワーや入浴も徹底的に禁止するべきだろうか? とカメレオンは考えた。
最も強い匂いを放っていたのは、靴下だった。 その香ばしい匂いを胸いっぱいに吸い込む。
もう少しこの場所のテリトリー化が進めば、長時間の接触も可能になる。その時には、直接、その匂いを嗅ぎ、彼の足の指の一本一本まで舐めつくしてやろう。
カメレオンが射精に至るまで、それほど時間はかからなかった。 彼の精液は中空に迸り、そして彼の身体と、ベッドのシーツの上に飛び散った。
カメレオンは、柴田のボクサーブリーフを手に取ると、それをティッシュ代わりに使って精液を拭き取った。途中でちまちま拭き取るのが面倒になって、カメレオンはベッドに向かって体を擦りつけた。
柴田がトレーニングから戻ったら、この精液臭いベッドで彼と抱き合おう。 彼のオナニーの手伝いをしてやってもいい。柴田にもベッドの上で射精させて、シーツの上に精液を吐き出させるのもいいだろう。
柴田のような男には、精液の匂いはよく似合う。 もしも、常に精液の匂いで部屋の中を保つべきである、というルールを設定するのもいいな。それを柴田にとっての『当たり前』に変えることだってできるのだ。 カメレオンが望みさえすれば。
ベッドの上。 射精後の心地よいけだるさに包まれながら、これからのことを思案していると、不意に彼の中にひらめきが生まれた。 我ながら素晴らしいアイデアだ、とほくそ笑む。
カメレオンは、全裸のまま立ち上がった。 そして、彼は新しい神託を下すために、マジックペンを手に取った。
潜入04A
事務所の中には、若松と柴田。 それをあきれ顔で見ている内藤。 そして、モニターに向かって入力を続けている青木の四人がいた。
それから、もう一人。 事務所内には、もう一人の男がいた。
ベンチに腰かけている柴田。その隣に彼は座っている。 その男は、まるで恋人を気取っているかのように、ぴったりと柴田に体をくっつけながら、彼の太い腕を抱きしめていた。 そして、男は強引に柴田の腋に向かって顔を埋め、その匂いの強さを確かめる。 ツンと鼻腔を刺激する僅かな刺激臭。これが男のお気に入りだった。
「今日もトレーニングお疲れ様、この匂いだけで頑張ったことがよく分かるよ」 そう言いながら、柴田の汗ばんだ頭を撫でている。 ちょうど彼は今、柴田の全身の匂いの強さを確かめながら、今日の彼の『頑張り』を評価して、褒めてやっているところだった。
もしも、柴田がその行為を認識していたとしたら、全身に鳥肌を立て、変態野郎とでも罵って、即座に男を殴り飛ばしていただろう。 しかし、柴田には、この男の行為を決して認識することはできない。
なぜなら、この男は『カメレオン』だからだ。
男は辛抱たまらず、ついには舌を伸ばして、柴田の腋を舐めまわしていた。 汗の塩辛さは、男にとって努力の証明だ。彼は、努力の味を特に好んでいた。 塩辛い部分を探るように、腋毛をかき分けながら舌は這いまわる。ちょうど濃厚なスポットを舌が探り当てたその瞬間に、柴田は「んんっ」と声を漏らした。
「どうしたんですか、柴田さん」
突然、妙な声を上げた柴田に、事務所内の男たちの視線が集中する。 同時に、男は柴田の身体から離れた。
「いや、何か妙な感触が……」 柴田は腕をあげると、不思議そうに腋を見ている。 そして、少し湿り気を帯びている腋をポリポリと掻いた。
「虫か何かでもいるんじゃないか?」 内藤が呟く。
「やめてくださいよ、僕、虫苦手なんですから」 青木が、大げさに身を震わせる。
「すまんすまん、ただの気のせいだ」 そう柴田が笑うと、場に和やかな空気が戻った。
しかし、至近距離で柴田の様子を観察しているカメレオンには、彼がまだ周囲への警戒を続けていることがよく分かった。
柴田の視界には、はっきりカメレオンの姿が映っているはずだ。 しかし、プロフェッショナルである柴田がどんなに警戒しようと、決してカメレオンの存在に気づくことはできない。 それほどにカメレオンの『迷彩』は強力だった。
