あなたの文章が大好きで、更新が途絶えてからも定期的にtumblrを覗きにきてしまいます。このメッセージが目に通るか分かりませんが、あなたの言葉に励まされ、悲しい夜を何度も乗り越えました。ありがとうございました。どうかkai10さんが幸せでありますように。
時間はかかってしまいましたが見ることができました。とってもうれしいです。ありがとうございます。
Cosimo Galluzzi
YOU ARE THE REASON

祝日 / Permanent Vacation
d e v o n
DEAR READER
Monterey Bay Aquarium
One Nice Bug Per Day
No title available

blake kathryn

#extradirty
Alisa U Zemlji Chuda

Janaina Medeiros

No title available
Aqua Utopia|海の底で記憶を紡ぐ
let's talk about Bridgerton tea, my ask is open

★

Kaledo Art
2025 on Tumblr: Trends That Defined the Year
taylor price

Product Placement

seen from United Kingdom
seen from United States
seen from Poland
seen from Sri Lanka
seen from France

seen from United States
seen from Greece
seen from United States

seen from Germany

seen from Malaysia

seen from United States
seen from Malaysia
seen from Germany

seen from Malaysia
seen from United States

seen from Germany

seen from Germany

seen from France

seen from Malaysia
seen from Romania
@shubonbon
あなたの文章が大好きで、更新が途絶えてからも定期的にtumblrを覗きにきてしまいます。このメッセージが目に通るか分かりませんが、あなたの言葉に励まされ、悲しい夜を何度も乗り越えました。ありがとうございました。どうかkai10さんが幸せでありますように。
時間はかかってしまいましたが見ることができました。とってもうれしいです。ありがとうございます。
あきらめない
実は離婚した。まさか自分がそんな経験をするとは夢にも思わなかったので、今でもなんとなく信じられないでいる。もはや自分のものではないような、どこか現実味のない人生がずっと続いている。
7年もの時を一緒に過ごした。今となってはそのすべてが、長い夢でも見ていたみたいだ。もう、楽しかった日を思い出して泣くようなこともない。彼とつきあっていたわたしの延長線上に、今のわたしがいるのでは(おそらく)ない。その時のわたしと今のわたしは、どこかで完全に分離してしまったように思える。
過去の人間は死んだ人間と同じだ。あの時のわたしに二度と会うことはできない。わたしでさえも。
ゆるやかに死んでいったのだと思う。ずっとぼんやりとつらかった。彼がわたしを愛してくれていたのは本当だと思う。わたしが彼を愛していたのも本当だと思う。でも、何かが足りなかった。空洞がずっと埋まらなかった。二人でいて寂しいのは、一人でいて寂しいのより重症だ。単純に好き合っていればうまくいくわけではない。
膜のような哀しみの中で生きていたら、何かを少しずつ失っていく感じがした。こうやってぼんやりと人生が終わっていくのが怖かった。
みんなどうして一発で結婚がうまくいくんだろう? わたしには難しかった。やってみないとわからないことだらけだった。実際に結婚してみてはじめて、自分が結婚に対して求めていたものがわかる。この生活を続けている限りは、それが手に入らないということも。それでいいとは思えなかった。わたしはわたしの人生をあきらめることができない。
