アッシリアで紀元前700年頃に作られたとみられる大英博物館に保存されていた「ディスク状の粘土板」は、古代シュメール文明の天文に関する遺物をコピーしたものとみられている。 粘土板には、星座や惑星の他に「まっすぐなライン」がひかれており、「白い石の鉢のようなものが、凄まじい勢いで上空を横切っていった」と記述されている。この「四分半程」観測された謎の物体は、大気圏に突入した小惑星が上空を横切った軌道を示したものではないかと考えたアラン・ボンド、マーク・ヘンプセルという二人の天文学者が、星の位置関係から実際の観測日を割り出すことに成功したのが2008年だ。 導き出された「その日」は紀元前3123年の6月29日。 その日天空を横切った「それ」は直径が1キロ以上もある大きな小惑星。軌道から「オーストリア近辺に落下した」と考えられるが、クレーターなどは残っていないと言う。これは低い軌道だったため、山の頂をかすめてツングースカの隕石のように「空中爆発」したのではないかという。 爆発で発生した巨大な火柱と飛び散った無数の破片は成層圏にまで達し、自らの軌道を逆戻りするようにして再び地上に降り注いだとみられているが、それがちょうど死海周辺、旧約聖書の舞台であるソドムやゴモラといった都市国家が点在するエリアだったのではないかというのだ。 大気圏に再突入して高熱を帯びながら降り注いだ「火の雨」は瞬間的に地表温度を400度まで上昇させ、周囲を焼き尽くしたとみられ、ロトの妻が振り返ったために塩の柱になったという話は、逃げ遅れた人が一瞬にして「立ったまま炭化し、焼け死んだ」有様を描写しているという。 この小惑星の爆発で膨大な量の粉塵が大気中を対流。太陽光をさえぎり、長期にわたって全世界的な寒冷化が起こった。その痕跡は、世界各地の氷河から採取したアイスコア(氷河などの氷の層をボーリングして取り出したもの)の中に残っており、この時期にアフリカ大陸からかなりの面積の緑地が消失、サハラ砂漠ができたのもこの時代なのだそうだから、環境に与えたインパクトはとてつもなく大きい。 700 BC Clay Tablet Describes 3123 BC Austrian Asteroid Impact: Treasure & Archaeological News












