環境・社会に対するコンプライアンスの目線が厳しくなってきた
結果や利益を得るために、細かいことを気にする頭のリソースがなかった
そのため、例えばセクシュアルアイデンティティなんかも実際細かいこととして切り捨てられていた
コンプライアンスなんて気にしてたらなにもできないよ〜(泣) ぐらいのキャパだった(批判的な意図ではなく、事実としてそうだったのだろう)
多様であること、より細かいことを気にしていることが正義ではないということ
「細かいこと」という理由で排斥されることは正しいことではない
LGBT運動のような話でも、話を1にすり替える人が多い
確かに1は大切なのだが、2をスキップして構わないということには決してならない
より細かいことを気にしていることがより正義ということにはならない。より細かいことを気にするものには、より複雑な正しさを検証する責任を持つことになる。大変なことだぞ
より細かいことを気にすることが必ずしも良いことではないこともある。今後、コンプライアンス重視の社会は反転して「細かいことを気にしない」社会に変わっていく可能性が高いと予想する
では、私たちが細かいことを気にしなかった頃と何が変わるのか?
私達の脳がより発達し、細かいことを気にするようになったこと
細かいことを気にする群が、社会の主要な構成員になり、価値観に変容をもたらすこと
脳の変化が社会の変化にダイレクトに繋がったのであれば、それは今後とも大変に重要で興味深いことなので注視しよう
「細かいことを気にしないようにする」のもめちゃくちゃ大事なんだけど、例えばじゃあその過程で産業的排出で環境を汚しても良いのか、社員にパワハラをしてもい良いのか、となると当然NOとなる
NOなのだが、環境破壊だからすべてNO、パワハラだからすべてNO、というわけではない
現代社会には「パワハラがあったからその会社はすべてNO」みたいな圧力がかかる風潮があるのだが、ここが私達の今の脳の限界だと考えてる
大多数の人間は、NOだったことの「NO」の中身は何だ?どういう価値観に照らしあわしせて「NO」と言ったんだ?というところまで息をするより早く処理をし感情や感覚を形作ることができない(私もできない)
何が言いたいかと言うと、今の社会で、大多数の人間が自然にできることの限界が「細かいことだという理由で意見を排斥することがNOだ」と感じて言えるところまでだということ(実際にはそれよりもうちょっと考えて言えるが)
つまりパワハラがだめなのが「企業がなにかの目的を果たすうえで、特定の社員だけに理不尽な要求をしたり、不利益を被らせる秩序を残すような社会をつくらないため、そうした悪い秩序を残さない社会をつくるため」なので、それが念頭にあって初めてNOを中身を伴って言うことができる
これを呼吸より早く、任意の集団のだいたい8割以上の人間が常に頭のなかにあって社会の動向を見守っている状態になれば、社会のコンプライアンスのあり方は今とは見違えるほどになっているはずだと考えた
これはそうあるべきという話ではなく、長いスパンで見たときに自然とそうなっていくと予想されるので、そういう世の中になることに備えておこうという話
社会が今後「細かいことを気にしないようになる」と考えたのは、「NOであることを突きつけたうえで、それをどうするか」という次のステップが生まれるからだと考えているため
例えばカーボンクレジット(CO2排出権の取引)のような取り組みは一見めちゃくちゃグリーンウォッシングに見えるが、見方を変えると「細かいことを気にしないようにする」の一種ではないかと私は見てる
何かを製造する過程で起きたCO2の過剰な排出に対して明確に抑制に取り組んだり、排出を理由に製造を取りやめたりしていない
しかし、「CO2排出を気にするキャパがない」わけでも「なかったものとして扱う」わけでもなく、CO2の過剰な排出があることはあるものとしている
他の場所でのCO2排出削減に出資する形でちゃんと「CO2の過剰な排出」を取り扱っている
つまり、CO2排出削減という「より細かいこと」を考えられてかつ取り扱える人が、その責務を果たすことになる
もちろんお金を払ってパワハラや犯罪を見逃してもらうという仕組みにはならないと思う。労働者の環境を守ることと直結しているので
人間同士である以上、どこかでパワハラは起こり得る。それを自然と抑制できる環境を徹底できている企業はなにもしなくてよい。そうではない企業が、パワハラを是正するためのコーチを配置するコストを払わなくてはいけないような仕組みになるのでは?
どういう形になるのかはわからないが、コンプライアンスに反したことをエラーではなく仕組みとして取り込むようになるのが私たちの脳がさらに進化した後の社会のあり方になるんじゃないかと思う
「細かいことを大事にできるようになったこと」を大事にする
しかし「細かいことを気にしなければならない」わけではない
しかしそれは「細かいことがなくなった」わけではない
「細かい気にすべきこと」を突きつける側も、突きつけられる側も、それを取り扱える事が大事だ
「細かい気にすべきこと」を取り扱えることは正しさではなく能力なので、それぞれできるかつそれをやろうという人が、できることをやる
そうして社会に仕組み化されていくことで世の中は良い方向へ変わっていく
未来の話でもあるし、今日私たちが以上のことを大事にして生きることで、ふつうに身近によりよい環境を作れるヒントになると思う
コンプライアンス重視の社会に対し、「私たちの脳が細かいことを気にできるようになった」という言語化を与えられるようになった。これは重要なことである