だから、やり直すことにした。離婚したと言うと、もう、結婚はこりごりって感じ?(笑)なんて、ときどき聞かれる。こりごりなわけない。掴むために手を離すのだ。恋がしたいと書いた19歳のわたしと、28歳のわたしは何も変わっていない(残念ながら)。
わたしはあきらめない。 わたしが幸せになることも。 もちろん、君が幸せになることも。
わたしはわたしの人生を取り戻すために、そういえば東京に住むのが夢だったことを思い出し、東京へ引っ越した。ほんとうはやりたかった仕事をすることにした。ほんとうは言いたかったことを言った。ほんとうは助けてほしかった人に助けを求めた。ほんとうは好きだった人に好きだと伝えた。
わたしは少しずつ、ほんとうのわたしになる。そしていつかは、この空洞を埋めるように微笑み合いたいな。そう祈りながら日々を生きるだけ。
最上の男
引きの強い男は「これ今、シュレディンガーの大吉」と言いながらおみくじを開くと、「見て、本当の大吉になった」と笑ってみせた。「やっぱり持ってるなあ」わたしは感心した。おみくじとじゃんけんが得意な男。 彼を見ていると言霊ってあるんだなと思う。たぶん「これ今、シュレディンガーの大吉」と言った瞬間に、このおみくじは大吉になったのだ。そういうのが魔法なんだと思う。魔法とはすなわち信じる力。
魔法使い見習いのわたしは吉だった。可もなく不可もなし。しかし恋愛のところを見ると「今の人が最上迷うな」と書いてあって笑ってしまった。わたしはおみくじが好きなので、まあまあおみくじを引いてきた側の人間だと思うが、そんなこと言われたのは初めてだ。これも隣にいる男の、引きの強さの成せる技? ちなみに、この男は以前「俺たちってお似合いだよね」と無邪気に笑い、わたしにお似合いの男になった経緯を持つ。
最上の男について考える。負けたくないので(何に?)、わたしはいつも「元彼よりいい男」と付き合ってきたつもりだ。つまり、元彼①よりは元彼②のほうがいいし、元彼②よりは元彼③のほうがいい。③よりは④のほうがいい。そうやって一番を更新しつづけていれば、いつか最上の男に出会えると思っていた。そして、出会った。ということなのか。そうなんですか? 神様。こちらが最上の男でお間違いないですか?
この人は、
優しい男だ。レディのファーストと不意のプレゼントが辞書にあるタイプの男だ。愛情深い蟹座。身長が170に少し足りないのを気にしてる。動物と植物と子供に親切。なぜかよく道を聞かれる。目の前で倒れた人がいたら躊躇なく助け起こす。一緒にピクニックをしているとき、なんか、幸せすぎると言って公園で泣いた。わたしが好きな男。わたしを好きな男。引きの強い男。そして、神様に最上だと言われた男。
母がわたしに掛けた魔法あるいは呪いの言葉”何も一番好きな人と結婚しなくてもいいのよ”なんかに甘んじているべきではないと最近思う。屈してたまるか。わたしは最上の男に愛されたいし、最上の人生にしたい。そういう気概を忘れないように、このおみくじは遺書を書いたノートの裏に貼った。
交差点
君はずっと他人のものだった。君にとってのわたしがそうであったように。わたしたちは常にある一線を踏み越えないようにしながら、お互いの存在に手を伸ばしあってきた。これはあくまで概念的な話だ。ずっと平行に歩いてきた。ときどき指先が触れ合ったり、触れ合わなかったりした。たとえば教室で会った君の顔を覗き込んだときに。あ、なんか元気ないねと言うと君は、なんで分かるんですかと観念したように笑った。そんなの分かるに決まってた。君だっていつもわたしのことを分かってた。わたしたちはいつも視界の端でお互いのことを確認していた。たぶんずっと。確認し続けてきた。黙認し続けてきた。認識し続けていた。わたしはきっと気づいてた。君が隠してるその傷にも。
