Arghavan Khosravi (Iranian, 1984) - Hypnose (2025)

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@proicitealuxuria
Arghavan Khosravi (Iranian, 1984) - Hypnose (2025)
Rachel Chudley
Piet van Engelen (1863 - 1924) - A Strange Visitor. Oil on panel.
El Jadida - Cisterne Portugaise, 16th Century
Composite illustration of waterfalls. Drawn and engraved by John Emslie. 1846.
Leonard Koscianski (American, 1952) - Flying Bats (2006)
"Low Plains Drifter" by Donna McLean, 2022. British artist born 1963.
Isamu Noguchi, Sunken Garden for Beinecke Rare Book and Manuscript Library, 1960-1964
Mericusan - fw26
布施琳太郎 @rintarofuse 藍嘉比沙耶の個展『ミルクレープ2』の内覧に行った。以前、一度自分の企画に参加していただいたのに、その後の展開を見れていなかったことが恥ずかしく、そして勿体なくて歯痒く感じてしまうほど、とても強度のある作品たちが並んでいた。ひとりで1時間ほど見た後で、作家本人や友人と話し、さらに藍嘉比自身が2020年に執筆した今敏論(これも良い、ユリイカに掲載されている)を読み直したのでフツフツ湧いた感想メモを書きたい。
まず展示作品については、稚拙なりに絵を描いたりすることもある自分にも、どのように描いているのかがわからない部分があり、尋常ならざる素材探求の積み重ねを感じる。もはや筆の向き、動きがわからない。だけど絵具である(シルクスクリーンですらないが故の密度、覇気、はじめてジェフ・クーンズの絵画作品を見たときの油絵具への驚きに近い)。また画面のなかの人物たちは、「制止」の印象が強く、時間の流れが欠如した世界と立ち会うようだった(同年代の作家で言えば米澤柊が「アニメ」を「アニマ」として、つまり「生き生きした感じ」のために中割りのオバケとして身体の引き伸ばしをすることで人物に運動性を担わせるのとはまったく異なる)(どちらが良いとかではなく)。
色面の塗りだけでなく、線の入り抜きすら抑制されている(そうやって描くのはめちゃくちゃむずかしい、僕には絶対ムリ)。作品によっては重力を無視したような姿勢でポージングされた人物たちは、落下したり、髪が揺れたりするような映像的な時間の前後を想起させることなく、ピタッと絵画になっている。つまり画面外の画家の身体運動を読み取れないだけでなく(同時代には画家の身体運動に任せた表現主義的なキャラクター絵画も数多くある)、画面内の身体もまた、運動せずに静止した印象を持っている。
ところで、藍嘉比は今敏論を「90年代のセル画を用いて制作されたアニメのキャラクターがすきだ」という宣言から語りはじめていた。近くで見てると印象派以降の近現代絵画の系譜に思えていたけれど、離れて見ると確かにアニメのキャラクター的な造形である。
その今敏論は、1997年のアニメ映画『パーフェクトブルー』についてのもので、自動ドアに貼り付けられたアニメのポスター(アニメ内アニメとも言えるかもしれない)への注目が面白い。そこであらわになるのは「キャラクター(その他の90年代アニメ)」と「現実世界(本作の登場人物)」の対比だという。キャラクターとは「キャラクターという思想の入った器のよう」なものだと述べる藍嘉比によれば、主人公・未麻が生きる「アイドル」というあり方もまた「思想の器」なのではないかという指摘もなされる。
さらに藍嘉比は、自身が造形的に好む90年代のキャラクターデザインについて「アニメーターや、視聴者の欲望のまま、目が大きかったり足が長かったりして、さらに絵としての要素も多く取り入れていて、激しく強く直線的で勢いのある尖った輪郭線や、その延長で描かれた立体に沿わない不思議な形をした影やハイライト」と書いている。人々の欲望とキャラクター/アイドルの関係性を問うのが、その文章の目的なのだ。
キャラクターを愛しているように思える二次創作について、それは「想像することでキャラクター自体を壊しているようにも見える」と述べ、「小さくも徐々に崩壊し消費され食われていくキャラクター」という表現すら用いる。そうして二次創作の危険性を『パーフェクトブルー』を迂回して取り出すのだ。同時代のキャラクターを用いたアートにも厳しく言及している。
だけど文章を書くのがうまいのに、今回の個展にはステートメントのようなものはなく、壁に貼られているテクストは第三者目線で書かれた技法的な解説のみである。言葉が欠如することで、むしろ私たちは徹底的に画面と向き合い、その画面がつくられていくなかで決定されたキャラクターの体格や髪型、服装といった造形にのみ注目し、その造形がいくつかの絵具の現象によって表現されているのを見る。すべての人物は異なるデザインである。
ただ一枚の絵画のためにのみ線や色がある(これはデータでも印刷でもない)。
なるほど。と思った。絵画とはキャラクターを二次創作的な、何かを愛することで破壊するような、人間たちの欲望から救い出すための形式なのかもしれない、と。そのために寡黙になり、ただ素材と造形のみを鑑賞者の元に差し出すことは、キャラクターを扱う表現を行う他の作家たちには見受けられない姿勢だと思った。絵画化されたキャラクターによる二次創作の不可能化。それは絵画のモダニズムを、倫理的な地平において、捉え返すものに思える。だから最終的には小林正人の空の絵の横に、一連の作品があるのを見てみたいと思った。
ぽちぽち打ってたら文字数制限がきたのでここまでだ。久しぶりに同時代の「絵画」に感動sh
午後11:47 · 2025年6月12日
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Heaven’s Gate, in the Nohoch Nah Chich underwater cave system, Mexico, Photo by Jinny Kim, 2026