カメレオンは、再び柴田の腕を抱きしめて頬を寄せる。 その時、ほんの僅かに、柴田の表情が曇るのをカメレオンは見逃さなかった。
『迷彩』が完全に機能している場合、本来ならば少しの違和感も生じない。 しかし、柴田は何らかの異常を感じ取っている。 これは『迷彩』が綻び始めている兆候だった。
……接触を開始してから、もうそんなに時間が経ったのか? カメレオンは、手に持ったストップウォッチを確認する。 液晶に表示されている経過時間を見て、彼は小さく舌打ちをした。
トレーニング後の柴田の身体が、あまりにも味わい深かったため、つい夢中になりすぎてしまったようだった。それでも、カメレオンは再び柴田の身体に舌を這わせ始める。限界まで楽しみたかった。
しかし、もしも、自分の存在が露見してしまったら。 変態行為が露見してしまったら。
なにしろ、ここは特務機関の基地の中だ。 もしも『迷彩』が解け、全てが露見すれば、彼は窮地に立たされるだろう。 屈強な男たちに囲まれ、拘束を受けて、詰問を受けるだろう。
そう考えるだけで、ああ、体が震える。 強い興奮によって、勃起が止まらなくなる。
『迷彩』の効果が弱まり、異常を感じ始めている柴田の首筋を、彼は舐め上げた。 カメレオンは、この状況におけるリスクを、そして、バレるかもしれないというスリルを楽しんでいた。
しかしながら、本当にバレてしまっては、折角のお楽しみが終わってしまう。 大きな肩にねっとりとキスをしてから、渋々という感じで柴田の側を離れた。
これでもう心配は要らない。 肉体に接触さえしなければ、決して『迷彩』に綻びが生じることはないのだから。
『新宿』基地内に侵入してから、今日までの数日間で、カメレオンは検証を繰り返していた。カメレオンの能力が、特殊な訓練を受けているであろう特務機関の精鋭たちに通じるという保証はなかったからだ。 結論として『迷彩』は、『新宿』のメンバーに対しても有効だった。 もちろんその能力の制約も、同じように適用される。
カメレオンの『迷彩』は、人間の認知機能に対して影響を及ぼす能力だ。 決して、カメレオンが光学的に透明人間になっているわけではない。 厳密に言うと、周囲の人間から『違和感』を強制的に刈り取り、新しい『当たり前』を作り出す能力だった。 効果が有効である限り、カメレオンの存在や行動に対して、誰も違和感や異常を感じることはできない。
しかし、『迷彩』には明確な制約が存在する。 それは、『他者との接触』に制限が生じることだ。
もちろん他者に接触したとしても、すぐに『迷彩』が解除されるわけではない。 しかし、カメレオンによる執拗な接触によって、柴田が違和感を覚えたように、接触時間が長くなるほどに『迷彩』には、綻びが生じ始める。
どの程度の時間、接触を続けると『迷彩』に綻びが生じるか。 カメレオンは、これを『有効時間』と呼んでいた。 『有効時間』には、個人差があり、カメレオンにも予測が難しかった。
カメレオンは、ストップウォッチの表示を見る。 12分13秒。
柴田の有効時間は、12分程度のようだった。 この有効時間は、これまでのカメレオンの知る中でもかなり短い。 理屈は分からない。しかし、柴田だけでなく、『新宿』に属するメンバーは、接触時の『迷彩』に対して、高い耐性を持っているようだった。
彼らは、特務機関のエージェントとして、特殊な訓練を受けている。もしかすると、それが『迷彩』に対して、ある種の耐性を与えているのかもしれない、とカメレオンは推測していた。
だが、そんなことはカメレオンにとっては些細な問題だ。 なぜなら『迷彩』は、『カメレオンの定めたテリトリーの中で、徐々に効果が増幅していく』という性質を持っているからだ。
カメレオンが『新宿』に侵入したその日。 彼は『新宿』の中でも特に筋肉質な肉体を持つ柴田を一目で気に入った。 柴田が自分のことを認識できず、彼に対して『迷彩』が有効であることを確認したタイミングで、辛抱できずに彼に接触した。