君がわたしのものになればいいと、思わなかったといえば嘘になる。君はあまりにすてきなひとだから、だからその視線や、声や、体温が、もしもわたしだけに向けられたものであったなら、どんなに幸福だろうと思うこともあった。すくなくとも君が呼んでくれるわたしの名前は、それだけは確かにわたしのものだったので、ずっと心の奥で大切にしていた。ほんとうに。もしかしたらあの日君に電話をかけたのも、実は名前を呼ばれたかったのかもしれない。それは呪文であり、呪いであり、魔法だ。君だけが使える魔法。君のそばから動けなくなってしまう魔法。あるいは、どこか遠いところへ連れ出されてしまう魔法。
君が5年以上もその呪文を口にし続けたおかげか、ついに世界は変わり始めた。魔法が効き始めた。そういえば昔、ひとりで君宛の手紙を書いた場所はこの前君と行ったあのカフェだった。あの日君がカラオケで歌ってくれた歌をいまは助手席で聴くことができる。君の話に出てきた景色を同じ目線で見ることができる。君に触れることができる。あの線の向こうからでは知り得なかった君を知ることができる。世界は確実に変わりはじめている。ときどき夢でも見てるんじゃないかと思う。奇跡はいつだって美しくて泣きそうになる。君がほんとうに好きな人にはどんなふうに笑いかけるのか。どんな声で話すのか。どんな表情を見せるのか。ずっと知らなかった。今は知ってしまった。知ってしまったら手放せない。だからそのすべてがわたしだけのものになればいいと今は、願う。 願うことは許されていると思う。
事実はただそこに存在するだけで、善も悪も幸も不幸もない。すべてのことは事象に過ぎない。わたしたちは何かに定められた運命みたいなものをなぞりつづけるだけだ。この流れがどこに辿り着くのかはわからない。けれど流れに逆らうこともできない。それだっていつかはきっと海に出る。だから全部大丈夫になる。
苦しい時、息が上手く吸えない時、眠れない時、どうしてますか?解決法が見つけられなくてずっともがいています。
メッセージありがとうございます。ありますよね、そういう時。わたし結構人に会うのが好きなので、人に会うかもです。会えない場合は電話したり、メッセージを送ったり。とにかく積極的に、誰かと繋がるようにしています。ただ繋がっていればよくて、何か相談したり、打ち明けたり……要するに助けてもらおうとするわけでないので、関係性が濃い人でなくてもいいんです。そう思ったら、ちょっとハードルが下がりませんか?(人に会うってすこし力の要ることですが。)元気にならなきゃとか、元気にしてなきゃって気持ちでいくとしんどくなっちゃうと思います。ただフラットに、世間話とかしてればいいんです。どうでもいい仕事の話を聞いたり、恋人の惚気を聞いたり、お昼ご飯に食べたものの話とかしてればいいんです。とにかく、誰かと繋がること。他者の存在を確かめること。しんどい時って世界が自分のことでいっぱいになっちゃう感じが(わたしは)するので、それを換気するイメージです。自分ではない誰かの世界に触れることで、他者の世界が自分の世界に侵入してきて、自分の世界がすこし換気される。自分がすこし薄まる。中和される。そんな気がするんです。あとは、単純に人間ってパワーがありますよね。生きてるものだから。誰かに会うってそれだけでその人のパワーをもらえる感じがします。
とはいえ、元気がないときは誰にも会いたくない、って人も多いですよね。たとえばわたしの恋人とかそうです。ぜんぶ自分で消化できるし、人に会うほうが疲れちゃうタイプです。なんか自立しててすごいなあ、って思います。昔はわたしもそうならなきゃというか、もっと強くならなきゃって思っていたんですが、ある時から諦めました。笑 わたしは弱い人間なんです。とても。だから、自分一人なんかじゃ到底生きていけませんよ。笑 そこはもう開き直って、積極的に人の力を借りることにしました。代わりに、自分が元気なときはめちゃくちゃみんなのこと助けようってきめています。いつでも遠慮なく頼ってもらえる人であるように心がけています。だから質問者さんも、わたしのことは遠慮なく頼ってください。しんどい時はいつでもメッセージくださいね。
体にも、言葉にも、愛にも、かたちがある
よく考えたら恋愛は重ねることの連続だ。手を繋ぐ、抱きしめる、キスをする、まあその先もだが、ぜんぶ体の同じ部分を、相手と重ね合わせる行為だ。手と手、胸と胸、口と口。直接触れて、重ねることで、伝えられるような気がするのかもしれない。愛とか恋とか友情を。思いは目に見えない。だけど実体としての君に触れることはできる。だから触れたい。触れたい、確かめたい。重ねたところから何かを伝えたい。そして何かを感じたい。
実体つまり「かたち」は、触れることでしか本当に理解することはできない。手を繋いだときにはじめて君の手のかたちが判る。抱きしめたときにはじめて君の背の高さが判る。そうやって体を重ね合わせるときいつも、わたしはわたしに対する君のかたちを計測している。ひとは構造的にはみんな同じだ。だけどかたちはぜんぜん違う。だから相性がある。相性っていうのはなにもセックスに限らない。ただ手を繋ぐことや抱きしめることにだって相性はある、と、わたしは思う。
まずまずいろんな男と手を繋いできたが、繋いだ感じはやっぱりみんな違っていた。ものすごくフィットするひともいたし、あんまりフィットしないひともいた。まれに、怖いくらいぴったり自分に重なるひともいた。自分の指と指の隙間を、相手の指が隙間なく埋めるような。相手の甲に浮き出た骨の隙間を、自分の指先がちょうど埋めるような。そういうひとに出逢ったとき、わたしはパズルのことを思う。
もし「運命の人」なんてものがいるとするならば、それは生まれる前にわたしの隣のピースだったひとのことを言うのだと思う。わたしにぴったりハマるひと。わたしたちはかみさまにばら撒かれたジグソーパズルなのだ。わたしは「運命の人」は何人もいる論者だけど、このパズル理論でいくとたぶん4人はいるんだろうな(上下左右で)。でも何億分の4人だから、1人でもそういうひとに出会えたら奇跡。
ところで、目には見えないけれど、心にもかたちがある。声や、言葉や、愛し方にだって、かたちがあると思う。だから相性がある。一生聞いていたい声のひと。なぜかすっと言葉がしみこんでくるひと。愛し愛されているとつよく感じられるひと。君のくだらない冗談でこんなに笑えるのはたぶん心のかたちが似ているからだよ。きっとぴったり重なり合ってる。見えないけれどハマってる。
デッキブラシでも飛べる
信じることをやめてしまったのはいつからだろう。たぶん高校生くらいから、わたしはうまく信じることができなくなった。自分のことも、相手のことも、世界のことも。昔ここに「デッキブラシで飛び立てない」という日記を書いた。デッキブラシっていうのは、『魔女の宅急便』のラストシーンで、トンボを助けるためにキキが乗って飛ぶ、あのデッキブラシのことだ。魔法とは信じることだ。うまく信じることができれば、たぶん魔女の箒でなくても空を飛ぶことができる。「あのころのわたしは言霊を信じていた。口にする言葉を注意深く選んでいた。強くイメージすることができていた。イメージは現実になる。願えば叶う。ただ、正しく願えばよいのだ。」
俺は主人公だから、って笑う君は信じることが上手だ。こういうの引けるタイプなんだよ、って買ったポケモンパンのおまけのシールが本当にピカチュウで笑っちゃう。サイコロいい目ばかり出るから桃鉄が異常に強い。まぶしい昼の日差しのなかで、君が「今日も世界きらきらしてるなあ」ってつぶやく。それで本当に世界はかがやく。君は世界を変えられる。雨女だったわたしは晴れ女になる。それを刷り込んだのは君だ。「〇〇〇さんは晴れ女になったんだよ」君が言うので本当にそうなる。ちゃんとわかっているんだろう、だから君は、いつも素直に口にする。楽しい。美味しい。嬉しい。幸せ。大好き。
それでわたしは口にしないんだと気づく。
君といると相対的に、わたしはそういうポジティブな思いを、日ごろ口にしていないんだとわかる。口にした言葉は自分が聞いている。いちばんそばで、自分が聞いている。だから発言はいつもポジティブであるべきなのだ。思えばわたしは、いつも自分にどんな言葉を聞かせていただろうか? だめだ、できない、いやだ、きらい、しにたい、このところそういうことばかり言っていたよな。