トレーニング後、湯気を立ち昇らせながら、プロテインを飲んでいる彼を抱きしめて、徹底的に全身を舐めつくしてやろうと思った。
しかし、その時の彼は、たまたま踏みとどまった。 先に『有効時間』を確認しておこう。 そう考えたのは、単なる気まぐれのようなものだった。
接触後、柴田が違和感の兆候を示すまで、1分もかからなかった。 数秒。あまりにも早い。 常人では考えられない速度だ。
この結果に、カメレオンは震え上がった。 もしも慢心して、大胆な接触を試みていたとしたら、この時点で『迷彩』を看破されていたかもしれない。 つまり、ご馳走を目の前にして、カメレオンはゲームオーバーになっていたかもしれなかったのだ。カメレオンは、自分の気まぐれと幸運に感謝した。
そうして、カメレオンは、より慎重にじっくりと、この『新宿』にテリトリーを築き上げることに決めたのだった。
その結果が、12分間だ。
初日の『有効時間』は、たったの数秒間。 それが今では、12分間も持続するようになっている。
カメレオンは舌に残った柴田の汗ばんだ腋の塩辛い味を反芻した。 それは、十分すぎる成果だった。
そして、それは『新宿』というテリトリーにおいて、カメレオンの見えざる影響力が着実に増している証拠だった。
「それじゃあ、行きましょうか」 「おう」
若松に促され、腰を上げる柴田。 カメレオンは、名残惜しそうに少し距離を取り、後をついていく。 しばしの辛抱だ、とカメレオンは思った。
しばらく接触を控えれば、『有効時間』は徐々に回復する。 トレーニングだかスパーリングだか、彼らがやろうとしていることについてカメレオンには全く興味がない。
しかし、彼らがそのハードな訓練を終え、爽やかな疲労感とともに、お互いの健闘を称え合っているであろうその頃には、皮肉にも『有効時間』は完全に回復しているはずだ。 そうすれば、絶好のタイミングで、彼らの肉体を存分に味わうことができる。
熱々になった肉体、新鮮な汗にまみれた全身を丹念に舐りつくしてやろう。 そう考えるだけで、カメレオンは、口内に唾液が溢れるのを感じた。
見た目以上に堅牢なセキュリティシステムで守られている『新宿』の地下。 カメレオンの能力は、人間の認知機能に対して強力に作用するが、その能力では、分厚い金属扉を開くことはできない。
それ故に、カメレオンは、誰かと一緒に通過するというシンプルな方法で、繰り返し地下に侵入していた。
問題はなかった。 セキュリティシステムは、通過する人間の一人一人を検知し、個別に認証しているわけではない。そもそも、ここは『関東』に属する精鋭たちの根城だ。その精鋭たちの目の前に存在しているにもかかわらず、認識できない侵入者の存在など、誰も想定していなかった。
今回は、筋肉質な班員二人に寄り添うようにして、カメレオンは堂々と扉を通る。たったそれだけのことで、堅牢なはずの基地は、あっさりと部外者の侵入を許した。
潜入03
「戻りました」 事務所の扉が開き、作業服姿の男が入ってくる。 目深に被った作業帽は、どこかくたびれていて、暗く影のある印象を与える。 彼は、荷物を降ろし、ふうと息をついた。
「お疲れ、首尾はどうだ?」 柴田が声をかける。
「明日から搬入作業を任されることになりました。もう少し深く潜り込めそうです」 言いながら、彼は作業帽を外した。
作業帽を外す。 それだけの違いで、彼の印象は様変わりした。 潜入捜査用のパーソナリティを演じている彼にとって、それが演技の『オン』と『オフ』を切り替える無意識的なスイッチだからだ。
刈り上げられたうなじ。青々しい短髪。 太く男らしい眉の下には、力強い意志を感じさせる瞳。 それらの持つ印象は、精悍という一言に集約される。
まさにその精悍さこそが、若松慎吾という男の持つ本来の印象だった。
「順調そうだな。やるじゃねえか」 柴田が肩を叩くと、若松は「大げさですよ」と苦笑した。