呪文は口で唱えるものだ。だから口にする言葉は呪文だ。それは呪いにもなる。魔法にもなる。エレベーターの鏡に映ったわたしたちを見て、君が「見て、俺たちってお似合いだよね?」と笑う。それは呪いなのか。それとも魔法なのか。君といるとわたしも、信じることを、そのやりかたを、思い出せそうな気がする。わたしにも魔法が使えると思う。わたしだってかつては魔法使いだったのだ。小さいころ、近所のスーパーの福引で母がほしいと言ったシクラメンの鉢植えを当てたのはわたしだ。だからきっとできる。もう一度飛ぶ。デッキブラシを箒にする。そして君に魔法をかけるよ。
わたし晴れ女になったらしい
わたしは超のつく雨女で、遠出をすればだいたい雨が降る。旅行先に台風が来たこともあったし、結婚式も雨だった。
だけどこのごろ、どうも世界が晴れている。
君と会った日は雨だった。その次に会った日は小雨で、その次に会った日はなかなかの大雨だった。わたしは「ごめん、わたし雨女だから」と言って笑った。君は自分の左肩を濡らしながら、なるべくわたしが濡れないように傘をさしてくれた。雨。濡れた路面。反射するヘッドライト。点滅する青信号を一緒に走りぬけた時、もしかして今、世界には君とわたししかいないんじゃないかと思った。
君といるといつもそういう気持ちになる。なにか世界線のようなものを飛び越えて、別の世界に行けるような気がする。あの現実とは乖離した新しい世界。君とふたりだけの世界。わたしが晴れ女の世界。大雨の翌朝はめちゃくちゃな晴れで、君は「これさ、もしかして、世界書き換わったんじゃない?」と言って笑った。たしかにわたしにしてはありえないほど晴れていた。朝日に照らされた世界は美しかった。何かが、確実に、変化している、そんな感じがした。
いつ行っても空いていた喫茶店が珍しく混んでいた。そういえばわたしがここにくる日はいつも雨だった。そうか、この店は景色がいいから、晴れていればふつうに混むんだな。わたしはそんなことも知らなかった。
それはわたしがこの地球上で一番好きな喫茶店だ。店内は広く、席にはゆとりがあり、窓からは海が見える。君が海を見る横顔を一生忘れないでおこうと思った。わたしたちの横の席には、お父さんとお母さんと小さな女の子が座っていた。小さな女の子は、自分の腕の長さほどもある大きないちごパフェを一心不乱に食べていた。「あんな大きいの、食べ切れるのかな」わたしは小声で言った。「あの子わたしより食べてそうだな」「ね。しかもずっと美味しそうに食べてて、すごいよね。小さい俺だったらもう飽きてるだろうなあ」君は笑った。
たしかに女の子はずっととびきり美味しそうにそのパフェを食べていた。思わず見とれてしまうほど表情豊かな子だった。スプーンを一口、口に運んでは、満面の笑みを浮かべた。口の周りにはクリームがついていた。物静かそうなお父さんが、それをこっそり写真に収めていた。きっと娘が可愛くて可愛くて仕方ないんだろう。優しいお父さん。明るいお母さん。心からの笑顔。あの女の子は、たしかに愛されているのだとわかった。女の子が連れてきたのであろうぬいぐるみを海に向けて座らせていて、きっとあのぬいぐるみに海を見せてあげているのだと気づいた時、ひとはじゅうぶんに愛されることで、その愛を分け与えられるのだと知った。
いつのまにか女の子はあんなに大きかったパフェをきっちりと完食していて、それを見たわたしたちはまた目を合わせて笑った。
世界はそんなふうにきらきらしていた。
海は晴れていた。太陽を映した水面は冗談じゃなくきらめいていた。カーステレオからは海の曲が流れていた。「きっと俺、死ぬ時にいまのこの10秒くらいの映像を思い出すんだろうな」君は笑った。わたしも死ぬまで思い出すだろう。それほど、あまりに美しい、瞬間だった。そんな瞬間がわたしの人生にあることに感謝した。このごろ世界は晴れている。世界がきらきらして見える。ここがどこなのかわたしは知らない。だけどこの世界では、わたし晴れ女になったみたいだ
ひとつも間違わずに生きることなどできない
正義感の強い子どもだった。曲がったことが嫌いだった。正しいことをしたかった。清く正しく生きていれば、いつか必ず幸せになれると信じていた。そんな自分が好きだった。
だけどわたしは変わったと思う。