「例の研究所の案件か。感触はどうだ?」 内藤が静かに尋ねると、若松は襟元を正した。
「現状、怪しい点は特に見受けられませんね。まだ深く潜り込めていないから、というのもあるかもしれませんが」
「やっぱりただのガセネタなんじゃねえの? マインドコントロールなんて時代錯誤すぎるだろ。世界大戦じゃあるまいし」
時代錯誤という単語に反応して、コンピュータを操作する青木の手が止まりかけたが、彼らの会話に水を差すことはなかった。
若松慎吾は、『新宿』班の中で、一番の若手である。 特務機関のエージェントとしては、最も経験の浅い新人だ。 しかし、人手不足のしわ寄せは、新人である若松にも及んでいた。
現在、若松は単独での潜入捜査を敢行している。 本来であれば、新人を単独の任務にあてがうことは、望ましいと言えない。
しかしながら、前職において若松には多少なりとも潜入捜査の経験があった。 そして、この案件は、情報の信用度が著しく低く、事前調査によって査定された脅威度が最低レベルであったため、任務失敗のリスクが低かった。
それらの理由を加味した上で、半ば実地研修としての意味合いや、新人である若松の能力を測るという目的も兼ねて、若松は、単身で任務を遂行している状況にあるというわけだった。
若松は、作業服を脱ぐと丁寧にそれをハンガーにかける。 インナーとして着用していた黒いタンクトップ一枚の姿になると、くたびれた作業服の中に隠されていた筋肉の存在感が一気に増したように感じられる。
規格外な肉体を持つアサルターと並ぶと、若松の体つきは、相対的には控えめに見えるかもしれない。 しかし、客観的に見れば、若松のそれが『筋トレを趣味とするような一般的なトレーニーの体つき』とは、一線を画することが分かる。 例えるならば、格闘技を生業とする選手に近いシルエットだった。
黒いタンクトップ一枚の姿のまま、若松は両腕を挙げて、大きく伸びをした。 その拍子に、腋から黒々と茂る体毛が晒される。
男所帯の『新宿』では、そんなことは日常茶飯事だ。 本人も含めて、誰も気にも留めることはなかった。
若松は肩を回しながら、ロッカーに向かい、中からスポーツバッグを取り出した。
「潜入続きで、だいぶ鈍っちまったんで、久々に付き合ってもらえますか?」 スポーツバッグを担ぎ上げ、若松は柴田に向かって言った。 「構わんが、鈍ってる状態なのに、いきなり俺相手で良いのか?」 「もちろんです。柴田さん相手が、一番張り合いがあるんで」 「俺は班長や内藤みたいに器用じゃねえから、後から頼まれても手加減できねえぞ」 挑発的なニュアンスを込めて柴田が言うと、若松の眼が僅かに鋭く細められた。 「それ、俺に向かって言ってます?」
ひりつくような張り詰めた空気が、事務所内に流れる。
「おいおい、お前ら。やり合うなら、他所でやってくれ」 あきれ顔を浮かべて、内藤は言った。
潜入02
「はい、『関東安心警備サービス』、新宿支店です」 通話相手から用件を聞くと、青木は、手慣れた所作で内線を回した。
「班長、お電話です。『本部』から」 「おう、ありがとう」
受話器を置くと、ずれかけた眼鏡を直してから、青木はコンピュータに向き直り、粛々と事務作業の続きを始めた。
都内某所。 雑居ビルが立ち並ぶオフィス街の一角。
日当たりも悪ければ、駅から遠く、利便性も悪いことこの上ない。 そんな場所に『関東安心警備サービス』の事務所はあった。
『関東安心警備サービス』の従業員は数名であり、ほとんどの業務が他社からの下請け。ごく小規模な警備会社である――というのは、もちろん表向きの姿だ。 言うまでもなく、この『関東安心警備サービス』は、隠れ蓑として作られた、実体のない警備会社だった。
この事務所は、『新宿』班の本拠地である。 ビルの老朽化した見た目は、カムフラージュ。 実際には、国家規模の膨大な予算を投入して非常に堅牢に構築された、正式な『関東』の拠点のひとつであった。
「うーん」 青木は入力作業を終えると、大きく伸びをした。 そして、ぬるくなったコーヒーで唇を湿らせると、再びモニターと向き合った。