大人になるにつれて、許せることが増えた。煙草、キャバクラ、風俗、AV、浮気または不倫、ズル休み、嘘をつくこと。昔はあんなに嫌いだったけど、いまはそうでもない。良いことだとは思わない。だけど悪いことだとも思わない。そうやって、ある種の「潔癖さ」のようなものを捨て、わたしは許すということを覚えた。
それは自分も間違うって気づいたからだ。25年間、人間として生きて、その生き物としての弱さを、嫌というほど目の当たりにした。人間は弱い。弱くて、ずるい生き物だ。わたしも人間だから知ってる。だから許すのだ、いつか自分も許されるために。
正しく生きるのは素晴らしいことだ。でも、わたしは間違いや弱さに寄り添えるひとでありたい。「優秀に暮らしていこうとするよりも 君らしい不完全さを愛したい」 この曲を聴くときの祈りは今も変わらない。
I wanna be your gentleman
傷つくと分かっていながらどうして懲りずに人を好きになってしまうのか。自分は馬鹿なんじゃないかと思って落ち込んでいたけど、生物学者の池田先生が 「セックスは運動か労働であって、恋愛は病気である」(池田清彦 『正しく生きるとはどういうことか』)ってバッサリ書いているのを見て気が楽になった。セックスは運動だし恋愛は病気だ。人はただの生きものだ。愛だの恋だのはフィクションにすぎない。だけどフィクションに救われる時もある。嘘は嘘のままがいいこともある。愚かだと分かっていながらも、何回だって魔法にかかる。
人生にはときどき夢みたいにきらきらした瞬間がある。たとえば、あの日ハチ公前に君が迎えにきてくれたこと。春の夜の匂い。友達が同棲している2DKの洗面所。ライブのあとの下北沢。君と見た海の粒子。深夜のコンビニ。学生のとき付き合っていた彼氏の部屋のこたつ。わたしはそういうきらきらをかき集めて、すこしずつ、すこしずつ、宝石箱にしまう。それは砂漠からビーズを探すようなことだ。でも、わたしにとって生きるとはそういうことだ。
好きな人に何をしてあげたいか考えた。好きな人には、なるべく好きって伝えたい。誰かに好かれた経験は、きっとどこかで糧になると思うから。すくなくともわたしはそうだから。もう別れたひと、結局付き合わなかったひと、いろいろいるけど、こんなわたしでも誰かの「好きなひと」になれたんだ、って経験は、すごくわたしを強くした。あのひとに昔言われた「好き」が、ときどきわたしを守ることもあった。だからわたしの「好き」も、あなたのお守りになればいいと思う。いつかのあなたを守りたいと思う。今伝えられる言葉で。
セーブデータ(2)の話
人生に疲れたから好きな男とデートした。カラオケ行ってスタバ行ってノリで江ノ島行って海見てスーパーでパン買ってその辺で食べて酒は一滴も飲まずに健全解散した。高校生か? 笑
雨の夜の海、本当に誰ひとり人間がいなくて逆によかった。なんか、こうしてると世界でふたりだけになった感じするよね。そうだね。もう俺いま死んでもいいな。わかる。太宰とかもさあ、こんな気持ちだったのかな。もう死んでもいっか〜って思って死んじゃったのかな。かもね。それって、意外と幸せだったのかも。
好きな男、やっぱり好きな男だった。めちゃくちゃいい男だった。なんでこんないい男と付き合わなかったのかなって思った。一回くらい付き合っとけばよかったな。人生ってなんでセーブデータ一個しかないんだろ。三つくらい欲しい。セーブデータ(2)では君の彼女にして欲しい。はちゃめちゃ幸せにして欲しい。思いっきり抱きしめて欲しい。毎晩寝るまでそばにいて欲しい。あの優しい声で名前を呼んで欲しい。きっと全部ちゃんとしてくれただろうな。そんな人生もあったのか。いいなあ。全然アリだなあ。あの日選ばなかった選択肢の先、見てみたかった。ギャルゲーみたいにもう一回プレイできないかな。
帰りの長い電車では、この世のどこにもない未来の話をしながら帰った。きみと結婚したら楽しいだろうなあ。料理も苦手だけど頑張るよ。いっぱい旅行もしたいよね。温泉にも行こうか。ドライブもしよう。子どもはいなくてもいい。いらないと思ったら犬を飼おう。毎晩一緒にゲームしよう。なんか、いい人生じゃん。いい人生じゃん、それ。絶対に叶うはずないんだけど、でもそんな夢に今日は救われた