青木は、技術支援のスタッフとして登用されたメンバーだ。 しかしながら、彼は現在、組織運営のための事務作業に追われていた。 その理由は、『関東』の慢性的な人手不足にある。
『関東』は、その職務の特性上、スカウトの基準が極めて厳格なことから、容易に外部の人間を登用することが出来ず、慢性的な人手不足に陥っている。 民間企業での勤務経験があり、社会人としての一般的な技能をごくごく当たり前に備えている青木は、人手が不足している諸々の事務作業に対して、不幸にも高い適性を有していたというわけだ。
青木当人からすると、技術支援の要員として登用されたというのに、求められる仕事は、組織の運営のための事務作業ばかり。当初は「話が違う」「こんなことは自分の役割ではない」と、大いに不満を抱いていた。
だが、班長である猪瀬から、実直な眼差しで「頼む」と何度も真摯に頭を下げられ続けては、それを無下にはできなかった。そして、紆余曲折を経た上で、青木は、最終的に猪瀬の男気に免じて、求められる役割を甘んじて受け入れることを自ら選んだのだ。
青木は、『新宿』になくてはならない、縁の下の力持ちである。 複数の職務を両立させながら、パワフルに業務を進めていく彼は、華奢な見た目に反して、ある意味で、最もパワフルなメンバーといえる。
「今日も、あっちいなあ!」
事務所内に、野太い男の声が響くとともに、むせるような男の汗の臭気が溢れる。 その出所は、事務所奥にある金属扉の先からだった。
古びた警備会社の事務所には不釣り合いなほどに、分厚く頑強な金属扉。 そこは、公には存在しないはずの地下階に繋がっている。
その地下から現れたのは、身長190cmを優に超える巨漢だった。 着用しているコンプレッションウェア越しにも、彼の肉体が、圧倒的なまでの密度の筋肉で覆われていることは一目で分かる。 まるで、テレビの中のスーパーヒーローがそのまま出てきたかのような、そんな人間離れしたプロポーションだった。
彼は首にぶら下げたタオルで、額から流れる汗を拭う。 汗だくで、まるで風呂上がりのように湯気が立ち昇っていた。
その巨漢は、ずかずかと事務所内を横切っていくと、壁際の自販機の傍に設置されたベンチに勢いよく腰を下ろした。すると、ベンチの金具が悲鳴を上げる。
「ちょっと、柴田さん」 思わず青木は、作業の手を止めて振り返った。 「もう少し優しく座れませんか。そのベンチの耐荷重は、トレーニング用に補強されているわけじゃないんですよ」
指摘を受けた巨漢。柴田逸平は、陽気に笑いながら「すまん、すまん」と謝る。 彼は、その肉体を見て分かる通り、特に『力仕事』に特化したメンバーだ。 「こいつが気にするべきなのは、ベンチの耐荷重よりも、この汗臭さと体臭だろ」
うんざりした顔で、そう言ったのは、柴田の同期である内藤だった。 彼は腕を組み、事務所の壁にもたれながら、プロテインシェイクを飲んでいる。
……内藤さん、いつ、外出先から事務所に戻ったんだ。 全然、気が付かなかった。 相変わらず、忍者のような人だと、青木は思った。
『新宿』において、内藤は、インフィルと呼ばれる潜入捜査のスペシャリストだ。 潜入捜査においては、潜入先の環境に溶け込むことが第一に求められる。 柴田と同じく相当なトレーニングを積んでいるにもかかわらず、内藤の体つきが、超人的な柴田とは違い、あくまでも一般的な成人男性の枠に収まっているのは、それが理由だ。
「そんなに匂うか?」 腕をあげて、くんくんと柴田は自分の腋を嗅ぎながら、首をかしげる。 「匂う」「匂います」 間髪入れず、青木と内藤が口を揃えて言った。
「だーっ! うるっせえよ! 男なんだから、ちょっとくらい臭くなるのは当然だろうが!」
「そうやって開き直るから、お前はいつまで経っても顰蹙を買うんだ。別に、臭いこと自体が悪いといっているわけじゃない。せめて、デオドラントスプレーを使うなりの自助努力の姿勢をだな……」