いつもアジカンを聴いていた
25歳になった。わたしは14歳か15歳のときからアジカンを聴いているので、アジカンを聴き始めてまるまる10年が経ったことになる。10年経ってもあのころと同じようにアジカンを好きでいられて良かった。未だに新譜は楽しみだし、ライブに行くと生きてて良かったと思う。アジカンを好きで良かった。音楽のある人生で良かった。もちろんそれは常に進化をし続けて、ずっと飽きさせず楽しませてくれたアジカンのおかげにほかならない。 本当にありがとうございます。 こればかりはアジカンとロックの神様に感謝するしかない。わたしはただ運が良かっただけなのだ。好きなバンドに出会えたことも、そのバンドと同じ時代に生きていることも、奇跡みたいな偶然にすぎない。10年前のあの日あの時あの場所で、アジカンを流してくれたスペースシャワーTV、本当にありがとう。なんでか知らんけどスペースシャワーTVを見てた父親もありがとう。もしもあのとき居間のテレビに点いていたのが別の番組だったら、ぜんぜん違う人生だったのかな?そう考えると怖い。 *** わたしはアジカンと出会って、エルレと出会って、ストレイテナーと出会って、SOLと出会って、ギターを手にした。ライブに行くようになった。フェスに行くようになった。Twitterをはじめた。友達ができた。同じ音楽が好きというだけで繋がった友達。もしも音楽がなければ、一生出会わなかったかもしれない友達。そのずっと延長線上で彼と出会った。 わたしはこんなにアジカンが好きなのに、アジカンが嫌いなひとと付き合っていたこともある。そのころ母がぽつんと言った「アジカンを観てる時の楽しそうな顔が一番せなちゃんらしいのに、それを好きになってくれる人がいたらいいね」は今でも印象的で、それからわたしはアジカンが好きな人としか付き合わないことに決めた。冗談みたいなんだけど、これはまじだ。だって一生いい音楽が流れている家で暮らしたい。それがわたしの夢なのだ。そこを分かり合えないパートナーなんてありえない。 だからその次は「一番好きなバンドはアジカン」の人と付き合った。同じ熱量で同じバンドが好き。それがこんなに楽しいことだとは。CDやDVDを貸し借りしたり、一緒にライブに行ったり、グッズがぜんぶ欲しくて何を買うか悩んだり、カラオケでナイトダイビング歌ったり、江ノ島で江ノ島エスカー聴いたり、他にも好きなバンドを教えあったり、そういうぜんぶが、ひとつひとつ楽しかった。彼とは結局別れてしまったけれど、彼氏と一緒にナノムゲンに行くって夢を叶えてくれたのは彼なので(そして、もうそれは再現できないことなので)今ではすごく感謝している。そういう思い出に生かされている時もある。たとえもう二度と触れられないとしても、人生のある地点に夢みたいな一日が存在していたことは事実で、その事実はときどき、たしかにわたしを守ってくれる。 *** 恋人はスピッツが好きだ。だけどアジカンも好きだ。だから結婚式ではスピッツとアジカンを混ぜたプレイリストを流した(スピッツテイストに合うアジカンの曲をこだわりの厳選。オタクの本領発揮である)。結婚式でアジカンの曲を流すことは、人生の目標のひとつだった。あれも夢みたいな一日だった。わたしはロックの神様しか信じていないので、怪しい神様には愛を誓わなかった。代わりに運動会の選手宣誓みたいに宣誓した。宣誓の文言は自由に決めていいとのことだったので、これからも音楽と本と酒を愛しながら楽しく暮らしますと言った。 金曜の夜に安い缶ビール飲みながら、音楽を聴いている時間が一番好きだ。この人と生活することにして良かったなと思う。10年前のあの日から、闇と瓦礫を掻き分けて、辿り着いたんだ。ここに。
「あなたにとって愛って何?」の答えがまったく同じだったので、やっぱり運命の人だったんだって思った。
心がぐちゃぐちゃだ。みんなどうか生きて、ただそこに生きていてくれるだけでいいから、生きていてね。つらくなったらいつでもわたしにメッセージをしてね