「面倒くせえよ! こっちは、一日のほとんど、ずっと身体を動かしてるんだぞ。汗なんて、いくらでもかくんだ。あとからまとめてシャワーで全部洗い流しちまえば、それで済む話だろうがよ」
「……まあ、確かに男性特有の匂いはしますが、悪臭とまでは言いませんよ」 柴田の名誉のために、青木は、自分でもよく分からないフォローを入れた。
強襲任務に特化した役割を持つ柴田は、アサルターとして、常日頃、肉体を鍛え上げ、常に最高のパフォーマンスを保てるように維持することが仕事のようなものだ。特にアサルターの運動量は、他のメンバーとは比較にならない。 想像できないレベルのハードなトレーニングをこなしているはずの柴田の言い分なのだから、全く頷けないわけではないな、と青木は少し思った。
「それに、香水だかデオドラントだかなんだかしらんが、そんな女々しいもんに興味持ってる暇はねえよ」
しかし、そう口走った柴田の言葉に、青木と内藤は思わず顔を見合わせた。 事務所内に沈黙が流れる。
「今って令和でしたよね?」 呟くように青木がそう漏らすと、内藤は肩をすくめて見せた。
潜入01
この日本には、公にはされていない超法規的な特務機関がある。 通称『関東』。 単なる都市伝説であるとされているが、それは実在する。
『関東』は、国防を目的とした国直属の諜報機関のようなもので、その活動内容は多岐にわたる。活動範囲は、国内から国外までの全域をカバー。位置づけとしては、公安警察に近いものだ。 しかし、法の拘束を受けることのない『関東』は、より直接的な武力行使に特化していると言える。
その実働部隊を構成しているのは、元警察官、元自衛官、元海上保安官などだ。公的な機関に所属している現役の人材の中から、特に優れた評価を持つ者のみをスカウトする形で登用している。 つまり、それは『関東』が、国内において、他に追随を許さない精鋭のみで構成されていることを意味する。
実働部隊には、いくつかの班があり、それぞれが独立して活動している。 各班については、正式名称で呼称されるのは書面上くらいで、ほとんどの場合、通称で呼ばれる。 その通称は、『渋谷』『世田谷』『新宿』。 主に東京の地名がコードネームとして使われている。
さて、つまらない説明はこのくらいにして、本題に入ろう。
今回の主役は、この特務機関『関東』に属する班のひとつ。 『新宿』だ。
愛国心を持ち、時には命すらもかけて職務を遂行する男たち。 選び抜かれ、厳しい訓練を受けたプロフェッショナル。
本来であれば、彼らが、我々がこよなく愛する同性愛がはびこる、この吐き気を催すような『ユートピア』に交わる可能性など、万にひとつもないだろう。
しかし、彼らにはこれまでの人生において、いや、これからの人生においても、決して味わうことがなかったであろう想像を絶する屈辱を味わってもらう。
そして、その鍛え上げられた肉体、精神、そして高潔な魂。 そのすべてを、他人に理不尽に搾取されることが、どれほどに幸福なことなのかを、彼らに深く理解してもらいたい。 諸君がそう思っているのと同じように、私もそう思っている。
『新宿』から伸びる運命の糸を、私は指先で撫でた。 その糸は、弾性に富み、そして恐ろしいほどに強靭だ。
そこに流れる男たちの汗と血潮。 意志や信念、その揺るぎない強さを感じさせる。
その糸を、行き着くはずのない別の運命にそっと絡めて、結んでやるだけでいい。 それだけで、彼らは我々の求める『物語』の主演を務めることになる。
選択の余地はない。 この私が、そう決めたのだから。
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『黒鉄プロレスリング』にようこそ01-06 / 14,000字程度|mtosak|pixivFANBOX
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