kai10さんの文章が大好きです。こんばんは。日々、「自己肯定感」について考えています。自信を保つことって中々難しいですが、今の自分が自分であるということに満足できません。周りからどんな風に思われているかを気にしてしまう(特に上司)クソ真面目な僕ですが、それは性格上仕方なく、この繊細さは気質なのだということを自覚しているものの...。答えのない問い、考えてもしょうがないのですが、こんな風に誰かに質問を送ること自体が初めてで少し緊張しますが、よろしければお話聴かせてください。取り留めのない文章ですみません。
メッセージありがとうございます。はじめての質問に選んでいただけてうれしいです。
自己肯定感、むずかしいですよね。わたしもぜんぜんないんです。なので、お気持ちはとてもよく分かります。
たぶんですけど、00aeefさんは学生のとき、けっこう勉強ができたんじゃないですか。きっと、いつもコツコツ、頑張ってこられた方だと思うんです。
わたしは、学校にいるときは、まだ自己肯定感ってあった気がします。勉強ができたからです。
ところが社会に出てからというもの、そのわずかな自己肯定感もバッキバキになりました。仕事ができないからです。
わたし、「ふんわりと自己肯定感(≒自信)を持つ」って、たぶんできないんですよ。わたしもクソ真面目なので(!)、ハッキリと、たとえば数値化できるようなことにしか、自信を持てないんです。
だからむずかしいんだと思います。仕事って、簡単に数値化できないからです。
いま自分が何点なのか。先月から何点上がったのか。あと何点とれば合格点なのか。それがぜんぜん見えないから、なんというか、、どこで自分を褒めてあげればいいのか、よく分からなくなっちゃうんですよね。
とはいえ、真面目な00aeefさんは、きっとコツコツ頑張って、いつか仕事でもきっちり結果を出すと思うんです。
心配しなくても、あなたはいつかちゃんと結果を出すでしょうし、そうしたら自信が持てるでしょうし、自己肯定感も高まるはずです。・・・なんて言いたいところですけど、そんなことを聞きたいのではないと思うんです。笑
だって「今」がしんどいわけじゃないですか。かしこいあなたは、満足のいく「結果」が出るまでには、それなりの時間がかかることもわかっているはずです。
なので、個人的には、いったん仕事以外のことで自己肯定感をやしなうべきと思います。何年もただただ耐えて我慢するって、ちょっとつらすぎますからね。まさに逃げるは恥だがなんとやら、です。わたしなら仕事からいったん目をそらしますね。笑
ところで、わたしは最近ヒカキンさんにはまっているんですけど、ヒカキンさんは下積み(スーパーの店員)時代、仕事で嫌なことがあっても「俺にはビートボックスがある」って思って頑張っていたそうです。たぶん、そういうことなんだと思います。上司には触れない、あなただけの聖域に、あなただけの自信を持つべきなんです。あなたと、強いて言うならあなたの大切なひとがわかってさえいればいいので、どんな小さなことでもかまいません。玉子焼きがすごく美味しく作れるとか、毎朝ちゃんと花に水をあげてるとか、1週間に1冊は本を読むとか。ポイントはちゃんと数えることです。どんなに小さなことでも、あなたの自信に計上することです。いや、むしろ、小さなことほど大切にするべきなのかもしれません。結局のところ、小さな自信の集合体が「自己肯定感」なんじゃないかしら。
……なんて、つい熱が入って長文になってしまいました。すみません。半分は自分に言い聞かせている文章なので(汗)恐縮です。最後に蛇足ですが、ぜひ『嫌われる勇気』を読んでみてください。わたしにはとてもヒットした本です。
以前の大学の話はとても好きでした。読み返してみると、なんだか美しくロックで夢見がちかもしれないけれどあくまで現実を奏でるロックンロールみたいな文章は、いつも素敵です。なんだかファンレターみたいになってしまいましたね。これからも楽しみにしています。
メッセージありがとうございます。わたしにはどうしたってロックンロールの血が流れてるのでそのせいかもしれませんね。おっしゃる通り、ロックはあくまで現実です。
よかったらメッセージください。
ゆっくり返します
https://shubonbon.tumblr.com/ask
Ask me anything